いまこそ「トランスディシプリナリティ」の実践としてのメディアを
──経験知、生活知の統合をめざして
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『10+1』「10+1 website」が残したものとその課題
編集──2000年代の幕開けとともに新設された「10+1 website」はさまざまな思潮の変節を経験してきましたが、いまわれわれが経験している変化やある種の退勢はとても大きい。そうしたなか、これからの基軸を見出す際に、具体的かつ包括的、身体的であり、インターディシプナリーなお二人の方法論は大きな参照項になるだろうと思います。そのときどのようなメディア環境、言論の場所が望まれるでしょうか。お考えをお聞かせください。
- 南後由和氏
南後──今月で最終号を迎えるということで、ここからは「10+1 website」とその前身である批評誌『10+1』について簡単に整理しながら、建築におけるメディアの役割についてお話させてください。おそらく先ほどの貝島さんの「メイド・イン・トーキョー」やヴェネチア・ビエンナーレのお話にもつながるところがあると思います。
建築・都市批評誌『10+1』が創刊したのが1994年です。2000年の「10+1 website」の立ち上げをはさみ、紙媒体は2008年に休刊します。雑誌は、インターネットが普及しはじめる直前に始まって、スマホやソーシャルメディアが台頭してくるのと入れ替わるようにして終わった、ということになります。僕は学生時代から『10+1』に読み手としても書き手としても育ててもらった感があります。「『10+1』とは何だったのか」について考えるうえでは、紙媒体の『10+1』をリアルタイムで経験している世代と、「10+1 website」しか経験していない世代とでは、おそらく捉え方が違ってくると思うんですね。そういう意味では、紙媒体の『10+1』を知らない世代の人も今日の対談に参加して、「10+1 website」をどう受容していたのかなどについて話してくれれば、議論がより立体的なものになったかもしれませんね。
雑誌の『10+1』では、基本的に編集協力者を立てて特集が組まれていました。最初の4号までは多木浩二さんや八束はじめさんが編集委員として、その後は編集協力者として田中純先生や若林幹夫先生などが、さらに五十嵐太郎さんや塚本由晴さんや貝島さんなどの世代の論客が加わっていきました。編集協力という体制をとることで、編集の顔が見え、特集ごとの色がありました。それが最後の数号では編集協力者を立てていないんですね。今となってはこのあたりは、同じく編集協力者を立てていない「10+1 website」へと移行していく過渡期のように見受けられます。
「10+1 website」の変遷について話を移すと、2000年の「10+1 website」の立ち上げからしばらくは、雑誌とウェブサイトが連動し、互いに補完関係にある時期が続きます。「10+1 website」の最初のコンテンツは、僕の指導教員でもある田中純先生の『都市表象分析 I』(INAX出版、2000)の書評特集で(「田中純『都市表象分析I』論」)、田中先生の文章以外に6本もの多彩な書評が掲載されています。以降、書評や展覧会評や世界建築レポートなどによって構成される〈TOPICS〉、今村創平さんの「海外出版書評」や「オープンハウス情報」などの連載企画で構成される〈SERIAL〉、そして五十嵐太郎さんを中心として始まった〈Photo Archives〉などが「10+1 website」の骨格を形づくることになります。それが、雑誌がなくなり、ウェブサイトのみの2009年以降になると、これまで〈TOPICS〉で扱われていた書評や展覧会評や世界建築レポートなどを肉付けしたようなコンテンツが、特集として格上げされるかたちになります。雑誌時代の特集と比較して、論考の本数も文字数も少なくなっていきました。 今日の対談に向けた宿題として、「10+1 website」のバックナンバーの一覧を概観して、コンテンツを7つのタイプに分類してきました。
