長谷川豪『カンバセーションズ──ヨーロッパ建築家と考える現在と歴史』2015年、東京

ロラン・シュタルダー(スイス連邦工科大学チューリッヒ校教授)+トバイアス・エルブ(建築家)
Hans Ulrich Obrist (ed.): Olafur Eliasson.
The Conversations Series No. 13,
Walther Konig, 2008
モダニズム以降の建築の歴史を、さまざまなテキスト形式という観点から説明するならば、1920年代はマニフェスト、1950年代および60年代は論文形式の専門誌記事、1970年代および80年代は詳細な理論についての論文や書籍、そして現在はインタビューという形式となることは明らかだ。そのようなインタビューの例であるハンス・ウルリッヒ・オブリストの「Conversation Series」(Walther Konig)は、建築とアートの境界にある現代のさまざまな見解について、息をのむようなグローバルな疑問をぶつけている。また、『AA Files Conversations』(トーマス・ウィーヴァー編、Architectural Association、2013)では、戦後の歴史に欠かせない建築物を生みだした建築家に、緻密なリサーチに基づいたインタビューをしている。また、国家的なムーヴメントに注目するのであれば、レム・コールハースおよびハンス=ウルリッヒ・オブリストが出版した『プロジェクト・ジャパン──メタボリズムは語る』(平凡社、2012、原著=2011)がある。この本のなかでは、メタボリストたちの主張を欧米の読者にありのまま紹介している。さらに、マーク・アンジェリル(Marc Angélil)およびイェルク・ヒンメルライヒ(Jørg Himmelreich)の編集による『Architectural Dialogues: Positions - Concepts - Visions』(Braun、2012)では、過去40年間のスイス建築に関して、簡潔な会話を通じて探究している。建築雑誌や書籍には、重要な建築家のインタビューが多数掲載されていて、オンラインのブログや動画でも増え続けており、今後も際限なく拡大していく可能性がある。

Thomas Weaver (ed.): 
AA Files Conversations,
Architectural Association, 2013.
したがって、長谷川豪の『カンバセーションズ──ヨーロッパ建築家と考える現在と歴史』のようなインタビュー集の批評を書く前に、このジャンルについていくつか述べておかなければならない。インタビューを特徴づけるのは新たな即時性である。これはすなわち、直接的だったり、場合によってはありのままで、建築的見解だけでなく、会話の雰囲気、または背景にある人格や思考プロセスさえも広く身近なものにする機会なのである。インタビューは、原資料のカテゴリーに属し、批評あるいは歴史的解釈のカテゴリーにはほとんど位置づけられないため、建築史学の他ジャンルとは異なっている。これは、次に述べる2つの点において、過去のテキスト形式からの決定的な移行をほのめかすものである。1つめは、評論家または歴史家の役割に関して、2つめは、建築家とその仕事との関係についてである。評論家または歴史家の役割は建築作品を解釈することから建築的見解を批判的に文書化することに移行しつつある。それは必然的に、建築家の仕事から建築家自身に注目の対象が移行することを暗に示している。結果として、著者-編集者も新たな役割を担うことになる。インタビューの場合、著者-編集者はもはや文章を承認する立場ではなく──それができるのはインタビュイーのみだ──むしろ、文章を編集する立場なのである。したがって、質問内容に関する権限は変わらず有しているものの、著者-編集者の立場は、意見を述べるというよりもむしろ、インタビューの枠組みを決定する際に反映される。

Rem Koolhaas, Hans Ulrich Obrist,
Kayoko Ota, James Westcott (eds.):
Project Japan. Metabolism Talks,
Taschen, 2011.
このことから、どのようなインタビューでも、その書評の複雑さは著しく増している。もはや、たんにインタビューの内容を議論するだけでは十分ではない──たとえば最近のインタビュー集では、インタビュイーの大半が、他の場面で自身の仕事に関する多くをすでに語っている──なぜならスポットライトは今、インタビューの内容を裏づけるアジェンダに当てられるべきものだからである。そのアジェンダとは、インタビュイーの人選、出版物の構成、質問内容、そしてとりわけ、インタビュアーの立ち位置である。グローバル化が進み、高度にメディア化した建築市場で価値があるのは、もはや建築の品質──それは今ではほとんどイメージだけを通して伝えられている――だけでなく、自身の関心を表わし、普及させ、そして押し通すネットワークの正当化する力である。そして疑いの余地なく、批評家の仕事を引き受け特定のネットワークに関する批評を書く者ならだれでも、まさにわれわれが今そうしているように、自分自身がその一部分になることは避けられない。しかし今回は、長谷川豪が日本の若い世代のなかでも最も思慮に富む建築家のひとりであることを考慮すると、そのような同化の恐れはすぐに氷解していくのかもしれない。

