建築にとってフィールドワークとは何か

饗庭伸(首都大学東京都市環境学部准教授/都市計画・まちづくり)

フィールドワークの基本

フィールドワークとは社会科学において、フィールド=現場から観察や実測によってデータを集める手法である。建築学だけではなく、社会学や人類学などでも使われる。観察や実測は自然科学の基本でもあるが、物質の動きや働きを対象とする自然科学に対して、社会科学の対象は人間の行動によるもの、人々がつくり出した空間と環境やそこでの人々の行動、その背後にある制度である。建築学のフィールドワークでは、民家の平面、街並みの立面、住宅の住まい方、建築内部の人の行動、都市空間に佇む人の風俗......といったさまざまなものが対象である。
建築学は建築や都市をつくる学であるから、そこから建築や都市の設計の方法を帰納的に導き出すことがフィールドワークの目的である。フィールドは人々がつくり出してしまった自生的な建築や都市空間で溢れており、そこから設計に活かせる知恵を引っ張り出すということだ。しかし、それだけでは建築学は成り立たないことに注意する必要がある。例えば、ある地域のフィールドワークを通じて、「どの住宅も土壁を持つ」ということを発見し、「この地域の建築は土壁でつくるべきだ」と設計の方法を導き出すのが帰納的なアプローチである。一方で「土壁よりもコンクリートのほうが性能的に優れている」という科学的な根拠に基づいて「この地域の建物はコンクリートでつくるべきだ」と設計の方法を導き出すのが演繹的なアプローチである。建築学はこの二つのアプローチの間を往復して発達してきたわけであり、フィールドワークはそのうちの帰納的なアプローチの方法であることは意識しなくてはならない。
建築学にはいくつかのフィールドワークのルーツがある。今和次郎(1888〜1973)は、1910年代に日本の民家のフィールドワークを行ない、その後に対象を都市風俗に拡大した「考古学」ならぬ「考現学」という方法を提唱した。伊藤ていじ(1922〜2010)は、1950年代にやはり日本の民家のフィールドワークを行ない、1965年にはアメリカのオレゴン大学で取り組まれていた「デザイン・サーヴェイ」という方法を日本に持ち込み、金沢でそれを実践した。1960年代のデザイン・サーヴェイの中心にいた法政大学宮脇檀ゼミナールと明治大学神代雄一郎研究室の作業は『復刻 デザイン・サーヴェイ』として2012年に復刻されている。
こうした手法は現在まで脈々と取り組みが進み、体系だった入門書としても『フィールドワークの実践』(和田浩一他、2011)、『まちの見方・調べ方』(西村幸夫他、2011)、『図説 都市デザインの進め方』(佐藤滋他、2006)、『都市/建築フィールドワーク・メソッド』(田島則行・久野紀光・納村信之、2001)、『実測術』(陣内秀信・中山繁信、2001)が刊行されている。

今和次郎『日本の民家』(岩波書店、1989)/明治大学神代研究室、法政大学宮脇ゼミナール『復刻 デザイン・サーヴェイ』(彰国社、2012)/和田浩一他『フィールドワークの実践』(朝倉書店、2011)/西村幸夫他『まちの見方・調べ方』(朝倉書店、2011)/佐藤滋他『図説 都市デザインの進め方』(丸善、2006)/田島則行・久野紀光・納村信之『都市/建築フィールドワーク・メソッド』(LIXIL出版、2001)/陣内秀信・中山繁信『実測術』(学芸出版社、2001)


「上野公園労働者露台利用休息状態しらべ」(引用出典=今和次郎、吉田謙吉『モデルノロヂオ 考現学』)/「浅草橋建物諸類型」(吉阪隆正研究室、引用出典=『都市住宅』1975年8月)

フィールドワークの発展

フィールドワークは現場に落ちているデータを拾い集める。住宅の平面、屋根の形、広場の形、歩行者の服装......など、視点を決めたら徹底的に拾い集めるのがフィールドワークである。データを集めきったら、その次はデータの分析に向かう。集まったデータの数を数える「統計」と、データの違いを探る「類型化」の作業である。昆虫採集にたとえると、その数を数えるのが統計であり、蝶の仲間、甲虫の仲間、バッタの仲間......と分ける作業が類型化である。統計と類型化はフィールドワークで見つけたものの全体像を理解し、そこから典型的であるとか、希少であるとか、美しさといった価値の基準を見出す手段である。統計の作業の成果はグラフとして、類型化の作業の成果は図鑑として表現される。建築や都市の図鑑はいくつかあるが、基本的なものとして日本建築学会が刊行している『建築設計資料集成』を紹介しておこう。初代の図鑑は3冊ものとして1942年に刊行されたが、2度の大改訂が行なわれ、最新のものは2001年に刊行されている。フィールドワークと統計と類型化を繰り返してつくり上げられた、14冊におよぶ建築と都市の大図鑑である。
統計と類型化の先には、構造化の作業がある。博物学の隆盛のあとにダーウィンが進化論を展開したように、建築や都市の空間の類型のうしろにある意味や構造をさぐる作業である。建築学は建築や都市をつくるための学であるから、構造化は建築や都市の設計の方法を意識して行なわれる。構造化の試みのひとつの到達点として、クリストファー・アレグザンダー(1936〜)の『パタン・ランゲージ』(1977)を知っておくとよい。類型化された都市や建築の空間を、文法と語彙からなる言語のように体系化したものである。

