多拠点居住──分散して居場所をつくる

pha(シェアハウス「ギークハウス」発起人)

東京と熊野の2カ所で生活する

2012年から、東京にあるシェアハウスと和歌山県の熊野地方にあるシェアハウスを往復しながら生活をする「多拠点居住」みたいなことをやっている。どちらかというと東京にいる時間のほうが多くて、熊野に行くのは1カ月か2カ月に一度、1週間か2週間滞在するというくらいなので、熊野のほうは「ちょくちょく遊びに行く別荘」とか「ときどき帰る実家」みたいな感じだろうか。

東京の家も熊野の家も両方ともシェアハウスにしているのは、「一人(もしくは一家族)で一軒の家だけで住む」というのは生活に広がりがなくてつまらないなー、と思っているからだ。ずっと同じ場所にいると飽きてくるから、居場所は世界のなかにたくさんあったほうが面白い。だけど、お金持ちが別荘地に持つような、いわゆる「別荘」みたいに一人で複数の家を持つのはお金がかかるし、自分の体はひとつしかないから一度に使えるのはどちらかの家だけで、誰も家を使っていない時間が多くなるからもったいない。そこで「一人で一軒」でもなく「一人で複数軒」でもなく「複数人で複数軒の家を使う」というのをやってみているわけだ。

一人で複数の家を維持しようとするとお金がかかるけど、両方ともシェアハウスだと家賃も安く抑えられる。今僕が払っている家賃は東京の家が月2万5千円、熊野の家が月5千円なので、合計しても月3万円だ。月3万円の家賃で狭い部屋で一人暮らしをすることと比べると、複数人で家をシェアしたほうが空間を広々と使えてよい。まあ、その分シェアハウスだと「完全に一人になりにくい」とか「他人に合わせないといけないところもある」などの不自由はある。でも「会話できる相手が家にいると寂しくない」などの良いところもあるし、プラスマイナスではプラスのほうが多いと感じている。

熊野の家の家賃はかなり安いけれど、山奥の空き家だとわりとどこでもそんなもので、月数千円で家を借りられたり数十万円で家を買えたりする。ただしそれは都会のように誰でもお金を出せば借りたり買ったりできるわけではなくて、地元の人と仲良くなって信頼を得ないといけない。不動産業者がそもそもいないから家の持ち主を探して直接交渉しないといけないし、家主としても貸したり売ったりしてもたいしてお金になるわけでもないから、よくわからない人に家を貸したり売ったりして変なことになるリスクを取るのを避けたいからだ。

そんな感じで誰にも貸されないまま空いている家は日本中の田舎にはいっぱいあるんだけど、僕らの場合は熊野に移住している友人の伝手で貸してもらうことができた。そもそもその家が空き家のまま放置されていた原因というのが、2011年に紀伊半島を襲った大水害で浸水してボロボロになっていて住める状態ではなかったからだったんだけど、僕らは自分たちでそれを片付けて改修するところから始めた。

熊野のシェアハウス

田舎と都会の両方を使うことでバランスが取れる

人を集め、自分たちで板を剥がして、板を打ち付け、家を作っていく。そういった作業は結構楽しかった。素人仕事だから雑なところも多いんだけど、それもまた味な気がする。大工さんにお金を払って頼んで壁板が隙間だらけだったりしたら文句も言いたくなるけど、自分たちでやったと思うとあまり気にならないし、失敗した箇所も思い出のひとつみたいに思える。そんなふうに自分の手を動かして何かを作るのって、普段あまりやらないけどわりと面白いものだなと思った。

家の改修作業をする際には都会の友人知人をたくさん誘って手伝ってもらった。誘うときは、

「熊野の山の中の家で『床張り』『壁張り』などの家の改修作業を体験してみませんか? 普段触れることのない家の構造や仕組みについても学べます。宿泊費は無料です。作業が終わったあとはみんなで近くの温泉に入って、刺身を食べて薪を燃やしてビールで飲もう!」

