住宅の制度とシェアを再考する
──「HOUSE VISION2 2016 TOKYO EXHIBITION」

門脇耕三(建築家、明治大学専任講師)+南後由和(社会学者、明治大学専任講師)
モデレーター=原研哉(デザイナー)+土谷貞雄(コンサルタント)

家族という制度と家

門脇──戦後の日本の住宅の変化も、「個の確立」という観点から理解できる部分があります。伝統的な村落の住宅は、そこに住む血縁家族の格を表している側面があり、共同体のなかでの地位が高い家族の家は立派でしたし、そうではない家族の家はみすぼらしく、そもそも建つ場所が違っていました。しかし戦後の家は違います。例えば新興住宅地に有名な企業の社長が住んでいても、どの家かはわかりません。つまり住宅はそこに住む人の社会的地位を表わさなくなったわけですが、それは住宅が家族という主体に私有化されていく過程でもありました。もうひとつの変化は、住宅が消費財的な性格を強めていくことです。将来の時間を担保にしてお金を借り、何かあった時のリスクは生命保険が担保する住宅ローンのシステムが導入されることによって、住宅生産は経済政策に取り込まれ、家を買うことの社会的意味合いが、車を買うことと変わらないものになっていく。かつて住宅は共同体や地域のなかに深く根ざしていましたが、戦後、家族という単位によって私有された消費財と化し、より趣味的な存在となって住宅地は島宇宙化していきます。
今回のHOUSE VISIONでは、そのように変化した住宅を問い直し、家の境界を再考する提案がすごく多いですね。例えば無印良品×アトリエ・ワンの《棚田オフィス》は会場内に分散配置され、それらのあいだに別の建物が挟まって、住宅の単位や境界が解体されています。大東建託×藤本壮介さんの《賃貸空間タワー》も、まさに「スイッチング可能な個」という単位をきっかけにして、住宅を再構築するという提案です。
南後さんは「家族という単位の捉え直しが必要だ」とおっしゃいましたが、そのことも今日議論したいことのひとつでした。HOUSE VISIONでは住宅のあり方は語られていますが、その中身の家族についてはあまり触れられていません。しかし家族そのものも社会的な制度であり、われわれ自身のイデオロギーの表われであるはずです。


大東建託×藤本壮介《賃貸空間タワー》
©HOUSE VISION

土谷──1970年代から家族と家、個と家の関係についての議論がたくさんありましたが、それはいまも続いているのでしょうか。


門脇──いまも続いていると思います。個を重視するという議論は、反転して「つながり」や「スイッチング」という観点も誘発します。もはや古典的な事例だと言ってよい「中銀カプセルタワービル」でも、個室のドアを開ければ都市に飛び込むような状態が生まれていて、軽やかなスイッチングが目指されていたと捉えることもできます。今回の会場にもまさにそうした問題を扱った提案がありますし、普遍的なテーマになってきていると思います。


原研哉氏
──人間社会における家族の原型は女性の贈与と交換ということから始まっています。かつては一夫多妻制で、女性はもらわれるものでした。もしその逆だったら、つまり一妻多夫制だったら、子どもを産む体はひとつなので子孫を増やすには不合理です。
レヴィ=ストロースの未開社会の構造研究のなかでも言及されていますが、人類の数が増えていくことを前提とした家族形態であったわけです。いまは一夫一婦に固定され、それでも繁栄が約束され、安定した形態になっています。ところが、現代は人類はこれ以上数が増えてはまずいという時代です。生物的本能なのかもしれませんが、一夫一婦すら崩壊してきて未婚が増えています。今回のHOUSE VISIONは「分かれてつながる/離れてあつまる」という微妙な関係がテーマです。いまは一夫一婦の関係が希薄になり、個人も分人化され、それらが世界全体を遊動していく時代で、加速度的に人類と社会の関係が変容してきています。家族を繁栄の構造として考えると、ある種末期的な状態なのかもしれませんが。
人間はせっかちな存在だということを最近よく考えます。人間は植物と違い、筋肉を持って自由自在に動けるという特徴があります。たくさんのものを食べてエネルギー摂取をする必要があり、中枢の脳が瞬間的に判断した指令に各部が従います。さらには「私」という概念に囚われていて、それは個の一世代限りの幸せを考えるだけならば有効ですが、複数世代のことを考えていくには不都合です。ダーウィンは最も洗練して進化した生物は植物だと言っていますが、それは中枢に脳を持たず、部分がそれぞれ独立して自己制御しているからです。人間の判断は刹那的で、子孫繁栄から微妙に逃れはじめているというのが現代だと思います。


南後──日本の住宅の寿命は短く、平均25〜30年くらいで、欧米の石造の住宅は数世代にわたり使われていきます。人間や家族の寿命よりも、住宅や都市の寿命のほうが長いのですが、日本では逆です。シェアをめぐる議論は、建築でも社会学でも盛んですが、どうしても同時代的な他者との問題に収斂しがちです。死者や次世代も含めたシェア、つまり環境問題や資源の有限性を捉え、地球規模でシェアについて考えてみると、新たな道筋が見えてくるはずです。
東京もこれから人口が減少すると言われていますが、余っていくストックを活用していく方法のひとつがシェアです。全国各地で増えていくストックを活用していくためには、ひとりの人間がより動く必要が出てきますし、モビリティが重要になります。黒川紀章さんは1960年代から情報社会と「ノマド(遊牧民)」について語っていました。最近「ノマドワーク」という言葉も流行りましたが、1960年代から提起されていた問題がますますアクチュアルなものになってきていますね。


