レム・コールハース「エレメンツ・オブ・アーキテクチャー」──建築要素の新しい星座

岩元真明(建築家)
レム・コールハースがディレクターを務めた第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展「ファンダメンタルズ」は3部構成であった。すなわち、参加各国が建築の近代化を検証する「近代の吸収:1914−2014」、コールハース率いるシンクタンクAMOとハーヴァード大学GSDが建築の基本要素を再考する「エレメンツ・オブ・アーキテクチャー」、イタリア半島を題材にグローバル世界に迫る「モンディタリア」である。本稿では、ビエンナーレ全体のコンセプトを確認した後に「エレメンツ」展を駆け足で紹介し、エレメント(建築要素)に注目する今日的意義について考察したいと思う。

「ファンダメンタルズ」──建築家なしの建築ビエンナーレ?

「建築家ではなく建築(Architecture, not architects)」という「ファンダメンタルズ」のスローガンは、1964年にMoMAで開催された「建築家なしの建築(Architecture without architects)」展を思い起こさせる。後者は前近代のヴァナキュラー建築を示すことで近代建築に異議を唱えたが、「ファンダメンタルズ」はスタイルやイデオロギーの枠に囚われない近代化の産物(≠近代建築)を振り返ることで、作家のシグニチャーやアイコン性が重視される現代建築にノーを突きつけた。そこには建築展につきものの建築家による自作紹介や彫刻作品、空間インスタレーションはあまり見られない。各国に課せられたテーマ(「近代の吸収:1914−2014」)は、提案ではなくリサーチを要求するものであり、造船所跡地のアルセナーレ会場で開催された「モンディタリア」もケース・スタディで占められた。

かくして、「建築家ではなく建築」というスローガンはおおむね達成されたかのようであった──唯一の例外、ビエンナーレの張本人を除いては。コールハースが直接指揮をとった「エレメンツ」展は彼の歴史観と作家性を色濃く反映しており、深読みすれば、ほかの2つの展示も彼の近代観を正当化するべく用意されたようにも見えた。ピーター・アイゼンマンは「彼はすべての建築スターを殺して、いまや唯一のキュレータースターとなった」★1と述べた。チャールズ・ジェンクスもコールハースとの対談で矛盾を鋭く衝いている──「『確かに建築家なしの建築だけど、ショーの全体をつくった建築家がいる』っていうやつがいたら、君はどう答える?」★2。コールハースの返事は反論にすらなっていない──「そこにはいくらか真実が含まれている。でも、展覧会を観た皆が皆、必ずしもそう感じるわけじゃないと思うんだ......。」

エレメンツ・ウォークスルー

セントラル・パビリオン前の木陰には、ル・コルビュジエの「ドミノシステム」の原寸模型が佇む。このモダニズムの建築要素の結晶は「エレメンツ」展のプレリュードである。建物に入ると、まず「天井」が訪問者を迎え入れる。アールヌーヴォーのドームからぶら下がる均質なシステム天井はベンヤミン的な真正と複製の対比をほのめかし、両者の間で可視化された重厚な設備配管は近代化が進むにつれて深くなる天井裏を示している──非物質化とは正反対の結論だ。次の部屋は展覧会全体の「イントロ」であり、さまざまな映画のシーンをつなぎ合わせて15のエレメントを紹介するフィルムはとても楽しい。「窓」の部屋では歴史的な窓枠が壁一面を埋め、その手前で窓の強度試験機が休みなく働く。名建築の避難経路シミュレーションを展示した細長い「廊下」を通り過ぎると、今度は「床」の部屋に出る。伝統的な床材と均質的なOAフロアの対比はコールハース的テイストだ。そこから階段を上った「バルコニー」は唯一2階の展示で、原寸模型のひとつがあたかも「ジャンクスペース」★3の記述のように「イントロ」部屋の吹き抜けに飛び出る。バルコニーに立つ大物政治家の写真はエレメントの政治性を物語る──「バルコニーがなかったら、世界史はまったく違うものになったかもしれない」★4。次の「暖炉」の部屋では、暖炉(fireplace)が火(fire)と場(place)に分かれ、前者がキッチンや空調に、後者がラジオ、TV、ラップトップに進化したというリサーチが示される。数々の「ファサード」のモックアップではプラダ東京の菱形ガラスがひときわ目をひき、古今東西の「屋根」を集めたガラスケースにはザハの新国立競技場案も含まれていた。「ドア」では、16世紀イタリアの門、12世紀インドの門、12世紀中国の門、そして21世紀のセキュリティゲートをくぐり抜け、象徴性を捨て、代わりにステルス的な機能を獲得したエレメントの近代化を体験する。伝統的なレンガ壁から機械仕掛けのキネティック・ウォールに至るまで、ウエハースのように折り重なった「壁」を横断した後には、さまざまな「階段」の複製に座り「階段学」を提唱した異才フリードリヒ・ミールケのインタビュー映像をしばし眺める──60年間に渡りヨーロッパ中の階段を測量し、階段に関する本を28冊も著したという。バリアフリーの先駆者ティム・ニューゲントと「斜めの建築」のクロード・パランに焦点を当てた「斜路」を横切ると、2世紀のローマの便器とハイテクな日本の便器が並ぶ「トイレ」の部屋である。便器の寸法設計に関する展示が目を引く──あらゆるエレメントは工学されているというメッセージか。「エスカレーター」では、実寸のエスカレーター詳細図が白い壁に大きく描かれ、コールハースのメカニックへの偏愛を示している。 最後の「エレベーター」の展示は、アイントホーフェン工科大との協働による水平移動エレベーターということだが、動いていなかったのでよくわからなかった。ここまで来ると見る方も疲れたのか、展示室は閑散としていた──。

