不寛容化する世界で、暮らしのエコロジーと生産や建設について考える(22人で。)

塚本由晴(建築家、アトリエ・ワン主宰)+中谷礼仁(歴史工学家)

神山のFABじい、茨城の行方、茅場のスキー場

塚本──都会でbuildinghoodを考えるとどうなるんでしょうか。buildinghoodが産業化されたために、livelihoodがbuildinghoodに従属してしまうような転倒が起こっている気もするけど。

中谷──あ、そういう観点ですね。なるほど。塚本さんのおっしゃるとおりだと思います。先ほど紹介したBuildinghoodは自然資源、いわば第0次素材を人間社会で第1次産業化するためにデザインされました。しかしそれが第2次、第3次産業に展開していくなかで建築をやっていると、自然に介入するプロセスがほとんどいらなくなる。それから季節もいらない。第2次、第3次の連関のなかのみで閉じているわけです。それがbuildinghoodを見えなくさせているわけです。第3次産業下でのbuildinghoodをがんばって考えてみようとすることもできますが、基本的にはその役割は減少していくわけです。

塚本──インドのlivelihoodとbuildinghoodの話がシャープに見えるのは、身の回りの資源に対するアクセシビリティが確保されていて、どうアクセスすれば自然をどういう資源に変えられるかを人々が知っているからですよね。ある意味、資源マネージメントなどに近いところがある。

中谷──都会でも、本来存在しないはずの川辺の自主農園などは、buildinghoodが介入している余地がありますよね。しかし都会では建築と自然資源のあいだに人間がつくった層がひとつある。そのあたりは石川初さんがやられていることなんかと重なってくるように思いますが。

塚本──資本主義は資源の調達範囲をグローバル化した。もちろんエネルギー効率を考えれば、そのほうがいい場合もあるのだけど、一方では本当にそれでいいのかという考え方もある。ランドスケープというのはまさに資源マネージメントの一部だと思うのですが、それについてランドスケープをやられている石川さんはどうお考えですか。

石川初氏
石川初──石川初です。現在、慶應義塾大学SFCの教員ですが、2年前にいまの職場に移るまでランドスケープの設計事務所にいて、外構や造園の設計をしていました。
資源のマネージメントという観点からは、ここ1年、徳島県の神山町というところに私の研究室の学生たちと一緒に通って農家の暮らしを観察しているんですが、興味深い事例をいくつも見ています。
農家の人たちは既製品の農具をそのまま使わずにカスタマイズするし、家や庭のいたるところに手づくりの工夫や修繕が溢れていて、その手際がいいんですね。ある急傾斜地の山の上の農家では、沢の水を動力にした、定期的に音を立てて野生のサルを追い払う「サルおどし」がつくられていました[figs.3, 4]。驚くべきブリコラージュ。そういうDIYの達人的おじいさんたちを、私たちは敬意をこめて「FABじい」と呼んでいます。
農業は生物を育成したり栽培する行為なので、同じ地域でも畑によって一つひとつコンディションが違うし、従事する人の身体も固有だし、だからツールのカスタマイズの必要性が高いわけですが、産業としては標準の「製品」を出荷することが求められるために、そこにギャップが生まれます。そのギャップを埋めるように、「FABじい」のスキルが発揮されているように見えるのです。


figs.3, 4──野生のサルを追い払うサルおどし。徳島県神山町にて。[写真=石川初]

塚本──以前、哲学者の内山節さんが山村を回って農家から注文を受けている鍛冶屋の話を聞きました(10+1 web site「コモナリティ会議 05:社会デザインの主体はだれなのか──多様なる合意のかたち」)。鍬も鋤もカスタマイズされていて、一つひとつ違うと。

