いまこそ「トランスディシプリナリティ」の実践としてのメディアを
──経験知、生活知の統合をめざして

南後由和(明治大学情報コミュニケーション学部専任講師、社会学、都市・建築論)+貝島桃代(筑波大学准教授、建築家、アトリエ・ワン)

都市や空間の枠組みからの解放と創造

編集──本日はよろしくお願いします。今日は南後さん、貝島さんの近年のご関心、お仕事から、世界的なさまざまな建築・都市メディアの展開、そして今号で更新が最後となる「10+1 website」の20年間、そしてこれからのメディアのあり方、議論の方法など、多岐にわたるお話を伺いたいと思っています。南後さんがサバティカルから一時帰国された際に、進行中のとても興味深い研究内容を貝島さんと一緒に伺ったことがありますが、今日はその全体像からお話を伺えればと思います。

南後由和氏

南後由和──よろしくお願いします。僕は2017年9月から2年間の在外研究で、オランダに1年、ニューヨークに半年、ロンドンに半年滞在し、2019年9月に帰国しました。オランダでは、デルフト工科大学に在籍し、主にオランダの芸術家コンスタント・ニューウェンハイスの都市プロジェクト「ニューバビロン」(1956〜74)についての研究をしていました。コンスタントはもともと画家で、コブラ(CoBrA)というグループでの活動がよく知られています。その後、彫刻をつくったり、建築模型をつくったり、地図制作をしたり、さまざまなメディウムを横断しながら、ニューバビロンの制作に取り組みました。オランダやフランスなどではコブラを中心とする画家時代の研究は蓄積されていたものの、それ以降の活動に着目した研究は手薄でした。それが1990年代にはシチュアシオニスト・インターナショナル回顧の機運が高まり、2000年前後からはコロンビア大学のマーク・ウィグリーがコンスタントを建築史の文脈に位置づける作業に着手するなど、英語圏ではコンスタントを「もうひとのシチュアシオニスト」、ニューバビロンを「もうひとつの建築史」として捉え直す試みが進みました。最近では、日本でも埼玉県立近代美術館から巡回展が始まった「インポッシブル・アーキテクチャー」展(2019〜20)でニューバビロンのリトグラフなどが取り上げられました。ニューバビロンは、遊び、ノマディズム、迷宮、一時性、可変性、オートメーション、集団的創造などの特徴を有するアンビルドのプロジェクトです。ニューバビロンでは、労働、定住、私有、家族、国家という概念が消失しており、労働から解放された人々による「遊び」が全面化しています。そこには同じオランダ人であるヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(1938)からの思想的な影響がうかがえます。さらにいえば、単純労働がオートメーション化されるというヴィジョンは、現代でいうAIの問題にもつながる射程をもっています。トップダウン型の都市計画ではなく、誰もがアーティストとなってDIY的にボトムアップ型の都市を形づくっていく、そうしたプラットフォームをコンスタントは設計しようとしたわけです。コンスタントのニューバビロンについての研究は、美術史と建築史の領域に大きく二分されている状況にあったのですが、僕はむしろ、何が画家であったコンスタントに彫刻や建築模型の制作を駆り立てたのか、言い換えるなら、絵画だからこそ表現できたこと、模型だからこそ表現できたこと、地図だからこそ表現できたこと、逆にそれぞれのメディウムでは表現できなかったことは何かという問いを立て、メディウムの固有性とその横断的な「翻訳」過程に着目しながら研究を進めました。

このような建築のメディウム論に取り組むうえで、デルフト工科大学で受入をお願いしたトム・アヴァーマテ(2018年よりETH教授)が牽引する「Methods and Analysis」というプログラムが適した研究環境だったということもあり、そこに所属しながら研究に取り組みました。コンスタントのドローイングや模型や地図などの作品は、デン・ハーグ市立美術館が最多の収蔵数を誇っています。またRKDというオランダ美術史研究所には、コンスタントが建築の領域に足を踏み入れるきっかけを提供したアルド・ファン・アイクやヘリット・リートフェルトなどのオランダの建築家、チームXのヨナ・フリードマン、少し下の世代ではピーター・クックなどの建築家のほか、ギー・ドゥボールをはじめとするシチュアシオニストなど、さまざまな人たちとの往復書簡がアーカイブされています。オランダでは、そうした一次資料を収集、分析するのに時間を費やしました。また、コンスタントの夫人でコンスタント財団のトゥルディ・ファン・デル・ホースト氏の協力を仰ぎながら、コンスタントの自宅やアトリエを訪問したり、関係者へのインタビューもしました。そのほか、コンスタントがオランダ国内で移り住んだすべての家を回ったり、ニューバビロンの大きな着想源となったイタリアのアルバにあるジプシーのキャンプや、シチュアシオニストが結成された場所であるコージオ・ディ・アッローシャなどにも足を運びました。