『建築設計資料集成 居住』(日本建築学会、2011)/クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ』(鹿島出版会、1984)

フィールドワークの現在

フィールドワークが「クール」だったのは1960年代から70年代にかけてのことである。戦後の日本の経済成長期に使われた近代的な建築計画や都市計画に対する批判、あるいはそれを乗り越えるための手法として、自生的な建築や都市空間のフィールドワークが取り組まれた。当時刊行された『SD』『都市住宅』『建築文化』といった雑誌に、目も眩むようなフィールドワークの成果が紹介されているので、バックナンバーを繰って当時の熱気を味わってみるのもよいだろう。
この時代のあとも、熱気こそ失われたものの、フィールドワークは各地で途切れることなく続けられ、多くの成果が蓄積されてきた。記録メディアの長寿命化と複製技術、そして検索技術の発達により、私たちは数クリックでこうした蓄積に辿り着くことができるようになっている。では、フィールドワークは終わったのだろうか、今日、フィールドワークに取り組む意義はどこにあるのだろうか?
私は「パタン・ランゲージ」を初めて知ったときに、これを共通言語として身につけておけば、世界中の人たちと建築や都市の仕事ができるのではないかと興奮した。しかし、素晴らしいものは必ずしも広まらないし、言語は話者がいないと成立しない。パタン・ランゲージの話者はいまだに少なく、日本でもアレグザンダーが《盈進学園東野高校》(1985)という建築を残しているが、話者は増えなかった(なお、2014年4月に、奈良県生駒市でパタン・ランゲージを使った景観形成計画が作成された)。共通言語の意義が失われたわけではないが、バベルの塔の寓話よろしく、多くの人たちは相変わらず異なる文法と異なる語彙で都市と建築をつくり続けているし、それぞれの言語は日々少しずつ変化していっている。建築学の世界地図では、いまだにローカルな言語圏が群島のように存在し、世界中の人たちが違う身振りで自生的な建築や都市空間をつくり続けているのである。
そして、フィールドワークの今日的な意義はまさしくそこにある。
アジアやアフリカの最奥に未知の言語がある、という単純な話ではない。共通言語が世界に行きわたる速さよりも、言語が増えたり、変化したりする速さのほうが遥かに速い、ということである。読み取るべき自生的な建築や都市空間は常に増殖しており、そこから引っぱり出される知恵も増え続けている。60年間で3冊から14冊に増えた『建築設計資料集成』は、次は何冊に増えるのだろうか?
このような「膨大な変化」に対する、フィールドワークの意義を確認しよう。フィールドワークの意義は、自生的な建築や都市空間から未知の言語を取り出して、近代的な建築計画や都市計画をこてんぱんにし、あわよくばそれにかわる共通言語をつくり出そう、というものだけではない。建築や都市の設計の方法の大半はコミュニケーションでできており、言語はあなたと他者の間に交わされるコミュニケーションを媒介する。フィールドワークは、あなたと他者の間の、そこにしかない関係を前提とした言語を磨くことにその意義があるのだ。1960年代から70年代のフィールドワークが、近代を乗り越えるという、やや面倒くさい大きな物語を背負っていたのに対して、今日のフィールドワークは、開放的なコミュニケーションのための、より個人化されたフィールドワークなのである。私たちは、世界で増え続ける人々の異なる身振りを、絶えずコピーし、それを蓄積しつつ自身の設計の言葉としていく。フィールドワーカーと設計者が分業しているのではなく、その二つは私たちの両面である。

『SD』創刊号(鹿島研究所出版会、1965.1)/『都市住宅』創刊号(鹿島研究所出版会、1968.5)/『建築文化』創刊号(彰国社、1946.4)

最新のフィールドワーク

フィールドワークの今日的な展開方向を最後に示しておこう。
①成熟期の自生的な空間
社会の成長期には共通した必要性に基づく自生的な空間が発生するが、成熟期に入ると、他人から見たら趣味的であったり無駄であったり過剰であったりする必要性に基づく、より多様な自生的な建築や都市空間が発生する。それは膨大である。建築や都市の分野の仕事ではないが、都築響一の一連のフィールドワーク、「珍日本紀行」や「賃貸宇宙」や「着倒れ方丈記」......といった仕事は、成熟期に発生する自生的な空間のパンドラの箱を開けてくれる。写真集をそっと開いてSM嬢の殺風景な部屋や、特定のブランドに埋め尽くされた部屋、モアイ像が立ち並んだ景観を見るたびに、私はいつも少し困った気持ちになるが、これは建築や都市であるはずだ。