石川──私たちも鍛冶屋を見学に行きました。徳島に1軒だけ残っているという現役の鍛冶屋さんで、オフシーズンになると近在の農家が農具を直してもらいに来ていました。たとえばタケノコを掘るための鍬があるのですが、使う人の姿勢や、竹やぶの地面の傾斜によって、一つひとつ鍬の刃の角度を変えているそうです[fig.5]。ユーザーと相談しながら、それぞれカスタマイズしています。鍛冶屋のご主人は「道具のつくり手が苦労するほど使い手が楽になる」と言っていました。現在では大量に供給されている標準品を使うことで、私たちは要らぬ苦労を強いられている可能性があります。

fig.5──一つひとつ異なる鍬の刃[写真=石川初]

塚本──われわれはもはや産業社会が生み出した事物連関にほぼ取り込まれていて、その外側に抜け出すことが難しくなっている。だけど、農村や漁村に行くと、そこに暮らす人はまだ自然の連関のなかに生きていて、面白いハイブリッドがたくさん見られるわけですね。標準品をカスタマイズするのもハイブリッドだし、暮らしそのものが、車や携帯電話といった産業社会の利便性も利用するけれども、同時にこの時期なら裏山に何があるかとか、この天気なら何をすべきかとか、その時々で仕事を変えるような営みができているわけです。そういうハイブリッドに対する憧れが私にはある。

石川──ただ、農村に行くと最初はそのブリコラージュに感動するのですが、それは強いられた苦労でもあるように思えます。「サルおどし」の家をはじめ、FABじいの仕事が鮮やかな家はたいてい、町からは非常に不便な場所にあります。もし近くに100円ショップがあればもっといろんなものを買ってきてしまうと思います。いろんな事情、特に多くは経済的な事情で不便な場所に居続けている、FABじいの仕事はそういう状況でやむをえず発揮されているスキルでもあるわけです。もちろん一方で、水も食料も燃料も自給率が高くて、生活のための技術を有しているからこそそういう場所で暮らせるのです。あるお宅は、積雪期は2週間くらい町から孤立すると、こともなげにおっしゃっていました。

塚本──昔は自立自存だったのが産業社会に飲み込まれてそれに依存するようになった。それでも田舎に行くとまだ自立自存が残っていて、依存せよと言ってくる産業社会に対しいろいろ小さな抵抗をして、不思議なハイブリッドを形成しているわけですね。それは面白いことだと思っています。

中谷──いま都会と地方、それぞれのlivelihoodとbuildinghoodの話が出ましたが、田舎がいいといってもそのまま都会で成立するわけではありませんし、逆もまた然りです。そういうとき私たちは都会や第3次産業下の社会だけに住まわなければならない運命を担わされているわけではないことをもっと自覚してもよい。つまり都市をなんとかしなくてはという計画者的強迫観念から抜け出てもいいわけですね。人間のほうが移動すればいいのです。
千年村プロジェクトなど震災の後にやってきたことは、その「あいだ」を探す試みだったといえます。震災のときにはいろいろな資源が動くことで中間的な風景が出てきたわけです。ブリコラージュというと小さな道具の話に聞こえるかもしれませんが、それをもう少し大きなスケールに移して考えると、建築家が関わることも出てくるかもしれない。
そういうところを僕は探していて、最近千年村プロジェクトメンバーと行ったところで面白かったのは茨城県の行方(なめがた)という場所です。『常陸国風土記』にも登場するすごい由緒ある場所です。行方は、東に太平洋、中間に山地、そして東側を霞ヶ浦に隣接しています。海、山、潟という多様な環境が全部あった。その霞ヶ浦沿いに農村と漁村が点在し、そして山の背後には鹿島市の大工業地帯を臨んでいます。さまざまな生計の手段があります。市役所に驚愕の古墳地図が配布されていました。主要道路沿いの山がほとんど古墳跡でもあるわけです。その山としての古墳を背後に各人家がある。昔ながらの景観というのは、そのように自然地形を基盤にしながら大規模に人の手を加えていった結果なのであって、それもひとつの見事な中間体といえます[fig.6]。行方にはそういう中間的な景観が残っている。行方については実際に調査に関わった学生に話してもらいましょう。

fig.6──古墳と民家。行方市。[提供=千年村プロジェクト]