(1)建築系:建築史や作家論や設計論、マテリアルやエレメントなど (2)アーバニズム系:公共性やオリンピック、タクティカル・アーバニズムやプラネタリー・アーバニゼーションなど (3)復興系:東日本大震災以降のまちづくりやコミュニティ・デザインなど (4)表象文化系:映像、写真、モニュメントなど (5)情報技術系:コンピュテーション、ファブリケーション、AIなど (6)毎年定期的に行なわれる「都市・建築・言葉アンケート」や「建築・都市を読むためのキーワード」「ブック・レビュー」 (7)その他:雑誌時代の延長線上にある、「追悼:多木浩二」(2011年6月)や「都市をいかに記述するか──ノーテーションの冒険、その現在形」(2018年10月)など
時代の変節点としては、2008年にリーマン・ショックがあって、2011年に東日本大震災が起きました。それ以降、「10+1 website」では、震災復興系やコミュニティ・デザイン系のコンテンツが増えていきます。また、雑誌時代と比べて、ワークショップ関連の内容も増えました。これは先ほどの貝島さんの「メイド・イン・トーキョー」以降、対象が東京から地方や漁村に移行していったというお話ともリンクしています。もともと雑誌の『10+1』の源流のひとつには、雑誌『GS』(冬樹社、1984〜87)によるニューアカデミズムの流れがあり、そこでは東京中心主義的な言説が多かった。それが「10+1 website」になると、とくに震災以降は地方に関する言説が増える一方で、さまざまなローカルなメディアが台頭してくるわけですね。そうした流れにも光を当てた展覧会が、金沢21世紀美術館で五十嵐太郎さんや山崎亮さん、鷲田めるろさんらが企画された「3.11以後の建築」展(2014〜15)です。そのほか、スペキュラティヴ・デザインやタクティカル・アーバニズムなどもそうですが、リサーチとデザインを分けないトピックも増えてきました。ここまでは、主なコンテンツに関する大まかな整理です。もちろん、すべてを網羅できているわけではなく、この分類に当てはまらないような新奇性のあるトピックを「10+1 website」が拾い上げていることのほうが重要だという見方もできると思います。
次に、メディアとしての「10+1 website」がどのように機能してきたのかについて考えてみたいと思います。ウェブサイトに限らず、メディアには結合と分断、共有化と個別化、統合と拡散などの両極の作用があります。雑誌とウェブサイトが補完関係にあったときと比較すると、ウェブサイトのみになって、分断、個別化、拡散のほうの傾向が強まったように思います。貝島さんなら貝島さんの国内外のネットワークが広がり、ほかの建築家や研究者もそれぞれのネットワークをもっているのだけれど、それらをうまくウェブサイトですくい取り、束ねることができていませんでした。その理由には、先ほど触れた編集協力者の不在も関係していると思うんですね。雑誌時代に見えていた編集協力者の顔が、ウェブサイトになって見えにくくなりました。
雑誌とウェブサイトという、メディアとしての特性の違いに関していえば、雑誌は、月刊や季刊という時間のサイクル、展覧会やコンペといった周期的なイベントと連動して「読者共同体」を形成しやすいですが、ウェブの場合は毎月更新されても、読まれる時期はバラバラだったりするわけですね。さらにソーシャルメディアでは、ウェブの特定の記事だけがピックアップされてタイムラインに並び、個別に読まれがちです。雑誌が持つ特集形式の「切断」による、面としてのまとまりが機能しにくいんですよね。先ほど貝島さんは自分たちのやっていることを歴史的な垂直性に位置づけることの重要性を指摘されましたが、ウェブサイトやソーシャルメディアだと、どうしても「いま・ここ」が強調される傾向があり、バックナンバーや連載など、特集や論考をかたちづくっている時間的連続性や文脈的広がりが削ぎ落とされていきます。そうなると歴史的感覚が鈍り、近視眼的な見方にとらわれがちです。
また、より広範囲かつさまざまな領域に情報が拡散していくプロセスのなかで、雑誌とは違うタイプや領域の書き手や読み手と交配する可能性が高まったはずですが、必ずしもそうはならなかったという印象があります。ローカルメディアの場合は、ワークショップなどと連動していることも多く、建築家にしても発注者や運営事業者にしても住民にしても、それぞれが潜在的な書き手になりえて、書き手と読み手のあいだに固定された関係があるわけではありません。そういう意味では、ローカルメディアのほうが新しい書き手や読み手を開拓してきたといえるもしれません。ただし問題なのは、それぞれローカルに起こっている興味深い事例も分散したままで、それらを統合して見渡せるような場としてのメディアが機能してこなかったという点です。
