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36 伊東忠太

KPOキリンプラザ大阪における『建築家 伊東忠太の世界展』が終了した。今回は、この展覧会に関わり、そこで提供した写真を紹介する。
伊東忠太(1867-1954)の仕事の全貌をみわたす初の展覧会だったが、改めてその巨人ぶりに驚かされる。そもそも彼は、「建築」という言葉をarchitectureの訳語として明治時代に定着させた。「造家学会」と呼ばれていた組織に対し、それでは芸術的な意味合いが抜けていると述べて、現在に続く「建築学会」に改称させた。また日本建築史の学問を創始した人物でもある。つまり、建築の制度を生みだした。
100年前、忠太は3年かけて世界一周の旅行を試みた。西洋一辺倒だった先輩とは違い、アジアをつぶさに観察し、自らの力で世界の建築観を組み立てた。世界が大きく変容するグローバリズムの現代において、彼の視座は参考になるだろう。建築家としての忠太は、《築地本願寺》や《平安神宮》などを設計しているように、モダニズムと距離を置き、独自のアジア的/日本的なデザインを探究した。《明治神宮》《靖国神社》《朝鮮神宮》にも関わっており、ナショナリズムとの関係からも再考すべきである。
展覧会では、ほかの顔も紹介された。例えば、忠太が若き日に描いた日本画。化け物好きが高じて、自ら手がけた妖怪画。漫画家として膨大に残した時評的なスケッチ。随筆家として出版した多くの著作。建築のあちこちに付けられた怪獣の装飾。忠太は「建築」を定義しながら、強靱な活力ゆえにその枠を突き抜けた。タコ壺的な専門化が行き詰まり、建築家の職能が揺らぐ現在、彼の活動は大いに勇気づけられる。



[撮影者:五十嵐太郎(建築史、建築批評)]

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pic  伊東忠太《平安神宮》

pic  伊東忠太《真宗信徒生命保険会社》

pic  伊東忠太《一橋大学》 [1] [2] [3] [4]

pic  伊東忠太《祇園閣》

pic  伊東忠太《大倉集古館》

pic  伊東忠太《阪急梅田駅の壁画》

pic  伊東忠太《震災記念堂(現・東京都慰霊堂)》

pic  伊東忠太《中山法華経寺聖教殿》

pic  伊東忠太(=設計顧問)《遊就館》

pic  伊東忠太(=設計顧問)《靖国神社 神門》

pic  伊東忠太《築地本願寺》 [1] [2] [3] [4] [5]

pic  伊東忠太《湯島聖堂》


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