まなざしの現在性──都市・メディア技術・身体

吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授)+南後由和(明治大学情報コミュニケーション学部専任講師)

1987年、劇場としての都市を論じた『都市のドラマトゥルギー』を発表、都市論─盛場論に新たな視点を導入した吉見俊哉氏のその後の30年に及ぶ都市論・都市文化研究の集大成『視覚都市の地政学』が3月に刊行された。以下は、吉見都市論の方法論と現在の展開について社会学者、南後由和氏によるレビュー的/インタビュー的スタイルでの対談である。「集まりの場」「まなざしの場としての都市」あるいは「都市の死」。都市は現在、どのような文化的変容を遂げているのか。




吉見俊哉の方法論

南後由和氏

南後由和──今年3月に刊行された『視覚都市の地政学──まなざしとしての近代』(岩波書店、2016)を拝読し、まず印象深かった点は、『都市のドラマトゥルギー──東京・盛り場の社会史』(弘文堂、1987)と同様、吉見先生の「方法論」への志向の強度です。このことは、大学院のゼミで、論文は理論的枠組みが重要だと繰り返しおっしゃっていたことにも通じますね。『都市のドラマトゥルギー』は、全体の1/3を割いて都市論や盛り場研究の系譜を整理し、それらの先行研究に批判的検討を加えながら、「上演論的アプローチ」という独自の理論的枠組みをつくり上げるという構成になっていました。そうした方法論への関心の一貫性は、『視覚都市の地政学』でも、視覚論の観点から、ミシェル・フーコー、ジョナサン・クレーリー、アンリ・ルフェーヴル、ギー・ドゥボール、ヴァルター・ベンヤミン、アン・フリードバーグなどの理論家を参照し、他方ではシカゴ学派の都市社会学のアーバニズム論、マルクス主義都市社会学の集合的消費論、記号・テクスト論的都市論の成果を批判的に継承しながら、「まなざしの地政学」という枠組みを提示するという点に色濃く表われています。そして、本書でも「知/権力/身体─空間の結びつき」の歴史的変容が示され、「上演論的アプローチ」が再度展開されています。この点は「あとがき」で、『都市のドラマトゥルギー』を出版された30年前と「自分がいささかも変化していない」と書かれていました。


『視覚都市の地政学──まなざしとしての近代』(岩波書店、2016)
『都市のドラマトゥルギー──東京・盛り場の社会史』(弘文堂、1987)

別の本になりますが、『文化社会学の条件──二〇世紀日本における知識人と大衆』(吉見俊哉編著、日本図書センター、2014)のなかの「見田社会学と文化の実践──初期見田宗介試論」という論考では、見田宗介さんの『近代日本の心情の歴史──流行歌の社会心理史』(講談社、1967)を取り上げながら、テクストとそれを実践する実存とのあいだのギャップをいかに観測、記述するのかという問題提起をされていました。『都市のドラマトゥルギー』が、見田さんの「まなざしの地獄」の展開型であるとするならば、『視覚都市の地政学』は、「まなざしの地獄」に加えて、見田さんの『近代日本の心情の歴史』での流行歌の分析に見られた、テクストと心情のあいだをめぐる問題を都市論の文脈において乗り越えようとする試みとして位置づけることができるのではないかと思いました。というのも、今回の本では、「テクストとしての都市」から階級、人種、ジェンダー、そして地理学的な位置性によって異なる「生きられた経験」の複数性を記述することに力が注がれているからです。


吉見俊哉氏

吉見俊哉──精緻に読んでいただきありがとうございます。ご指摘の現代都市における「知/権力/身体─空間の結びつき」を「上演論的アプローチ」から考えていくということは、今回の『視覚都市の地政学』もそうですし、『都市のドラマトゥルギー』に限らず、ディズニーランド論や博覧会論など、ほかの本でも同様で、私自身が一貫してやってきたことです。ですからご賢察の通り、そうした関心の連続や持続は、私にとってものすごくベーシックなものですね。私の発想はかなり単純で、都市は根本的にさまざまな出来事が演じられる劇場・舞台であると考えてきました。シェイクスピアと同じですね。「この世は舞台、人はみな役者」(『お気に召すまま』)なわけで、それは別にパルコの渋谷公園通りやディズニーランドに始まったわけではない。都市は、そのような舞台として存在し続けてきました。その上演の場としての都市において、身体と権力と物語がどう結びついているのかを、とりわけ近代以降について考察することが、私のすべての著作の原点にあります。
上演の場としての都市には大雑把にいうと3つくらいのポイントがあります。ひとつ目は、南後さんとも一緒に勉強会をやってきた地理学的関心ともつながりますが、身体が具体的な空間の中にあるということです。この場合の空間とは、地理的であると同時に物理的であり、建築的でもあります。身体はつねに構造化された壁や交通経路、ドアなどの出入口に囲まれて存在しているわけで、その物在性から切り離して考えることはできません。完全にバーチャルな都市も身体も存在せず、物理的存在である身体は、つねに一定のマテリアルな空間に取り巻かれたり、それに媒介されたりしているということです。
2つ目は、そのような身体や身体の群れが、単に物理的な場にいるだけではなく、その周囲の世界を読んだり、語ったり、眺めたり、読み変えたりしている。つまり、周囲を文化的な意味の場として想像すると同時に、そのなかの登場人物として自らを演じてもいることです。都市での私たちの振舞いは、マテリアルであると同時に、テクスチュアルでもありイマジナリーである二重性をつねに持っています。まさにこのような想像的な媒介性において都市固有の権力が作動します。私はこの権力の作動を理解するために上演論的アプローチが有効だと考えてきました。私たちは都市においてドラマを生きたり、演じたりしているわけですが、それはけっして頭のなかや本や映像のなかだけでなく、舞台や舞台装置としての都市、つまりきわめてマテリアルな都市の場において、読んだり演じたりしているのです。この探究は、私自身が数十年かけてやってきたことであり、その都度リファインされたり、修正されたりしてきたのですが、そうした都市のイメージは変化していません。
3番目に、このようにマテリアルでもイマジナリーでもある身体と都市の関係は、けっして非歴史的、非政治的にあるのではなく、まさしくそこにおいてミクロ、マクロの政治と歴史が作動してきたということです。そしてこの歴史的、政治的な関係は、地理的ないし地政学的に不均等に配置されてきました。つまり、同じ近代都市でも、東京の視覚地政学は、京都のそれとも、那覇のそれとも異なるでしょうし、ニューヨークのような都市とも、あるいはムンバイやメキシコシティとも異なるのです。同じ東京でも、都心部の丸の内や大手町、霞が関のような街と、米軍基地のある横田や厚木、横須賀のような場所、さらには郊外のニュータウン、あるいは都市周縁の工場地帯では異なる布置を持っています。さらに歴史的にみれば、身体と空間の関係が、それぞれの異なる地理的配置のなかで構造的に変化してきた軌跡をたどることができます。


