第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践

坂本小九郎(宮城教育大学名誉教授)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

版画教育とともにあった25年間

浅子佳英──私たちは現在、八戸市に新たな美術館を設計しています。美術館とはいっても、展示室と収蔵庫だけの施設ではなく、制作やワークショップなどの美術教育に焦点をおいた「ラーニングセンター」をもった美術館をつくりたいと考えています。そこで本日は、八戸市を拠点に版画を通した教育を実践された坂本小九郎先生から、美術と教育の関係や現場での実践を通じて考えていらっしゃることをお聞きしたいと思います。

坂本小九郎──私は八戸で25年間、子どもたちと一緒に版画教育をやってきました。その仕事については『版画は風のなかを飛ぶ種子』(筑摩書房、1985)、『虹の上をとぶ船──八戸市立湊中学養護学級の版画教育実践』(あゆみ出版、1982)などの著書に、子どもたちの版画作品に即し、できるかぎり詳しく書いてあります。きょうは新しい美術館建設のため、なにかお役に立つことがあればと思ってお話をします。
青森県は棟方志功(1903−1975)や関野凖一郎(1914−1988)などの版画家を多く輩出した県です。彼らを頂点として、その裾野にある小学校や中学校の子どもたちにまで影響を与えたと言えます。子どもたちのための版画教育も他県に比べて非常に大切にされていたと思います。版画の特徴として何枚も刷れるという複数性があります。子どもたちの制作した版画は子どもたちに返すとともに私の手元にも残り、それを新しい学校に転任するたびに子どもたちに見せてきました。そのたびに新しい作品が積み重なりました。また、八戸の地域性、作品の進歩、主題の変化、25年の歴史的変遷をも映し出してきました。と同時に私個人の生き方をも映してきたと思います。そして、宮城教育大学で教えることになるのですが、学生たちにもそれらの作品をすべて見せ、表現の資としました。彼らに作品をつくりたいという気持ちと表現の意味を伝えました。いつも申し上げることなんですが「版画は風の中を飛ぶ種子」のようなものです。たんぽぽの種のように風を飛び、どんな荒地にも深く根をおろし、黄金の花を咲かせます。これが表現の願いの根本にあるものです。これが人と人とを温かく結びつけることにもなります。このことを教育活動に活かすことを伝えるのに子どもたちの版画は大きな影響を与えたと思います。

浅子──それらの作品はどうされたのでしょう。

坂本──退職後、それまでの一連の作品をいったいどうしようかとまず思いました。私の手元にある作品については大学で保存して役に立ててもらいたいという気持ちもありました。けれどもその後、やはり自分が持っていたほうがいいのではないかということで、念のため自分で持ち帰りました。そして八戸市美術館でもし収蔵してくれるのなら、八戸の地域の人々、制作した多くの子どもたちへの感謝と記録(地域と歴史と子どもの歩みと私のアプローチ)が全体として大切な意味をもつのではないかと考えるようになりました。美術館に持っていったところその願いが通じ、収蔵を引き受けてくれたんです。ありがたいことです。

浅子──それはいつの話でしょうか。

坂本──私が大学を退職した2000年ごろのことです。その後、八戸市美術館の方々が、いったいどのような理由で子どもの作品を収蔵することを決めてくれたのか、自分なりにじっくり考えてみました。それはいまお話ししたとおりです。
子どもの作品が収蔵されるということは、どこの県でもあまり例がないのではないでしょうか。これはとてもオリジナルな考え方です。青森県には版画協会に所属する人がたくさんいて、版画作品の数もとくに多いため、その頂点から裾野にいたるまでをひとつの山全体ととらえ大事にしようとする視点を美術館は大切にしたのだと思います。
そのなかでなぜ私が25年間指導してきた子どもたちの作品が収蔵されることになったのでしょうか?
これらの作品を保存して八戸市美術館に置く意味について考えることは、これからの新しい美術館をつくる方向性にもつながると思います。それはやはり「版画は風の中を飛ぶ種子」です。大人でも子どもでも作家でも、「版画」を「表現」という言葉に置き換えてもよいと思います。人間と人間、動物と人間、自然と人間が温かく結びつき、生きていく平和な世界を築く基ともなる願いにつながるものです。

浅子──八戸市美術館に収蔵された理由として、ほかの土地ではなく地元で生まれた作品だということがまず挙げられると思います。それに加えて、作品の内容自体もその地域での生活を読み取り、イメージに定着させていたからこそ、地元である八戸で保存する意味があると考えたのではないでしょうか。

坂本──一般論としてはおっしゃるとおりだと思います。けれども「地域」という観点からすると、青森県では十和田や津軽地方でも地域に根付いた版画教育をやっていますから、地域ならではの作品だからというだけでは、「美術館にとって中心となる作品として、絶対にこれでなければならない」という大切な理由には必ずしもなりえないのではないでしょうか。

