佐々木睦朗 構造デザインの射程
──せんだいメディアテークからの20年

伊東豊雄(建築家)+小野田泰明(建築計画者)+小西泰孝(構造家)+佐々木睦朗(構造家)
モデレーター=難波和彦(建築家)

福屋粧子──1995年3月の《せんだいメディアテーク》(以下《メディアテーク》)のコンペから20年が経ちました。6年前、2011年の東日本大震災によって一時は閉館を余儀なくされましたが、無事再オープンを迎え、現在も市民に愛される公共建築となっています。昨年、《メディアテーク》の構造を担当された佐々木睦朗さんの展覧会が東京で行なわれました。本日のトークイベントはその巡回展でもある東北工業大学建築学科テクノフォーラム「佐々木睦朗展inせんだい」(2016年11月11日(金)〜16日(水)、於東北工業大学一番町ロビー)の企画のひとつです。佐々木さんのほか、建築家の伊東豊雄さん、建築計画者の小野田泰明さん、佐々木スクールOBであり本学OBでもある構造家の小西泰孝さん、建築家の難波和彦さんにお越しいただきました。
前半にまず伊東さん、佐々木さん、小野田さん、小西さんからそれぞれ《メディアテーク》と自身との関係についてお話しいただきます。加えて後半パートとして、難波さんを交えこの建築の果たした役割について、20年後のいま、仙台で、あらためて議論するセッションを設けました。《メディアテーク》の完成の前後で繰り広げられてきた数々の格闘やアイディアが、これからの構造とデザインの関係にどのような影響を及ぼしうるのか。これについてご来場頂いた皆様も含めてともに考えていただく機会となれば幸いです。

[レクチャー1]伊東豊雄
せんだいメディアテーク 1995〜

伊東豊雄──今日は佐々木さんの前座として《メディアテーク》のコンペから現在までの思い出話をさせていただきます。じつは《メディアテーク》のアイディアには前段があります。1994年に佐々木さんの師匠である木村俊彦さんと組んで応募した《札幌コミュニティードーム》のコンペ案です。このとき提案したドームの空間が、《メディアテーク》の1階にあるオープンスクエアの原型でした。
《メディアテーク》のコンペの応募要項には、オープンスクエアの天井高を5〜10mとする旨が記載されていました。そこでオフィスビルのような建物にドーム状の構造を入れ込むイメージをしました[fig.1]。ドームはトラス状に組んだ柱で支え、上から光を落としたら面白いのではないかと考えました。


fig.1──ドーム構造をとりいれた初期スケッチ

伊東──やがてチューブ構造だけが残るかたちで生まれたのがこのスケッチです[fig.2]。これをヨーロッパに向かう成田エクスプレスのなかで描き、ファックスで送ったところから佐々木さんとの対話が始まり、コンペ案の段階でチューブのディテールまで検討していきました。


fig.2──《せんだいメディアテーク》スケッチ
[以上2点、提供=伊東豊雄建築設計事務所]

伊東──1995年3月の公開審査を経てわれわれの案が通ったわけですが、そのあとからが本当に大変で、まさに針のむしろでした。1年目は地元新聞で「なぜこんな柱が必要なのか」と批判を浴び、市民集会でも何度も叩かれてしまいました。けれども2年目に奥山恵美子さん(現・仙台市長)が仙台市役所の生涯学習課長に着任して以降、事態は一気に進展していきました。
これは工事現場の写真です[fig.3]。運んできた鉄のピースをその場で溶接するのですが、この現場に難波さんと多木浩二さんを案内したとき、多木さんが「地獄の風景だ」とおっしゃっていたのを覚えています。冬の夜に仮留めしていた鉄材が収縮してはじけ、激しい音を響かせていたともいいます。


fig.3──施工現場でのチューブ
© Dana Buntrock

伊東──これは「プレート」と呼ばれる鉄骨のスラブのモックアップで、佐々木さんと見に行ったときに撮影したものです[fig.4]。「ゴツいな」というのが正直な印象で、当初のスケッチのイメージを遥かに凌駕する物質感がありました。


