20世紀の遺産から考える装飾

石岡良治(早稲田大学文化構想学部准教授)+砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講師)

解像度とスケールの操作

石岡──イームズ夫妻の話に戻ると、有名な『Powers of Ten』(1977)はコンピュータ以前の発想でCGを用いずに写真やイラストでつくられていますが、まさにGoogle Earthによって偏在化したとも無効化したとも言えます。また、彼らは今となってはアンティーク化したポラロイドカメラを解説した映像もつくっています。使い方や見栄え、構造や仕組みをわずか10分ほどで一気に扱っていて、そのシームレスな手法は『Powers of Ten』においても、建築においても徹底しています。

砂山──イームズ夫妻の映像が明快に指し示しているように、スケールと解像度を横断していくことは、人間の脳にとっても快感であるし、意匠論としてもこれまで議論されてきました。自然的な無秩序のなかに秩序(オーダー)を配していく行為のなかで、スケールと解像度の操作が出てくる。イームズ夫妻の映像はその操作が自由自在で、楽しさにつながっています。
今日的に考えれば、日常生活のなかでさまざまなスケールのものをフレーミングして並べていくInstagramとも近いですね。もしイームズ夫妻が今生きていたらおそらくウェブ上でいろんなことをやっていて、PVを稼いだでしょうね(笑)。
日本での昨今の装飾に関する議論で思い起こされるのは青木淳によるものです。2005年に出版された5巻組の『オルタナティブ・モダン──建築の自由をひらくもの』(TNプローブ、2005)では、《TOD'S表参道ビル》(設計=伊東豊雄、2004)への言及がありました。モダニズムの議論では、大まかに言って、建築家が機械生産にとって不合理な装飾的デザインをすることへの嫌悪感がありますが、《TOD'S表参道ビル》はそこに装飾(形態)と構造が一体となった合理性を適用しています。伊東は《せんだいメディアテーク》(2000)での佐々木睦朗や、《サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2002》でのセシル・バルモントなど、構造家との協働を起点として、2000年代の構造と建築形態の世界的な流れをつくり出したひとりであると言えます。その頃から、コンピュータを使った設計でも構造エンジニアリングとビルディング・エンヴェロープが大きな関心事となっていきました。コンピュータで構造や環境性能を担保しながら、植物や自然物のような合理性を持ちつつ、美的価値としても機能するという考え方です。この合理性とは、機械生産によるものではなく、自然物の構造や機能を模倣することで獲得されるものです。ただ、個人的な見解では、これも意匠論としてはオールオーヴァーな発想で、モダニズムの発展形だと考えています。構造と装飾、支持するものと支持されるものをひとつのルールで一体化し、図と地を融解させるやり方です。
一方で、青木はロバート・ヴェンチューリの、図は図であり地は地でありそれが建築である、というようなポストモダン時代の論法を参照しながら、多様性や複雑さや曖昧さという今日的な問いに対しては、装飾は装飾として切り離して考えるほうが可能性があるのではないかと言っています。青木の論考「『絶対装飾』について」では、ヴェンチューリの看板的な装飾論から一歩進んで、伝達する内容がそもそも不在であることを説き、空虚な中心に向かうベクトルだけをつくることによって「意味内容を欠いたまま戯れる」建築を出現させるという装飾のヴィジョンが描かれています★5。1999-2004年にかけての一連のルイ・ヴィトン店舗外装設計の経験を介して、この考えに至ったようですが、時代的にはコンピュータを使った設計が大きく発展した時代と同時期なのが興味深いです。オールオーヴァーに複雑なものを定量化し、計算によって形態を導き出す手法が建築の計画自体に向かうものだとして、青木は、フィクショナルな機能、意味の不在や伝達する/されるものなど、建築の計画外である知覚作用の運用にその矛先を向けていたのではないでしょうか。

石岡──《TOD'S表参道ビル》とルイ・ヴィトン店舗の一連は、いずれもブランドの路面店なのは象徴的ですね。

砂山──たしかに、ファッションに関連する設計である影響は大きいと思いますね。青木の装飾論は、身体的な想像力やリアリティへの、同時代的なまなざしを前提としていると思います。東京国立近代美術館の保坂健二朗は、この青木の装飾論の成果を、それまで美的判断の議論に終始していたところから、むしろ、スケールと解像度の操作という設計手法論にずらしたことにあると指摘しています★6。青木自身も《ルイ・ヴィトン銀座並木通り店》(2004)について、「完全に装飾であって、中の部屋と何の関係もありません。単純に、四角いところが出たり引っ込んだり、そういう見え方をするようにスケールと解像度だけでできている」と言っています★7。これは、装飾をある固定された物の表面として考えるのではなく、物の上で可塑的に変化するイメージの問題として議論するということだと思います。私が初めて青木の作品を見たのは建築ではなく、「現代美術への視点 連続と侵犯」展(東京国立近代美術館、2002)に出展されていた《U bis》という作品でした。会場の展示場所を区切る仮設壁の内側につくられた通路のようなインスタレーション作品で、内部には非常に大きく拡大された何げない花柄の壁紙が貼られていました。カタログに掲載されているドローイングのメモには、「figureとgroundがいつの間にか反転すること。TOKYOの町」と書かれ、別のページにあるエッセイでは東京の町をつぶさに観察しながら散歩し、都市のささやかなディテールが身体化してく様子が描かれています★8。このように頭のなかに紡がれるある種のフィクションの装置として、建築や都市の表面を読み解いていく、そしてそれを現在の装飾論として評価する向きがあります。いずれにせよ、2000年代は設計技術も生産技術も革新的な進化が起こり、同時に技術的だけではない、新たな概念の模索もされていたように思います。ただ、それ以降、このような装飾の議論はほとんどされていません。


★5──青木淳「『絶対装飾』について」『新建築』(新建築社、2004年10月)
★6──保坂健二朗「倫理は建築のために、建築は倫理のために」『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS|1| 1991-2004』(INAX出版、2004)
★7──『オルタナティブ・モダン──建築の自由をひらくもの』第2巻(TNプローブ、2005)、27頁
★8──『現代美術への視点 連続と侵犯』(東京国立近代美術館、2002)


201804

特集 装飾と物のオーダー
──ポストデジタル時代の変容


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