市街化調整区域のBuildinghood

中谷礼仁(歴史工学家)

村と東京

都市化を免れた日本の農村地域に行くと、いたるところに良質な環境がある。それは人々のたゆまぬ環境工作と生活の蓄積を物語る。これらが日本の国土を下支えしている。各場所に固有の問題があることを認めつつ、この風景が存在しているからこそ日ごろの都市生活が成り立つと思うぐらいである。村と都市とはお互いを対照している。
しかし東京に戻ると、すでに人がおちつくための居場所ではなくなった感じがする。私の住んでいる下町界隈は以前には経済活動も活発でその裏には低層の木造家屋が立ち並んで、人間が路上にあふれていた。いまは銀行も撤退したその商業地域は、大通り沿いに高層マンションが立ち並んでいる。古くから残る家屋の目線でその林立する様子を見ると、まるで自分が海底にいるような気持ちがする。人間生活の維持についてはもちろん考慮されているが限りなく仮設的だ。気づいてみればコミュニティの存在をしめすのは、たまに玄関に置かれている回覧板くらいである。そこには家族内で葬儀を済ませた旨の訃報が掲載されている。一方で民泊になった隣屋では、外国からやって来た集団がパーティを開いている。一時的な賑やかさが続くことのほうこそが東京のインフラを支えているのかもしれないと感じてしまう。

都市のBuildinghood

都市のBuildinghood(ビルディングフッド)をどのようにとらえるべきかとたまに尋ねられる。
Buildinghoodとは、Livelihood(生活のしかた)とかNeighborhood(お隣さん)に隣接する言葉である。以前、ユーラシアプレート境界に沿った世界各地の集落を見て回った時にふと湧いた言葉で、大地の特性が生み出す建築構法とその形のことをさしている。たとえば山岳地方の住居はその石を土地の人が組積して作っていたことは自然である。しかし低地の都市では建築需要にみあう量の良い石材はなかなか見つからない。そこでは労働者たちが隣接する河川によって蓄積された大地の泥土を焼いてレンガを作り、アーチを架けたり、それを運んで都市の中心部で帳壁に用いていた。低地の都市における煉瓦製造は古代から大陸の各地で伝わるもので、現代になってもかなりの地域でその関係性は生きていた。
それではひるがえって日本の都市、具体的には私が住んでいる東京のような高層過密の都市におけるBuildinghoodはどのようにイメージできるのだろうか。従来と決定的に違うのは、東京のBuildinghoodが維持しようとしている主な対象はすでに人間の生活ではないことである。高層過密化した都市で維持されるべきなのは都市のインフラそのものである。そこで行なわれているさまざまな経済活動が主役なのであり、都市は都市経済を維持し続けるために自らを増殖させていく。建設を担う人すら東京に高層ビルは十分足りていると思っていたとしても、建設活動は終わらない。法の許す最大まで建設し施工利潤をあげ、生み出された空間は、使う以前に売買のための交換単位となる。人間の目的のひとつは自分たちの住む空間としての都市を維持することであるが、建設の「量的緩和」をつづける都市を維持するのは都市の住民たちにとっては本意ではないだろう。
以上のように特異な状態に突入した高層過密都市のBuildinghoodにおいては、人間の住む空間はあくまでも二義的なものである。それはドックに到着した鉄鋼原料が、そのBuildinghoodを通じて高層建築の骨組みへと形を決定させていくなかで生まれた、副産物程度のものではなかろうか。歯が立たないその物質の優越のなかで、建築デザイナーはなんとか主体をとりもどそうとして、都市のアウトレット・カタログを眺めている。