2年目の前半は、先ほど名前を挙げたウィグリーもいるコロンビア大学に籍を置きました。コロンビア大学では、私と同じくアトリエ・ワンの『Atelier Bow-Wow: Behaviorology』(Rizzoli、2010)に寄稿していたエンリケ・ウォーカーに受入窓口となってもらって論文を書き進めつつ、「CCCP」という建築の批評、キュレーション、コンセプチュアル・プラクティスのプログラムなどにも顔を出しました。2年目の後半は、UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)バートレットに籍を移しました。バートレットでは、アンリ・ルフェーヴルの空間論を援用した『スケートボーディング、空間、都市──身体と建築』(齋藤雅子+中川美穂+矢部恒彦訳、新曜社、2006/原著=2001)などの著作で知られるイアン・ボーデン、住民やユーザーの関与(エンゲージメント)を喚起し、促進させるアーバニズムの実践例を集めた『Engaged Urbanism: Cities & Methodologies』(Tauris Academic Studies、2016)などの著作があるベン・カンプキンなどと議論しました。UCLでは、ほかにも「Urban Laboratory」という領域横断的な研究センターや、主に身体のパフォーマンスによる空間の生産やインスタレーションによる場所への介入などの実験的プロジェクトに取り組んでいる「Situated Practice」というプログラムが印象に残っています。まとめると、オランダでは、コンスタントの一次資料にもとづく歴史的研究に重点を置き、ニューヨークやロンドンでは、シチュアシオニストやルフェーヴルの都市論が現代のアーバニズムをめぐる実践においてどのように継承、展開されているのかについて研究を発展させました。

貝島桃代──そもそもマーク・ウィグリーが画家として評価されていたコンスタントを都市論の文脈に位置づけようとしたのはなぜでしょうか?

南後──ウィグリーはMoMA(ニューヨーク近代美術館)でフィリップ・ジョンソンとともに「ディコンストラクティヴィスト・アーキテクチュア」展(1988)をキュレーションしたことで知られていますが、そこで取り上げられたレム・コールハースやベルナール・チュミなどの建築家へと至る系譜のひとつに、ロシア・アヴァンギャルドが置かれていました。コンスタントも、エル・リシツキーなどのロシア・アヴァンギャルドに強い関心を持っていました。ウィグリーにとってコンスタントに関する研究は、彼のデコンストラクションやロシア・アヴァンギャルドに対する問題関心の延長線上にあるのではないかと本人に聞いてみたところ、はぐらかされましたが。ウィグリーには、建築の本流というよりは、建築の概念や枠組みを拡張していく、建築界の周縁にいるアウトサイダー的な人たちへの関心が共通していて、コンスタントもそのひとりだと見なすことができます。最近では、バックミンスター・フラーやゴードン・マッタ=クラークなどの本も出しています。

貝島──ウィグリーは都市や空間の枠組みから解放された人々の自由なふるまいによってつくられた都市イメージに関心があったということですね。

南後──ウィグリーのコンスタントに関する主著は、『Constant's New Babylon: The Hyper-Architecture of Desire』(010 Uitgeverij、1998)というタイトルなんです。「The Hyper-Architecture of Desire」という副題に示唆されているように、建築の枠組みを超えていくような試みとして、ニューバビロンを位置づけています。ただし、都市に住む人々や社会の欲望によってというよりは、建築のデザインや形式によって超えていくという側面が強く打ち出されています。ウィグリーは建築史・建築批評家ということもあり、どうしてもニューバビロンを建築史の文脈に回収してしまうきらいがあります。しかし、コンスタントはシチュアシオニストのメンバーでもあったように、上位概念として「雰囲気」や「契機(状況)」を置き、それらを構成する下位概念として「建築学的なもの」、「気候学的なもの」、「心理学的なもの」を置きました。そのため、コンスタントを建築家として、ニューバビロンを建築として回収してしまうと、その射程を十分につかむことができません。むしろ、コンスタントはドローイング、平面図、模型などを横断して制作される建築のメディウムや建築的思考の「転用」を試みたと考えるほうが理に適っています。実際、コンスタントは建築がもつ暴力性にも自覚的で、都市をめぐる創造と破壊の両方の側面に光を当てていました。