Marc Angélil, Jørg Himmelreich (eds.):
Architecture Dialogues,
Braun, 2011
『カンバセーションズ』では、長谷川豪がスイスのメンドリシオ建築アカデミーの客員教授として教鞭をとっていた2013/2014年度に行なった、6つのヨーロッパ建築設計事務所、すなわちアルヴァロ・シザ、ヴァレリオ・オルジャティ、ペーター・メルクリ、アンヌ・ラカトン&ジャン=フィリップ・ヴァッサル、パスカル・フラマー、ケルステン・ゲールス&ダヴィッド・ファン・セーヴェレンとのインタビューで構成されている。そのなかには「『終わらない』歴史」と題された章から始まる、簡単な前書きがあり、その後に続く各セクションは、インタビュアーとそれぞれの対談に登場する人物の写真から始まっている。各インタビューの最後は「対話を終えて」という短いコメントで締めくくり、関連するプロジェクトの平面図や写真などの一部が掲載されている。長谷川は前書きのなかで、日本の前衛派が直面する「ぼんやりした未来」と、歴史を振り返りたがらない現代日本建築のことを考慮したうえで、この本の狙いについて、ヨーロッパの建築家たちがつくる建築物の基盤となるものへの理解を促すものだと述べている。現代建築において歴史がどのような役割を担っているのかに焦点をあて、長谷川はさまざまなヨーロッパの見解を参考にしながらそれを証明しようとしている。

メンドリシオ建築アカデミー長谷川豪スタジオ・2013年秋学期の最終講評会。ゲストに坂本一成氏(右から3人目)とロラン・シュタルダー氏(左)が招かれた。写真=樋口貴彦

丹下健三の初期の建築物や、篠原一男のプロジェクト、あるいはもっと最近では、アトリエ・ワンの革新的なリサーチに見られるような、遅くとも近代期に見られる日本建築の歴史的連続性を高く評価するようになったヨーロッパでは、この前提は思いがけないものとして感じられるかもしれない。そこにはおそらく、この本の出版に対してわれわれが抱く可能性のあるただひとつの批判が存在する。長谷川が前提とするものはあっという間に翻るかもしれず、その結果、その視点から見て長谷川がヨーロッパの同僚の仕事に表われていると主張する歴史的関心は、ヨーロッパにおける歴史意識ということではなくむしろ、ヨーロッパのモダニスト論議における、歴史の放棄に対する遅れた反応を証明するものとなるのであろうということだ。

一見すると、インタビューを受ける建築家の異種混交的な人選に驚かされる。というのも、彼らは3つの異なる世代の建築家たちであり、それぞれの職業的な実績も多様で、かつ4つの異なる国の出身者であるからだ(彼らのうち3人はスイス出身)。前書きで長谷川が彼の根本的な狙いについて述べなかったのは、現代建築の根底となる部分を探りたいからに他ならないからであるが、この本がすでに確立された「仲間内」ネットワークで行なわれた議論の結果であるという疑念が生じる可能性もある。著者-編集者が、人選は自分が行なったと簡潔に述べることで、それが繰り返し正当化されるからますますそう感じられる。さらに、建築的実践の基本として歴史にアプローチするための、おそらく義務的な前提が、その範囲を極めて広げるものとなっている。シザとはモダニスト建築のテーマについて議論し、ヴァレリオ・オルジャティとは「なにも参照しない(non-referential)」独自の建築を追求し、メルクリとは「西洋の建物文化」の全体的な考えについて意見を交わし、ラカトンとヴァッサルとは、さまざまなコンテクストや時間軸を重ね合わせ、フラマーとはレファレンスを取り扱う際の「カニバリズム」という概念について語り、ゲールスとファン・セーヴェレンとは自分の見解にどこか古典的な普遍性を持たせようとする願望について話し合っている。しかしまさに、対話を並べていくなかで、それら解答群の間に深い溝が広がり、一人ひとりの個人的な立場の裏にある共通の質問、つまり、とりわけヘルマン・ムテジウスやマルセル・ブロイヤーによってモダニズムの初期から語り尽くされた「われわれはどこに立っているのか」というテーマを際立たせるのである。