それらのなかで起こっていること

旧い集落に位置する家に運良く招き入れられた時、最近しばしば感じられるのは、うまくリノベーションされた民家が増えたということである。木に竹を継いだような、以前の性急な洋間化が鳴りを潜め、現代風に改造された土間にはきちんと黒ずんだ大梁が露出している。民家改修を専門に手がける知り合いでもいたのですかとたずねてみると、木材に強いハウスメーカーの売り込みがあったので任せた、細かいところの注文にも応じてくれたと所有者からの満足げな答えが返ってくる。そのハウスメーカーは相当マーケティングをしていると感じた。圏域のまったく異なる場所で同じメーカーによる同種のリノベーションが散見されたからである。
そして新築物件には明らかに各種新工法によるハウスメーカーが急速に入り込んでいる。若い世代が所帯を持って両親の敷地内に別家屋を作るときはほとんどその姿は郊外住宅地の住宅と変わらない。むしろそのハウスメーカーが描いていた理想を余裕を持った大きさで実現している。土地の在来工務店もその流れに協力しつつ糊口をしのいでいるのではなかろうか。それに比べて旧い村に建築デザイナーの作業がほとんど見つからない。時たま建築雑誌でそのようなプロジェクトを見つけるのだが、普段の村歩きで遭遇した試しはない。なぜなのかと考え込んでしまった。
暫定的な結論は、日本のこれまでの建築家、そして現在の建築デザイナーは、そもそも日本を市街化するための先兵として自ら歩んできたから、である。その場合の市街化とは有資格者として建築基準法を守り、地域に見合った用途の建築を設計、監理することそのものである。それらの行為そのものが、その場所を市街化するのである。これは根本的でほとんどそこから抜け出すことはできない。しかしながら姉歯事件(2005)を契機に建築行政は人間のパーソナルな営為をむしろ偶発要素とみなし、その結果として、都市のデザインは、人による定性的評価から計量可能な技術や法制度としてさらに整備されてきた。過去の大建築家が持っていた(持たざるをえなかったともいえる)都市や建築への倫理観は、もはや技術や法制度に溶かし込まれた。現在の建築デザイナーが単独かつ全人的な活動を行なう余地はすでにほとんどない。彼らは都市インフラを前提にしつつ、都市の空隙を逆手に取った細かい手法を試み、その表現を微粒子レベルで研ぎ澄ませる。しかしそれもまた近い将来に、建物が建てづまるように閉塞していく。むしろ高層過密のBuildinghoodからはずれた、余白をさがしてみたくなるのが人情ではないか。例えば大室佑介氏の三重の実家周辺(《私立大室美術館》[2016])[figs.1,2]と一方の中心である東京を行き来する動きなどはとても気になる。つまり両方の幅のなかで活動の内容と仕方が決められているのだ★1




figs.1,2──《私立大室美術館》(2016)[写真=若林勇人]

ここであらためて確認しておくと、大地から構法がおのずと生み出されるはずはない。Buildinghoodは形を決定する関数が介在して初めて生じる。私たちが構築したいのは、大地と需要の間を取り持つ関数(調整・決定因)として具体的な人間(デザイナー)が必要とされる関係である。そしてその構築はいまだ可能だと思う。

市街化調整区域とは何か

都市を出るとある箇所を境にして急に農村風景がひろがる。まるで見えない線が引かれているかのようである。高層過密のBuildinghoodからはずれた余白とは、もしかするとここではないのか。
その風景を検討するときに興味深いのが市街化調整区域の影響である。それは1968年に新たに全面的に制定された都市計画法によって生まれた。無秩序なスプロール化をコントロールして、公共行政の支出を抑制するために地域が線引きされたのである。都市計画区域内で市街化を促進させるのが市街化区域であり、逆に抑制しようとするのが市街化調整区域である。
日本の国土の3割弱を占める都市計画区域は現在、市街化区域と市街化調整区域と、促進か調整か行政が方針を決めていない非線引き都市計画区域に分かれている。地域ごとに建築可能な建築種や規模を決めた用途地域は市街化区域に適用される。その面積の総体は国土の3.9%であり、それに対して市街化調整区域は、国土の10.3%を占めている★2。ここで用途地域の適用されない大きなキャンバスが見つかったと思うのは軽率である。市街化調整区域にはそもそも原則的に建築行為が許されていないからである。
しかし事実として、市街化調整区域内には多数の優れた環境を持つ集落が位置している。それは農業や漁業や林業を営む人々が長年にわたって営んできた住まいが、この法律に先行して存在していたからである。つまり現行の法律においても地域の人々の住まいや地域に供する小規模な商店等は建築可能な場合がある。その場合には審査や建築確認を経て新築も可能なのである。ただしその条件は相当に厳しく、建築可能な人々の条件が地縁や親族関係まできちんと制限されている。
このような市街化調整区域の調整の仕組みを確認してみると、この農村的風景が複雑に計画・コントロールされた場所になっていることが理解できる。そこが都市の近傍にもかかわらずまったく別種の空間を保持しているのは、それが別のシステムとして十分調整されているからなのだ。調整区域は市街化の抑制という計画を企てた成果なのである(普段の計画は促進のベクトルを持つので、私たちは抑制行為に計画意図を見ないだけである)。 これはまるでフィリップ・K・ディックが描いた「地図にない町」(原題「The Commuter」1953[『地図にない町 ディック幻想短編集』仁賀克雄編訳、1976、早川書房])の集落ヴァージョンではないのだろうか。