fig.4──「プレート」のモックアップ

伊東──全館オープン前の2001年元日、年明けのカウントダウンとともに《メディアテーク》を一時オープンするイベントがありました。1階前面のガラスを開放し、市民の皆さんにその空間を体験してもらったのですが、このときは本当に涙が出てきました。それからおよそ10年後に東日本大震災が発生し、《メディアテーク》も7階の天井が落下して一時閉館を余儀なくされました。じつは3月12日に奥山さんとメディアテーク開館10周年をお祝いする会が企画されていて、その前日に震災が起こったかたちです。同年の5月5日に「歩きだすために」と題して、小野田さんと僕による震災後の最初の話し合いを《メディアテーク》のオープンスクエアで行ないました。皆の熱気と不安が入り交じる雰囲気があり、僕としても忘れられない会となりました。《メディアテーク》を愛用してくださった方々のなかには、施設の利用を目的とする人ばかりではなく、ふらりと立ち寄るだけで安心感を抱くという人もいました。そのような場所を1日でも早くつくるべきだと思い、東北で《みんなの家》のプロジェクトをはじめました。当初は「ミニメディアテーク」とも呼んでいました。
東日本大震災は自分にとって、《メディアテーク》とは何だったのかについてあらためて振り返る機会でした。コンペ応募時は、構造体には見えない軽さを感じさせる光の筒が七層の床を支えるイメージがあったものの、佐々木さんから「そんな軽いものでこの20メートル近いスパンを支えられるか」と言われ、力強いチューブを提案されました。最初のうちは受け入れられない気持ちがあったことも確かです。けれどもコンペ後に市民集会でバッシングをうけたとき、「このチューブこそ僕を守ってくれる。押したって引いたってこれは動かないぞ。これによってこの案は守られるし、僕も守られるんだ」と、精神的な支えになってくれたんです。市民の方々が実際に建物を使っている様子を見たときも、チューブの持つシンボル性が皆の拠り所になっているなと感じました。
そうしたこともあり、これからは繊細で透明感のある建築よりももっと力強いものをめざしていきたいと強く思うようになり、僕のなかでの建築観が変わっていきました。
《バロック・インターナショナルミュージアム・プエブラ》(2016)は《メディアテーク》以降に佐々木さんと協働した作品です[fig.5]。15メートルほどの壁をねじることで流動的な空間が生まれています。植物の根が地上に伸びていく様子をイメージし、力強くエネルギッシュな建築を目指しました。


fig.5──《バロック・インターナショナルミュージアム・プエブラ》
[以上2点、提供=伊東豊雄建築設計事務所]

[レクチャー2]佐々木睦朗──構造デザインの射程

佐々木睦朗──吉阪隆正さんが晩年に描いた「生命の綱の曼荼羅」と呼ばれる図の話から始めたいと思います[fig.6]。吉阪さんはこのダイヤグラムを、ル・コルビュジエの生き方について説明する際に用いていたといいます。この世に生を受けて勉学に励み、修行し、一人前になっていくまでの螺旋状のサイクルが描かれ、各フェイズに胎動期、成長期、隆盛期、爛熟期などの名前が付けられています。


fig.6──「生命の綱の曼荼羅」
[引用出典=『不連続統一体を 吉阪隆正集11』(勁草書房、1984)]

佐々木──若い頃の私はこの人生観に深い感銘をうけ、この図を事務所の机の横に貼りながら仕事をしていました。今日の発表はこの図でいうところの前期の胎動期と後期の成長期のちょうどあいだの頃の話です。というのも《メディアテーク》のコンペに参加したのは、事務所を法人化した翌年のことだったからです。竣工するまでの5年間はさまざまな試行錯誤の連続でしたが、そこで得たものはのちの研究や実践の手がかりになりました。
伊東さんからファックスで送られてきた最初のスケッチには本当に驚かされました。一見すると現実離れした絵空事のようだけれども、よく見るとまるでガウディとミースが合体しているようでもあり、当時の私の建築的思考の母胎となるものがすべて描かれていた。そのアイディアに興奮を覚えつつ、2月上旬に私からの提案を追記したスケッチを伊東さんに返信しました[fig.7]


fig.7──1995年2月7日にファックスで送信されたスケッチ

佐々木──これは基本設計に入ったあと、だいぶ整理がついてきた頃の構造システムです[fig.8]。計13本のチューブのうち、四隅のものはラチス状の太いチューブとし、残りの9本は細いチューブとしました。前者は鉛直荷重および地震力を、後者は鉛直荷重だけをそれぞれ支持します。


fig.8──構造システム

佐々木──構造のアイディアとして伊東さんにいくつか提案をしました。ひとつ目は伊東さんによる揺らぐ海藻のイメージに近いかたちでチューブを形成するための方法です[fig.9]。チューブ状の縦型ラチスシェルは座屈の問題が大きいため、左の基準となるシリンダーをねじり真ん中のHPシェル構造とし、さらに右のようにゆらぎを与えることで座屈耐力を上げることにしました。こうすると座屈に強くなるなと初めから直感していました。あとでも触れますが、力学的な性能については実務的な構造評定による性能評価はもちろんのこと、《メディアテーク》以降の大学での理論的な形態創生の問題としても逆解析を用いた研究を通じて明らかにしています。


