内戦で失われた建築資料を掘り起こす
──展覧会「新クメール建築と日本」

岩元真明(九州大学助教)

2017年3月、カンボジア国立博物館で近代建築の図面展「新クメール建築と日本」が開催された(主催:九州大学環境設計グローバル・ハブ 共催:国際交流基金アジアセンター、カンボジア王国文化芸術省 協力:王立芸術大学)[fig.1]。筆者は、カンボジア近現代建築の研究者としてこの展覧会の企画とキュレーションを行なった。

フランスから独立を果たした1953年から内戦が勃発する1970年までの17年間、カンボジアはノロドム・シハヌーク王子のリーダーシップの下で未曾有の近代化を体験した。「新クメール建築」★1とはこのあいだに展開された近代建築運動のことであり、国家建設と近代建築が結びついた好例として、東南アジアにおいて独特の建築運動が形成された希有な事例として、カンボジア内外から再評価の機運が高まっている。しかし、この建築運動に日本の建築家や技術者が貢献したという事実はあまり知られていない。展覧会では、このカンボジアと日本の知られざる協働に焦点があてられた。

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fig.1──「新クメール建築と日本」の会場風景。中央に置かれたベンチは、ヴァン・モリヴァン設計の国会議事堂の柱を原図に基づいて1/2のスケールで復元したものである。

失われた図面

日本では近代建築の展覧会や図面展はさして珍しいものではない。2011年には国立近現代建築資料館が整備され、戦後の建築資料も一定の市民権を得ているといえるだろう。しかし、カンボジアではこれまでに近代建築の図面展が開催されたことはなかった。なぜなら、建築資料のほとんどがクメール・ルージュの組織的な破壊活動によって失われたと考えられてきたからである。しかし、多くの建物が内戦を生き延びているのに、建築資料が徹底的に破壊されたと考えるのはどうも不自然である。映画フィルム保存家の鈴木伸和氏は、内戦以前のフィルムのほとんどをクメール・ルージュが燃やしたという俗説に対して、実際にフィルムが燃やされたという目撃談はないと述べている★2。同様のことは、建築図面についても言えそうである。焚書された資料もあっただろうが、図面は設計者、施主、施工者など数多くの人々の手に渡るものであり、そのすべてを破壊することは困難である。長きにわたる内戦の混乱によって設計者、関係者が命を落とすなかで、資料が散逸し行方がわからなくなったと考えるほうが妥当だろう。つまり、失われた建築資料を掘り起こす可能性はいまだに残されている──これが「新クメール建築と日本」展のもうひとつのテーマであった。主な展示物は、なんらかのかたちで日本人が設計や施工に関わった建築の図面であり、関係者が日本に持ち帰ることによって内戦の混乱を逃れた幸運な資料だ。以下、図面再発見の経緯を含めて展示の内容を紹介してゆく。

国連スタッフのスーベニア

「新クメール建築」の立役者の一人にヴァン・モリヴァンという建築家がいる。1926年にカンボジアで生まれ、20歳で渡仏しエコール・デ・ボザールで学び、カンボジア人として初めて建築学位を取得したモリヴァンは、日本でいえば辰野金吾と丹下健三を足し合わせたような人物である。1956年に留学を終えたモリヴァンは直ちに公共事業省の高官に任じられ、都市と建築を近代化するという使命を帯びた。シハヌークに重用されたモリヴァンは80を超えるプロジェクトに関わり、いまなおプノンペンのシンボルである《独立記念塔》や《オリンピック・スタジアム》も彼の作品である。

独立後まもなくのカンボジアに30歳という若さで帰国し、次々と国家的プロジェクトを成功に導いたモリヴァンの背景には、外国人専門家の協力が指摘されてきた★3。その代表格は1960年代初頭に国連開発計画の専門家としてカンボジアに渡った二人のフランス人、ウラジミール・ボディアンスキーとジェラル・アニングである。彼らはル・コルビュジエが創設した「建設者のアトリエ(ATBAT)」のメンバーであり、ボディアンスキーはユニテ・ダビタシオンの構造を担当した構造家として、アニングはモデュロールの開発に携わった建築家として知られている。

この国連開発計画のチームに日本人専門家も参加していたことが、筑波大学で都市史を研究する松原康介氏の研究から明らかになった★4。番匠谷堯二、後藤宣夫、岡田説夫という東京工業大学清家清研究室出身の3人の建築家が国連チームに加わり、《オリンピック・スタジアム初期案》《バサック川沿岸計画》などのモリヴァンが主導する国家的プロジェクトに関わっていたのである[fig.2]。彼らはみな、カンボジアと米国の関係が悪化した1963年までにカンボジアを去ったが、後藤は自らが関わったプロジェクトの図面を日本に持ち帰っていた。

