建築が町にできること

青木淳(建築家)+彌田徹×辻琢磨×橋本健史(403architecture [dajiba])+市川紘司(建築史家、東京藝術大学教育研究助手)

《十じろう》と《分じろう》

市川紘司──今日は403architecture [dajiba]の3人と一緒に十日町で青木さんの最新プロジェクト(《十じろう》と《分じろう》)[fig.1, 2]をご案内いただきました。その感想からお話ししていきたいと思います。
十日町のプロジェクト(以下、《十日町》)は二つの建物のリノベーションで、お互いにすこし離れながら同じアーケードに面するように建っています。それぞれアーケードに対して対照的な方法で関係を再構築していますね。一方は増築してアーケードに接するようにし、もう一方は減築してアーケードから離されている。そうすることで、それぞれの建物がアーケードとのあいだにスペースを持ちながら、新たに関係づけられています。
《十日町》の二つのリノベーションは同時期に進められたプロジェクトですが、アーケードとの関係の取り結び方以外、それぞれが建築物として確固とした輪郭を持たないような印象があって、作品として全体像を結ぶのにすこし時間がかかるような、新鮮な建築体験でした。そして、これは今日の座組だから言うわけではないですが、403architecture [dajiba]の作品体験と似ているところがあるように思いました。403architecture [dajiba]の作品は多くが小規模なインテリアのリノベーションで、浜松の中心市街地に集中しています。同じビルに複数のプロジェクトが同時存在していることも少なくない。以前、ご案内いただいたのですが、ビルや街路を歩くことと、複数の小さい作品を見に行くことがとても一体的な感じで、もう作品を見ているのか都市を見ているのか、よく分からない感じになるんですね。建築物と都市がシームレスにつながるような体験。建築を見る眼が自然に都市に広がっていきます。
ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術』のなかで、映画の体験をじいっと一枚の平面を瞑想的に見るのではない「散漫な体験」と表現しつつ、建築体験も同様のものだと指摘しています。このような散漫な体験性が403architecture [dajiba]の作品と《十日町》に共通するように思いました。《十日町》という二つの微妙に離れた位置に建つ建物を個別に見学させてもらった、というよりも、そのあいだにあるアーケード、あるいはそれが存在する十日町市という街の一部分を含みこんだ体験をした、というような感覚がつよく残っています。

[fig.1]《分じろう》

[fig.2]《十じろう》

辻琢磨──《十日町》は、青木さんご自身の作品の変遷からも、コンペ要項の枠組からも、いよいよ固定化した建築の概念を超えているんだろうと想像して、拝見するのが楽しみでした。
今日、青木さんから「家具、建具を設計している」とか、「形式の反復を想定している」というお話を聞いて、一層理解ができたような気がします。この《十日町》からは、町を、共感の反復から計画していくことへの力強い意思を感じます。今後、この町にリノベーションが増えていった時への影響力を考えて、将来に爪痕を残そうとしているように見えて、感銘をうけました。未来の十日町が敷地を超えて設計対象に含まれている。
僕らのプロジェクトは浜松の古いビルのリノベーションが多いのですが、僕ら以外の主体への影響については、あまり考えてこなかった。現在の僕らのプロジェクトが未来に対してどのような影響力を持てるかについて、《十日町》ほど意識的には考えてきませんでした。

彌田徹──僕は青木さんがこの《十日町》を、どこまで「建築」だと思っているのかが気になりました。これまで青木さんの建築を拝見した経験では、書かれた言葉はすごく明快で共感するのですが、その一方で、建築はその言葉からも離れ、「もの」として浮かび上がる強さを感じていました。
しかし今回はリノベーションということもあるからか、今までの青木さんの建築作品とはズレているように思いました。

橋本健史──以前《大宮前体育館》(以下、《大宮前》)を拝見して、大変感銘を受けました。《十日町》は、きっとその延長線上の展開なのだろうと予想していたのですが、随分違いました。
《大宮前》は、周辺の状況や素朴な要望、ごくごく一般的な機能性などを最大限引き受けながらも、精緻にコントロールされた青木さんの判断基準によって、秩序だてられています。ノイズ・キャンセリング・ヘッドフォンみたいなもので、驚異的な技術とバランスによって、決定の根拠のレベルが多重にずらされている。ニュートラルにするがゆえに、かえって細部まで青木さんの個性が露呈しているような、不思議な建築でした。
しかし今回の《十日町》では、例えば今回特別にデザインされたという建具を取り出した時に、青木さんの署名が見えない。誤解を恐れずに言えば、ごくごく常識的なものになっていることに、驚きました。

青木淳氏
青木淳──《大宮前》、《三次》、《十日町》の順で、僕がデザインと呼んでいるものの範囲がどんどん広がってきているのかな、と思っています。
共通しているのは、放っておくとバラバラになってしまうものを、そのバラバラさは残しながらも、全体としては一つのものにどうつなぎとめられるか、ということへの関心です。ただバラバラに「もの」があるというだけでなく、建物が使われていくなかで、使う人の工夫で加えられたり変えられたりする、時間も含んだ「もの」のバラバラさも含めての話ですけれど。
ふつう、デザインは、先にまず一つの図式であったり、コンセプトであったりするものがあって、それがどこまで「もの」のあり方を決めているか、その強度で良し悪しが判断されますね。良いデザインというのは、もともとのコンセプトがユニークで新しく、それが「もの」のレベルまでバシッと適応されているということだと思います。
ところが、《大宮前》あたりから、その順番が逆転しだしています。まずそれぞれの「もの」が僕の意思を離れて、自由に振る舞い、散り散りになっていったらいいと自分は思うようになって、ではそのために、どのような仕掛けがいるか、という順番になった。「もの」のバラバラさが先で、それを支える仕掛け・仕組みはどうすればいいか、という順番になったのですね。これでは、ふつうデザインと呼ばれているものから、だいぶ逸脱している。
もちろん、設計を進める時には、先に進めるためのレールを敷かないといけないので、実際の順番は逆にはなりません。竣工して、設計者の手を離れる時に、その逆転が完成していればいいという、ちょっとややこしいことになっている。

