建築の民族誌、その行為=経験としてのドローイング

貝島桃代(建築家)+青井哲人(建築史・都市史)

生きた線、身ぶりの軌跡

青井──いまのお話はイギリスの人類学者ティム・インゴルドの『ラインズ──線の文化史』(原著=2007、左右社、2014)に通じますね。今回、日本館のオープニング・カンファレンスに参加させてもらいましたけど、そのプレゼンでもインゴルドに触れましたし、『02』の制作中にも意識してきました。

人が自ら行為と経験をつくり出すとはどういうことか。あるいは、そういう経験が失われる歴史をふまえつつ、それを救い出すための思考をどう組み立てられるか。そんなことを考えるために「線 line」の考察に向かったユニークな本です。たとえば、私たちの移動の線を考えると、たいていは、「point-to-point connectors(点と点をつなぐ連結器)」です。固定的な点を結ぶ、固定的な線。鉄道みたいなものですね。対してインゴルドがいう生きた線とは、「trace of gesture(身ぶりの軌跡)」です。環境のなかを自ら動く、身体的な振る舞いの持続こそが、そのつど立ち上げ、その先を生み出していく、そういう線があるのだというわけです。基本的にはベルクソン主義的な思考スタイルですね。この場合、線は上や外から見られたり、押し付けられたりする線とは違って、比喩的にいうと透明なトンネルを自分で掘り進んでいるようなものです。外からはつくれない。進むとその先に次が見え、内側を自ら歩き進むことで他者や自然と出会い、関係が切り結ばれる。そうして複数のアクターたちの線が交わり、絡み合い、意味づけられて、「場所」が生じる、というわけですね。

こういった話は貝島さんがおっしゃる内部者からみたアクター・ネットワークの議論と通じると思います。ちなみにインゴルドは、さきほどの point-to-point connectors が広がったものを「ネットワーク(網目)」と呼び、生の絡み合いの方を「メッシュワーク(網細工)」と呼びます。インゴルドの用語法だと、「建築の民族誌」が捉えるのはこのメッシュワークですね。

編集──インゴルドの「メッシュワーク(網細工)」はアンリ・ルフェーブルの『空間の生産』が参照元ですね。

青井──そうですね。加えて、日本館の主題である「フリースペース」としての「描く draw」行為についてもインゴルドは多岐にわたる考察を展開しています。書物、音楽、地図、建築図面などなど。書く、描く、歌う、発話するといった身体的動作がかつてどのような事態であったのかを復原しながら、それらが次第に分離されてやせ細っていく歴史をたどっていきます。描くことは身体的な振る舞いであり、その動きや流れが経験であり、できあがる形、読みとる経験をもつくる。インゴルドに言わせれば、摂食と消化がひとつのトンネルのなかで起こり、不可分で、その境界もわからない持続であるのと同じように、生きた行為・経験、あるいは他者による読解と共有などが不可分な関係にある。今回、ヴェネチアで貝島さんたちが展示しようと考えたのはこういう行為としてのドローイングだと思います。描くこと、理解し再定義すること、あるいは伝えること、読むこと、これらが分かちがたく起こるような行為=経験としてのドローイングの可能性といったことですよね。

でも、実際の環境もその変化もものすごく複雑になっていて、個々の行為や経験を捨象しないと構造化できない。だから情報的な構造化が不可欠です。でも、たとえ行動がどれほど強いられたものであっても、その実際の経験が生きた発見的なものでありうる契機がゼロになるわけではありません。

福島の避難はまったく理不尽なものですが、実際に避難者の移動のトンネルを追体験的に進んでいくと、それが何も起きない、不活性な時間の浪費だったわけではないという、頭ではわかっていたことがリアルに感じられてきました。たしかに一つひとつの「住まい」にとどまった時間は通常の「住まい」に比べればどれも短く、周辺の自然環境やコミュニティとの関係も希薄です。でも、それをアイロニカルに図示するというより、このトンネルを通らなければありえなかった経験や、気づき、決断が少なくなかったことこそが本当の主題でないといけないと思うのですね。実際、たとえばある高齢の避難者は、短期的・中期的な集団のなかで人間関係をつくり出す苦労を経験して、そこから3.11前夜まで安定的だった地元のコミュニティや環境世界がどうやって維持されていたのかを自覚し、地元に帰って地域再建のために動きはじめました。また多くの若い世帯は、大家族に内在していた小さな矛盾が避難のなかで大きくなり、親世代とは違う経路を動いてきたけれども、結局は地元に最も近い主要都市に落ち着き、週末には帰るという関係性を選びつつあります。つまり避難の経路のなかに潜在的な未来があるのです。こういうことを、貝島さんとのやり取りを触媒にして、自分たちのなかでも理解を深めていくことができたように思います。