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fig.2──(上)《バサック川沿岸計画》の一部である集合住宅[撮影=石原真雄(大林組OB)]
(下)《バサック川沿岸計画》の図面(後藤宣夫蔵書)

強力な国連チームと協働した1960年代前半の4年間は、ヴァン・モリヴァンにとって自らの創造性を最大限発揮する千載一遇のチャンスだった。その最高潮は1964年に竣工した《オリンピック・スタジアム》と呼ばれる体育館であろう[fig.3]。モリヴァンは一辺約66mの大屋根を4本の柱で支える大胆なキャンチレバー構造を採用し、巨大な柱をアンコール建築の祠堂に見立て、厳密な幾何学的構成によって伝統を抽象的に表現した。番匠谷らが提案したスタジアム案は採用されなかったが、最終案にいくばくかの影響を与えたと考えられている★5

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fig.3──《オリンピック・スタジアム》施工時の写真(1963頃)[撮影=石原真雄]

ヴァン・モリヴァンと大林組の協働

さらに、モリヴァンは日本の建設会社・大林組とも緊密な協働を行なっていた。2015年5月、松原氏と筆者がモリヴァン氏に面会した際に──日本人の訪問に刺激されたからであろうか──モリヴァン氏は「国立劇場の計画で大林組と協働した」と不意に語った。その数カ月後、大林組設計本部のアーカイブにおいて《国立劇場》《国会議事堂》《農牧医センター》といったカンボジア関連のプロジェクト資料が次々と見いだされた。このうち、《国立劇場》と《国会議事堂》はモリヴァンが主導した国家的プロジェクトである。一方、《農牧医センター》は大林組が設計施工を行なったプロジェクトであり、戦後賠償を放棄したカンボジアへの見返りとして日本が開発援助した「戦後準賠償」の計画だった。プロジェクト遂行のために大林組はプノンペン事務所を構え、日本人大工と共に現場に常駐した大林組の技術者は、その功労をシハヌークから評価され勲章を授かったという。ヴァン・モリヴァンは政府高官としてこの《農牧医センター》の現場を訪れている[fig.4]

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fig.4──《農牧医センター》現場における写真。左から3番目が大林組プノンペン事務所所長(当時)の橋爪謙介氏。左から5番目がヴァン・モリヴァン氏[撮影=山崎担(大林組OB)]

《国立劇場》はヴァン・モリヴァンの代表作のひとつであり、鋭角が際立つ平面形と、うろこ状のブリーズ・ソレイユが特徴的な劇場建築である[fig.5]。図面の作図者の欄からプロジェクトに関わっていた大林組の技術者たちの名が判明し、彼らへのインタヴューを通じて構造設計、実施設計における協働の詳細が明らかになった。さらに、大林組のプノンペン事務所には《国立劇場》専任の駐在員が派遣され、設計のみならず施工や材料調達にも関与していた。例えば、屋根の鉄骨部材は千葉県の鉄工所で生産されたと担当者は語っている。これは、現地で生産できる材料が限られていた当時の建設状況をうかがわせる貴重な証言といえるだろう。

一方、《国会議事堂》はヴァン・モリヴァンによる未完のプロジェクトであり、大林組は構造設計に協力していた。大林組のアーカイブに保存されている100枚を超える構造図はきわめて詳細で、この知られざる国家的プロジェクトを把握するための重要な一次資料といえる。図面を見ると、建物は巨大な中庭を囲い込んで東西南北に配置され、その外周には堀が巡っている。興味深いことに、《国会議事堂》の規模と配置計画は、アンコール・ワットのそれと類似している。

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fig.5──(上)《国立劇場》の現場(1964頃)[撮影=石原真雄]
(下)《国立劇場》の平面図[提供=株式会社大林組]

《日本橋》と《カンボジア館》

「新クメール建築と日本」展では、ヴァン・モリヴァン作品のほかにもカンボジアと日本の協働を示す2つのプロジェクトを展示した。ひとつはプノンペンのトンレサップ川に架けられた《日本橋》と呼ばれる橋梁であり、もうひとつは大阪万博の《カンボジア館》である。

