1000年後のBuildinghoodに参加する
──中谷礼仁『動く大地、住まいのかたち』評

島田陽(建築家)
中谷礼仁『動く大地、住まいのかたち
──プレート境界を旅する』
(岩波書店、2017)

『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社、2012)で日本中を旅した著者、中谷礼仁氏が東北の震災を経験し、揺れる大地に住まうとはどういうことか、その答えを探してプレート境界を旅し続ける──。本書は、私にとって学生時代に慣れ親しんだ藤原新也による放浪記を思わせる各地での人々との交流と、研究者ならではの生真面目な建築−集落調査の平易な言葉による報告がないまぜになった、不思議な読書体験を誘うものだった。さらにこの体験を独特のものとしているのは、著者がウェブで公開している膨大な旅の写真アーカイブだ。整理されずに90以上のフォルダが置かれているので、なかなか目当ての場所の画像を探し出すのは骨が折れるのだが、氏の道中の視点が余すことなく残されており、本書と併せて見ていると著者と共に旅をしたかのような記憶を捏造されそうだ。カチュラム村付近の巨大高床式住居[fig.1]などは掲載されている図版だけでは理解が難しく、アーカイブの写真を拝見して、ようやくその成り立ちに理解が及んだ。本文のなかではちらりとしか触れられないインドネシア、フローレス島円錐形高床住居や、スンバワ島の高床住居ヒリアマエタの集落[fig.2]などの写真はたいへん魅力的で、本書の背景の豊かさに触れられる。

fig.1──カチュラム村付近の巨大高床式住居(イラン)[撮影=中谷礼仁]

fig.2──ニアス島ヒリアマエタの集落(インドネシア)[撮影=中谷礼仁]

また、この膨大な写真のなかから、どれが本書に収録されたのかを見てみると、著者が示そうとしたものをうかがい知ることができる。例えばフローレス島の円錐形高床住居[fig.3]は、私にとっては縄文時代の竪穴式住居が巨大化したようにも、獣のようにも、教会のようにも見える、たいへん魅力的な形態をしているのだが、そういった特殊な形態を強調する写真ではなく、普遍的な民家の原型にも見える入口の写真を収録している[fig.4]。安易なエキゾチシズムに陥ることを注意深く避け、プレート境界で古くから続く平凡なBuildinghoodとしての特質を捉えようとする態度は、著者らの日本での千年村プロジェクトの活動とも重なる★1。このプロジェクトは、千年以上にわたり幾度もの災害や変化を乗り越えて地味にしぶとく営まれてきた集落・地域を、その凡庸さから讃えようとするものだ。ちなみにこの「千年村」との命名は、プロジェクトの当初に使われていた「古凡村」(古くて平凡な村)という呼び名に比べて大仰になったとはじめは思った。だが西洋世界の千年王国や、私の住む兵庫県にある箱木千年家等などにつなげたりすることができる、捉え方次第で伸縮可能な巧みなタイムスケールだったと思う。

fig.3──フローレス島トド集落の円錐形高床住居(インドネシア)[撮影=中谷礼仁]

fig.4──本書に掲載された同じ円錐形高床住居の写真[撮影=中谷礼仁]

さて、本書ではプレート境界でのBuildinghoodが記述されているのだが、それが災害のあまり多くない地域のBuildinghoodと、どう異なるかは明らかにされていない。プレート運動が古代文明の揺籃となったのではないかとの閃きが語られるが、破壊の試練が地域の建築文化の発展にどう関係しているのか(いないのか)については、今後の展開が楽しみだ。また、著者は主に伝統的なBuildinghoodの成り立ちについて触れているのだが、現代の日本で建築設計を行なっている私としては、現代のBuildinghoodはどう捉えられるかに興味を惹かれた。現代のBuildinghoodの要素として欠かせない鉄とコンクリートとガラスをどう扱えるのかは、Livelihoodを成立させる地域をどの範囲で考えるのかによる気がしているが、あまり大雑把に捉えすぎると建築文化と経済圏、というような話になってしまい軸がぶれてしまいそうだ。ただ、鉄、コンクリート、ガラスはすべて液体から固体に変化する素材で、どこまでも伸展可能だという意味ではローマ帝国の発展を可能にした煉瓦の子孫として捉えられるのかもしれない。