- 貝島桃代氏
貝島──するどいメディア分析ですね。都市や建築の議論をするためのメディアに対して、建築家は独特の感覚を持っている。つまり建築家は、建築や都市そのものをメディアとして認識しているところがある。つまり建築や都市には、厳然とした実体の空間があり、建築自体がその建築を伝えるメディアになっている側面があるので、その生成のプロセスに関わることが精一杯で、それをどう見せるかということになかなか手が回っていないのが実情だと思います。そういう意味では、建築=メディアをどのような図式で捉えるか、フィリップ・ブドンが指摘しているような実践と理論の関係を超えて、建築メディアとしての自律的批評空間をつくり、そしてその持続性をつくるかは、建築家の側の課題だと思います。本や雑誌、ウェブなどの建築の媒体をつくることと、建築をつくることとの関係など、取り組む必要があると思います。
建築ワークショップのノウハウと都市・建築メディア
南後──講談社のモーニング編集部で『宇宙兄弟』(小山宙哉)や『ドラゴン桜』(三田紀房)の担当をしていた編集者の佐渡島庸平さんが、講談社から独立後、能力はあるけれど売れていない作家や漫画家を支援しながら本にしていくという活動をされているんですね。その佐渡島さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.――現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』(幻冬舎、2018)という本のなかで、ソーシャルメディアの時代における読者を「ファン・コミュニティ」としたうえで、次のような分類をしています。有料サロンなどの伝導役で、もっとも能動的でコミットメントが強く、情報も発信するコアな人たちの層を「コミッター」、グッズを買ったりメールマガジンを購読して応援してくれる層を「アクセプター」、作家や作品が好きで、SNSを複数フォローやシェアしている層を「ライカー」、もっとも受動的で、初回は本を買うけれども、その後はたまにSNSをチェックするくらいの人たちの層を「ユーザー」、というようにグラデーションをつけているんです。ファン・コミュニティの層に応じて、SNSやメルマガを戦略的に使い分けて、より能動的でコミットメントが強い読者になってもらうよう仕掛けながら、本をつくっていく過程にも巻き込んでいく。そうすると発売前から読者のコミュニティができ、さまざまなイベントで情報が拡散されることによって本の宣伝にもなっていく。こういう仕組みやファン・コミュニティのつくり方は、建築メディアでも参考になるところがあるように思います。
いまや「みんな」という言葉は食傷気味の感はありますが、さまざまな人を巻き込んでいく住民参加型の建築ワークショップでのノウハウが、なぜか都市・建築メディアへは活かされていません。都市・建築は、アカデミアや行政、企業だけでなく、さまざまな関係者が当事者としているわけですから、それらのネットワークを実際のプロジェクトやワークショップと連動させながら、都市・建築メディアのコミュニティとして育てていくやり方もあるかもしれません。
他方で、「10+1 website」の大きな功績のひとつにアーカイブがあります。雑誌に掲載された論考もすべてではありませんが、「10+1 データベース」で閲覧できます。これは当面残るようですので、貴重な資料となりますね。
貝島──私はいまでも本という可塑的な、動かせない状態にある形態は好きなのですが、ウェブはウェブでいまは検索エンジンが発達して、以前は出会えなかったコンテンツにアクセスできるチャンスも増え、その利便性に浴しています。ETHでも書籍をデジタルアーカイブ化することで、これまで眠っていた蔵書が検索可能し、再構成するための研究がなされています。ウェブはそのときは時間がなくて読めなくても、あとで必要なときに検索して読むというような利用の仕方もできますから、そういう点でも便利です。
