第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割

吉田有里(アート・コーディネーター、港まちづくり協議会事務局員/MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+古橋敬一(港まちづくり協議会事務局次長)+青田真也(アーティスト、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+野田智子(アートマネージャー、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

名古屋のアートシーンとMAT, Nagoyaのなりたち

西澤徹夫──私たちはこれまで5回にわたってさまざまな方々にインタビューを行なってきました。第1回目から順に、学びの場の運営について、美術教育を通した地域の学びについて、つくる側から見た学びの場のあり方ついて、学校と美術館という異なるビルディングタイプの比較を通した学ぶ場の設計の方法について、地方都市においてつくることを成り立たせる組織のあり方についてと、ソフトウェア、ハードウェアの両面から新しい美術館に必要な知見を得てきました。そして最後に、では美術館は今後、街にとってどんな可能性があり、どのように街と関わっていけばいいのか、アートとまちづくりを両輪として活動されているMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]と港まちづくり協議会のみなさんにお話を伺いたいと思いました。なぜなら、美術館やアートセンターと呼ばれるものは今後、施設のあり方がイコールまちづくりのあり方と連動するようなダイナミックさと繊細さが必要になるのではないかと考えているからです。ぜひこれまでの実践とこれからの展望をお聞かせいただければと思います。
それではさっそくですがMAT, Nagoyaのなりたちについて教えてください。

吉田有里氏

吉田有里──MAT, Nagoyaは、青田真也、野田智子、吉田有里の3人が共同ディレクターとなって、2015年の10月から活動を開始しました。名古屋の港エリアを中心に「港まちづくり協議会」が母体となり、拠点である「港まちポットラックビル」で年に数回の展覧会を開いたり、現代美術とクラシック音楽のフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」の企画運営を担うなど、さまざまなプロジェクトを展開しています。アートが街のテーブル(机)となって、人々が集い、議論を促す場となるように、「Art Table」という名前をつけました。
私は東京出身ですが、2010年と2013年の2度にわたって「あいちトリエンナーレ」に長者町会場の担当として参加したことから、名古屋との関わりができました。
一方「港まちづくり協議会」は、2006年に設置されたのですが、ボートピア名古屋という競艇のチケット売り場の売り上げの1%が港まち活性化補助金として町に還元されることになり、その資金をどのように活用していくかを検討する組織としてスタートしたものです。
「港まちづくり協議会」が、2013年から18年のまちづくりの指針を『み(ん)なとまちのVISION BOOK』という冊子にまとめています。そのなかのひとつにアート・イベントを取り入れるという方針が示されていました。
アートを取り入れたまちづくりに取り組むということで、古橋さんにお声をかけていただいて2014年4月に私が協議会のスタッフになりました。

古橋敬一氏

古橋敬一──僕は「港まちづくり協議会」において、行政と住民をつなぐ協働まちづくりのコーディネートを仕事としています。ちょうどいま吉田さんから紹介された『み(ん)なとまちのVISION BOOK』をつくっていた時期だったのですが、「『あいちトリエンナーレ2013』が終わってしまうと、名古屋で働いていた優秀な人たちが離れてしまうので、もったいない」という話を聞きつけたんです。そこで、共通の知りあいを通じて、吉田さんに声をかけてみたんですね。当時の僕は、まちづくりばかりやっていたので、「あいちトリエンナーレ」のことはよく知らなかったんです。

吉田──古橋さんと話していくなかで、まちづくりの活動と私が街なかで取り組んできたアート・プロジェクトが一見すると似ている部分があると言われたのですが、その実、アウトプットやコンセプトの点で違いがあるということが浮き彫りになってきました。私は展覧会などを行なううえでディレクションの視点から取り組んでいるのに対して、まちづくりはファシリテーションの視点で活動しているので、なにかを決めていく過程で噛み合わない感覚があったんです。そういう方法から学ぶこともあって、私ひとりでなにかを決めるのではないやり方があるのではないかと考えたんです。そこでコーディネーターの役割を担いつつアーティストとして活動している青田さんや、アート・マネージメントを専門とする野田さんに入ってもらい、3人で意見を揉み合いながら進めていくという方法をとることにしました。

浅子──なぜ青田さんと野田さんにしようと思ったのですか。

吉田──まず、名古屋にいることが条件でした。また、それぞれ「あいちトリエンナーレ」に関わった仲間でもあり、当時から問題意識を共有していたことが大きいです。職能が違う3人が同列の立場で企画をすることで、ひとりの考えより視野が広がると思いました。

