シェア──その「思想」の構築に向けて

門脇耕三(明治大学専任講師)

勢いづく「シェア」の動き

2000年代中頃から、建築界でも話題になり始めた「シェア」というキーワードは、これからの時代の中核に位置付きうるものとして、いよいよ承認されてきた感がある。「シェア」をキーワードとした建築作品も、続々と建ちあがりつつあり、2014年に発行された『新建築』誌をざっと見渡すだけでも、《不動前ハウス》(常山未央)、《シェアプレイス東神奈川99》(リビタ、リライトデベロップメント)、《KOIL》(成瀬・猪熊建築設計事務所)、《シェアフラット馬場川》(前橋工科大学 石田敏明研究室ほか)、《食堂付きアパート》(仲建築設計スタジオ)など、印象深い作品をいくつも見つけることができる。

一方で「シェア」は、「料理をシェアする」などのように、一般的にも用いられる言葉でありながら、それが指し示す内容が限定しづらく、どのような動きを束ねる言葉であるかが曖昧である。この曖昧さこそが、「シェア」というキーワードが注目を集めている一因なのだろうが、本稿では、その「曖昧さ」を足がかりとして、「シェア」の現在と課題について考えてみることとしたい。

「シェア」が果たすもの

建築界における「シェア」にまつわる動きとして真っ先に思い浮かぶのが、シェアハウスに代表される「住まいのシェア」だろう。しかし「シェアハウス」という言葉にも明確な定義が存在せず、その具体的な姿は一様には描きづらい。建築基準法上においても「シェアハウス」という用途は定義されておらず、これを隠れ蓑として、戸建て住宅や集合住宅の住戸を、法令等を満たさない集団居住の場として用いる「脱法ハウス」問題が、メディアを賑わせたことも記憶に新しい。社会問題になるほど大きくなった「脱法ハウス」問題は、しかし「住まいのシェア」が掲げる目的の、負の側面が表出したものでもある。すなわち、「住まうことの効率化」である。

「カーシェアリング」などに代表的に見出すことができる「シェア」の考え方の背景には、モノの独占的で排他的な利用、すなわち「所有」という形態を放棄することによって、モノの利用コストを縮減できるという単純な経済原理が存在する。シェアハウスも、水廻りのような利用頻度の低い空間を共同利用することによって、住まいにかかるコストを縮減できることや、工作室やライブラリーなどの付加的な空間を、低い利用コストで備え付けられることが、その事業的な成立背景にある。また現状のシェアハウスは、新築されるものよりも、寄宿舎や比較的大きな規模の戸建て住宅を利用して運営されるもののほうが、数としては圧倒的に多数であるが、これは終身雇用制度の崩壊などによる社宅の減少や、家族規模の縮小に伴う大型住宅の空き家化などを背景とした、建物ストックとニーズとのミスマッチを背景とするものである。「シェア」の主要な意義は、空間資源を含むリソースの、効率的な利用を可能とすることに見出せるのである。

なお、ここでいう「リソース」は、建物や製品などの具象物に限られない。例えば、2次創作やクリエイティブ・コモンズ・ライセンスなどに見られる「シェア」は、知的創作物のシェアを通じて、創造のプロセスそれ自体をシェアし、「共創」を実現する枠組みであると理解することができる。こうした広義の社会資源のシェアは、近代的に構築され、しかし時代が変化するただ中で、機能不全を起こしつつある社会の枠組みを変革する原動力として、大いに期待できるのであるが、その可能性については、筆者が企画に携わった「10+1 web site」での特集『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』の巻頭言にてまとめられている(https://www.10plus1.jp/monthly/2014/06/issue-1.php)ので、本稿では割愛することとしたい。