ただ、問題はウェブの世界をどのようなものとして捉えるかということではないでしょうか。単に膨大な情報がバラバラに上がっているだけの世界なのか、それをネットワーク化して異なる世界を立ち上げるものとして考えるのか。ただしほかの側面として、そこには産業化されている部分もあって、お金が流れることによってある特定のコンテンツがやたらと検索されるという偏った事態も起こっているわけですね。ですから、それをどう使えばいいのかというリテラシーが持ちにくい。このあいだ東京藝大で行なわれたレクチャーでハンス・ウルリッヒ・オブリストも言っていましたが(「雲のように考える――コンテンポラリー・アートはどこへいくのか」(2020年1月5日))、コンピュータ技術は便利だけれど、情報はブラックボックス化してしまい、ユーザーが感覚的・体験的に理解できない。図書館に行くと膨大な本に囲まれるという体験を通じて「勉強しなきゃ」というモチベーションにつながったりしますが、コンピュータやウェブを前にすると限界のない暗闇が目の前に広がっているような感覚にとらわれて挫けてしまう。
学生たちを見ていると、ウェブを使えば効率的に情報を得られるので多くのことを知ってはいますが、経験的な深い理解になっていない部分も感じています。私たちが学生の頃は幸いもっとゆっくりしたペースで情報に接していて、ある本を読んでわからないところがあればそこに別の本から補助線を引いてという、そのプロセス自体を考える試行錯誤を経て理解していたわけですが、いまはそういう時間のかかる作業を経ていないので、身体的な検索が体験化されないし、この現実はこういう理由で起こっているんだというつながりが見えないまま表面的な情報だけを得ることが目的化しているんですよね。
また私自身もヨーロッパにいるあいだに向こうの友達と議論していると、当たり前ですが、ヨーロッパの都市の状況については彼ら彼女らにとっては身の回りで起こっていることなので、よく理解しているわけです。それは日本人が少し勉強したぐらいでは一朝一夕にはたどりつけない。南後さんもオランダに住んで研究をされたのは、生活を通じて感じるさまざまなことからコンスタントへの理解が深まるからじゃないですか。ルフェーヴルも晩年は田舎の海沿いでバカンスのような暮らしをしていたんですよね。そうした暮らしと思想もまた深い関係性をもっているわけですね。
南後──農村育ちのルフェーヴルは、主に都市論を精力的に発表していた時期はストラスブールやパリなどの都市部で生活していましたが、リズム分析などを書いていた晩年はフランス南西部のナヴァランクスという村で暮らしていたんですよね。
貝島──散歩を日課にしながらゆっくりと綴っていたという話がありますね。
話を戻すと、どんなメディアであれ、あるいはどんな言説であれ、私自身は周辺のことを理解したうえで組み立てていくほうが健全だと考えています。たとえあらゆる言説が細分化してバラバラになっても、地球という実体があるのであれば、それをプラットフォームにしてつながっていくわけです。もちろん近代以降はどこまでも地表が広がっていく水平性にこそ個人主義的な価値観が仮託されてきたし、他方では実体としてひとつの地球があると強調することは全体主義的なものとして批判されてきたわけですが、そのことを理解するためにも、位置関係を把握するものとして地球のことを理解し、そのことを情報に乗せていくことも必要なのではないかと思うんです。そういう理解に立てば、今日南後さんとお話ししていて、「民族誌」というより「地理」といったほうが適切かもしれないなという気がしています。現代においてわれわれは多様性をどうやって担保できるかということに意識が向きますが、それはバラバラになるということではなくて、多様性のなかにも反復があり、まとまりがあるということを掘り下げていくほうが重要なのですね。- 都市や空間の枠組みからの解放と創造/グローバルと歴史の交差点としてのドローイング
- 『10+1』「10+1 website」が残したものとその課題/建築ワークショップのノウハウと都市・建築メディア
- 展覧会メディアの批評性/マルチディシプリナリティ、インターディシプリナリティ、トランスディシプリナリティ