20世紀の遺産から考える装飾

石岡良治(早稲田大学文化構想学部准教授)+砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講師)

物の情報化/情報の物化、連続性/離散性

石岡──有名なイームズチェアにしてもポラロイドカメラにしても、プラスチックという素材が20世紀中盤(ミッドセンチュリーモダン)のデザイナーにとって大きいと思います。もはや最初期のプラスチックは色褪せていて、20世紀のものにもかかわらず骨董化していますね。

砂山──プラスチックは自由に形や色を変えられる可塑性があり、建築やデザインのイメージ的・情報的な操作に関心を持っていたイームズ夫妻が好んで使ったことにも納得がいきます。近代建築において、石や木材に代わりコンクリートや鉄が脚光を浴びたのは、可塑性があったからです。21世紀になり、建築にとってオールドメディアであった木や石は、デジタル技術によって情報的に取り扱えるようになり、再考されています★9。そうした状況の象徴がアントニオ・ガウディによる《サグラダ・ファミリア》で、21世紀になって急速に建設が進んでいます。その理由のひとつは、コンピュータ上でデータとしての「型枠」をつくり、機械がそれに沿って削り出していくことができるようになった、つまり石が可塑的な素材として扱えるようになったからです。素材に情報的性質が付与されたことによってその存在が変わってきています。

石岡──彫刻で言えば、特にコンスタンティン・ブランクーシはまさに素材を活かし、石であれば石のようなイメージで形をつくっていましたが、21世紀はデジタル技術による製造・造形が可能になったと。
メディア論で言えば、ポラロイド写真は1970〜90年代にしか存在しなかったオールドメディアですが、かつては情報メディアとしてあり、今はマテリアルとして見えてくるという感じですね。解像度が8Kになったときにフィルムは別の魅力を持ってくるわけです。イメージの支持体、像が何に乗っているかが意識されます。いわゆる情報嫌いな人はデジタル情報に対して「ある特定のエンコーディングによるデータにすぎない」という言い方をするわけですが、むしろ時代ごとのエンコーディングの限界によって見えてくる情報の落差、比較には可能性があると考えていて、その時代ごとの変化を捉える系譜学的な発想が重要だと思うわけです。
レフ・マノヴィッチの『ニューメディアの言語』(みすず書房、2013)で興味深いのは、「ニューメディア」とは、普通に考えればデジタルメディアのことですが、そうとも限らない側面についての模索があるところです。ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929)が、マノヴィッチにとって現在のニューメディアのひとつのモデルとして機能しているんですね。ロシア・アヴァンギャルドの象徴で、当時の史的唯物論、マテリアリズムの映画として共産主義社会の優位性を示すようなかたちでプレゼンテーションされていたわけです。デジタル技術によって、映画がフィルムを必要としなくなっている現在の状況に対し、ジガ・ヴェルトフの読解からヒントを見出し、それを徹底したのがニューメディアであるというように、うまく蝶番的につないだ議論をしています。マノヴィッチは1980年代に冷戦期のソ連からニューヨークに渡り、冷戦後にこれを書いていますが、亡命知識人にありがちな共産主義を罵るパターンでもなく、バランスよく自らのロシア出自である特性を活かしていると思います。
『我々は 人間 なのか?』も現在の建築・デザインについて考えるうえで興味深い本だと思います。先ほど挙げた「イームズ自邸についての考察」でミースとイームズ夫妻を考察して、『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(鹿島出版会、1996)でロースとコルビュジエの比較をしてきたビアトリス・コロミーナが、建築を脱構築批評との関連で読み解いたマーク・ウィグリーとともに、2016年の第3回イスタンブール・デザイン・ビエンナーレのコンセプトブックとして現代の状況に接続した本ですね。コロミーナとウィグリーはどうしてもポストモダン建築批評の人というイメージを持たれがちですが、この本では今世紀的状況へのキャッチアップが図られています。SNSの考察などでは概略的な提言も多く、そのすべてがうまくいっているわけではないのですが、20世紀前半のモダニズム、冷戦期のアメリカニズム、そしてIT革命から現在に至るグローバリズムという、時代の変遷について考察するうえでのひとつの指針になると思います。
コンピュータに関してはさらに細かい区分が必要かもしれません。先ほど紹介した、イームズ夫妻がIBMと組んだ『コンピュータ・パースペクティブ』の次の時代を示す映像作品として、リドリー・スコットによる有名なCM「1984」があります。これは軍産複合体との密接な関係のもとで発展したIBMの巨大コンピュータを、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984』に見立てた比較広告で、アップルコンピュータのMacintoshがそこから人々を救うべく登場し、コンピュータの小型化、軽量化、パーソナル化、偏在化を示すというものでした。さきに1990年代のグローバリズムに先立つ、金本位制の廃止に引き続く1970年代における経済の変化の重要性について触れましたが、インターネット時代が到来する以前の1980年代のコンピュータに起きていた事柄を捉えることも重要でしょう。マノヴィッチは、ソ連時代のプログラミング教育がPCの不足から座学が多かったと述べていたり、今振り返ると徒花のように見える1980-90年代の「CD-ROMアート」を熱心に考察したりしているわけですが、こうした些末なディテールに見える事柄を今世紀のメディア環境と照らし合わせる作業は定期的に行なう必要がありますね。