死者を弔う場所──トラジャ族の葬礼の記憶

著者の旅程の一部は私の個人的な旅の記憶とも重なり、そのおぼろげな記憶を掘り起こしつつ読み進めた。阪神淡路大震災の起こった1995年の夏、私と同じく神戸出身の友人と西欧を中心に3カ月ほど旅をした。以前から予定していた旅だったのだけれど、変わり果てる故郷から逃げ出して、確たるものを探したかった気持もどこかにあったのだろう。イタリアでは、著者が指摘しているように隆起した丘にしか見えないアルベルト・ブッリによる震災モニュメントが、実際にはどう見えるのか気にはなっていた。だが、なんとなく気分が乗らずバーリやマテーラの集落などを見て、そこからギリシャ、ミコノス島、サントリーニ島、モロッコからスペインへ抜け、グアディの地中住居などを見て回った。その数年後、同行した友人らと、今度はインドネシアに住む友人を訪ねて再び旅をした。スラウェシ島を中心に回ったその道中で、現地で雇ったガイドにトラジャ族の村で大規模な葬礼があるらしいと聞いて向かった先は、葬礼用に設えられた殯(もがり)屋と参列者のための仮屋が立ち並び、生贄として用意された水牛や豚がこれから起こることを恐れて騒ぐ鳴き声と、拡声器でなにやら喚く声が鳴り響いていた。想像を超えた賑やかさに驚きつつも、村長に煙草を何カートンか渡して見学の許可をもらうと、しばらくして女たちの脱穀作業を思わせる動作と唄がはじまり、野辺送りのように村を担がれて回っていた棺桶が戻ってきて、3、4mはある殯屋の高床に大勢が力を合わせて棺桶をかつぎ上げた[fig.5]。やがて水牛が屠られ、大地に流れた血を犬が舐め、男たちが輪になって詠唱し、料理が振る舞われはじめた[fig.6]。数日続くというこの壮大な葬礼を出す費用のない家族は、ほかの富裕な家族が葬礼を出すまで待っていて、一緒に弔ってもらうのだという。付近の村では、生贄として捧げられる高価なまだら模様の水牛が大切に育てられていた。先祖を象った人形が村を眺め、崖に懸けられた舟形棺桶からは髑髏が覗いていた[fig.7]。葬礼のためにすべてが用意されているとすら思えるこの島では、死者が非常に近く、自然に感じられる。

fig.5──殯(もがり)屋に棺桶を担ぎ上げる村人たち[撮影=島田陽]

fig.6──屠られた水牛の傍らではじまる詠唱[撮影=島田陽]

fig.7──崖に懸けられた舟形棺桶[撮影=島田陽]

神戸の地震での死者たちは丁寧に弔われ、いまも1月17日の朝には献灯が行なわれる。が、トラジャ族の村ほど間近に感じることはない。死者たちが街を見ているという慰霊碑をつくるべきだったのかもしれないが、いまの日本人の死生観にそれが受け入れられるのか。そんなことを考えていると、私が早稲田大学でレクチャーをした際、著者である中谷礼仁氏から「君の住宅には死者を弔う場所がないね」と指摘されたことを思い出した。確かに、住宅には生きている人間だけでなく、自然も死者もうっかり同居できるような器が備わっているべきなのだが、セックスすら難しい気もする現代の住宅は、葬礼を含め、多くの部分をアウトソーシングすることで成り立ってしまっている。トラジャ族の村落ほどではないにしても、日本でも以前は、成員を失ったばかりの家族だけで乗り切るには大変な葬礼を共同体の助けのなかで執り行なうことでコミュニティの紐帯を深めていたのだが、いまでは企業に対価を払うことで代行してもらうことが多くなってしまった。

本書で魅力的に紹介されるBuildinghoodには、自然を資源として、その限界のなかでの暮らしと一体となった建築行為が災害の試練によって淘汰された結果、美しさが生じているように思えた。一方われわれは建築行為であれ、葬儀であれ、かつては共同体と共に行なうしかなかったものが、企業に対価を払うことで煩わしい共同体との付き合いなしで行なえるように馴致されおり、もはやその外側に抜け出すことが難しくなってしまっている。葬儀に関しては遺骨を郵送で受けつける「送骨サービス」や、Amazonによる僧侶派遣サービスの動きなど、さらにサービス業化が進みつつある。難しいのは私たち建築家もある面ではその建築行為の産業化の一端を担っていることだ。