急に電車のスピードが落ちた。ペインは急いで身がまえた。
...あの灰色の雲のようなもの。巨大な煙幕は急速にかたちを整えつつあった。まぎれもなく、何かが生まれつつあった。『メイコン・ハインツ』だ。...「痛いほどの実感に、彼は慄然とした。不意に彼にはすべてが理解できた。それは拡がっているのだ。

その短編はプロジェクト中途で放棄された町「メイコン・ハインツ」が、7年後の「現在」に現実の一部を侵蝕する別のシステムとして現われる様子を描いている。「地図にない町」と市街化調整地域内の村が似ているのは現実に対する別のシステムがあるからだが、一方でそれぞれのベクトルはまったく正反対である。村は拡がるのではなく、むしろ境界を確固として凛と留まっている。その風景は、既存集落の構造を変えないよう、そしてむやみに建てづまらないようにすでに注意深く計画・抑制された結果である。
しかしそのなかでは、リノベーションが豊富に繰り広げられていた。そして「調整」という普段とは逆のベクトルの計画について十分に意識的であれば、高層過密な都市とは異なった関数を持った建築デザイン行為も許可される。市街化の先兵を運命づけられた建築行為が、非都市的な風景に具体的に接触し、そこに参加しうる。市街化調整区域でのデザイン行為は建築にそんな複雑なコンテクストを新しく付与する契機として、さらに意識される。それが市街化を見据えた場所としての、市街化調整区域のBuildinghoodなのである。



★1(2017年12月5日追記)──以前、塚本由晴氏を含めた座談のなかで、建築デザイナーの「クラブ活動」の重要性について述べた(「不寛容化する世界で、暮らしのエコロジーと生産や建設について考える(22人で。)」10+1 website、2017年3月号)。ここで述べたかったのは、建築デザイナーは自らの活動基盤をより主体的に動かすことがもはや必然であるということである。市街化の建築活動を正業として残しつつオルタナティブな活動を行なうことは何ら不自然なことではない。主体の移動がより自由(根無し草)になってしまった現在、自らの知恵の出しどころはさまざまな大地(コンテクスト)との関係のなかで決めてよいのだ。
★2──wikipedia「都市計画区域」参照。2017年11月5日現在。


中谷礼仁(なかたに・のりひと)
1965年生まれ。歴史工学家。早稲田大学創造理工学部建築学科教授。著書=『動く大地、住まいのかたち──プレート境界を旅する』(岩波書店、2017)、『実況・近代建築史講義』(LIXIL出版、2017)、『セヴェラルネス+──事物連鎖と都市・建築・人間』(鹿島出版会、2011)。共著=『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社、2012)、『近世建築論集』(アセテート、2006)ほか。
「千年村プロジェクト」http://mille-vill.org/
http://www.nakatani-seminar.org/


201711

特集 庭と外構


庭園と建築、その開放
庭的なるもの、外構的なるもの──《躯体の窓》《始めの屋根》《桃山ハウス》から考える
市街化調整区域のBuildinghood
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