都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、1996)/都築響一『賃貸宇宙』上下(筑摩書房、2005)/都築響一『着倒れ方丈記』(青幻舎、2008)

②近代萌え
かつてのフィールドワークは、近代的につくられた空間を批判するために、そうではないところに目を向けたが、そこから時代は巡り、近代的につくられた空間を基盤に発生した自生的な空間に目が向けられている。例えば「団地萌え」や「工場萌え」といった視線である。こういった空間は規格化された部品の組み合わせでつくられるが、例えば工業化住宅の初期のものであるセキスイハイムM1が登場してからすでに40年が経つわけで、そこにはさまざまな自生的な空間が発生しているはずである。メーカーの数だけ部品はあり、それが40年にわたってアップデートされ続けてきており、その組み合わせは途方もない数である。そこにもジャングルはあるのである。

大山顕『団地さん』(エンターブレイン、2008)/石井哲、大山顕『工場萌え』(東京書籍、2007)

③暮らしのすべて
個人化されたフィールドワークはどういうイメージだろうか。私はいくつか空き家の再生のプロジェクトに取り組んだことがある。たかだか30年ほど暮らしただけであっても、家の中には大量の生活の痕跡が残っている。そこにあるものをすべて引っ張り出し、その人と家族のそれまでの生活を理解することが何と楽しいことか。こうした作業をするときに、常に念頭にあるのが、国立民族学博物館で2002年に開催された「2002年ソウルスタイル──李さん一家の素顔のくらし」という展示である。ソウルに住む李さん一家の3千数百点におよぶ「くらしの持ち物ぜんぶ」を展示したこの展覧会の記録は『普通の生活 李さん一家の3200点 2002年ソウルスタイルその後(LIXIL BOOKLET)』におさめられている。こういった作業を、これからいくつ見ることができるだろうか。

『普通の生活 李さん一家の3200点 2002年ソウルスタイルその後』(LIXIL出版、2002)

④市場から引く補助線
現象の途方のなさに対して、全体を理解するための補助線を引くのもフィールドワークの役割である。二つの補助線の引き方を見ておこう。ひとつ目は、市場でのコミュニケーションから逆算的に補助線を引くという方法である。普通の不動産屋の規格化された貧しいコミュニケーションをデザインし、通常の市場では取引されないような不動産が取引される市場をつくり出したのが東京R不動産である。そのウェブサイトで、物件が紹介するために使われているシンプルだが練られた14種のアイコン、これが東京R不動産がつくり出した市場でのコミュニケーションを媒介する言語である。普通の人々がウェブを読み飛ばす時間はどれくらいだろうか。じっくり読むときにどれくらいの時間を使うのだろうか。コミュニケーションの相手がそこにかけられる時間から逆算して言語を組み立て、その言葉で語れるようなフィールドワークをする、このことが、フィールドワークの精度をあげ、現象の途方のなさに(東京R不動産の場合は、中古物件のもつさまざまなややこしさに)補助線を引くことにつながるのである。

東京R不動産サイト

⑤定点としての過去のアーカイブ
もうひとつの補助線を引く方法は、過去のまとまったフィールドワークの成果を社会の変化を見るための定点とする方法である。『10+1』でも連載されていた瀝青会による「再訪『日本の民家』」は、今和次郎の同名書(1922)で取り上げられた民家を再訪する、というプロジェクトである。定説化された過去の確実な視点を使って、現在の補助線を引く試みと言える。過去の視点の正しさに対する批判的な視線は必要であるが、有効な方法であり、同じアプローチを過去の名フィールドワークを対象にとってみてもよいだろう。私もたまたま先日、1930年代〜50年代にかけて昭和三陸大津波(1933)のあとの高所移転を調査した山口弥一郎(1902〜2000)の足跡をたどるように岩手県の沿岸地域を廻る機会を得た。山口の記録を確認しながら現地をあたり、そこでその後80年近く蓄積されてきた自生的な空間を確認するという作業である。わずか3日間の経験であったが、自分のなかに、すっきりとした補助線を引くことができた。その線は東日本大震災の現在とこれからにもつながっているのである。

瀝青会『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社、2012)

あいば・しん
1971年生(兵庫)早稲田大学卒業。共著に『住民主体の都市計画』『Insurgent Public Space』ほか。 Twitter @shinaiba
WEB http://www.comp.tmu.ac.jp/shinaiba/frame2.htm


201404

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