松木直人氏
松木直人──中谷研究室の修士1年の松木と言います。行方はおよそ1300年前の『常陸国風土記』に記載があるように、昔から生産と生活が持続していると考えられるところです。行方という地名は「行細(なめくわし)」という言葉から来ていて、「山・海などの自然の地形、景色が精妙ですぐれている」ということを表わしています。そういった場所に有力者が多く住んでいたために古墳がたくさんある。行方では古代からの風景と現代の生活が入り交じった景観を見ることができます。
しかし、そのことを住民自身が知らなかったりするわけです。そこで僕が出会ったのは株式会社フューチャーリンクネットワークという会社で、地域内の経済の循環を促すために、店舗などの情報を地域の外側ではなく内側に向けて発信しているんですね。またその会社に宮嵜和洋(みやざきかずひろ)さんという地元出身で元歴史研究者の方が勤めており、古墳などの歴史遺構と生活のつながりを写真や年配の方の話をもとに紹介するということをやっていて、面白い取り組みだなと関心しました。

中谷──行方では明治時代の帆引き船(帆掛け船)がいまでも使われていますね。もともと霞ヶ浦の白魚を獲る漁民が乗っていた帆引き船を観光事業のために復元して使っているのですが、その使い方にしても観光と日常が混じったような、ちょっと不思議な光景だった[fig.7]

fig.7──行方市麻生の港に停留している帆掛け舟。左にプロジェクトメンバーの建築家・福島加津也氏。[提供=千年村プロジェクト]

松木──そうですね。その帆引き船というのは、帆に風を集めてその力で船を横に動かして地引き網漁をする船なのですが、漁港に普通に停泊してあって、定期的に観光船としても活躍しています。現代の日常のなかに帆引き船が溶け込んでいる風景が地域のシンボルとして写真に撮られて発信されたりしています。

塚本──その古墳は私有財産でしょうか。というのも最近いろいろな角度から書かれたコモンズ論を読んでいるので気になるんです。集落の人々が共同で所有し管理してきた入会地を、物権を私有と公有に二分した明治の新しい法制度のなかでどう位置づけていったか、ということが日本のコモンズ論の重要なケーススタディになっています。森や溜め池というのは集落の皆でもっているんだけれど、切り分けることはできないし、そこから資源を得る際にも協議が必要だったりする。それはいまでも開発絡みで問題化することがあります。千年村などは近代に入ったときに、それまで共有していたものをどうするかという大問題に直面したのではないでしょうか。

中谷──入会地の使い方に関しては、今和次郎の『日本の民家』(1922)に描かれた民家を探す「瀝青会」で調査した時にいくつか出会いました。きちんと調べたわけではないですが、村で完全に手放すことはあまりなくて、貸しているケースが多いと思いました。たとえば相模川周辺の新設大学のいくつかの敷地などは元入会地だった可能性がありました。それから糸魚川では街道沿いの所有地と海岸に面した舟屋のあいだが共有地になっていました。そこは村と個人間の契約で農地にしていたり、分家の方々が土地を借りて家を新築したりしていました。また長野県では古民家全滅の地帯がありました。それは昭和のスキー景気ですごい賑わったために、ほとんどの家が等しく新築してしまったからなのです。その収益をみなにもたらしたのが入会地の茅場でした。そのスキー場の名前が「カヤバスキー場」。

塚本──なるほどね(笑)。

中谷──というように、瀝青会や千年村プロジェクトの調査でキャッチしてきたのは、地方と都会のあいだで起こるダイナミックな動きなんですね。僕はそこに惹かれる。そうした中間体は、関東でいえば行方のようなサブアーバンを、いままであまり指摘されなかった見方で検討した時にキャッチできるだろうと。
また山間でも鉄道交通が建設された地域はそれなりの都会との関係が以前からあるはずです。

