第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割

吉田有里(アート・コーディネーター、港まちづくり協議会事務局員/MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+古橋敬一(港まちづくり協議会事務局次長)+青田真也(アーティスト、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+野田智子(アートマネージャー、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

MAT, Nagoyaを始動させるための準備

浅子──お話を伺っていると出会うべくして出会ったチームという感じがします。では、MAT,Nagoyaというプログラムを実行していくディレクション・チームができあがって、まず最初になにから始めたのでしょうか。

吉田──まず3人でコンセプトづくりをしました。アートが街のためにある、アートがツールであるというような、主従関係ではない方向にしたかったのです。そこで、「アートそのものは、まちを変えるために存在していません」という宣言をしました。最初は展覧会も考えていなかったくらいです。レジデンスやスタジオなどの可能性もあったし、小説や映画のようなアウトプットもありえました。しかし青田さんから、「最終的に展示ができないとアーティストの本質が伝わりづらいのと、外からの人が訪れにくい」と指摘され、やはり展示をする方向になりました。常勤が私だけの組織でしたから、実現可能な規模を考慮して、年に3、4回程度、展覧会を行なうことになりました。先ほどもお話ししたように、美術館はたくさんあるけれどオルタナティブな場所がないなかで、国際性や地域性などを考慮すると同時に、作品の質や強度も追求していきました。

西澤──なるほど、そこに関わるアーティストのオルタナティブな活動が可能であるためには、ベーシックに展示スペースが必要なのですね。最初の展示までどのように準備をしたのですか。

吉田──2014年の12月に「港まちづくり協議会」に呼ばれたのですが、それから年度末までは全国の事例のリサーチに赴いていました。リサーチには、私たちMAT, Nagoyaの3人と古橋さんと事務局のメンバー、毎回4、5人で行きましたが、各所を訪れるなかで、自分たちにはやっぱり見せる場所が必要だという話になったのを覚えています。

西澤──どこか参考になる事例はありましたか。

吉田──たとえば徳島県神山町の「神山アーティスト・イン・レジデンス」(KAIR)は、1999年から活動をスタートしているのですが、アーティストをとても大事にしているという印象をもちました。ほかにも「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」というコワーキングスペースや地産地食をテーマに地元の農業と食文化について考える「フードハブ・プロジェクト」などが行なわれています。ある種開かれていて、IT企業がオフィスを構えたり、オーガニック・レストランなどが参入してくるのですが、アーティストが来ているからこそ、競争が起き、それぞれがふるいにかけられるという状況があったりする。アート自体はあまりお金を生み出してはないけれど、町になくてはならない存在になっています。そういうところに勇気づけられました。

浅子──神山はさまざまな場所で成功事例として耳にします。ほかにはどうですか。

野田──京都市東山区の「東山アーティスツ・プレイスメント・サービス」(HAPS)も参考になりましたね。アーティストを積極的に呼び込むような仕組みをもつ、いわばアーティスト支援のためのよろづやなんです。京都に住んでもらうことでアーティストの制作発表・生活の支援をしていくための場所です。名古屋にはないので、アーティストに開かれていることは、意識したいポイントでした。

浅子──そういったリサーチと並行しながら展示の準備もしていたんですよね?

吉田──この段階ではまだなにに使うかははっきりと決まっていませんでしたが、「港まちポットラックビル」の改装は始まっていましたね。

青田──僕は先にも話したように展示を観てもらえる場所が必要だと思いました。きちんと観てもらえるからこそ広がるものがあると思います。この場所にやって来る目的としても、なにかが必要だと思うんです。

吉田──一方で、まちづくりのための予算でもあるから、きちんと街に還元できるようにもしたい。アートのこととまちづくりのこととを両方やっていくということを重視しました。ですから、1階「ラウンジ・スペース」はイベント・スペースであると同時に「港まちづくり協議会」の情報拠点としての機能ももっています[fig.02]。2階「プロジェクト・スペース」は、ワークショップやミーティングなどコミュニティ活動を中心にした場所です[fig.03]。3階が「エキシビション・スペース」で、私たちMAT, Nagoyaが企画運営する場所となっています[fig.04]。4階は「港まちづくり協議会」のオフィスです。

fig.02──「港まちポットラックビル」1階ラウンジ・スペース
写真提供=港まちづくり協議会

fig.03──「港まちポットラックビル」2階プロジェクト・スペースで行なわれた「Re:S[りす]竹内厚さんに学ぶ「編集」の視点フリーペーパー制作ワークショップ」の様子(「まちの魅力に出会うフリーペーパー」展より)
写真提供=港まちづくり協議会

fig.04──「港まちポットラックビル」3階エキシビション・スペースで行なわれたMAT Exhibition vol.1 「THE BEGINNINGS (or Open-Ended)」Part1より、毛利悠子《大船フラワーセンター》(2011−2015)
撮影=冨田了平
写真提供=港まちづくり協議会

