《馬見原橋》から考える

青木淳(建築家)+浅子佳英(建築家、インテリアデザイナー)
青木淳氏(左)、浅子佳英氏(右)

青木淳──じつは浅子佳英さんとは、ほとんど面識がないのです。では、どうして今回、お相手をお願いしたかというと、3年ほど前、《大宮前体育館》(2014)ができたとき、浅子さんが感想をツイートしていたその内容がおもしろかったからです。当時からこの建物は賛否両論があったのですが、浅子さんは、ある面では褒めていて、しかし納得できない、と1人で賛否両論していました。それが印象的だったので、この人と話をすれば、ぼくがわからないことを教えてもらえるかもしれないと思いました。

浅子佳英──本当にお会いしたことすらなかったので、お話がきたときは大変驚きました。改めてよろしくお願いいたします。初対面ということもあり、じつは昨日まで、この対談に備えて入念なプランを準備していたんですね。「こういう質問をしたら青木さんはこう返してくるだろうから、それに対してぼくはこう返して......」みたいな。しかし考えていくうちに、そもそも入念な計画や落としどころをあらかじめ決めておくことを否定してきたのが青木淳という建築家ではなかったかと思い至り、そのプランはボツにしました。
今日は3つの質問をしたいと思います。話が脱線するのが好きなのと、記憶力がよいほうではないので、はじめにすべて挙げてしまいます。すぐでなくてもよいので、おいおい答えていただければと思います。

「原っぱ」と東京ディズニーシー

浅子──今日のために過去の青木さんのテキストを読みなおしたのですが、そのなかで「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」や「原っぱと遊園地」という有名な青木さんの言葉とは別に、青木さんがやろうとしていることに関する2つのキーワードがあるのではないかと思い至りました。
ひとつめが、「純粋な器は存在しない」というものです。どのような容れ物でも、何かしらのコンテンツ的な要素を含んでしまう、ものをつくる以上、このことからは逃れられない、ということを一貫して言われている。しかし、これだけだとつくる動機にはならないので、2つめのほうがより重要だと思います。こちらは表立って言語化されている訳ではないのですが、複数の文章で述べられていることを重ね合わせると、そう考えているとしか思えないキーワードが浮かび上がってきました。
それは「世界を変えたい」ということです。言葉にすると随分と大袈裟に聞こえますが、青木さんの言葉や建築からは、現状の世界に満足していない様子がいつもどこかに透けてみえる。あとで説明しますが、ぼくなりの言葉で言い換えると、青木さんは平行世界のようなものをつくりたいと考えているのではないでしょうか。「純粋な器は存在しない」なかで「世界を変える」ために試行し続けているというのが、今回の作品集や過去のテキストを読んでの感想です。
次に質問ですが、「原っぱと遊園地」というキーワードは、過去の2冊の著書のタイトルにもなっていて、「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」以降の青木さんのイメージを形成しています。しかしぼくにはこの「原っぱと遊園地」は、いささか物事を単純化しすぎているように見える。
たとえば、やたらとディズニーランドを悪者扱いしますよね。青木さんはディズニーランドに行かれたことはありますか?

青木──あるよ(笑)。

浅子──ディズニーシーはどうですか。

青木──行ったこと、ないです。

浅子──まず、そこが甘いです(笑)。
ディズニーランドの構成は、シンデレラ城を中心にして、その周囲に同心円状にボックスのパヴィリオンを並べているだけなので、これがつまらないのはよくわかります。
しかしディズニーシーのほうは、パヴィリオン同士の関係こそを重視しています。床のレベルを上げ下げしてみたり、大きなものの奥に小さなものを配置して距離感を撹乱させてみたりとパヴィリオンのなかに入らなくても楽しめるようになっている。さらに、最近のディズニーリゾートの来場者のなかには、ミッキーマウスが目的の人ばかりではなく、自分で勝手に楽しんでいる人たちがいます。たとえばレストランの近くにあるステージでは、ディズニーやミッキーとはほぼ無関係にダンスやお祭りをしている人たちがいる。ディズニーランドがそうした人たちを受け入れていることで、来場者自身がコンテンツになっているような状態です。
そのような光景を目の当たりにすると、ディズニーランドやディズニーシーのような完全につくりこまれた世界でさえも、人は「原っぱ」にいるかのようにふるまうことができるのではないかと思えてくる。

青木──ディズニーシーはもはや「原っぱと遊園地」という区分を超えてしまっているということですか。

浅子──そう感じました。そもそもなぜ「原っぱと遊園地」のなかでディズニーランドが批判されていたのかと言えば、そこで起こることがあらかじめ決められていて、物事がそれ以上発展しないからですよね。特に《青森県立美術館》(2005)に顕著ですが、展示するだけではなく、つくる場所でもある美術館を設計するうえで、物事が先に決められていることは創作の足枷になり、拘束的でよくない。自由であったほうがよい、と青木さんは主張されている。
その一方で青木さんは《青森県立美術館》をつくるときに、先ほど挙げたキーワードで言えば「純粋な器は存在しない」のだから、何の拘束もないものをつくるというのは詭弁でしかなく、むしろ厳格なルールによる拘束があるなかでこそ、人は自由にふるまうことができるのだとも言っていたはずです。それが、「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」だった。にもかかわらず、ディズニーランドに対してなぜそこまで批判的なのでしょうか。
「原っぱと遊園地」の構図とは、設計者の思惑にまみれたデザインは暑苦しいから、そうではなくて「原っぱ」なのだ、というものでしたよね。しかし「原っぱ」的な場所、つまり何をしてもいい自由な場所で、人が何かをつくろうとするときには、自分で決定しなければならないのだからかなり強い主体性が求められます。ですがもしも強い主体性があるのだとすれば、拘束の有無を問わず、たとえそこにミッキーがいたとしても、自由に何かをつくることは可能ではないのかと思うのです。だから「原っぱと遊園地」という対比は、語義矛盾というか、結局はぐるっと回って同じことになるのではないか。これがひとつめの質問です。