《日本橋》は1966年に日本の開発援助によって建設されたが、内戦時に爆破されて落橋し、和平締結後に再び日本の協力によって再生されたという歴史をもつ[fig.6]。この《日本橋》に関しては、鉄骨部を施工した冨士車輌が所蔵する図面とともに、映画監督ソト・クォーリーカーによる映像作品『Beyond The Bridge』★6の特別編集版を展示した。

大阪万博(1970)の《カンボジア館》は、クメールの伝統木造建築を思わせる大屋根と近代的なディテールを組み合わせた小品である。万博記念公園に保存されている資料から、カンボジア人建築家ウク・ソメスが基本設計を行ない、都市科学研究所の中島龍彦が実施設計を担当したことが明らかになった。展覧会では、両者の図面を並べることによってカンボジア人建築家の構想を日本人建築家がいかに理解し、日本の技術で実現したかを示した。なお、建物は万博終了後に神戸の広陵町に移転されて自治会館として再生し、いまでも町の人々に親しまれている★7

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fig.6──《日本橋》(1964頃)[撮影=石原真雄]

近代建築史は国境を越える

以上、駆け足であるが「新クメール建築と日本」の展示とその来歴を紹介した。会期中、食い入るように図面を見つめていた建築学生の姿が印象に残っている。新クメール建築の原図に触れる機会をカンボジアの若い世代に提供できたことが展覧会の最大の成果といえるかもしれない。しかし、日本で見いだされた図面はおそらく氷山の一角にすぎない。シハヌークは東西両陣営から幅広く援助を受ける「八面外交」を展開し、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストラリア、ソ連、中国といった国々からさまざまな専門家を迎えて建築と都市の近代化を推し進めた。これらの諸外国には新クメール建築の関連資料がまだまだ残されているだろう。

海外に逃れた資料を発掘するという方法は、カンボジアに限らず、20世紀に独立し成長した新興国の近代建築史を編纂するうえで有用であると思われる。例えば、日本に残存する資料を用いてインドネシアの近代建築を研究することも可能であり、そこから日本の近代建築史に関する新たな知見が逆照射されるかもしれない。アジア各国の近代建築史は、国境を越えた動的な運動として描き直されるだろう。


★1──新クメール建築の主要作品については、以下の拙稿を参照。
岩元真明「Photo Archives カンボジアの近代建築──ヴァン・モリヴァンを中心に(10+1website)
★2──以下を参照。
カンボジアの視聴覚資料保存(特定非営利活動法人映画保存協会ウェブサイト)
★3──代表的な既往研究は以下。
Ross, H.G. and Collins, D.L.: Building Cambodia: 'New Khmer Architecture' 1953-1970, Key Publisher, Bangkok, 2006.12
★4──松原康介「1960年代カンボジアにおける日本人専門家の都市計画国際協力」『都市計画論文集』Vol.50, No.3(2015.10)
★5──同上。
★6──『Beyond The Bridge』は日本橋の建設を題材とした映画である。
アジア・オムニバス映画製作シリーズ アジア三面鏡2016:リフレクションズ(東京国際映画祭2016ウェブサイト)
★7──カンボジア館については、以下に詳しい。
大阪万博:『カンボジア館』存続 神戸の自治会が改修へ(毎日新聞.2016.10.13)


「新クメール建築と日本」展
会場|カンボジア国立博物館
会期|2017年3月4日〜3月26日
主催|九州大学環境設計グローバル・ハブ
共催|国際交流基金アジアセンター、カンボジア王国文化芸術省
協力|王立芸術大学
キュレーター|岩元真明(ICADA / 環境設計グローバル・ハブ)
企画協力|Sotho Kulikar(Hanuman Film)、松原康介(筑波大学)、鈴木伸和(東京光音)、 Ivan Tizianel (ASMA architects)、Virak Roeun、Poum Meas Bandol
展示設計|岩元真明、國友拓郎、武谷創(九州大学)


岩元真明(いわもと・まさあき)
1982年生まれ。建築家。ICADA共同主宰。2006年シュトゥットガルト大学ILEK研究員。2008年東京大学大学院修了後、難波和彦+界工作舎勤務。2011-15年ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツ勤務(パートナー兼ホーチミン事務所所長)。2015年よりICADA共同主宰。2016年より九州大学芸術工学研究院助教。共訳=ロベルト・ガルジャーニ『レム・コールハース|OMA──驚異の構築』(難波和彦監訳、鹿島出版会、2015)。URL=http://icada.asia/wp


201707

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