西澤──リサーチが3月までとして、4月からはどのように進めましたか。

野田──ステートメントを考えたり、組織構成を考えたり、ホームページやロゴマーク、ビル内のサインといったビジュアル面も名古屋のデザイナーコレクティブ「Sundwichi」にお願いし一緒につくっていきました。最初の展覧会は10月だったのですが、ビルを使うためのリノベーションと、ギャラリーを運営していく仕組みづくりが同時進行でした。

吉田──夏くらいに「港まちポットラックビル」とは別の場所にスペースを借りようと決めました。Botão Gallery(ボタンギャラリー)という、もともと洋服のボタンを売っていたような手芸店をアーティストの渡辺英司さんに改修してもらい、ウインドゥ・ギャラリーとして再生させました[fig.05]。これも同時進行でした。「港まちポットラックビル」だけがオープンしても街に広がっていかないと考えたんです。

fig.05──Botão Galleryで開催された「リトルビークル」展(「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」における現代美術展「パノラマ庭園──動的生態系にしるす」のプレイベント)の様子
撮影=怡土鉄夫
写真提供=アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

野田──吉田さんはこの街をリサーチしていくなかで、空き家が多いことがわかりマッピングしていました。そうしたデータベースをもとに場所を選定して、道路に面し外から中でやっていることが見える場所で、大家さんへアクセスしやすい物件にギャラリーをつくろうと進めました。

MATのつくる場と「かかわりしろ」

浅子──ギャラリーでの展示を美術関係者のなかだけに閉じるのではなく、街と一体化するにはなにが必要だと思いますか。

野田──私たちの場合、いわゆるキュレーターがいないために多くの外部の人たちと組む必要があります。つまり、パートナーとしていろいろな人と関わっていくことになります。

浅子──パートナー制ですか! 面白いですね。

西澤──街とアートの関係を生み出すために、そのパートナーとはどのようなコミュニケーションをとってプロジェクトを進めるのですか。

吉田──キュレーターに条件を伝えて、何パターンか提案してもらって私たち3人とキュレーターで話し合うプロセスを踏みます。2回目の展示は当時「愛知県美術館」の館長でいまは「金沢21世紀美術館」館長の島敦彦さんが企画してくれました。何案かプランを出していただいたなかで、画家のO JUNさんと、映像作家でありパフォーマーの吉開菜央さんとの2人展「ほったまるびより──O JUNと吉開菜央」(会期=2016年7月9日−9月10日)を開催しました[fig.06]

fig.06──MAT Exhibition vol.4「ほったまるびより──O JUNと吉開菜央」Part2より、吉開菜央《ほったまるびより 自家製4DX》(2017)
撮影=羽鳥直志
写真提供=港まちづくり協議会

西澤──ゲストとなるパートナーと議論するプロセスが、そのときどきでなにをすべきかを探りあてる作業にもなっているのですね。では、案を決定する基準はどのようなところにあるのでしょうか。

吉田──ギャラリーや美術館と違い、アートだけを目的としたスペースではないので、「港まちポットラックビル」の2階と3階を連動させて、まちづくりとギャラリーの相互作用を狙いました。3階の展示を見に来た人が、2階で街に関係した展示を見る。その逆もある。また、アートの歴史や文脈がわからなくても、身体的、体感的に鑑賞できることも意識しています。

西澤──実際の反応はどうでしたか。

吉田──ふらっと立ち寄った子どもが無邪気に感動していってくれる姿を見かけます。生々しい女性のダンス・パフォーマンスの作品を見た小学生が、ゾワゾワして「俺もう見られない」といって帰っていったこともあります。子どもからおばあちゃんまで、さまざまな反応がありますね。

野田──Botão Galleryともゆるやかに内容がリンクするようにしたくて、渡辺英司さんとも企画面を連携しましたね。

西澤──アーティストの視点がフィルターになってふだんは気づかない街の別の姿が発見されることがありえると思います。あるいは、たんにきれいとか可愛いといったうわさで人々が集まってくることもあるでしょう。そのようななかで、毎回のプロジェクトの評価をどのようにしていたのでしょうか。街が活気づいたという成果がそう簡単には目に見えるものではないなかで、なにを評価軸にして次につなげていくのかお聞かせください。

吉田──たしかにダイレクトな効果は見えにくいです。

青田──展覧会に誰が来たかというよりは、誰が関わってくれたかということが重要だと思っています。

吉田──ここでの展覧会を経て別の発表の場が決まったりするアーティストもいます。街の人向けの解説を企画したりもしました。そのような「かかわりしろ」をつくることがプロジェクトのひとつの意義です。

西澤──アートとまちづくりは、本来は別のものだけれども、アートの展示を通じてさまざまな「かかわりしろ」をつくることで人々を巻き込んでいくことが、まちづくりになるということなんですね。

吉田──デザイナー、建築家、美術作家、街の人たち、それぞれに分断的だから、それをイベントで混ぜるということを意図しています。食事を提供しながら、いやらしくなく、人と人を会わせるというのがミッションのひとつです。


201803

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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