編集──よくわかります。さきほど貝島さんからスケールのお話がありました。選出された作品は、ローカリティからユニバーサリティまで、さまざまなスケールで記述されたドローイングです。そのなかで、例えば日本の作家や建築家、研究者などによる作品には、どちらかというとミクロでローカルなスケールで表現する傾向があるように見えます。それらの作品を群としてみたとき、どのように評価ができるでしょうか。

貝島──そうかもしれませんね。多くの作品に共通する特徴として、筆致がやわらかいこと、オープンエンドであること、主体と対象が入り交じるような感覚を与え、それから人々の対話を促すという性質が挙げられます。

とくに須藤由紀子さんによる「W邸」(2009-10)はその良例です。3-4世代ほど住み継がれた住宅の取り壊しの決定をうけて、彼女自身が1年間ほどその家に通いながら描き続けたドローイングです。そこで暮らしていた家族の思い出やお手伝いさんのお話などをヒアリングしながら、彼女は合計7枚の絵を制作しました。今回はそのうちの4作品を展示しています。そのなかでも「W邸」は時間の重なりを添景で示しているのが特徴で、ひとつの建物を取り上げながらも、そこに流れる時間や庭などの周辺環境も描写の対象になっています。建物の内部から外を見たものや、少し遠めの道から建物を見たものなど、複数の視点を包含していて、スケールや周辺環境が平坦な視点で描かれているのも面白いです。

東日本大震災に関するものとしては、3作品を選びました。先述の「LIVING along the LINES──福島アトラス」、「三陸プロジェクト2013」、そしてアーキエイド牡鹿半島支援勉強会の「A Pattern Book for Oshika Peninsula」(2011-12)です。これらの震災関連のプロジェクトを選んだ理由は、ドローイングに関する研究や手法が実際の現場で試されたことが重要だと考えたからです。いずれにも共通する特徴としては、対話ベースで描いたということが挙げられます。私たちと住民とのコミュニケーションを促すプラットフォームとしてドローイングが有効に使われていることを、展示を通じて提示しました。

現代アートの分野で建築をずっと描いてきた山口晃さんの連作画「道後百景」(2016)は、「百景」というけれども実際には十枚しかない。今後制作が続くのかはわかりませんが、逆に言えば残りのおよそ90枚は、オープンエンドな状態にしてあるということでもある。彼の作品における「笑い」の要素は、絵のなかにぐいっと観客を引きずり込むという点で、ドローイングを身体化するための方法のひとつといえます。私も「メイド・イン・トーキョー」のときから、ドローイングによって対象を身体化することの大切さについて考えてきました。

トミトアーキテクチャの《CASACO》についてのドローイング「カサコ 出来事の地図」(2014-)もとてもユニークです。周辺住民からのヒアリングを通じて描いた、複数の漫画のコマのようなドローイングをマッピングした作品です。ひとつのコマを基点に矢印を辿ることで、彼らが《CASACO》をつくるときに経験した時間の層を共有できる仕組みになっていて、全体を眺めると一種のオープンエンドな地図となっています。今回の出展作品には入っていませんが、トミトは「Yokohama Harbor City Studies 2014」のワークショップの際、同様の漫画のコマのようなドローイングを参加者たちに描いてもらい、住民各人の地域に関する記憶を共有するという取り組みを行なっています。現代人の多くに備わっている漫画のリテラシーをうまく活かした試みともいえます。

それから、瀝青会と中谷ゼミナールによる「今和次郎『日本の民家』再訪」(2012)は今和次郎がおよそ100年前に描いたドローイングをベースに、そこに線を書き継いでいったような作品で、過去との対話によってあらたな描線を生み出して行く取り組みといえます。


