木造仮設住宅から復興住宅へ──はりゅうウッドスタジオほか『木造仮設住宅群──3.11からはじまったある建築の記録』

難波和彦(難波和彦+界工作舎代表/東京大学名誉教授)
◉『木造仮設住宅群──
3.11からはじまったある建築の記録』
(制作・はりゅうウッドスタジオ/写真・藤塚光政/
制作協力・日本大学工学部建築学科浦部研究室、
ポット出版、2011)
2011年3月11日に東日本一帯を襲った東日本大震災は、巨大な津波によって東日本の太平洋沿岸の街や集落を根こそぎにした。このような甚大な被害に対して、国土交通省は、被災者の一時的な居住のために、当初は約3万戸という試算を、最終的には約7万戸の仮設住宅が必要になると拡大した。被災した岩手、宮城、福島の東北3県は、プレファブ建築協会との間で締結している防災協定にもとづいて、震災後、直ちに仮設住宅の建設を発注した。しかし、プレファブ建築協会だけでは、国が試算した必要戸数のすべてを短期間に供給することが難しいことが明らかとなったため、東北3県では、不足すると予測される仮設住宅(各県約5,000戸)を、地元の建設業者による木造仮設住宅によって補うことを決定したのである。

仮設住宅は公共事業の一環として発注されるが、通常の公共の建築工事のように、設計と施工とが別々に分けられて発注されるのではなく、日本プレファブ協会に一括して発注されることになっている。つまり、災害時の仮設住宅においては、設計者は介在しない訳である。その理由は3つある。第1は、仮設住宅においては、緊急性が最優先されるため、通常の公共工事のような手続を取っていたのでは、建設が間に合わないからである。第2は、第1の理由とも関連するが、仮設住宅は国交省が定めた基準にもとづいて、仕様(平面計画や性能)と工事費が標準化されているため、新たに設計する必要がない体制になっているからである。第3は、仮設住宅が一品生産的な「建築」ではなく、大量生産的な「物品=プロダクト」と規定されているからである。しかしながら、仮設住宅とはいっても、そこは人が住む場所である。通常、仮設住宅での居住は2年間と定められてはいるが、1995年の阪神大震災の場合のように、長い場合は5年間以上住んだという記録も残っている。さらに、仮設住宅は公共的な敷地に集団で建設されるため、そこに住む人びとの人間関係も重要な問題になる。にもかかわらず、これまでは震災時の「緊急性」という条件だけが最優先され、仮設住宅の居住性や性能、あるいは配置計画については、ほとんど検証も見直しもされてこなかった。東日本大震災は、被害があまりにも甚大であったため、このような問題点を、すべて炙り出す結果となった。

以上のような経緯で木造仮設住宅が計画されることになったが、実現されるまでの経緯は一筋縄ではなかった。そもそも、木造の仮設住宅には前例がなく、行政はもちろん、地域の建設業者にも、まったく知識も経験がなかった。したがって、木造仮設住宅の開発は、ゼロから始めなければならなかったからである。そのために、まず、各県の担当部署から地域の建設業者に対して、木造仮設住宅の提案が募集された。実施を前提とした一種の競技設計である。平面計画、仕様、建設費は既存の仮設住宅を基準としながら、若干の変更が認められた。さらにこれに加えて、県が選定した敷地における仮設住宅の配置計画案の提出も求められた。これだけの課題を短期間でまとめるには、かなりの設計経験と労力が必要となる。その結果、地域の建築家の協力が求められることとなり、間接的にではあるが、建築家が木造仮設住宅の設計に関わることになったのである。
地域の建設業者は、それぞれ得意とする木造構法を持っている。建築家もそれぞれ日常的な設計活動のなかで、独自の木造住宅を実現している。さらに大学や研究所において、実験的な木造構法を研究している建築研究者もいる。このため多種多様な木造構法による仮設住宅が提案された。採用され、実際に建設された木造仮設住宅に共通して明らかな点がひとつある。それは性能、居住性、デザインなどの点において、木造仮設住宅の方が、既存の標準化された鉄骨仮設住宅よりも明らかに優れていることである。性能の点では、東北地方においては冬期の断熱性がとくに重要な条件になるが、これまでの既製の仮設住宅においては、1995年の阪神大震災で問題点を指摘された性能不足が、ほとんど改良されていなかった。したがって、東北の気候に合わせて新たに開発された木造仮設住宅の方が、明らかに性能が優れていた。さらに、木質系の仕上げを中心とする木造仮設住宅の方が、居住性やデザインにおいても、心理的に受け入れられ易い。これは既製の仮設住宅が、あくまで緊急性の最優先をエクスキューズにして、性能や居住性の改良を二の次にしてきた結果である。最初にも指摘したように、仮設住宅といえども、それは居住のための空間であり、単なる「物品=プロダクト」ではないのである。この点に注意を喚起したことは、木造仮設住宅のひとつの重要な功績だといってよい。

本書は、福島県内に建設された「木造仮設住宅群」の建設プロセスと居住の記録である。実現した多様な木造仮設のうち、とくにログハウスに焦点を当てて紹介している。福島県は原発事故のせいで、宮城県や岩手県とは異なり、単なる避難のための仮設住宅ではなく、今後予想される、かなり長期間の避難生活を想定した「二地域居住計画」も紹介されている。
木造仮設住宅の採用は、仮設住宅の計画や設計に建築家の参加を促しただけでなく、福島県のような将来の復興へ向けての複雑な計画のヴィジョンの提案を引き出した。さらに、木造仮設住宅は、沈滞した林業や建設業を復活させる契機ともなるだろう。重要なのは、木造仮設住宅の開発によって掘り起こされた地場建設産業を、一時的な効果に終わらせず、復興住宅へとさらに展開し継続させることである。木造仮設住宅の再利用はもちろんだが、復興住宅ではさらに多数の住宅の建設が必要になるだろう。復興住宅の建設には、ハウスメーカーやディベロッパーなどの大企業が参入してくるだろう。しかし、それだけでは地域の建設産業のテコ入れにはならない。地場の林業と、多数の中小工務店をネットワークし、コンストラクション・マネージメント(CM)のような受け皿的組織をつくることによって、ローコストで高性能な復興住宅を開発し供給することが必要である。そのためには、木造仮設住宅の開発によって培われた、林業、材料メーカー、建設業、建築家、行政の緊密なネットワークが不可欠であると考える。
2011年末に出版された本書の初版は日本語版だったが、2012年6月には英語版の抜刷が出版されたことを申し添えておきたい。

201206

特集 書物のなかの震災と復興


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