(左から)「天井」「ドア」

「エレメンツ」は建築か否かの問題

「エレメンツ」展への評価は賛否両論であった★5。ここではその代表例として、若き日のコールハースを知るピーター・アイゼンマンとチャールズ・ジェンクスの評を紹介したい。アイゼンマンは「エレメンツ」展を猛烈に批判し、ビエンナーレをコールハースの「キャリアの終わり、ヘゲモニーの終わり、神話の終わり、すべての終わり、建築の終わり」の宣言として捉えた。アイゼンマンは主張する──「建築が言語であるならば、『エレメンツ』なんてどうでもいい。(...中略...)。私に言わせれば、そこに欠けているもの、意図的に欠けているものは文法だ」★6。この発言は「歴史上のトイレを集めて何になる?」といった「エレメンツ」展への批判を代弁している。要するに、構成こそ建築であり、構成理論を欠いた単語の寄せ集めの「エレメンツ」展は建築ではない、あるいは建築の終わりだ、ということである。

しかし、ジェンクスはコールハースに代わってアイゼンマンに反論する──「プロジェクト(レムは「建物」という意味で用いている)はエレメントをコラージュし、ブリコラージュしたもの、あるいは、より滑らかに統合された混合物となり、これが今日の建築のための原理として捉えられる。構成理論、たとえばロバート・ヴェンチューリの『複雑な全体』やアイゼンマンの生成文法に代わって、この実用主義的な手法が規範となる」★7。つまり、ジェンクスはさまざまなエレメントが秩序を欠き、断片のまま組み合わされる状況を評価したのである。さらに彼は「エレメンツ」展がレイナー・バンハム的な技術決定論を含み、「非物質化」(近代において建築が軽く、薄くなる流れ)の最前線を示すものであると指摘した★8。たしかに「エレメンツ」展では、最新の情報技術を受け入れて建築のエレメントをアップデートするという狙いが明白であり、その帰結はデジタル技術があらゆるシンボリズムを駆逐する世界である。ただし、コールハース自身は、単に軽さ重さという問題ではないと述べ、非物質化の先端に位置づけられることを拒んだ★9。近代化が進むにつれて多くの設備を詰め込み、分厚くなっていく天井がそのひとつの証左である。

少し穿った見方をすれば、非物質化に抗い、より重厚になっていく設備のレイヤーこそが失われた「構成」の代わりとなる、と捉えることもできる。今や、あらゆるエレメントは──オフィスや商業施設に限らず、住宅においても──このレイヤーによって統合され、建物単体を超えて都市へ、世界へと接続され始めているのだから。しかし、多くの建築家は設備と情報のレイヤーをエンジニアの領域と捉え、その残余の空間に拘泥してきた。この意味では、コールハースの「エレメンツ」はル・コルビュジエが宣言したような建築家 vs. 技師の対立の21世紀版であり、アイゼンマンはまさに建築家の代表者として姿を現わしたと言えるだろう。

(左から)「イントロ」「窓」

建築の新しい星座

ジェンクスとの対談のなかで、コールハースは『錯乱のニューヨーク』で採用したダリの偏執症的批判方法を「エレメンツ」で再び用いたと告白している★10。偏執症的批判方法とは、簡明に言えば事物が秘める物語を都合よく解釈し、歴史を捏造する手法である──「あらゆる事実、出来事、強制、観察は、病んだ精神によって単一の思考体系の中にからめ取られ、しかもそれらが完全に自らの仮説を確認し強化する形で『理解される』」★11