砂山──最近さまざまなプロジェクトで実験的にVRを使うことが多いのですが、テクスチャーの表面だけでぬるっと連続していくような世界への没入感は、一見するとオールオーヴァーですが、図と地が共存するような奇妙なリアリティをもたらします。マノヴィッチの『ニューメディアの言語』では、VRについて触れている記述がありますね。マノヴィッチは、VRは表象されたスケールと現実世界のスケールが同じであるため、映像や絵画などの表象ではなく、フレスコ画やモザイクが組み込まれた建築空間の伝統に属し、「フレスコ画とモザイクは、それを取り巻く建築的な環境に物理的に組み込まれているからこそ、芸術家はヴァーチャルな空間と物理的な空間の連続性を作り出すことができる」と書いています★10。じつは、VRを使っていると、このマノヴィッチの指摘は不十分であると感じます。むしろ、仮想空間と物理空間の連続性どころではなく、VRに没入することにより、身体が新たなリアリティを獲得して、現実とは異なった世界が目の前に立ち現われるという感覚です。VR/AR技術がこの先より一般化するなかで、そのような体験を経て開かれる感覚を、建築家が物理世界にどのように展開できるのかに興味があります。つまり、新技術によってもたらされる技術的な革新性ではなく、設計者が道具として使いこなすことによって開かれる建築的な概念への興味です。
これまでのコンピュテーションの流れで言えば、設計技術による建築デザインの傾向は、連続性から離散性へ、と整理できると思います。1990年代後半から2000年代には、有機的で連続的なデザインが特徴として現われ始めました。その理由として、この頃設計に使われ始めたCADソフトが、ベクターやNURBSの数理曲面によって3Dモデルをつくり出す形式であったことに由来すると考えます。そのようなCADで描くことができるなめらかな数理曲面は、異なる建築のプログラムを単一のサーフェイスでつなぐ建築構成に適応されていきます。《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》のコンペ案(1995)は、連続的な面によってすべてを構成されていて時代を象徴しています。その後、2010年代になると、ビットマップやメッシュデータのような離散的表面への回帰が起こります。「回帰」というのは、もともとCGソフトは主に3Dメッシュを用いたものが主流だったからです。データ量が膨大になりがちなメッシュをやめて、計算効率の良いNURBSに移行したというのが2000年代前半でした。一方で、コンピュータの性能が向上するとともに、ある程度大容量のデータも扱えるようになった。そうすると、なめらかな数理曲面で考えられていたものの離散化が起こります。それまでCAD内で連続的な面で設計されていたものを、実際の建築物としてつくるための、あらゆるサブディバイド(パネル割りのパターン)の手法がトレンドとなりました。ちょうど、セシル・バルモンドが大活躍を始める頃です。建築意匠が構造エンジニアリングと結びつき、形態と構造、機能と装飾、部分と全体がシームレスに取り扱われ、技術と芸術の一致が叫ばれ始めます。しかしここで言う装飾とは、パターンや幾何学模様としての意味合いが強いです。ジャン・ヌーヴェルによる《ルーヴル・アブダビ》(2017)は2000年代に始まったこのような様式が、じっくりと時間をかけて究極的に結実した建築だと思います。これらはいずれにせよ、自然を客体として捉え、要素化、変数化し、オールオーヴァーな抽象性を取り扱うという点では、至極モダニスティックな手つきとも言えます。


★9──砂山太一「デジタルファブリケーションを有効化するための5カ条」
10plus1.jp/monthly/2017/05/issue-03.php
★10──レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』(みすず書房、2013)176頁


201804

特集 装飾と物のオーダー
──ポストデジタル時代の変容


20世紀の遺産から考える装飾
装飾・テクスチャー・物の現われ──ポストデジタル時代の可能性
建築の修辞学──装飾としてのレトリック
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