変えること、見極めること

青木淳氏
青木──ぼくたちの世代は、学生の頃に「零度」という言葉にひっかかったことがある世代です。ぼくが大学で建築を学んだのは1977年から80年にかけてのことでしたが、当時もっとも気になっていた存在は伊東豊雄さんでした。なかでも『新建築』(1977年10月号、新建築社)に載った「文脈を求めて」は印象的で、そのなかで伊東さんは《上和田の家》(1976)について、それは意味空間を解体するものであり、そのためにすべての建築要素を、意味が消去され、単なるグラフィックな記号に還元された形態要素「モルフェーム(形態素)」にまで分解したんだ、というようなことを書かれていました。しかし、ロラン・バルトの『零度のエクリチュール』(1953)を読んで、ことはそれほど単純ではないことに気づきました。この本で、バルトが言おうとしていたのはたぶん、どんな言葉づかいもその言葉づかいをする集団あるいは階級から自由ではない、ということだったのでしょうが、ぼくにはむしろ、純粋でニュートラルなエクリチュールはない、あるいはそうとうに困難、ということを教えてもらったような気がします。以来ぼくは、ニュートラルへの願望と、しかしそれが零度の拘束とはイコールではない、ということの矛盾というか、そういうねじれとつきあっていくことになります。
「原っぱ」というのも、そのねじれを内包していますね。「原っぱ」が自由な空間であるためには、しかし拘束が必要だと言う。だからそもそも、「原っぱ」と「遊園地」は対立項ではない。浅子さんは、のっけから、そこを突いてこられた(笑)。
ところで「世界を変えたい」のではないか、ということについてなんですが、今思い出したことを、ぼくも忘れないうちに話しておきますね。
たしかに、学生時代に使っていたスケッチブックの表紙の裏に、「この皿なら、ぼくにも世界が食べられる」って、書いていました。誰の詩だったか、あるいは誰の言葉だったか、もう覚えていないのですが、その言葉を時々読んで、「今の案で、世界を変えられているか?」って、自問していました。若いですねえ。どなたか、この言葉の出典を知っている人いましたら、ぜひ教えてください(笑)。
ぼくが学部を卒業した80年は日本の建築界にとって大不況の年でした。もうこの先、日本の建築家の仕事も、ヨーロッパの建築家のように、建築ではなくインテリアの設計になると思いました。それで大学院の時、ぼくは主にインテリアの人たちとつきあっていました。その世界で当時もっともおもしろかったのは日本では倉俣史郎さん、海外ではエットーレ・ソットサスでしたね。当時のソットサスは、もうメンフィスというグループでポストモダン・デザインをやっていた時代に入っていましたが、彼の出発点は《ヴァレンタイン》(1968)というオリベッティ社の赤いタイプライターです。そのデザインで彼は一躍有名になったのですが、「デザイナーの仕事は来るべき世界を構成する『もの』を創造することだ」と、あるインタビューで答えていました。
プラスチックを使うと、エッジが直角にならずアールがついてしまったりするので、その成形を念頭においてつくることになります。色もヴィヴィッドなものができますし、そこから過去にはありえなかったプロダクトが生まれてきます。しかし、彼はそれだけでなく、プラスチックは、社会や世界そのもののあり方を変えてしまうはずだというのですね。だから、一歩先回りして、その来るべき社会のためにデザインしているんだ、と。
これは「世界を変えたい」という欲求のなかでも、社会転覆とか革命のように直接的な「世界を変える」ではありませんが、望んでいる未来の世界を想像して、すでにその世界に変わってしまったこととし、その世界に貢献するものをつくる、という間接的な「世界を変える」であって、それがデザインの意義だと言うのです。そうだったのか、と思いました。
今では、しかしそう簡単に世界は変えられないよなぁと思います。でも同時に、やはり変わったらよいなとも思う。今の時代を変えたいということと、この時代を見極めたいということの両方があって、それが混じりあっているんだろうと思います。

浅子──今しかつくれないものをつくることと、ありうべき未来のためにつくることの2つを重ねているということですね。

[fig.1]《ルイ・ヴィトン 松屋銀座》(2013)
青木──いつもその2つを重ねなくてはいけないと思っているわけではありません。
たとえばルイ・ヴィトンのお店をデザインする時は、ぼくたちが今生きている現代の世界がどのような世界なのかと見極めたいと思っています。
初めてブランドのデザインをすることになった《ルイ・ヴィトン 名古屋栄店》(1999)では、ガラスを使いつつ、それがガラスに見えないようにつくろうとしました。どの素材を使うのがよいだろうかと考えたのですが、しかし、どの素材を選んだとしてもすぐに飽きられてしまいます。消費のスピードがどんどん速まっているから、「これ」って言った途端に古臭くなる。そんな消費の流れに対抗できるのは、いつまでも「これ」って言わないことだろう、と。それで、ガラスを使っているけれどガラスに見えない、物質には違いないけれど物質に見えないものがいいと思って、市松模様のパターンでモアレを現象させることを提案しました。
最近の《ルイ・ヴィトン 松屋銀座》(2013)も、アルミでできている外壁ですが、特殊な塗装を使って、素材がなんだかわからなくしています[fig.1]。現代の流れの速さに飲み込まれるでもなく、抵抗するでもなく、そのどちらにも墜落しない立ち位置を試している、と言ったらいいか。

201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


《大宮前体育館》から考える
《馬見原橋》から考える
建築が町にできること
市民社会の建築家・青木淳
論理場としての建築の開放性について
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