青田真也氏

青田真也──僕は「あいちトリエンナーレ2010」では出展作家として、空き家の一室を使って作品を発表していました。また「あいちトリエンナーレ2013」では、期間中にこういう場所があればというアイデアから、出展しているアーティスト、各地からやってくる鑑賞者、長者町の人たち、そしてスタッフが、それぞれフラットに交流できるような「ビジターセンタースタンドカフェ」という場をアーティスト・ユニットのL PACK.と3人でつくりました。「あいちトリエンナーレ」の会期中に、アンオフィシャルな活動でありながら、多くの人が訪れる場所になりました。

浅子──なるほど、「あいちトリエンナーレ」の時点ですでにまちづくり的な活動をされていたのですね。面白い。

吉田──「ビジターセンタースタンドカフェ」については、このプロジェクトに合った空き家はすでに「あいちトリエンナーレ」で使われていたため、長者町のまちづくり団体などの取り計らいで新たに空き家を探してもらって実現しました。青田さんのアーティストとしての活動と、場をつくるという活動の両者を通じて、ぜひMAT, Nagoyaに参加してほしいと思いました。
野田さんは2013年の「あいちトリエンナーレ」でNadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)として出展してもらいました。一緒に仕事をしていくなかで、アーティストに寄り添って、マネジメントを実践し、広報活動についてもさまざまな現場で経験を積んできているので、ぜひ参加してほしいと思いお誘いしました。

野田智子氏

野田智子──私の場合は、長男の妊娠・出産と「あいちトリエンナーレ」への参加を機に名古屋に移り住みました。実家が岐阜だったこともあり、子どもの世話などのことを考えると、地理的にも時期的にもちょうどよかった。また、このタイミングで個人事務所をかまえ、アーティストの作品制作・販売にプロジェクト単位で関わるような活動を細々と始めたり、子育てと仕事のバランスを探っていた頃に吉田さんから誘っていただきました。
名古屋は「都市」であって自分が匿名になれるうえに、東京に比べると規模は小さく家賃や生活費がそこまで高くないので、さまざまな活動を自分のペースでやれるところが魅力だと思っています。

青田──「あいちトリエンナーレ」では、たしかにさまざまなアーティストの作品を観ることができます。それはそれでもちろんよいことなのですが、ふだんは自分で現代美術を見ようと思うと東京や大阪に行かないといけません。それはすなわち、観る人たちの現代美術体験が「あいちトリエンナーレ」の期間だけにとどまってしまって、ぶつ切りになっているのだと見ることができます。
僕自身、「あいちトリエンナーレ」に2度関わり、また名古屋という場所で活動するなかで、トリエンナーレのように3年に1度大きな場が現われるにとどまらず、美術を日常的にきちんと見せる──ふだんからもっと芸術に触れられる──場所があってもいいのではないかと考えていたところに、吉田さんからちょうど声がかかったんです。

森純平──「あいちトリエンナーレ」によって3年に1回訪れる祝祭のあいだを継続的に埋めるようなものをMAT, Nagoyaは意図したということですね。それを実行するためには、アーティストだけでは足りず、デザイナーなどドキュメントを編集してくれる人やインストーラーなどもいらっしゃると伺ったのですが。

吉田──たとえば、ここ「港まちポットラックビル」のインストールはミラクルファクトリーにお願いしました[fig.01]。当時、25m2のテナント・オフィスに協議会の事務所があったのですが、まちづくりをやるにも、アートをやるにも拠点となる場所が必要だと思いました。そこで10年ほど空きビルとなっていた5F建ての文具店を改修、整備することから始めました。予算がなかったこともあって、ミラクルファクトリーにお願いするパートを区分けして、事務局のスタッフでペンキ塗りなどもしました。出会った頃の彼らは、まだインストールの経験は少なかったのですが、彫刻学科出身なので、木や石、あらゆる素材を扱えて、鉄の溶接もできる。「あいちトリエンナーレ」やアーティストとの作品制作を通じて、経験値も上がり、いまでは各地の美術館やアーティストとの仕事で大活躍しているようです。