「私」と「公」は「共」というプールに浸っている

塚本──身近な環境から観光資源を見つけようとするまちづくりの試みは良い試みだと思いますが、消費されてすぐに飽きられてしまうことも多い。それに対して、人口減などに悩む地域では、何度も訪れるリピーターを増やして、地元で維持されてきた資源やそれが生み出す風景、習俗を持続させようとする取り組みがある。これは「協治」といって、都会から人を呼んできて、祭などの行事や収穫作業を手伝ってもらったりするガバナンスの仕組みです。集落の人たちだけによる閉鎖型のメンバーシップを、都市住民などにも参加してもらう半開放型のメンバーシップに組み替えるわけです。うちの研究室でも2つほど関わっています。
その現場では、「共(common)」に関して、これまでの建築の教育で言われてきたこととは違う捉え方が必要になってくる。建築をやっている人に「公(private)/私(public)」と分けて、「共」をどこに置くか聞くと、ほとんどの人はそのあいだに置くと思います。この「公/共/私」という区切りは、じつは法学者解釈モデルといえます。近代国家が始まって入会地のような「共」の場所をどうするかというときに、法学者の立場は「公」と「私」に分けることが大前提だった。この大前提をあらゆるところで貫くのが社会の近代化だったわけですから[fig.8]

fig.8──コモンズ再構築の図式[作成=塚本由晴]
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近代以降の建築が法律の元にあるということもありますが、土地や建物の所有がこうした区分と密接に関わっているので、やはり建築は「公」と「私」で考えがちです。それで「共」についての想像力が、集合住宅の敷地内にある住民だけがアクセスできる場所、みたいに限定されてしまう。建築家は今後ますます、まちづくりや「協治」に関わっていく機会が増えると思いますが、そのときに都会から来た建築家が、この法学的解釈モデルを当てはめてしまうとうまくいかないわけです。
しかし、一方でエントロピー経済学的解釈というものがあって、これは法学的解釈とは全然違う。エントロピー経済学というのは、モノを生産するとどうしても廃棄物が出る。その廃棄物をどうやって解消していくかという視点で経済の仕組みを考える経済学です。地球で生まれた熱は大気の動きによって宇宙に放出されていくので、熱的な死に至らない。そのことを前提に、それ以外のものをどうするかを考える。その議論では「共」を「公」「私」の両方が拠って立つ資源やそれを枯渇させずに利用する規範として位置づけます。それぞれの地域で持続されてきた経済には、衣、食、住、エネルギーの各連関が絡み合い、あるシステムが生み出した廃棄物を別のシステムが資源に変えてエントロピーを下げる仕組みが備わっていた。その仕組みは身の回りの資源と、それを繰り返し利用するスキルや規範といった、地域内での物質循環における「共」に属するものだった。このモデルをひとまず「私/公/共」と記述します──厳密には「私」と「公」はいずれも底部の「共」というプールに浸っている、と言うべきかもしれませんが。「共」について言えば、資源も「共」ならそれを利用するときの習慣やふるまいも「共」、という具合に二重のレイヤーがある。その上に「公」も「私」も乗っている。「共」がなければそもそも「公」も「私」もないわけです。
それが20世紀になって、効率的に資源を活用する技術開発や、市場システムとの行政システムの連関による「商品化」過程が「公」を強化し、同時に財や所有権の大部分を「私」に預ける。このコモンズの解体過程は「共」が痩せて「私」が太る逆三角形として表現できます。
都市は「共」からの解放の場として捉えられてきたこともあり、この図式の上のところが、法学的解釈モデルの「公」と「私」に一致してしまうわけです。そして「共」が資源として底にあるという認識をもたないまま、「公」と「私」のあいだにどうやって「共」をつくるかということに20世紀後半は躍起になってきた。
この「公/共/私」モデルが疑わしいのは当然で、日本の建築計画論で「共」が一番迫り出してきたのは、1960年代に集合住宅が大量に供給された時期です。まったく背景の異なる人たちがたまたまひとつの場所に集められて一緒に住むことになった。その際、概念として「コミュニティ(community)」が導入され、それを物質化したものとして「コモンスペース(common space)」のような場所がとりあえずつくられていった。ところが現実には、そういう場所は管理も大変で、あれをしてはいけない、これをしてはいけないという禁止事項ばかりの誰も使わない場所になってしまう。
それで1990年代の坂本一成さんなどの世代の建築家が、「公」と「私」のあいだに「共」を挟むのはやめようとなった。例えば《コモンシティ星田》(1992)[fig.9]では、北向きの斜面に108戸の戸建て住宅を建てるのだけど、斜面と日照という資源を考えるときに、1階はコンクリートのボックスでつくって、上に鉄骨のハーフボールトを南側が上がっていくようにつくることによって、資源を最大化するわけです。それがタイプになって、それぞれの敷地で条件が微妙に異なっているので、丁寧に調整していくと少しずつ違うものができると考えた。それは「共」を非常にうまく問題化している。ところが、坂本さんはコミュニティ概念を導入してきた計画学への批判として「公」と「私」のあいだに「共」は不要としたため、もっと面白い「共」の議論を展開し損ねた。
この図式を21世紀はどうするのか。そのときに「livelihood」という視点はすごく重要で、結局、何と一緒に自分の暮らしを組み立てるかが問われているわけですね。生き物が一緒にいるか、庭に野菜があるか、裏山が使えるか、そういうことは素朴だけれどすごく大事なことです。それが村落単位になると、先ほどの行方のような、もっと大きなランドスケープをどうつくるかという話になってくる。この図式を変えていくことが21世紀の重要な建築の仕事だと思っています。