加えて、フランス語が堪能だったコンスタントは、アンリ・ルフェーヴルとも親交が深く、ルフェーヴルの一連の日常生活批判や都市論から着想を得ながら、その具体的な実践としてニューバビロンを展開していったという側面があります。ですので、僕はルフェーヴルの社会─空間論や、「空間の表象」と「表象の空間」の枠組みなどが、ニューバビロンの制作において、どう反映されていったのかという観点からも考察を進めています。とくにニューバビロンの地図制作に関しては、これまで正面から論じられることがほとんどなかったのですが、模型のスケールと地図のスケールの比較に加え、地理学的想像力の観点からも捉え返していく必要があります。このように、絵画を中心とする美術史やウィグリーらの建築史の文脈を架橋しつつ、社会学や地理学などの文脈も交差させながら、ニューバビロンについての研究をまとめているところです。

貝島──オランダとアメリカとイギリスの3カ国を生活者として経験できたというのはよかったですね。ヨーロッパでもオランダとイギリスの文化的文脈はいろいろと違うでしょうし。

南後──それぞれの国や都市で日常生活を送るなかで、学ぶことや気づくことは多かったですね。特にオランダは、自然に対する考え方が日本とは大きく異なり、低地が広がる地形ゆえに、洪水に悩まされてきた歴史をもち、「デルタ計画」をはじめとする堤防や水門など、自然を徹底して人工的にコントロールしようとする強い意志を感じます。干拓地であるポルダーも、上空の飛行機から俯瞰すると、モンドリアンの幾何学的構成による抽象絵画のような平面性を帯びています。また土地の水平性は、階層間の水平性や異なる人種や宗教の人たちに対する寛容性など、社会的な水平性とも関係していると思います。オランダの次に移り住んだ、ニューヨークの超高層に象徴される垂直性とは対照的でした。オランダの水平性に関しては、コスモポリタニズムを志向し、「セクター」という構成単位が地表面上を水平に伸張していく様を描いたという点で、コンスタントのニューバビロンにも通じるところがあります。オランダには、さまざまなものを自分たちでDIY的につくろうとする文化が根づいているせいか、日本やアメリカほど、消費文化の色合いが強くありません。その分、レストランの味のクオリティは低いと言わざるをえませんが(笑)。冬になって運河が凍ると、水面が遊び場として転用されて、アイススケートを楽しむ光景も、拡張された平面性の一例として、印象深かったですね。オランダで日常生活を送ることで、ニューバビロンがつくられた文化的土壌に触れることができたように思います。

編集──ポストモダン期の論客でもあるウィグリーが辿った源流に、コンスタントと並んでロシア・アヴァンギャルドがあるとのことですが、コンスタントとロシア・アヴァンギャルドはどういうつながりがあったのでしょうか。

南後──コンスタントは最先端の技術や素材への探究心が強く、彫刻では、ナウム・ガボなどのロシア・アヴァンギャルドの作品を彷彿させる、プレキシグラスを使った連作をつくっているんですね。宇宙に対する関心などにも、ロシア・アヴァンギャルドに通じるところがあります。コンスタントには、技術を手なづけて飼い馴らすことによって、日常生活を営む都市から地球表面、さらには宇宙にまで至る広大なスケールを自分たちの生活環境に変えていこうとする姿勢が見られます。またコンスタントは、ロシア・アヴァンギャルドのみならず、デ・ステイルやバウハウス、シュルレアリスムとの距離をはかり、ヨーロッパの近代美術史の動向を多領域にわたって踏まえながら、自身の制作を展開しました。ちなみに『ハーグ・ポスト』のジャーナリスト時代にコンスタントへインタビューをしているコールハースも、ロシア・アヴァンギャルドに強い関心を持っていますよね。

貝島──レム・コールハースにしてもウィグリーにしても、土地や空間に対する批評的な意識がありますよね。もともと人間は土地に帰属しなければ生きていけないのだけれど、産業化などによって必ずしも土地に帰属しなくても暮らしていける社会になったときに、そのなかでどう自分たちを位置づけるかということに関心があったわけですね。

南後──マルクス主義や共産主義の読み直しでもありますね。

グローバルと歴史の交差点としてのドローイング

編集──土地への帰属とその社会というテーマは、貝島さんが2018年の第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で掲げた「建築の民俗誌」と重なるところがありますね。その根本にある持続的関心や展開について、今のお考えをお聞かせいただけますか。