《青森県立美術館》(以下、《青森》)は、「もの」のあり方や見え方はバラバラだけど、その背後に形式としての図式があって、またその横方向のつながりに「伏線」を張りました。《大宮前》は、その横方向のつながりを外す代わりに、複数の解像度で全体像が見えるようにしました。それで、より「もの」の自由度が増えたのではないかと思います。
《三次》では、《大宮前》にあった空間的特別ささえ外しました。《大宮前》には、地上の感覚と地下の感覚との大きなコントラストが生む劇的効果がありましたが、《三次》にはそういう効果がありません。あるのは「裏」がないという感覚(実際、最も裏であるはずの倉庫が他より明るかったり)と、それから全体をつなぐための、一つひとつの小さな手つきのようなものでした。窓や床や寸法体系を徹底的に考えました。ドアのサッシはメーカーに型がある既製品を使っていて、方立の幅が65ミリです。こだわってお金をかければ特注の型でつくることもできますが、今回はこの既製品の65ミリの方立にあわせて黄金比で他の寸法の体系を決めて、リズムを調整しています。黄金比ってはじめて使ったんですが(笑)。大技なしの小さな手つきで全体をまとめようとしました。

「もの」として際立つ「作品」だけが建築じゃないと思うんです。都市に溶け込んで、輪郭をもたず、寄せ集めのくくりとしてとらえられるような建築もあるだろうと。《十日町》では、《大宮前》や《三次》よりも、そこにもっと踏み込んでみようとしました。
ただそうは言っても、僕は建築の空間が人の行ないに影響を与えるに違いないと思っています。そういう意味では「建築」を信じていて、そういう空間性があることが建築だろうと思っている。今回はリノベーションだし、強い建築的構成を使わないで、そういう空間性が果たして生まれるのかという不安はありました。

市川──《十日町》で全体をつなぎとめるのはなんでしょうか。私も《大宮前》に大変な感銘を受けた人間なのですが、こちらも一般的な建築の考え方からすれば、よほど作品としての全体像が曖昧です。しかし《十日町》は、それ以上に全体に一貫した構成だとかルールだとかが見つけにくい。

青木──《十日町》にはそれがない、と今は思っています。どこまで、それをなくせるのかということが《十日町》での関心だったのです。その結果、本当になくなったのか、それとも自分では意識していなかったくくりが生まれているのか、まだわかりません。しかし、そういうデザインの極地まで行っても、やっぱり「建築」たりえるのだろうかが気になっています。だから、今日、見てもらうのは楽しみでもあり、不安でもありました(笑)。
《十日町》で新しい形式の提案と言えるものは一つだけです。それは僕たちが「マーケット広場」[fig.3, 4]と呼んでいる空間のことで、それをこの街に導入したら良いのではないだろうかということです。「マーケット広場」とは、車道から見てアーケードの外側、それぞれの建物の敷地に設けられる明るい半公共的空間のことです。
どの町もそうですが、土地は交通のための道と誰かが所有する敷地に二分されています。そうなると、例えばお祭りの時、神輿を担ぐために一時的に車道を使わせてもらったり、誰かのお店を詰め所にさせてもらったりします。歩道に屋台が出ると邪魔だから、屋台は通行止めになった車道か空き地に置かれますね。
しかしもしも、公共と私有のどちらにも属さない半公共空間が、そのあいだに余白として挟まっていたら、そこで何かが発生する可能性が生まれると思うんです。僕たちの事務所は、東京の表参道にありますが、お昼どきになると、時間決め駐車場の一角や、誰かの建物の駐車スペースにバンを止めて、お弁当を売ったりしている人がいます。新しいこと、新しいビジネスは、道や建物のような、その存在理由がはっきりとしているものからは生まれない。つまり、動線体というか、原っぱが必要だと思います。
十日町は雪国なので、冬になると雪が積もって除雪しないと歩けなくなります。だから昔は、雁木がありました。雁木とは、道に面するそれぞれの建物が供出する屋根付きの半公共空間のことです。それが隣同士でつながるとアーケードになって、冬の市民の歩行に役立った。それが今では雁木はなくなり、公共の道路を拡幅し、車道と歩道に分け、そのうちの歩道にアーケードを架けている。僕たちがしたことは、そのアーケードとそれぞれの敷地の間に、昔の雁木に代わる屋根付きの半公共空間をつくりだすことです。その場所では市を開くことができるから、名前をとりあえず「マーケット広場」とつけました。広場ほど広がりを持たないけれど、道に沿って幅狭の公共空間ができる。という意味では、 ヒロバではなくマチバの方がいいネーミングかもしれません。
「マーケット広場」は、アーケードの屋根より背の高い空間にして、アーケード側に高窓を設けています。すると冬でも、道から見て、奥が明るい空間になる。これを、既存の建物を減築してつくる。あるいは既存の建物に増築してつくる。
この形式は、誰でもマネできるし、むしろ積極的にマネしてほしい。この空間がつながっていけば、きっといい町になると思いますから。設計主体は消えてもかまわないんです。

[fig.3]《分じろう》マーケット広場

[fig.4]《分じろう》マーケット広場
施設オープニング月間イベント「Bコープ」の様子

201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


《大宮前体育館》から考える
《馬見原橋》から考える
建築が町にできること
市民社会の建築家・青木淳
論理場としての建築の開放性について
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