fig.9──《コモンシティ星田》
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民族誌的連関と産業的連関

塚本──いまは大きく2つの問題を抱えていて、これまで閉鎖型のメンバーシップだからこそ成立していた「共」が産業化によってどんどん収奪され凋んでしまったことと、そもそも閉鎖型のメンバーシップ自体が高齢化と人口減少によって持続可能性が低くなっていることが挙げられます。この2つの問題にどうやってアプローチするかというときに、先ほど言った「協治」という考え方が出てきた。
このことをもうひとつの図式で説明します[fig.10]。人間の社会には「民族誌的連関(Ethnographical Network)」と「産業的連関(Industrial Network)」があって、民族誌的連関のなかで生きてきた人たちが20世紀になってどんどん産業的連関へと移し替えられていった。民族誌的連関の社会では、資源への関係は「local/small/direct」で、障壁が低くアクセスも比較的容易です。ところが、産業的連関の社会に移行するにつれて、資源への関係が「global/large/indirect」なものになっていって、壁が高くなっていくわけです。身の回りの資源にすぐにアクセスできない環境をつくって、そのかわり産業社会があいだに入って資源をサービスとして提供する仕組みが形成されていった。あらゆる資源が貨幣によって交換される社会です。この障壁に穴を開けたいと私は思っている。そのときにどうすればいいかというと、われわれは実際には図式の真ん中の部分、民族誌的連関と産業的連関のハイブリッドを生きていることをはっきり認識すべきだと思います。このハイブリッドなところから壁を崩していく道が、建築には残されているのではないか。

fig.10──民族誌的連関と産業社会的連関の対比[作成=塚本由晴+貝島桃代]
(クリックで拡大)