浅子──なるほど、坂本さんの質問の真意がわかりました、個人的な見解になりますが、お答えしたいと思います。
先日、八戸市美術館のリニューアル前最後の展覧会として行なわれた特別展「虹の上をとぶ船」(2017年2月4日−3月20日)を拝見しました。たいへんすばらしい展覧会だったのですが、と同時にこれらの作品の作者はいったい誰なのだろうかと、不思議な感覚を抱きました。展示されていた作品の多くは共同制作でつくられており、1枚ごとに作者が違うだけではなく、1枚のなかにも複数の作者が存在します。そして、生徒は毎年入れ替わりがあるので、時代ごとに作者が大きく入れ替わっているはずです。だから、あの展覧会の版画たちは、ひとりの芸術家がつくった作品ではありません。そして、複数いる作者も基本的に生徒なので、その意味でも芸術家の作品ではない。そう、ないはずなのですが、あるまとまりのある作品群だと感じられました。それは少なからず、あの展覧会を見た多くの人が抱く感覚だと思います。
もちろん、なかには稚拙な表現もあるのですが、それらの表現も単独で存在しているのではなく、継続的に他の作品へとつながっており、そしてなにより、最終的に大きな集団制作へと結実することで、それらの稚拙な表現がとても魅力的な作品の個性になっている。展覧会は3フロアで構成され、最初は小さかった作品が時代を追うごとに大きくなり、その内容も個人の自画像や身近な人や物から徐々に地域の風景へとその内容を変え、最後は連作のファンタジーへと結実していきます。そして、大きな作品を見た後で、再度小さな版画に目を向ければ、作品を見ているだけで、その背景にある地域や風土や歴史、そして当時の社会の状況が思い浮かんでくる。未来に向けて強い願いをもった子どもたちとともに、その地域や歴史を発見し表現し伝えようとした坂本先生の想いや物語が、そこに見えてくる。
このような複雑で豊かな体験を抱かせてくれるという意味で、展示されていた作品そのものに展示・保存するだけの強度があると感じました。さらに言えば、現代の芸術家の多くはその作品のすべてを自ら制作しているわけではありません。そのことといったいなにが違うのか。いわば、「作者とはなにか?」という普遍的な問題をも内包しており、今回の展覧会は非常に興味深い試みだと思ったのです。

教育版画展「虹の上をとぶ船」展(八戸市美術館、2017年2月4日−3月20日) 展示風景
[写真提供=八戸市新美術館建設推進室]

同、坂本小九郎氏によるトーク・イヴェントのようす
(八戸市美術館、2017年2月11日)[写真提供=八戸市新美術館建設推進室]

坂本──そのとおりです。それは私が感じ考えたことと共通です。そのように受け取ってもらえることをありがたいことだと思っています。私が若いときに美術を教わった先生に童画家の深沢省三(1899−1992)がいます。彼は鈴木三重吉(1882−1936)が創刊した子ども向けの雑誌『赤い鳥』(1918−1936)で最初に挿絵を描いたひとりで、戦後に盛岡にやってきて、はじめて東北に独立した美術学校をつくりました。その学校に私は中学卒業後に入学しました。
その後の1956年、21歳のときに私は盛岡から八戸へ行き、鮫中学校の教師になりました。そこで子どもたちと青森県の版画教育と日本教育版画協会の大田耕士(1909−1998)ら、多くのすぐれた版画教育の先人たちと出会いました。
いまはだいぶ少なくなりましたが、当時は中学校の生徒の人数が徐々に増えていた時期で、ひとつの学校に700人くらいはいました。多いところでは1校に1,000人もいました。私は生徒と年齢が5歳か6歳くらいしか変わらず兄のような存在だったこともあり、子どもたちになにかを教えたい、勉強させたいということよりも、ともに生き、学び、成長していくなかで、表現の願いを共有しようと考えていたものですから、造形の基本的なことは方向付けましたが、版画クラブの部屋などでも自由に学び合いました。そして写生の授業では、あらゆるところに子どもたちと一緒に訪れました。当時の八戸の風景は、盛岡から来たばかりの若者にとってはカルチャーショックのようなものだったこともあり、子どもたちに、これらのすばらしい自然、漁港、浜辺の働く人に目と心を向けるように勧めました。ある意味では環境に慣れた目から見れば、私の勧めは新鮮な驚きであったと思います。
それらの場所では、自然の岩、ウミネコ、網をつくっている人、魚やウニを採っている人など、じつに多くの生活者の生き生きとした姿が見えてきました。そこでの写生の授業では、目に映る自然の岩にも入り江にも、生活の場としての大切な意味や名前があることについて、考えながら描くということをやりました。たとえばウミネコを描くときも、遠くからだと簡単な形をしているように見えますが、近くで見ると目は鋭く、黄色い嘴の先端だけが赤くなっている。近くで見れば見るほどすごいんですよね。このようなすばらしい色や形をしている生きものや、人々の働く姿を、子どもたちにもっとよく見ることを勧めました。その感動をより多くの級友や地域の人に伝えようと、版画クラブを中心に勧めました。版画クラブは文化的なセンターのように、版画だけではなく世界の文学、詩、歌声、伝説や岩のいわれなどを調べ報告しあう場所にもなりました。


201712

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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