42の作品には42の世界観(モンド)がある

青井──海外作家のドローイングも面白いものが集められていますが、例えばクリムゾンの「Do You Hear the People Sing?(人々の歌が聞こえますか?)」(2016)には刺激を受けました。というのも、日本の建築界隈で描かれるドローイングは、建築コミュニティのなかで流通しているスタイルに無自覚に乗せてしまう傾向があると思うんですよね。クリムゾンはオランダの建築史家(!)たちのグループなんですが、彼らはポップアートの表現技法を意図的に持ち込んで、ベタ塗りの強い色彩で世界各地の暴動を描き、さらにそれを絵巻物に仕立てることで、世界各地の情景を並列させています。個々の場面を見ると、建物、看板、なだれを打つような群衆、プロパガンダなどをレイヤー状に配列する手つきが理知的です。テーマはデイヴィッド・ハーヴェイが『反乱する都市』(作品社、2013)で書いているような、都市的な暴動やデモですね。つまり彼らはポップアートとか、絵巻とかのレファレンスにも意識的で、表現技法を研ぎ澄ますことで軽妙かつ批判的に政治的メッセージを伝えています。学ぶところ大だなあと思いました。

そういえば、日本館のオープニング・カンファレンスの第1部では、ドローイングによって現実を掴んでいくリサーチのレベルと、そこで発見した問題をもとに設計に進めていくプラクティスのレベルとの関係性について議論が交わされていました。それからドローイングは、現実世界から描く対象を任意に選んで、絵に含める(include)ことも、絵から外す(exclude)こともできるわけですが、描き手はそれをどうコントロールしているのか、という話題もありましたね。これは、あえていえばドローイングはフィクションなんだということですね。リアルなものと向き合いながら描くんだけど、フィクションの構築でもある、そういうドローイングの二重性に由来する問いかけです。貝島さんはそのあたりをどのように考えていますか。たしか1月くらいに貝島さんと僕たちとのミーティングとのとき、貝島さんが一般論として「あえてフィクショナルであろうとする態度もアリなんですよねー」という意味のことをおっしゃっておられたような記憶があるんですが。

貝島──そうですね。もちろん悪意のある嘘を含むものはいけないと思いますが、人間がつくるものには少なからず作り手の意志や意図が含まれてしまうので、平等性や透明性を保ちきるのはむずかしいことも事実です。特に海外の作家は「意図のないものなんてない」という感覚にとても意識的です。一方で日本の方々は「なるべく意図がないようにしたい」という感覚がある。作為的でなく自然なものにしたいという感覚ですね。日本独特のメンタリティに関係しているのかもしれません。

青井──たしかに。そういうメンタリティが浸透しているとしたら、それは「作為性」というものを建築家のヒロイズムみたいなものに短絡させてしまっているということでしょうね。でも意図があるということと、建築家が偉そうにすることとは当然まったく違う話です。逆に、あらゆる観察表現は描き手の著作物として責任があるし、その意図が問われるものだということを、素直に考えればよいのですよね。

貝島──私も同意見です。今回の展示では表現を開かれた状態として提示することをかなり意識しましたが、それと同時に完全に開くことの難しさも理解していました。そのあたりのことについては、展示を一緒に企画したロラン・シュトルダーが「42の作品には42の世界観(モンド)がある」と言っています。各作品が表現している個別の世界観を突き合わせることで過去20年間の世界の軌跡を浮び上がらせること、この展覧会でわれわれがやりたかったことはそれなんです。キュレーターの長谷川祐子さんが、私たちの展示を「アレゴリー(寓意)」や「アフィニティ(密接な関係性)」という言葉で整理してくださいました。42の世界観を突き合わせることで、その間に生まれてくる問題が浮び上がる。展示空間を訪れた皆さんにもそれを考えてもらえたらと思います。

その体験を促す展示空間の工夫として、例えば壁面の中心に配置した作品のまわりにほかの作品を連続的に配置することで、絵と絵の関係性を偶発させ、さまざまな読み方ができるような立面構成としました。