中谷──さっきのコモンズ再構築の図式(fig.8)では「共」の大きさが20世紀になって小さくなっていますが、おそらく塚本さんはそういうことを示したいのではなくて、都市の計画学的な議論においては「私」と「公」の領域のみに議論が集中し、その結果「私」と「公」のあいだにどう「共」を差し込むかという、そもそも不可能な議論を続けてきたということを説明されているわけですね。そのような関心からは、「集合的手段によって労働化された人間」としての「共」以外を扱うことはできません。塚本さんが先ほどおっしゃっていた「『私』と『公』はいずれも底部の『共』というプールに浸っている」という説明はとても腑に落ちるのですが、この図式では、「私」と「共」のあいだに「公」が入っていて、「公」というシステムが介在しないと「共」にアクセスできないような表記になっていることをどう考えればいいのだろうかと、ややリファインが必要に思えました。この図式はそこが更新できれば理解しやすいと思います。
一方、その次の「民族誌的連関」と「産業的連関」を示した概念図(fig.10)は説得的でした。「Ethnographical Network」は第1次産業ネットワークで、「Industrial Network」は第2・3次産業ネットワークですね。われわれはその両方が交叉する部分、つまり1・2次のあたりに移動すればいいんじゃないでしょうか。そこが茨城県の行方だとも言える。そういうことでしょ?

塚本──実際われわれはつねにその交叉部分にいると思います。でも産業的連関が民族誌的連関を歴史的に乗り越えたという進歩史観にとどまるかぎり、われわれは自分たちの自画像をうまく描けない。行方よりも1次産業ネットワークに近づきますが、東日本大震災で被災した漁村の復興の手伝いをしたときに感じたのは、彼らの暮らしぶり(livelihood)は都会のそれとはあまりに異なっていて、民族誌的と呼んでもよいものでした。地域によってはまだそういう、自然の資源に直接アクセスし、利用しながらその資源を維持管理していく豊かな暮らしが残っている。
山岸剛さんは現在も東北の被災地に出向いて写真を撮り続けていますね。

山岸剛氏
山岸剛──東北には年に3、4回行って太平洋沿岸部を写真で記録しています[figs.11-14]。いわゆる三陸海岸と福島です。津波は反復してやってくる自然現象ですから、とりわけ三陸は、近代に入ってからも1896(明治29)年、1933(昭和8)年、1960(昭和35)年と津波を経験して、そのたびに復興や集団高所移転を繰り返している地域です。でも今回の、平成の津波からの復興はかなり位相が違うように思います。塚本先生がおっしゃったことに深く同意しますが、いま東北の大地に建ちつつある建築は、完全に「産業的連関」にのみ絡め取られているように見えます。この地方はいわゆるリアス式海岸地形で、海や山と独自の関係を強いられた、民族誌的にも興味の深い暮らしが営まれてきた地域のはずですが、震災から6年経って、これからまたこの地に生きていく人々のためのすまいには、そのような「民族誌的連関」を考える回路がないように見えます。震災後に初めて東北に行ったときは、産業としての建築しか存在しないかのような東京に比べて、津波に洗われてしまった東北の風景は、ある意味、建築が自然との関係において健康で、ほとんど清々しくさえ見えました。それが3年4年と経って復興が進み、東京の郊外の造成地で建っているような住宅がそのまま供給されている現状を目の当たりするにつれ、当初の思いは挫かれていきました。ほかでもないこの土地で暮らしていくしかない人たちに対して、なぜこんな通り一遍のものしかつくれないのか。東北に行けば行くほど、建築のことが厭になる時期もありました。

fig.11──2016年11月16日、宮城県石巻市雄勝町大須[写真=山岸剛]

fig.12──2016年11月17日、宮城県本吉郡南三陸町志津川戸倉[写真=山岸剛]

fig.13──2016年11月17日、宮城県気仙沼市波板[写真=山岸剛]

fig.14──2016年11月18日、岩手県大船渡市赤崎町永浜[写真=山岸剛]

中谷──それでも被災地に行って写真を撮り続けるというのは、そこに何か希望のようなものがあるからではないでしょうか。それとも一縷の希望もない?