fig.01──「港まちポットラックビル」のインストールの様子
写真提供=港まちづくり協議会

MAT, Nagoya前史

吉田──少し話は戻るのですが、私は東京の美術大学出身で2009年に「あいちトリエンナーレ」の仕事をきっかけに愛知に来ました。そのときは、長者町会場における、展示場とするための空き家の確保から、アーティストのリサーチ、作品設置のための各種の交渉業務まで、多岐にわたる仕事を行ないました。そうした活動を通じて、このエリアで活動するアーティストをはじめ、さまざまな人に出会い、愛知のこれまでのアート・シーンにおける歴史や状況を知るにつれて、もっとこういう機能や場所があるといいなと頭を巡らせていました。愛知県内には美術館やギャラリーはたくさんあります。一方でいまはオルタナティブな場所が少ないんです。
じつは、2000年代初頭には、名古屋では港の倉庫を活用した現代美術の活動が盛んだったという話を、横浜の「BankART1929」でスタッフをしていたときに聞いていました。

西澤──それはどのようなものだったのでしょうか。

吉田──アーティストや大学の先生方が関わって、空き倉庫を活用した「アートポート」という事業を名古屋市が行なっていたそうです。しかしその後、大型商業施設への転用が決まり、活動が終了してしまったという経緯があります。また、イギリスの「YBAs」(Young British Artists)のアーティストが展示をしていた「コオジオグラギャラリー」もありましたし、名古屋港には、もともとアート活動の地盤と歴史があったといえます。
名古屋の人にとっては、港は少し遠いイメージがありますが、実際に訪れてみると、中心地から地下鉄で15分と近く、空き家も多くあることがわかりました。商店街、住宅街、倉庫や工場ゾーン、水族館などの施設エリアがあって、港へと続くスケール感や街並みも面白い。その頃、長者町は徐々に空き家がなくなっていって、それにしたがって自分の仕事もなくなっていましたから(笑)、新しい場所を探す必要もあって港にやってきたんです。

──古橋さんはどのようにまちづくりからアートへと関わりをもっていったのでしょうか。

古橋──僕は、アーティストの知り合いはひとりもいませんでしたが、デザイナーたちにはずいぶんとお世話になっていました。最初は、恥ずかしながら「オシャレなチラシをつくりたい」というようなモチベーションでデザイナーと仕事をしていましたが、一緒に仕事をしていくなかで、デザインが課題解決やコミュニケーションの重要なツールなのだということを感じるようになりました。ですから、『み(ん)なとまちのVISION BOOK』という中長期ビジョンを作成した時も、デザイナーに伴走してもらい、コンセプト・ワークから徹底的にお付き合いしてもらいました。そんなプロセスを通して、クリエイティブな仕事の面白さは感じていたように思います。

──デザインが課題解決につながったとのことでしたが、どのような可能性を見出したのでしょうか。

古橋──当時の港まちづくり協議会は、防災や子育てから各種のイベントに加えて小規模のハード事業までの多様な事業を行なっており、「誰のなんのための活動なのか」が非常にわかりにくい状況にありました。それがひとつの課題だったわけです。そこで、私たちは、デザイナーたちの助けを借りながら「なごやのみ(ん)なとまち」というコンセプト・コピーを考案しました。「名古屋中のみんなと楽しめて、全国の皆さんに誇れる『みんなの港まち』を目指す」という短い言葉ですが、公金を原資としたまちづくりであること、名古屋という場所性を大切にしながらも、幅広いネットワークを活用した幅広いキャスティングが可能で、しかもシビック・プライドの醸成も感じられるような表現ができました。この言葉が生まれたことで、協議会の活動を他者へ説明することが非常に簡単になりました。また、図らずも賑やかだった昔の港まちの様子を知る地元の方に、「ここは昔から、『みんなの港まち』だったよ」とも言っていただきましたので、私たちの活動では、その現代版を目指すのだとも感じるようになりました。
課題解決のためには、表面的な事柄だけでなく、仕組みやあり方といったより深い領域への洞察や理解が必要になりますが、いいデザイナーと話すとそうした事柄がより明確になっていきますね。
これは、僕の個人的な見解ですが、デザインは課題解決ですが、アートは課題発掘や問題提起に相性がいいと思っていて、この3人が関わってくれるようになった時期は、僕らの活動に新たな問題提起が必要な頃だったんだと思うんです。課題というのは、見えていれば解決策が講じられるのですが、それが見えない場合には、なにか別のアプローチを講じなければならない。その別のアプローチが必要だと感じ始めていた頃に、アートに出会ったんじゃないかなと思っています。


201803

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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