南後──僕なりの言葉で言い表すならば、『都市のドラマトゥルギー』から『視覚都市の地政学』に至るまでの吉見先生の都市論とは、テクスト論的都市論の「内破」と「外破」の試みとしてあったのではないでしょうか。「内破」とは、メディア研究やカルチュラル・スタディーズや人類学にもとづく、日常における身体とメディアの媒介および経験をめぐるアプローチであり、「外破」とは、例えば『10+1』No.11(INAX出版、1997)の「特集 新しい地理学」の空間論やポストコロニアリズムなど、まなざしの地政学的編制をめぐるアプローチです。『視覚都市の地政学』のなかでは、「プレテクストとしての都市」から「メタテクストとしての都市」までを貫く集合的な感覚=身体秩序の媒介的な場として都市を捉える視点という言い方をされています。「プレテクスト」とは、イメージや雰囲気など、顕示的な意味やかたちを与えられていないもので、「メタテクスト」とは、マスメディアや都市計画の言説など、都市について意識的に語るメタレベルの言説ですね。
そのあいだ、研究は、帝都と植民地の関係把握や、ジェンダーやエスニシティをめぐる重層的な境界線、グローバリゼーション、戦後日本とアメリカの関係など、より大きなテーマへと展開されているので、都市・建築論プロパーから見れば、『都市のドラマトゥルギー』以降、吉見先生は都市について論じることから迂回・旋回していったという印象を受けているかもしれません。


吉見──じつはそうでもないんですけどね。でも、あっちこっち迂回しているように見えるでしょうね。


南後──都市には、マテリアルな次元と、イマジナリーでテクスチュアルな次元、それらを媒介する権力やメディアの次元があるとおっしゃったように、3つの次元を連動的に捉える視座が吉見先生の都市論の根底にある考え方ですが、マテリアルな次元より、権力やメディアの次元に関する研究の印象が強いからかもしれません。『都市のドラマトゥルギー』でも、都市や盛り場それ自体よりも、それらを出来事として成立させる機制への関心が強く示されていましたし、記号や意味を発生させる場の成り立ちや地政学的編制を明らかにすることが、『都市のドラマトゥルギー』以降の課題として挙げられていました。


吉見──『都市のドラマトゥルギー』から『視覚都市の地政学』まで、30年ほどのあいだの変化を自分なりに省みると、まず、『都市のドラマトゥルギー』では、3つの議論を展開したと考えています。第1の論点は、都市とは、社会的な機能の場、生産的な機能の場、コンフリクトの場でもありますが、同時にやはり「意味作用の場」として捉える必要があることです。そのときに、意味作用の凝縮した「盛り場」に注目しました。意味作用の場は、歴史的には伝統的村落の祭りの場でしたが、ハレとケのサイクルを「時間的」に繰り返していた近世から都市化が進み、むしろ非日常的空間(ハレの空間)と日常的空間(ケの空間)のように、「空間的」に分岐していく現象が見られるようになりました。盛り場はまさにハレ的な空間であったからこそ焦点を当てることに意味があったわけです。第2の論点は、ある種の記号論批判で、都市は単にテクストではないということです。都市を記号の秩序として読みながらも、誰がどこから読んでいるかが重要だということです。テクストが抽象的に存在しているのではなく、なんらかの主体がなんらかの場所から読んでいて、そのことを通じて意味と権力が同時に生成されているのです。社会的な実践の場、空間的な広がりのなかで都市の意味の編成を捉える必要があります。第3の論点は、そのようにして近代都市を見たとき、農村から都市に人びとが出てくる局面と、都市において人びとの意識やアイデンティティが新たに組み替えられていく局面という2つの次元があることです。浅草や新宿に代表されたのが、農村から都市に人口集中するときの集まりの場です。異質なものが凝集し、さまざまな意味が生成されます。そして、それらが銀座や渋谷や原宿のような盛り場へ移行する過程から、人びとの意識やアイデンティが再編成されていくプロセスが見えてきます。



201609

特集 都市・映像・まなざしの地政学


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均質化される視線
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