みたいな感じで声をかけて、「床張り合宿」を何回か企画したんだけど、そうしたら毎回10人から20人くらいの人がわざわざ東京や大阪などの都会から集まってくれた。なんかそういう、「自分の手を動かして生活に関する何かを作る」みたいな作業に興味がある人って都会にたくさんいるんだなと感じた。

都会の生活だと自分で何かを作ったりすることはあまりなくて、大体何でもお金を出して買うという感じにすぐなってしまうけど、田舎だと野菜を作ったり山菜を採ったり大工仕事をしたりとか、プロじゃなくても個人がちょっと手作りで生活の一部をなんとかする部分が都会よりも多い。たぶんそれは「土地や家に空間の余裕があるのでいろいろできる」「自然に囲まれているので人の作為を入れる余地が多い」「店が少ないので買うよりも自分でやるほうが早かったりする」みたいなところからくるのだろう。

まあそんなふうに田舎は面白いところもあるけれど、田舎の生活がすべていいというわけではない。やっぱり店がなくて不便だとか、人が少ないので人間関係が濃密になりやすいといった面倒なところもたくさんある。都会の生活はお金がかかるしゴミゴミしているけど、やっぱり便利だし楽でもある。

結局、都会も田舎もそれぞれ違う良いところと悪いところがある。だから、都会と田舎をうまく連携させて両方をシームレスに繋ぐことで、両方のいいとこどりができないかな、と思って多拠点居住を試してみている。

友達がこんなことを言っていた。

「都会の毒を田舎は解毒してくれて、田舎の毒を都会は解毒してくれる、そういう相互作用がある」

僕もまさにそう思う。養老孟司さんがよく「田舎に1年のうち3ヵ月住むという参勤交代制度を作るべきだ」と言っているのも同じような理由だろう。都会だけでやっていても閉塞感を感じるし、田舎だけでやっていても閉塞感を感じる。だからその2つをうまく繋いで行き来することで、互いに補いあってより生き方を広げることができないだろうか。

今は道路網が整備されているし、インターネットのおかげで遠くに住んでいる人たちとも普段からゆるいコミュニケーションを続けることが昔より楽になったから、複数の拠点を持ってそこを行ったり来たりするという、流動性の高い生き方がやりやすい時代だと思うのだ。

熊野のシェアハウス改装の様子

居場所が分散する時代

ギークハウス すべて筆者写真提供

都会と田舎の2カ所で多拠点居住を始める前から、僕は東京で7年ほど「ギークハウス」というシェアハウスをやっているんだけど、そもそも都会でのシェアハウスというものも、一軒の家のなかだけで生活を完結させるのではなくて、家を人の集まる場所としてちょっとだけ公共化したり、生活の拠点を何箇所かに分散させたりするということに繋がっているものだと思う。

そもそも一人暮らしというものはあまり効率的じゃない。都会で一人暮らしをすると家賃も高いし部屋も狭い。会社で仕事をしていると家を誰も使っていない時間も多い。シェアハウスだと、自分の寝る部屋は個室で確保しつつ、共用で使える広いリビングがあったりして、一人で家を借りるより安価で広いスペースを使うことができる。

都会だと店がたくさんあるから、必ずしもすべての機能を家のなかで完結させる必要はないということもある。食事はレストランでして、読書はカフェでして、風呂は銭湯で入る、みたいに考えると、極端な話、家にはベッドさえあればいい感じもする。昔の長屋というのはそういう感じだったらしいけど、シェアハウスも少しそれに近いところがある。

今の社会は居場所というものを分散しやすくなった社会だと思う。例えば30年くらい前の社会では人の居場所となるコミュニティというのが家族と会社の2つ以外にあまりなかったけれど、今は家族と会社以外での、ゆるいコミュニティ作り的な運動が注目されることが多くなった。

その理由は、昔に比べて会社というものがそこまで包括的に個人の人生を面倒見てくれるものじゃなくなったのと、家族という仕組みだけでやっていくことに行き詰まりを感じる人も多くなったせいだろう。そこにインターネットというテクノロジーの発達で、個人が気軽にコミュニケーションを取ったりゆるくネットワークを作ることがやりやすくなったというのも後押ししているだろう。

