《馬見原橋》から考える

青木淳(建築家)+浅子佳英(建築家、インテリアデザイナー)

「くくり」ってなんだろう

浅子佳英氏
浅子──次に「くくり」について伺いたいと思います。先ほども述べたように、これまでも「原っぱと遊園地」や「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」など、その後の建築家に影響を与えることになるさまざまなキーワードを発明してきた青木さんですが、『JUN AOKI COMPLETE WORKS|3| 2005-2014』では「くくり」という言葉が本全体のキーワードになっています。この本のなかで具体的に言及されているのは第3章に相当する「2008年から2011年」と題するテキストです。それから第4章の「2011年から2014年」の最後のほうでも出てきますね。しかしこの「くくり」が、ぼくにはよくわからなかった。
そもそもこの本は、作品集なのか読み物なのかが曖昧です。作品集としては、やや不親切で、図面は抽象的な絵のようだし、建築写真はモノクロ、説明的な写真や図版は意図的に排除されているように見える。一方で読み物として、ここに載っているテキストに目を通してみると、「くくり」という言葉がキーワードになっていることはわかるものの、ではその正体がなんなのかということは、具体的に明示されないまま本は終わってしまう。とはいえ、この判然としない感じそのものが、2011年から2014年までの状況によって課せられたぼくたちのある種の引き裂かれた感覚をすくいとっているのも確かです。単なる美しい作品集でも、「震災以降はこんなことを考えている」的な宣言文でもないところに、ものをつくる人としての誠実さを感じました。
そんな書籍のなかに出てくるキーワードが「くくり」です。この本のなかで青木さんは、建築がどのような使われ方をするのか、誰が使うのかといった、設計者が触れられない部分にも言及されています。そうした設計以外の部分や、建てられた後の建築の未来に関して、設計者が何をできるのかというと、「くくり」のようなものを考えることしかできなのではないか、というのがおおむねの論旨だと思います。
ただ、そこで疑問に思ったのが、これはあまりに時代にフィットし過ぎなのではないかということです。というのも、インターネットが普及し、この20年ぐらいであらゆる複製コストはほぼ無料になってきました。映像・テキスト・音楽などのコンテンツはすべて無料化に向かっている。たとえつくり手側がコピーさせないようにしたとしても、それはむなしい抵抗にすぎず、無料のコンテンツをつくる人たちが次々に出てくるような状況です。
インターネットによる創作環境の変化は、当初はユートピア的な、明るい希望としてに語られていたと思うんですね。ところが実際に、世界中のあらゆる人が発信者にも受け手にもなり、しかもリアルタイムで繋がることで現実に起こったのは、あらゆるコンテンツが無料化し、コンテンツ自体の価値が下がっているように見えるということです。少なくともつくり手のなかにはそう感じている人も多いと思います。
そのような状況のなか、4、5年ほど前に「キュレーション」という言葉が注目されました。膨大なデータの海のなかで、どのコンテンツに価値があるのかを、探しあてるにはあまりにもコストがかかる。だから、キュレーションを通じて価値づけを行なうことが重要なのだという議論です。ただ、ぼくはキュレーションが重要になるということが、コンテンツが無用であるということと表裏になっていると思う。
このことを、先述の「純粋な器は存在しない」というキーワードと関連づけて考えてみると、その言葉から副次的に「建築は器ではなくコンテンツ的な側面も持っている」というメッセージが導きだせると思うんですね。ぼくが青木さんの「くくり」という言葉で引っかかるのは、「くくり」が重要であるということと、この「純粋な器は存在しない」という言葉の間にズレがある気がするからです。もしも「くくり」がキュレーションと同じことなのだとすれば、「くくり」を重要視することは、コンテンツ的な側面を持つ建築が無用であるということに繋がってしまうからです。

青木──たしかに際どいところですね。そこはぼく自身、揺れ動いているところです。
ただ、にもかかわらず、ぼくたちが物理的にコントロールできるのは敷地のなかだけで、建築を考えるとき、この限定って、大きいのではないかと思います。つまりぼくたちは、「くくり」という、本来は無限定に広がり輪郭を持たない空間を相手にしつつも、実際には、輪郭のある限定された空間のなかで成し遂げられることだけしかできない。キュレーションにはこの限定はありません。
『JUN AOKI COMPLETE WORKS|3| 2005-2014』の、最後の「2011年から2014年」というテキストの、これまた最後で、唐突に杉戸洋さんの文章を引用しました。これは開催に至らなかった青森県立美術館での杉戸洋さんとの展覧会「はっぱとはらっぱ」展のために、杉戸さんが美術館特設ホームページに書いていたものなのですが、杉戸さんが昔使っていたアトリエには水場がなかったらしいのですね。だから絵を描くためには、まず外に出て、かなり遠くまで水を汲みにいかなくてはいけなかった。それが水場のあるアトリエを持てるようになって、その前置きが不要になって、かえって調子が狂ってしまった、という話です。
ぼくはこれを、水を正しく汲むことができたらすでに絵は描けたも同然、と読みました。これは、どこに創造の力点があるかという問題なのですが、絵をしっかりと描けるように訓練された画家にとっては、下塗りがうまくいけば、あとは「自動的」に絵ができあがるらしい。であれば、創造の力点は下塗りにあることになります。で、その下塗りですが、それはキャンバスにたどり着くまでの気持ちをどんな状態に持っていけるかで決まる、と。となると、創造の力点は、キャンバスの外の環境での気持ちの持ちようにあることになる。つまり、画家が絵を描くのは、キャンバスのなかの空間に入り込んで、そこの空気を呼吸するようなものらしいのだけれど、その呼吸の質を決めるのは、キャンバスの外の空間での実際の呼吸の質だということになる。
昔、コンテクスチュアリズムという、周辺の環境的・歴史的・文化的文脈と繋げるデザインを求める試みがあったのですが、その論理は稚拙だったと思います。なぜなら、その論理を徹底的に進めていったら、隣と同じものをつくることになってしまったのですから。ジェームズ・スターリングのライス大学プロジェクトができたとき、そう思いました。物理的に現われていることを分析して、そのままなぞっても仕方ない。

浅子──「くくり」を整理すると、原理的に建築家は敷地のなかでしか設計することができない。と同意に、敷地のなかだけを見ていても設計は進められない。そこで敷地の周りを歩いたり、経験することによってはじめて、これから設計する空白が埋まるんだということでしょうか。

青木──敷地という物理的な境界のなかは、一度空き地になりますよね。その後、建設工事をやって新しい建物がつくられる。その状況をぼくは、傷口みたいにぽっかりあいてしまった穴が修復されていく、というイメージでとらえています。設計という行為は、人間がやることだから恣意性が入りますし、またそうでなければおもしろくありません。しかし、その修復はそれがもともと持っている修復能力を使って行なわれるもので、他に由来するものをただ持ってきても、免疫反応が起きて、周りを壊すか、持ってきたものが脱落するだけだと思うのです。

201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


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