住まいの「シェア」とその一般的イメージ

ところで、建築界を賑わしている「シェアハウス」は、一般にも浸透しきった言葉であり、2010年代に入ってからは、漫画や映画、テレビ番組の題材としても目につくようになっている。全国放送されたテレビ番組に限っても、2012年から放映されたバラエティ『テラスハウス』や、2013年に放映されたドラマ『シェアハウスの恋人』などが、シェアハウスを舞台としたものとして挙げられるし、2004年から連載が開始され、ドラマ化・映画化もされた大ヒット漫画『ホタルノヒカリ』にも、同型の舞台設定を見てとることができる。すなわち、婚姻関係や血縁関係を持たない若い男女が、恋愛や友情などの特別な感情を介さないまま、一軒の住宅や、集合住宅の一住戸に同居するというそれである。これらの作品の主舞台となる住宅に住まう登場人物が、ほぼ例外なく若い男女であることは、恋愛、あるいは恋愛への期待を最大の推進源とする、現在の資本主義経済が与えたスパイスであると考えて差し引いてよいだろう。だとすれば、「家族の関係にない人間同士が、特別な感情を介さないまま同居する住宅」が、一般的なシェアハウスのイメージだと捉えることができる。家族の関係になく、特別な感情によっても結ばれない人間は、従来的な意味では「他人」そのものである。しかし同時に、そこでの日常のなかに、さまざまなドラマが展開されることへの期待も、「一般的にイメージされるシェアハウス」は内在しているのである。

社会関係構築の新しいプラットフォームとしてのシェアハウス

こうした文脈においてイメージされるシェアハウスは、「ソーシャルアパートメント」と呼ばれることもある。「ソーシャル」もまた、2000年代以降を代表するキーワードのひとつであるが、この意味での「ソーシャル」は、従来とは異なるかたちで取り結ばれる社会関係を指すと考えてよいだろう。ただし、ここで重要なのは、「ソーシャル」と表現される新しい社会関係が、多くの場合、新しいプラットフォームの導入によって構築されている点である。新しい社会関係構築のためのプラットフォームは、それ自体の新しさによって、従来的な社会関係を大胆に組み替えてしまう。例えば、現時点での代表的なソーシャル・ネットワーキング・サービスであるFacebookは、そこで提供されるサービスよりも、家族、恋人、友人、同僚などといった従来的な社会関係を、一元的に取り扱うプラットフォームであること自体に新しさがある。そして、新しいプラットフォーム上で組み替えられた人間同士の関係性は、これまでの社会関係においては起こりえなかったコミュニケーションを、副次的に生みだすのである。Facebook上で、上司が家族や友人とやりとりする様子を見て、職場ではまったくうかがい知ることのできなかったその姿に対して、新鮮な感覚を覚えた体験は、誰しもが思い当たることだろう。

「ソーシャルアパートメント」と呼ばれる類いのシェアハウスも、それ自体が、これまでにない社会関係構築のためのプラットフォームであるといってよい。先述したとおり、シェアハウスは、一般的な戸建て住宅や集合住宅の住戸などを利用して運営されることが多く、その建築的な形式自体は必ずしも新しいものではない。しかし、そこに住まう人間は、従来的な社会関係を取り結ぶものではなく、あるいはまったく関係のない他人同士であるがゆえ、シェアハウスは「新しいプラットフォーム」たりえるのである。この場合、そこに期待される「新しい」コミュニケーションは、明確な像を結ぶ必要がない。そこでのコミュニケーションは、ただ単に、「新しさ」という期待だけを背負っているからである。

求められる「シェア」の思想

端的に言って、ここで漠然と期待されている、得体の知れない「新しさ」には、「シェア」の課題と可能性が集約されていると言ってよい。この新しいプラットフォームの副産物としての社会関係に、われわれは「新しい共同体」を幻視しがちである。しかし繰り返しとなるが、それは何ら具体性を伴わないものなのだ。具体性を伴わない共同体幻想が力を持つことは、社会を無批判な全体主義傾向に色付ける危険性を孕んでいる。十分な社会資源を積み重ね、しかし蓄積された社会資源とニーズとのミスマッチが大きくなっている現在、有限なリソースの効率的活用の喫緊性は高まっており、手段としての「シェア」がリアリティを増しつつある。そうした時代に生きるわれわれが、もっとも注意深くあらねばならないのは、「シェア」が孕む共同体幻想なのである。

一方で、「シェア」によって強制的に立ち上げられた人間同士の新しい社会関係は、これまでにないガバナンスのあり方と、それを下支えする仕組みを、社会に対して要求することだろう。このことを原動力として、既存の社会の枠組みを、批判的に設計し直すことは可能か。これが「シェア」に突きつけられている問いにほかならない。むろんそこには、新しい社会に向けた骨太の思想が求められることだろう。半ば必要に駆られて台頭しつつある「シェア」にまつわる動きを、無批判に礼賛せず、その思想を組み立てること。これこそが、現在真っ先に必要とされている作業なのである。




門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生まれ。建築計画、建築構法、建築設計。東京都立大学助手、首都大学東京助教を経て、現在、明治大学専任講師。http://www.kkad.org/


201501

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