それでは、「エレメンツ」はコールハースのひとり語り、『錯乱のニューヨーク』にはじまる彼のキャリアの集大成にすぎないのだろうか。展示を否定的に捉えれば答えはイエスであり、これが「エレメンツ」、ひいては「ファンダメンタルズ」全体に向けられた反感の原因であろう。しかし、あえてポジティブに捉えれば、偏執症的批判的な展示自体に、それがほのめかす結末──アイゼンマン言うところの建築の終わり──を乗り越える可能性が秘められている。少し長くなるが「エレメンツ」のパンフレットの一部を引用したい★12

両親のバルコニーがなかったら私はここにいなかっただろう。彼らは真新しい社会民主主義的アパートの5階に住んでいた。終戦前の最後の数カ月、寒いがよく晴れた冬、燃やせる物はすべて焼き尽くされた頃に私は生まれ、裸で太陽に曝された。可能な限り熱を捉えようとするミニソーラーパネルのように。初めて見たエスカレーターを覚えている──ステンドグラスを背に大時計がそびえる、光に満ちた巨大アトリウムの片側を、5本の斜線が上昇していく。それはおそらく、大都市をはじめて感じた瞬間だった......。(...中略...)。私の幼年時代は斜路によって終わった。私はそこから世界の反対側へと向かう船に乗り込んだ......。

膨大な予算と人材を投入した展覧会のステートメントとして、コールハースは自身の少年時代を回想したのである。これが一部の神経を逆撫でしたことは想像に難くないが、私には妙に腑に落ちるところがあった。ベンヤミンの『ベルリンの幼年時代』が思い起こされた──少年時代の回顧を通して近代の忘れ去られた形象に光を当て、事物の星座=状況付置(コンステラシオン)を描き出した著作である。「エレメンツ」の隠れたテーマは、ベンヤミンが試みたように、忘れ去られた事物を救済し、夢のなかでまどろむ近代の可能性を覚醒させることで、建築の新しい星座を描くことだったのではないか。それは構成に代わる自律的なエレメントの結びつきである。ベンヤミンのテクスト同様、明白な結論を示さない「エレメンツ」は開かれたテクストであり、その膨大なアーカイブからは無数の新しい星座を描くことができる。コールハース史観が偏執症的であるならば、別の偏執症で別の物語を描くこともまた自由である。ベンヤミンが19世紀のパリを、コールハースが20世紀のニューヨークを解釈したように、21世紀のエレメントは新しい物語を待っているのかもしれない。

(左から)「ファサード」「床」
すべて筆者撮影



★1──"Rem Koolhaas is stating 'the end' of his career, says Peter Eisenman." 拙訳。 http://www.dezeen.com/2014/06/09/rem-koolhaas-at-the-end-of-career-says-peter-eisenman/
★2──"Koolhaas Uncut," Architectural Review, vol.1409, 2014, p.84. 拙訳。なお、この対談はウェブ版にも掲載されている。http://www.architectural-review.com/comment-and-opinion/interviews/the-flying-dutchman-charles-jencks-interviews-rem-koolhaas-on-his-biennale/8664063.article
★3──「ジャンクスペース(Junkspace)」はコールハースの代表的テクストのひとつであり、『a+u』(2000年5月号臨時増刊:レム・コールハース)に和訳が掲載されている。
★4──ガーディアン紙におけるコールハースのコメント(2014)、拙訳。http://www.theguardian.com/artanddesign/architecture-design-blog/2014/mar/12/rem-koolhaas-venice-biennale-architecture
★5──『Domus』は、ソーシャルメディアにおける「ファンダメンタルズ」への反応をまとめている。http://www.domusweb.it/en/architecture/2014/11/25/venice_biennial_socialmedia.html
また、『Dezeen』は独自にさまざまな批評家・建築家の意見をまとめている。http://www.dezeen.com/2014/06/05/critics-give-verdicts-on-rems-biennale-without-any-architecture-in-sight/
★6──"Rem Koolhaas is stating 'the end' of his career, says Peter Eisenman." 拙訳。
★7──★1に同じ。
★8──技術決定論についてはバンハム『第一機械時代の理論とデザイン』(石原達二ほか訳、鹿島出版会、1976)、非物質化についてはユリウス・ポーゼナー『近代建築への招待』(青土社、1992)などを参照のこと。
★9──★2に同じ。
★10──★2に同じ。
★11──レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、筑摩書房、1995)394頁。
★12──「エレメンツ」展パンフレットより抜粋。拙訳。




岩元真明(いわもと・まさあき)
1982年生まれ。建築家。2006年シュトゥットガルト大学ILEK研究員。2008年東京大学大学院修了後、難波和彦+界工作舎勤務。2011年よりベトナム、Vo Trong Nghia社パートナー。


201501

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