門脇──家族のあり方はわれわれのイデオロギーにも関わっていると先ほど言いましたが、関連して、夏休みになるといつも思い出すことがあります。僕が小学生のとき、夏休みに国語辞典を読破しようと思い立ったことがありました。当然「あ」行の最初で挫折するわけですが(笑)、それでも大きな収穫だったのが「愛」という言葉の由来を知ったことです。そこには「キリスト教が生んだ概念で、日本には明治時代に輸入された」というようなことが書いてありました。愛とは生物的な感情だと思っていましたが、じつは文化的な産物でもあると知り、非常に驚きました。ただ、昔の美人像と現代の美人像は全然違っているといいますし、「異性に惹かれる」という生物的な感情にさえ社会や文化が反映されていることを考えれば、家族についての現在の倫理観や道徳観も自明ではないことは明らかです。
また、子どもの頃は『サザエさん』のカツオとサザエさんの関係がよくわかりませんでした。あの一家はじつは複数世帯がごちゃっと一緒に住んでいる農村的・漁村的な性格を残した家族で、カツオとタラちゃんという歳が近い叔父甥が同居しているわけですね。しかし核家族が当然だと思っていた当時の僕は、あのふたりは兄弟だと思っていて、そうするとサザエさんがよくわからない存在になるわけです。一方『クレヨンしんちゃん』は現代的な核家族で、きわめて理解しやすいですね。サザエさん一家は終戦直後に東京に越してきて、当時の庶民的郊外だった世田谷に武家屋敷的な性格を残した開けっぴろげな家を建て、近隣の家族ともお付き合いするわけですが、クレヨンしんちゃん一家はスプロール後の郊外である春日部に現代的な家を建て、近隣よりむしろ、幼稚園という子育てのコミュニティが人付き合いの核になる。ここから典型的に読み取れるように、家族のあり方は時代ごとに少しずつ変わっています。
最近はあまり取り上げられることがありませんが、かつての都市計画において重要だったのが、生産と再生産の議論です。生産は知的生産や工業的な生産のことを指しますが、再生産(Re-Creation)は労働に疲れた労働者の心身を回復させることであり、同時に人口の再生産も意味しています。近代的な都市計画において、都心は人口を集積して効率的に生産を行なう場所であり、緑豊かな郊外は効率的に心身を回復させ、人口を増やす場所だったわけですね。しかし都市が拡大し、片道1時間半かけて通勤をするような距離になると、家のこと=家事全般を担う専業主婦が必然的に生まれてきます。
家族社会学者の久保田裕之さんに教えていただいたことですが、こうした近代家族では、子どもが特異な存在になります。近代家族において、男性は自分の時間をお金に切り売りする賃労働者であり、女性は賃金が発生しない労働を担う価値労働者ですが、子どもはそのどちらでもなく、労働という社会的役割から隔離された謎の存在です。しかし『おしん』の少女時代を思い浮かべればわかるとおり、昔は子どもも普通に働いていたんですね。戦後の近代家族は、地域と関わることなくきわめてプライベートな空間に閉じこもり、子どもは社会から疎外され、勉強だけをする特殊な存在になっていきます。この頃から、子どもが親に押し付けられた人生のレールに対して葛藤し、乗り越えていくというモチーフがサブカルチャーにも典型的に登場するようになります。近代以降の社会において、家族は親密で、互いに慈しむべきものだとされていますが、その反面、社会から切り離された家族では憎悪も閉じ込められていく。日本の殺人事件で一番多いのは家族内殺人だそうです。
このように、僕たちが普通だと思っている家族像は戦後の都市や住宅のデザインとも関係しているわけですが、しかし現在では都心居住も共働きも当たり前になり、家族はますます解体の方向に向かっている。経済共同体としての家族も揺らいできており、制度的にもマイナンバー制度が導入され、生計の個人化が進んでいます。そうした家族のあり方は建築の分野でも議論されるべきことだと思っています。例えば、家族が経済の単位になっているという現在の状況は、とても封建的だと言うこともできる。統計的には、世帯収入が高い家族の子どもは学歴が高く、年収も高くなる傾向がありますが、これは将来的に改められるべきことだと僕には思えます。子どもは社会全体で育てるべきだとの価値観に立てば、親の収入に関係なく子どもの機会は平等であるべきですし、そのように考えると、いまの家族制度だって絶対のものではなく、見直されるべきことがあるのでしょう。そうしたなかでは、住宅というパッケージを家族で共有することの意味も改めて問われるはずです。



201610

特集 グローバリズム以降の東南アジア
──近代建築保存と現代都市の構築


社会の課題から東南アジアの建築を考える
マレーシア・カンボジア・シンガポール紀行──近現代建築の同質性と多様性
インドネシア、なぜモダニズムは継承されるのか
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