貝島桃代氏

貝島──私は昔から、あるものがどうしてそうなっているのかということにずっと関心がありました。そのことを突き詰めて考えていくと、あらゆる物事に同じようなものの反復が見出せます。私自身は一回しか起きないことには興味がなく、何度か繰り返して起きることに理解や共感を覚えます。そのことをダイレクトに身体で理解できる仕組みなり物語なりをどうやったらつくれるかということを、自分が設計するときにはいつも意識しています。反復していることを見たり集めたりする癖は「メイド・イン・トーキョー」のプロジェクトにもつながっています。そのなかで、最初は東京に関心が向いていましたが、筑波大学で教えるようになってから地方に行く機会が増えて、地域にあるものを見て理解するという経験を繰り返すうちに、地形がもっている特殊性にも関心をもつようになりました。山沿いの地域にしても海沿いや川沿いの地域にしても、その土地がもっている水系なり地形なりにかなりの部分拠っていることに気づく。「メイド・イン・トーキョー」は東京が舞台ということもあり、自然や地形は田舎ほどわれわれの暮らしに直接は関わりませんが、それでも台地の上、川や海の周辺とでは、建築の配列の仕組みは地形に沿うものだったり、格子状だったり、変わってきます。そうした土地との関係が田舎に行くとより凝縮され、暮らしとして、産業として立ちあがり、理解しやすく、筑波周辺の農漁村を複数訪れる、訓練ともいえる経験のなかで、理解の蓄積ができ、自分自身、そして当時の学生たちの間にも感が耕されてきたわけです。

そんな折、2011年に東日本大震災が起こり、被災地でお手伝いする機会を得て、これまで勉強してきたことを現場で活かすことができました。そのときにつねに考えていたのは、自分たちが空間に読み取っていることを、どうすれば人に伝えられるかということでした。言葉で説明することも多少はできますが、できるだけわかりやすく建築の専門家ではない人に伝えたいときに、私自身絵を描くことが好きなので、絵で伝えればいいんじゃないかと。そう思い立って、公共空間を複数の人の手によって描き出す「パブリック・ドローイング」であったり、インタビューをそのまま絵に起こして漁師さんたちに見せる「浜の将来図」という実践を始めました。言葉で書かれている民俗学や民族誌的なものを、どうすればみなで共有し、次の理解や実践につなげるか。そしてその問題をどのようにデザインに落とし込むか、専心していました。

そうしたなか、2018年の第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館キュレーターに任命されて、それと同じ頃にETH(スイス連邦工科大学)チューリッヒ校で教えてみないかという話が来て、思い切った判断でしたが、ヴェネチアに近いスイスという外側の視点を導入しつつ、チャレンジすることにしました。私たちがやっていた「メイド・イン・トーキョー」というのは不思議なプロジェクトです。その基本には自分たちの素朴な興味があるのですが、それを外に向けて説明するたびに、アイデアが膨らんでいって、展覧会や本やプレゼンテーションというかたちになっていきました。そして過去20年くらいのあいだに「メイド・イン・トーキョー」を通じて知り合った研究者や建築家から、彼らが「メイド・イン・トーキョー」にインスピレーションを受けて、あるいは独自に行った調査の本や作品を送ってくれたものが溜まってきていたのですが、そうしたものを見ていくうちに、そこに同時代的なものが見え、それを同時代の成果としてまとめてみたいと思っていた。ビエナーレでは、建築界や大学のネットワークを最大限活用し、200近くの事例を集め、みなが何をやっているのか照らし合わせてみたわけです。展覧会ではそれらの事例を、「建築を直接表現したもの」「建築のために表現したもの」「建築のあいだを表現したもの」「建築の周辺を表現したもの」と分類して、それぞれ「of(について)」「for(のための)」「among(とともに)」「around(のまわり)」といった英語の前置詞を使ったカテゴリでテーマ化して展示をしました。

その後も私たちはいろいろなドローイングに関するワークショップをやってきました。2011年くらいから、先にもお話しした「パブリック・ドローイング」を続けてきたのですが、それを世界中のいろいろな都市を対象にやってみようと思いました。近年、歴史的なパースペクティヴでものごとを考えることも重要と考えており、パブリック・ドローイングには自分たちが調べたことを表現するだけではなくて、例えばヴェネチアでやる場合には、ヴェネチアにはヴェドゥータと呼ばれる過去に描かれた都市のドローイングがあるので、それと比較しつつ自分たちの作品をつくる実践を複数の学生グループで行いました。

