論理場としての建築の開放性について

門脇耕三(建築家、明治大学専任講師)
勝手気ままに振る舞う個性的で雑多な存在が、それでもどうにか、一続きの空間的広がりのなかで共在する。都市とは本来的にそういうものである、とまではとても断じがたいが、ある集団を形成する存在の一つひとつが、何らかの規律の下にありながらも、その存在に固有のあり方を遺憾なく発揮している光景があるのだとすれば、それは公共的な場所のひとつの理想的な姿を示しているとはいえまいか。2014年3月、青木淳の設計により完成したばかりの《大宮前体育館》を訪れて感じたことは、ごく手短にいえば、そのようなことだった。

実体と拮抗する動的/生成的コントラスト

《大宮前体育館》は、それまで青木が設計してきた建物とは、だいぶ異なっているように見える。その違いとは、《大宮前体育館》以前の建物が全体を特徴付けるような鮮烈なコントラストをまとっているのに対して、《大宮前体育館》には、少なくとも意識が真っ先に捉えるような類いのコントラストが見あたらないことである。そして、ここでいう「コントラスト」は、青木のキャリアのメルクマールに位置付けられる《青森県立美術館》にも現われる。

2006年に開館した《青森県立美術館》は、青木自身が説明するように、"ホワイトキューブと土の空間がさまざまなかたちで噛み合わさって、展示空間や居室をつくり出して"いることが最大の特徴である★1。空間を形づくる面は、土または白ペンキで覆われ、両者はその明度差や質感の違いによって、文字通りのコントラストを認識の上に取り結ぶのであるが、ここで、このコントラストは、土だけからも白ペンキだけからも生じていないことに注意する必要がある。AとBのふたつがあって、両者がせめぎ合う過程で発生する、どちらか一方のみでは生じ得ない現象。それが揺るぎなく認識された結果、AあるいはBなる存在と拮抗するまでに至る──《大宮前体育館》以前の青木の建物を特徴付けていた「コントラスト」とは、そのようなものに他ならない。

ただし、そこでの青木の狙いは、コントラストの創出それ自体にあるのではない。力点はむしろ、明瞭なコントラストを取り結ぶまでにAとBがせめぎ合うことに置かれている。そのようにして成立する空間において、AとBに付着した意味内容はコントラストに回収されるのであり、たとえば《青森県立美術館》では、ホワイトキューブを擁する美術館が土で仕上げられるという異常な事態が、ごく自然に受け入れられている。つまり土壁やタタキ床は、「素朴で親しみやすい」だとか「その土地の歴史風土を感じさせる」などといった意味を発さない。この実体からの意味の剥奪こそ、青木が目指したものであった。

このとき、AとBは常にせめぎ合っていなくてはならないから、両者の関係は動的に定義されることとなる。AとBは、静的なコンポジションに律されるようなものではなく、場面ごとにその均衡を揺らがせることによって、果てしない運動の断面として立ち現われる。この「運動」性を担保するものは、その場面の状況に応じて、AとBを半ば自律的に生成する形式化された手続きであり、これを青木は"決定ルール"と呼んだ★2。青木が採用する決定ルールは、だから建物を根源的なところで成り立たせてはいるが、しかしAとBの運動性を担保するためだけに働くものでもあるから、それ自体は無内容であり、明確な根拠を持たない。このようにして、青木が設計した建物から意味は剥がれ落ち、建物に先立って存在する(だろうとわれわれが期待する)「本質」を、見失わせてしまうのである。

なお、この青木のロジックが、青木の師である磯崎新によるイセ論と同型であることは興味深い。伊勢神宮では20年に一度、社殿が寸分違わぬ姿で隣の敷地につくり換えられ、あわせて神座も移される。磯崎によれば、この古くから続く反復のなかにイセの"起源"は隠され、虚構に過ぎない"日本的なるもの"の祖型としての"始原"に対して、一種の神話性が与えられたという★3。《青森県立美術館》の場合も、AとBの絶え間ない往復運動のなかで、その始原あるいは本質は、虚構的に、しかし強固に立ち現われる。つまり、そこに本質は何もない。したがって"建築に伝達すべき内容がない"★4。これは青木の一貫した主張でもあるが、にもかかわらず、青木の建築では、都度導入される無根拠な決定ルールによって、建物の実体は固有に生成され、その物理的なあり方は独自に獲得される。この状態に至って建物は、"それによって得られる楽しさが予め与えられている空間"であることをやめ、しかし"そこで人が独自に楽しい行動を発見し発展させるきっかけ"を備えることになるのである★5