それはパブリックな場所とプライベートな場所がはっきり分けられるのではなくて、少しずつグラデーション化しているということでもあると思う。例えばカフェというのはパブリックな空間だけど、個人の居場所として居間や応接間や仕事場代わりに使ったりとか、ちょっとプライベートな感じで使うこともできる。シェアハウスの居間なんかは、基本的には住人たちが生活するプライベートの場所だけど、住人の友達が出入りしたりとかもするし、ちょっとだけパブリックな感じで開かれてもいる。旅人が数日から数週間宿泊するゲストハウスなんかも、それぞれの宿泊者の生活の場であると同時に、滞在する人がちょくちょく入れ替わるのでちょっとパブリックな交流の場としての機能を持っている。

昔は家のなかは家族だけの完全なプライベートな空間として閉じられていた。だけど家族内の問題として虐待とか家庭内暴力とかがよく取り沙汰されるように、コミュニティというものは閉じすぎているとときどき変な感じになってしまうことがある。だから、「家=プライベート」と「それ以外=パブリック」という二元論でやっていくのではなく、グラデーション的にパブリックとプライベートの濃淡が違ういろんな場所に居場所を分散できるような感じのほうがいいんじゃないかと思うのだ。

個人的には、「ゲストハウスやシェアハウス(ちょっとパブリックな家)」と「カフェ(ちょっとパブリックな居間)」があれば日本のどこでも生活できるなと思う。だから、日本中のいろんな都市や田舎に安くて快適なゲストハウスやシェアハウスやカフェができて、数年ごとに移動しながら生活するみたいなのがしやすい社会になったら面白いなと思う。

切羽詰まったところから新しいものが生まれる

しかし、「都会と田舎の多拠点居住」とか「ゲストハウスやシェアハウスを転々としながら暮らす」みたいな暮らし方は、定着するにはまだ少し時間がかかりそうかな、ということも思う。「固定したコミュニティに属するのではなく複数のゆるいコミュニティを横断しながらやっていく」みたいな考え方って、やっぱりまだまだ新しい世代の一部の人間の考え方で、それほど一般的なものじゃない。特に都会より田舎のほうが世代が古い人が多いので、そうした考え方はなかなか受け入れられにくい。田舎に移住しようとしたら「ここに住むなら骨を埋める覚悟で来てほしい」みたいに言われた話を聞いたりするし。

でも、そんなふうに人を一カ所に固定しようとするやり方にはあまり未来はないと思うのだ。「何十年もどこか一カ所にずっと住み続けるしかない」となったら、田舎より都会を選ぶ人が圧倒的に多いだろう。そうするとどんどん田舎の過疎化は進んでいく。でも都会と田舎の多拠点居住だとか、田舎に移住するとしてもそんなに何十年も住む覚悟がなくてもちょっと住んでみる、みたいな感じが可能になれば、試しに田舎に来てみてもいいかも、という人も増えるはずだ。場を運営する際には、「その場所だけで閉じて一カ所に人を固定しようとする」よりも「多拠点を前提として人の流動性を高く保つ」という方向性で行なったほうが、長期的に見るとその場所に人が集まり続ける可能性が高いと思うのだ。

社会とか人の意識とかは保守的なものでそんなに急激には変化しないから「住むなら骨を埋める覚悟はあるのか」みたいな意識はまだしばらく残り続けるだろう。ただ、意識の変化を早めるかもしれない要因としては、だんだん地方の過疎化が洒落にならなくなってきているというのがある。本当に人がいなくて滅びそうになれば嫌でも変わらざるをえない。だからこれからの日本では、過疎化が進んで本当に切羽詰まったところから面白い動きが出てきたりするのではないかと思う。そんな未来に期待をしている。


pha(ふぁ)
1978年生まれ。大学卒業後、3年間のサラリーマン生活を経て、2007年に退社。シェアハウス「ギークハウスプロジェクト」発起人。著書に東京と熊野での多拠点生活について書いた『フルサトをつくる』(伊藤洋志と共著、東京書籍、2014)、「働かない」生き方についての『ニートの歩き方』(技術評論社、2012)などがある。ブログ=http://pha.hateblo.jp/


201501

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