ヴェネチアのあと、ローマやチューリッヒでも行いましたが、これにより都市間の比較ができます。例えば、ヴェネチアではひとつの広場が100〜200m四方の大きさですが、ローマでは400m四方になるものもある。そのことは広場がより政治的スケールへと変化していることを示しており、描くにも工夫が必要でした。縮尺や抽象度を変えないといけない。パブリックスペースの大きさの違いを理解するとともに、ヴェドゥータが都市を表象する手法であることなど、現在と過去の両面から検討するわけです。その後のチューリッヒでは、スイスの近代化が歴史的都市図では描かれます。19世紀に連邦国家になり、城壁を壊し、堀や湖畔を埋め立て、都市改造の種地にします。そこに大学やオペラハウスや劇場などの文化施設や、発電所、鉄道、駅などができ、パブリックスペースがつくられていくことを学びました。

ビエンナーレとパブリック・ドローイングの実践は、私にとって建築や都市のドローイングが、グローバルなつながりと歴史的なつながり、水平性と垂直性の交差点としてのプラットフォームという位置づけにあることを理解させてくれました。

また現在ドイツの『Archi+』という建築雑誌で、建築民族誌の特集号をビエンナーレの続編としてつくっています。ビエンナーレではドローイングの著者は建築や美術家でしたが、今回はこれに加え、考古学者や社会学者、ブルーノ・ラトゥールが若い頃行ったアマゾンの森での調査内容を再録したり、ティム・インゴルドにインタビューをしたりしています。他分野の人たちのドローイングのあり方を見ることによって、建築家のやり方とどこがどう違うのかということを、方法として理解するとともに、ドローイングの学際性を検討するために誌面を構成しました。

また最近関心をもってみているのは、学生たちの設計のプロセスについてです。ETHでは図面を描くときに通常コンピュータを使います。たしかにコンピュータを使えば速く描くことができますが、アイデアが固まっていない初期の段階で3D模型をデジタル状で立ち上げてしまうと、それを変更することがかえって手間になるため、せっかく新しいアイデアにたどり着いたのに、変更に躊躇するということがある。つまり思考のための方法であるコンピュータが、思考を不自由にする場面を見たわけです。またコンピュータではすべてが数値化されてしまうので、適当に検討することができないんですね。それに対して手書きは、スケールも数値もなく、感覚的に検討することができる。したがってコンピュータが学生たちの創造性を奪っているのではないかと考えるようになり、前学期では学生たちに手描きだけで、図面を描くことを提案してみました。その結果、それまでとは明らかに違うものが出てくるようになった。書いていた畑の石から、周辺の木から、建築が提案されてくる。またドローイングというのは、情報がいったん自分の身体を介して経験化されるというプロセスを経るので、目をつぶって書くなどよほどの手続きを取らないかぎりは、身体の延長として発生する。つまり、手描きだとわからないことは描けないので、設計課題での発表会もわかりやすくなりました。その人が何をわかっていて何をわかってないのかということが、ドローイングを見れば一目瞭然なわけです。それがコンピュータを使うと、わかっていなくてもそれなりに整えられてしまう。それは手描きを導入してみて初めて得た気づきでした。また学生たちも楽しそうです。スタジオを覗くと、みな黙々と静かにドローイングを書いています。提出のための出力のプレッシャーもなく、最後の瞬間までドローイングに没頭できるので、瞑想的でもあるし、健康的に感じます。

建築は実現するまでにさまざまなプロセスを経る時間のかかる行為です。最初に描くスケッチというのは、いやがおうでも抽象性が高いものになっていて、実際は建たないかもしれない。けれど、その人がやろうとしていることはそこに示唆されているわけですね。最初は1/400や1/1,000で描いたものが最終的に1/1にスケールアップしていくなかで、さまざまな情報が入り込んでくる。そうやって抽象性が高いアイデアが時間をかけてさまざまなプロセスを経ることで具体的なかたちになっていく。ところが、コンピュータの3Dドローイングの場合は、最初からすべての情報を入れなくてはいけない。決まった条件なりマニュアルなりがあるときには、コンピュータは力を発揮しますが、それがないときには創造的な発想の飛躍は起きにくい。もちろん現在ではSketchUpのようないい加減につくれるソフトもあり、また近年iPadで手書きが導入され始めているので、コンピュータで発想を飛躍させることもある程度はできるようになってきています。われわれの頭のなかはすべてが構造化されているわけではないし、直感的なインスピレーションで決めることも多い。そういう意味では、何かを発想するために、身体的であり、飛躍的思考ができる方法を持ち続けていることが大切な気がします。


202003

特集 [最終号]建築・都市、そして言論・批評の未来


独立した美術・批評の場を創出するために
いまこそ「トランスディシプリナリティ」の実践としてのメディアを ──経験知、生活知の統合をめざして
リサーチとデザイン ──ネットワークの海で建築(家)の主体性と政治性を問う
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