輻輳する異質な論理

ただし、《青森県立美術館》のような建物のあり方は、建物のある特殊な側面を肥大化させる。無根拠な決定ルールによって生成され、建物の主要な要素にまで育った無内容なAとBは、したがって建物をまぼろしのように出現させるのであるが、そのようにして現われる虚像的な建物は、それと連続する現実の世界とは切断されている。また、AとBの永遠の往復運動によって定義される空間は、本質を持たないがゆえに自由な空間でありえるものの、その外部にある論理に対しては閉じこもっている。雪深い北国の、周囲に建物がない場所に建つ《青森県立美術館》に採用されたこの方法が、密集し成熟した東京の郊外に建つ《大宮前体育館》では取り得なかったことは、想像に難くない。そもそも《大宮前体育館》は、美術に触れようとするそれなりの覚悟を持って訪れる県立の美術館とは違って、地域の住民が日常と地続きのまま気軽に訪れる、そんな建物として構想されたものなのである。

そのことも関係しているのだろうか、《大宮前体育館》には、土と白ペンキがつくり出すようなコントラストが見あたらない。決定ルールと呼べるような、建物を自律的に生成する強い形式的手続きも存在しない。大部分が地中に埋められて、軒高が周辺の建物以下に抑えられた2棟のボリュームが、分棟形式で配置されるという構成らしきものはあるものの、それは建物の要素を決定付けるようなものではなく、周辺の状況から素直に導き出された、建物の自然なあり方に過ぎない。かろうじて「無根拠な根拠」と呼べそうなのは、ふたつの棟が楕円形をしていることであるが、それさえも、住宅が並ぶ周辺に対して大きすぎる面をつくらず、また人を敷地のなかに自然と呼び込むための、設計上の配慮程度のものとも捉えられる。《大宮前体育館》の全体のあり方は、この街に寄り添っている。

一方で、建物の細部は、こうした全体のあり方から導かれるものもあれば、そこから意図的に違反するように振る舞うものもある。たとえば、軒先に取り付けられた亜鉛メッキ鋼板の幕板は、外形の楕円を滑らかにトレースし、しかし外壁は、隣接する住宅の壁面のスケールに応じて直線状のサッシやパネルに分割され、全体として解像度の粗い楕円を形成する。ここでは幕板も外壁も、同じく周辺によって根拠付けられていて、つまりいずれも、敷地境界線あるいは建物として仮設的に設定された領域の内部に、外部の原理を届ける配達人として機能しているのであるが、それぞれが外部という同一のものの異なる側面に反応した結果、内部には異質な原理が持ち込まれることとなる。デザインという行為が、自らの意思を対象物のすみずみにまで行き渡らせ、そのあり方を統制することとして理解されるならば、これもまた異常な事態というべきものだろう。

あるいは、内部に関する機能的な要求から導かれる細部も存在しているし、それに違反する細部も存在する。大体育室は、平面計画上の合理性が要求するとおりの矩形の平面をしているが、一方で、それを包むコンクリート壁の外形は直線であることをよしとせず、わずかに波打っている。その揺らぐ壁と対峙するかのように、または距離を保てばまっすぐにも見える壁と呼応するかのように、回廊状の地下吹抜には柱が林立するが、柱のスパンはところどころで乱れており、規則正しい列柱のように緊張を帯びることはない。回廊を折れると、列柱はいつの間にかハンチ付きのラーメンフレームに転じるが、そこには枠の見付がいくぶん大きいサッシが嵌められていて、時代がかった素っ気ない近代建築の外壁のようでもある。そのサッシの先に、それぞれ違ったしつらえが施された部屋が並んでいることを発見し、ショーウィンドウが並ぶヨーロッパのポルティコを歩いた記憶が呼び覚まされた頃には、そこが地下であることも意識から一瞬滑り落ちるが、その上に地上が覗くガラス壁を見つけて、意識はふたたび地下へと戻される。

《大宮前体育館》は、《青森県立美術館》とは違って、普通の建物と同じか、それ以上に細かい部分に分節されている。その分節によって生じた部分のあり方は、全体から導かれたり、その違った側面から導かれたり、諸室の機能から導かれたり、そこから連想ゲームのように姿を変えていったり、この場所ではないどこかの記憶と結びついたりして、その存在を裏付ける論理が一貫しない。そうした弱い異質の論理、あるいは幾重にも折り重なる明確な外形や範囲を持たない全体性から導かれた部分と部分が、同じ場所で出会う。そのことを、微細なコントラストなどと表現することは適切ではない。唐突な例を出せば、それらはクジラと魚のような関係にあって、ある観点からは結びつき、ある観点からはまったく結びつかない。だから《大宮前体育館》では、少し移動するたびに、何かと何かは意識の上でくっつき、同時に離れ、あるいは永遠に結びつかず、その光景はどこかざわざわする。

そのような建物として設計された《大宮前体育館》は、数多くの論理が輻輳し、局所的な調和と衝突を繰り返す場でもある。したがって、そこに異質な論理を新たに持ち込むことも容易い。だから青木は、"パウチッコでラミネートされた注意書きが、壁面に増殖していくこと"も許容できるのであり★6、その意味で《大宮前体育館》は、たいへんな開放性を持った建物であるといってよい。そこで空間を決定する論理は、調和と衝突を経て、場所ごとに変わる雰囲気程度のものに後退しており、建物の細部も厳格な統制から解き放たれているから、「デザイン」された空間が含みがちな排他性を感じさせることはなく、そもそも排他の根拠となる領域としての「全体」は、敷地境界を越えて都市に融解している。それはさながら、青木がかつて自作の説明のために参照した★7ブリューゲルによる絵画「子供の遊戯」の子どもたちが、建物の部分に置き換わったようでもある。