山岸──撮影をはじめてから7年目ですから、変わっていく風景に触発されてさまざまな感情がよぎりました。希望をもったり、楽観したり、怒りがこみ上げてきたり、諦めたり。でもいまは喜怒哀楽、是非善悪には及びません。津波はまた必ずやってきますから、次なる津波とそこからの復興、次なる自然と建築を考えるために、淡々と現在を記録するのみです。

塚本──よくわかります。昭和三陸津波(1933)の際の高台移転地にはいい建物が残っているんですよね。気仙大工がつくった住宅があって、そこは今回の震災でも無事だったんですが、本当に残しておきたいと思える住宅であり風景になっている[fig.15]。ところが、いま復興の現場に現われているのは住宅展示場とそっくりの風景です[figs.16, 17]。しかもそれが防潮堤と高台移転で守られ、金輪際変わらない風景になってしまう可能性が高い。復興には、ひとつには家を失った人たちの数の分だけ家をつくるという「数の復興」という側面がありますが、もうひとつ「ネットワークの復興」というべきものがある。今回の復興は数は満たしているけれど、ネットワークに関しては、ナオミ・クラインが言うところの「ショック・ドクトリン」のごとき現象が起こっていて、みんな意識喪失しているあいだに地域で維持されてきた建設の連関が産業社会の連関にすり替えられてしまっている。
岡啓輔さんは《蟻鱒鳶ル》[figs.18, 19]というコンクリート打ち放しのビルをたったひとりで建てている方です。打ち放しといっても安藤忠雄のそれとはまったくの別物で、私はそこに産業社会に穴を開けていくような可能性を感じるのですが。

fig.15──気仙大工が昭和の高台移転地につくった住宅。大船渡市三陸町綾里にて[写真=塚本由晴]

fig.16──田老町の高台移転地[写真=塚本由晴]

fig.17──南三陸の戸倉[写真=塚本由晴]

岡啓輔氏
岡啓輔──僕は住宅メーカーの大工をやったり、ゼネコンで型枠大工や鉄筋屋をやったり、ずっと建築現場で働いていたのですが、まあ、どれも惨めでつまらないものです。それで最終的に重度の化学物質過敏症になって体を壊してしまった。僕はそこから自分なりの筋道を見つけられたけれど、建築現場にはそこからホームレスになるような人が山ほどいる。そういうものを見ているので、僕は建築のなかで大きな分断があるのをずっと感じていました。産業がつくっているこの社会のなかで、現場で働いている人たちのあいだでは惨めに使い捨てられているという意識が共有されている。それが外国人労働者などに対するヘイトを醸成し、それこそトランプ政治を待望している人も少なくないと思います。ただ、政治家がそれを利用して、人間の格差こそ社会のエネルギーを生むという流れになっているのは怖いと感じますが。そういうことを日頃考えていますが、いま自分のやっていることが何につながるかというのは、正直わからないままやっているところはあります。楽しいからやっているのは間違いないですが。


figs.18, 19──《蟻鱒鳶ル》[写真=岡啓輔]

塚本──コンクリートといえば安藤忠雄というか、打ち放しでツルッと仕上げることにみんな何の疑問も挟まなくなっているわけですが、岡さんはそこにコンクリートのオルタナティヴを提示していると思うんですね。《蟻鱒鳶ル》はひとつの建築でありながら、産業プロジェクトでもあると捉えています。

──僕のなかではそうですね。例えば、何が体に悪いかというと、コンパネがすごく悪いんです。ネットによるとコンパネはエジソンが開発したらしいのですが、見た目は普通のベニヤ板のようでいて、濡れたコンクリートが入っても腐らないように、ホルマリンなどの防腐剤がかなり入っているんです。それがすごく体に悪い。だから最近は、いろんな板を適当に合わせてそこに農業用のビニールシートを張って打設すると、かなりいい感じに仕上がるのですが、それによってベニヤ板を使わなくて済むようにできないかと、それこそ特許でも取れないかと「脱エジソン」を目指して取り組んでいます(笑)。

201703

特集 タクティカル・アーバニズム──都市を変えるXSサイズの戦術


『Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change』イントロダクション
路上のパラソルからビッグ・ピクチャーへ──タクティカル・アーバニズムによる都市の新たなビジョンとは?
「合法的」なゲリラ的空間利用──愛知県岡崎市「殿橋テラス」の実践から
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