対象(real)と画面(fiction)の間に描き手がいる

青井──典型的なパースペクティブ・ドローイングの構図というのは、描き手(subject)と対象(object)の間に画面が挿入される、というものですよね。でも今回の日本館の展示を楽しむには、これとは違う図式で見たほうがよいと思いました。つまり対象(real)と画面(fiction)の間に描き手がいる感じですね、たぶん。描き手が身体的に対峙する現実と、描き手が身体的に構築していくフィクションという2枚の平面があるとしたら、描き手の身体はその「あいだ」にあるとしか言えないですし、そこで問いを書き換えるような行為=経験が生み出される。そこを貝島さんたちは「フリースペース」として捉えているのだと思います。

貝島──その次の段階として、そこに展示の観察者が入ってきますよね。青井さんの説明をそのまま借りれば、観察者にも現実とフィクションの平面の間に入ってほしいという気持ちがあります。直接的に絵を描くところまではいかないまでも、 観察者にも目の前にあるドローイングを自分たちなりに経験化してもらえたらと思い、ルーペ、梯子、双眼鏡、横滑りできる椅子を会場に置きました。

それから、今回あらためて吉坂隆正さん設計の日本館(1956)はとてもいい建物だと思いました。例えばル・コルビュジエの「ムンダネウム」(1929)が中央に集約していくプランなのに対して、日本館は、楔形の壁柱によって4つの空間が緩やかに連続していくオープンエンド構成です。楔形のため空間の隅は直角より広角で、しかも壁には接していないために、その連続感はさらに強調されており、一見すると42の作品が空っぽの空間内にたまたま併存しているような、自由な印象を感じさせる配置を実現することができました。

竣工当時の日本館の展示室は絵画展のためにつくられた空間で、下は彫刻展示のための場所でした。その意味でいえば今回は、日本館がつくられた当初の展示室のイメージに近く、日本館の使い方を再発見したような感触がありました。

青井──立面だけで展示を組み立てるのはなかなか大変だったのでは、と想像します。言い換えると、建築展としては特異ですよね、今回の日本館は。一般的にいえば、絵画や彫刻などの展覧会は本物だけが展示されるのに対して、建築展では本物(建物)以外のあらゆる代理表象が動員されます。例えば森美術館で現在開催されている「建築の日本展」でも、図面、模型、写真、書物とその引用などがフルに動員されていて、動画にも建築家のインタビューだけじゃなく施主の語りとかユーザーの利用風景があったり、模型も原寸だったり、ライゾマティックスのレーザーファイバーのインスタレーションがあったりと、来場者を楽しませるべく手が尽くされています。ところが今回のビエンナーレの日本館はドローイングだけ。そのあたり貝島さんとしては、展示を成立させるためにどのような工夫をされましたか。

貝島──複数のメディアを総動員して見せなければならないところは、たしかに建築展の面白いところではあります。けれども鑑賞者はそれらのメディアを一つひとつ読み込み、頭のなかで本物の建築の姿を組み立てなければならないので、目の前にある展示物それ自体のなかには没入できなくなってしまうのですよね。ドローイングの展示だけにした面白さは、再統合する面倒臭さを排除したことにあると思っています。今回は虫眼鏡を使ったりしていて、絵が好きな人は素直に42の世界観に没入できるようにしました。つまり、頭のなかで副次的に再構成するのではなく、目の前にあるドローイングに自ら没入していく経験を再構成することを意識しました。じっさい、来場した方々はけっこうな時間をかけて反芻するようにドローイングを見てくれていました。

それと今回、展示の空間にはあえてキャプションや説明文をまったく入れませんでした。もちろんカタログには掲載していますが、展示空間ではキャプションを外すことで、没入できる自由が得られるのではないかと考えました。従来の建築展は「鑑賞者にこのように理解させたい」という方向づけが少し強いと感じていて、わからないなりにも面白さが感じられる建築展があってもよいのではないかと。詳しい読解のための手段はカタログに委ねて、展示空間はあくまでもそこでしか体験できないことをやりたいという気持ちも大きかったですね。



  1. インフォ・グラフィクス? アクター・ネットワーク? ドローイング?
  2. 生きた線、身ぶりの軌跡/42の作品には42の世界観(モンド)がある/対象(real)と画面(fiction)の間に描き手がいる
  3. 世界の「フリースペース」/「フリー」も「スペース」をドローイングから考える

201807

特集 建築の民族誌──第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館


建築の民族誌、その行為=経験としてのドローイング
自由に見るためのループ
プロジェクション(なき)マッピングあるいは建てることからの撤退
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