この複数の、ときに相容れない論理に対する開放性を、公共性と呼んでも差し支えないだろうが、《大宮前体育館》が実現しているような類いの公共性が設計された建物を、僕は他に知らない。これまでの多くの公共空間は、たとえば室内化された広場のように現われ、その空間の巨大さや、視覚的あるいは交通的な意味での開放性によって、公共的であることが約束されていた。しかし青木が設計したものは、論理場としての開放性である。そこに出現する公共性は、一方的に与えられるものではなく、参加可能性によって支えられているもので、それは色とりどりの雑多な商品がめいめいに持ち込まれる、路上のマーケットの光景にも似ている。

ピーテル・ブリューゲル「子供の遊戯」(1560)

付記:《三次市民ホール》について

2016年5月、広島県の郊外に立地する《三次市民ホール》を訪れた。三次は明るい赤褐色をした石州瓦を載せた屋根が目立つ場所だが、築後40年程度は経っているだろう近代建築の文法が用いられた建物や、その後嗣とも言える最近に建ったショッピングモールも存分に存在感を発揮している場所で、《三次市民ホール》は、どちらかと言えば後者の勢力が強いロードサイドに建っている。壁で囲まれた寡黙なフライタワーやホールのボリュームは、ピロティに持ち上げられていて、立体物どうしの端正なコンポジションを形成しながらも、ところどころに水平連窓が切られ、その姿は周辺の建物の遠い祖先を思わせる。外観はたくさんのボリュームによってアーティキュレートされていて、内観も、ごく当たり前の建物がその内部に持つのと同じ程度に、細やかなエレメントに分節されている。《大宮前体育館》と同様、それらのエレメントは、背後に一貫したルールがあることを感じさせない。しかし《大宮前体育館》とは異なり、細部がざわつくことはなく、ハレの場としても用いられるホールらしく、それらは品良くまとまっている。その品のよさは、モダンな文法に基づく作法のようなものによって生まれているだろうことを感じさせるが、それは何らかのルールが時間を経て穏やかになった、正しく「作法」的なもので、よく見ればそれぞれにおかしな振る舞いをしている個々のエレメントに、ジェネリックとでも表現すべき通奏低音を与えている。そこで建物は、認識の上でほとんど空無であるといえるほどに前景化しない。どの場所にも必ず連窓が面しており、その空無な場所が、とても明るい光で満たされている。

この2014年に完成した建物が、青木の方法のさらなる変節を示しているのか、この建物を取りまく固有の状況、たとえば何もないとも密集しているともいえない周辺の街並みや、非日常的とも日常的ともいえない使われ方の想定に、青木が素直に反応した結果なのかは、判別がつかない。しかしひとつだけ想像がつくことは、訪れたときには公演もなく、数名の職員を除いて人がいなかったこの建物が、たくさんの人であふれたときの光景である。諸室をめぐる回廊によって、いわゆる表と裏の動線が連続するこの建物には、華やかな衣裳をまとった人、普段着の人、少しだけめかした格好をした人が入り交じり、やはりたいへんに賑やかで開放的な光景が出現することだろう。それはおそらく、もっと「子供の遊戯」に描かれた光景に似ている。




★1──西沢立衛、青木淳「図式とルール──青森県立美術館をめぐって」(『新建築』2006年9月号、新建築社)より引用。
★2──青木淳「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」(『新建築』1999年7月号、新建築社)参照。
★3──磯崎新『始原のもどき──ジャパネスキゼーション』(鹿島出版会、1996)参照。
★4──青木淳「装飾あるいは衣服について」(『JUN AOKI COMPLETE WORKS |1| 1991-2004』、LIXIL出版、2004)より引用。
★5──青木淳『原っぱと遊園地2』(王国社、2008)より引用。
★6──青木淳「現実を生け捕りにするには──建築をバラバラなモノとコトに向かって開くこと」(『新建築』、2014年7月号、新建築社)より引用。
★7──青木淳,小嶋一浩,小泉雅生「鼎談:2つの小学校をめぐって」(『建築文化』、1998年8月号、彰国社)参照。




門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年生まれ。2001年東京都立大学大学院工学研究科修士課程修了。2012年より明治大学専任講師。専門は建築構法、構法計画、設計方法論。博士(工学)。近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書・共著書に『シェアをデザインする』(学芸出版社、2013)、『静かなる革命へのブループリント』(河出書房新社、2014)、『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(PLANETS、2015)『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版、2015)など。Twitter: @kadowaki_kozo


201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


《大宮前体育館》から考える
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論理場としての建築の開放性について
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