Buildinghoodを発見するタイムスケール

では生活と建築行為を個人の手に取り戻すべく、いま一度セルフビルドを推し進めるべきなのだろうか。私は活動の初期にセルフビルドを本格的に幾年か続けてみたのだが、結局のところ、現代の生活でそれに耐えられる人間はそれほど多くなく、活動に拡がりがない気がしてしまった。一方、建築家によるセルフビルド(とはじつのところ直営工事なのだが)は、素人性を保つのが難しく、友人たちによるセルフビルド的な試みは頼もしく思いながらも、自分の活動の領域はこちらではない気がしている。だが、便利で有能だからとカタログから既製品を器用に寄せ集めた住宅は、生気が感じられない気がして、いまは千年村のDIYの達人的おじいさんたち「FAB-G」のように既製品をカスタマイズしたり、ブリコラージュ的に転用し、鍛冶屋のような町の鉄工所にさまざまな部品を加工してもらったりすることで、産業社会がつくり出した製品をハックすることを試みている★2。高度に産業化された世界ではささやかすぎる抵抗なのかもしれないが、結局のところ、視座を高く保ちながらウィトルウィウスのごとく、弱い技術を丹念に紡いでいくしかないのではないかと考えて実践を続けてきた。

私は、前述したとおり、しばらくセルフビルドの可能性を探していたこともあり、左官の真似事をしてみたり、粘土から平瓦をつくってみたりしていたのだが、しばらく京都美山の茅葺き職人の元でアルバイトをしていたことがある。茅葺きの多くは葺き替えの相互扶助システムが損なわれてしまったことや、戦争で茅場も荒れてしまったことからトタンで缶詰にされてしまったのだが、美山地区ではかろうじて存続していた。それでも現代の茅葺きの屋内で囲炉裏による煮炊きをすることはほとんどないので、年に一度程度、機械による燻蒸を行なっているとのことだった。昔のことなので、やや記憶が曖昧なのだが、その年は茅の備蓄と使用の循環がうまく行なえておらず、新しい茅は薬剤によって燻蒸されているのでマスクをつけたほうがいいと注意された。新しいLivelihoodと古くからのBuildinghoodがずれてしまった例といってもいいが、それでも機械による燻蒸という、新しい技術を開発させる美しさが茅葺きにはあった。最近会った茅葺き職人によると私が手伝っていた頃よりは職人の数も増え、技術の途絶は免れたようだ。とはいえ、茅葺き屋根を現代のBuildinghoodとして大々的に再生していくのは難しいだろう。

たとえ1000年という視座から個別の建築を構想するのが難しいとしても、100年後にも更新可能な材料で建築を組み立てることは考えられるかもしれない。しかし、そのように考えたとき、産業社会がつくり出した製品では数年単位で手に入らなくなってしまう。むしろ古くから続く自然材料と技術が、そのよすがとなるのではないか。本書では、プレートテクトニクスという巨視的で地球規模のタイムスケールとBuildinghoodが結び付けられ語られる。千年村プロジェクトも1000年というスケールを導入することで、平凡な風景のなかからBuildinghoodを発見する認識の枠組みを与えてくれる。われわれは日々の実践のなかで、どうしても近視眼的に「いま・ここ」だけを考えてしまいがちだ。しかし本書で提示されるような巨視的なタイムスケールに触れることで、「いま・ここ」を相対化し、多様なタイムスケールのなかでのBuildinghoodとLivelihoodのあり方に思いを馳せることが可能になった。「1000年後に残る建築を」と考えるのはなんだか気乗りしないのだが、1000年後にも残るBuildinghoodに参加すると考えるのは心が躍る。建築の実践者としては力強い励ましを受け取ったような気分だ。


★1──千年村プロジェクトについては、以下を参照。
特集=千年村宣言」(10+1website、2015.12)
★2──FAB-G(Fabrication Skilled Grandfathers)については以下を参照。
塚本由晴、中谷礼仁(「不寛容化する世界で、暮らしのエコロジーと生産や建設について考える(22人で。)」(10+1website、2017.3)
中谷礼仁、石川初、福島加津也、元永二朗、佐々木葉、土居浩「千年村プロジェクト中間報告座談会」(10+1website、2017.4)

島田陽(しまだ・よう)
1972年、兵庫県生まれ。建築家。タトアーキテクツ/島田陽建築設計事務所主宰。2016年第一回日本建築設計学会賞大賞。作品=《六甲の住居》(2011)、《石切の住居》(2013)、《ハミルトンの住居》(2015)ほか。著作=『7iP #04 YO SHIMADA』(ニューハウス出版、2012)、『島田陽|日常の設計の日常』(LIXIL出版、2016)。website: http://tat-o.com


201709

特集 東京の〈際〉


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「東京の〈際〉」を制作せよ──関係の写像を超えて「未来」を拡張するためのプログラム
際を歩きにいく・足立区編
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