fig.9──チューブの生成。円筒をねじってHP面を構成

佐々木──ほかにも、チューブの足元をラチスからはしご型の貫構造に切り替えることで、粘り強く地震力に抵抗するエネルギー吸収機構を導入したり、床組構造として40cm厚の鉄板サンドイッチ構造を提案したりしました。これは《メディアテーク》での経験を通じて学んだことを書き出したもので、後の研究や実践の原動力となったトピックです[fig.10]


fig.10──建築と構造のディスクール/せんだいメディアテークからの遺産

佐々木──例えば4番目のカテゴリーにあるリダンダンシー(冗長性、ムダ、遊び)は、9.11以降に各方面で重要視されるようになった概念です。建築構造では荷重や力の伝達の仕方について複数の経路を用意しておくことを意味します。先述のチューブの足元に導入したエネルギー吸収機構もまた、建築にリダンダンシーを取り入れるための萌芽的な試みといえます。それから2番目のチューブの構想に関連するボトムアップ的な志向は、自由曲面シェルの構造形態創生などの実践に連なる考え方です。それはやがて大学での数理工学やバイオメカニクスの研究や、磯崎新さんとの協働で取り組んだ《フィレンツェ新駅(コンペ案)》(2002)の「フラックス・ストラクチャー」のアイディアとして結実しました[fig.11]


fig.11──《フィレンツェ新駅(コンペ案)》形態解析時の進化過程(Final Step)

佐々木──これは先ほど述べた形態創生問題の初歩的な研究として学生にやってもらったもので、《メディアテーク》のチューブのようなぐにゃぐにゃした形態がもつ力学的な性能について分析したものです[fig.12]


fig.12──塔状型円筒ラチスシェルの形態創生:各目的関数に対応した最適形状

佐々木──先ほど伊東さんが《メディアテーク》のチューブを「ゴツい」とおっしいましたが、この程度の構造規模になるとチューブであるラチスシェルの座屈の問題は通常の柱の場合とはまるで世界が異なり、ほんとうに大変な問題だったんです。それをあらかじめ耐力や座屈などに対する構造合理性をシミュレートすることで、チューブの形態を逆解析してみたものがこの研究です。地震力によって生じるひずみエネルギーを最小にすると、左の寸胴型のチューブが真ん中のトックリのような形態になります。さらに崩壊荷重を最大にすると、右のようなHP(双曲放物線)のようなかたちが得られます。つまりねじれたチューブのほうが、より粘り強い構造性能をもっていることが理論的に明らかになったわけです。最後に先述の「骨組構造」と「空間構造」という2つの構造の系譜について述べておきます[fig.13]


fig.13──構造デザインの2つの系譜
[以上7点、提供=佐々木睦朗構造計画研究所]

佐々木──骨組構造の系譜としてギリシャの《パルテノン神殿》からミースの《シーグラムビル》(1958)に至るまでのラインが引けます。ミースの骨組構造は非常に洗練されているものの、基本的にはグリッドという人工的な「幾何学」に準拠してつくられた建築という点で、神殿と同根だといえます。この系譜のもとでドミノ構造としての《メディアテーク》を位置づけると、フラットな床とランダムな柱配置による人工的なグリッドの消失、すなわち「フレームの消失」を導こうとするものだといえます。一方、空間構造の系譜は古代ドームの原点であるローマの《パンテオン》からはじまり、HPシェルでつくられたフェリックス・キャンデラの《バカルディの瓶詰工場》(1959)までの流れがありますが、これらの構造もやはり人工的な「幾何学」に基づいています。これに対して《メディアテーク》以降に取り組みはじめたRC自由曲面シェルは自然法則に従う「自然」へと回帰するものとして位置づけられます。結果的にそれは非幾何学的な自由曲面になります。
ところで《メディアテーク》の構造の系譜は、ここでは便宜的にビルディングタイプである多層骨組構造の系譜として位置づけましたが、じつを言うとその柱であるチューブ自体は空間構造に属する縦型ラチスシェルであり、その意味では両義的な特異な構造であるとも言えます。私にとってはそこが最大の関心事であり、今後の数理的な形態創生の研究課題のひとつです。ひょっとすると重力だけでなく動的な地震外乱というランダムな自然法則に従う、もっと非幾何学的で自然なチューブの形態が得られる可能性も理論的にはあると思います。現代の生産技術のレベルで実現可能かどうかは別な話としてですが。


201703

特集 タクティカル・アーバニズム──都市を変えるXSサイズの戦術


『Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change』イントロダクション
路上のパラソルからビッグ・ピクチャーへ──タクティカル・アーバニズムによる都市の新たなビジョンとは?
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