壮大なモダン(Modern)の物語の終わりを告げるポストモダニズム以降、深まる絶望感とともに発せられたこの質問が本書の赤い糸であり、さまざまなインタビューをひとつに結びつけるものである。シザは、現代建築におけるモダンと新しさの役割、または建築と政治の関係や建築と自然の関係など、根本的な問題について考察している。オルジャティは、空間、構造、および物質性といった基本的な考えから派生した、デザインに関する合理的理論のなかの、参照性を超えた自身の建築に基礎を置き、マヤ文明の遺跡建築に対する彼なりの解釈からインスピレーションを得ている。メルクリはそれとは対照的に、自分自身を施工者として、さらにヨーロッパの建物文化を自身の建築的実践における文脈上の枠組みとしてとらえている。ラカトン&ヴァッサルにとって実践における必要条件は、最善の意味で経済性であると考えている。すなわち、建築資源と空間の可能性を健全に取り扱うことなのだ。さらにゲールス&ファン・セーヴェレンは自分たちの仕事を一貫して正当化する一方で、フラマーは自身の伝記的かつ現象学的な経験から建築を生みだしている。

インタビュイーである建築家それぞれの見解についての質問とそれに対する回答がどれだけ多岐にわたろうとも、建築の自律性と建築の方法を定義することの重要性について、重ねられた会話によって共通する理解が浮き彫りになる。しかし、そのような共通認識にもかかわらず、2つの対立する見解が見えてくる。作品を完成に導くことができる物語の必要性について、シザ、オルジャティ、メルクリ、ラカトン&ヴァッサルはそれぞれのインタビューのなかで触れている。それに反するのは、そのような物語や要求を信用しない代わりに、個々のプロジェクトに関してつねに新鮮な評価または正当性を求める、若い建築家のいい意味でのポストモダンな姿勢である。

後者の見解を集約するうえで、インタビューに勝る文書形式は存在しない。マニフェストの独断性や論考の限定的な議論、あるいは理論の批判的な次元とは対照的に、インタビュー集はシチュエーションごとの流動的かつ主観的な状況の積み重ねによって再評価され、たびたび議論の対象となることで見解が確実なものとなっていく。この建築的な姿勢は新たな視点を開くだけではなく、同時に議論の即時性および主観性のため、個人性が恣意性のなかに陥るリスクを伴っている。とはいえ、長谷川豪は『カンバセーションズ──ヨーロッパ建築家と考える現在と歴史』のなかで、そのような危険性をうまく排除し、建築の基盤に関する彼の問いを掘り下げる完璧なかたちを見つけたのだ。さらに、このインタビュー集は、現代ヨーロッパ建築の数ある見解から読者が選択して学べるだけでなく、長谷川豪本人の思想や創造的実践についての優れた紹介文でもある。


[英訳:ジル・デントン、和訳:牧尾晴喜((株)フレーズクレーズ)]




ロラン・シュタルダー
1970年、スイス・ローザンヌ生まれ。スイス連邦工科大学チューリッヒ校建築学部建築理論・建築史学科教授。専門は19−20世紀の建築理論・建築史、科学技術史。近著=Hermann Muthesius: Das Landhaus als kulturgeschichtlicher Entwurf, Gta Verlag / ETH Zuerich, 2008, Valerio Olgiati, Quart Architektur, 2008, ARCH+ 191/ 192 -- Der Schwellenatlas, 136 Seiten, 2009, God & Co. François Dallegret: Beyond the Bubble, AA Gallery, 2011, and Atelier Bow-Wow. A Primer, Walther Konig, 2013。

トビアス・エルブ
1985年、スイス・ベルン生まれ。建築家。スイス連邦工科大学チューリッヒ校卒業。ロラン・シュタルダー・スタジオのアシスタントを務める。研究対象は、建築とエンジニア、工学・科学技術と建築理論の相関性について。


  1. 『長谷川豪 カンバセーションズ──ヨーロッパ建築家と考える現在と歴史』2015年、東京
  2. Go Hasegawa: Conversations with European Architects, Tokyo, 2015

201507

特集 長谷川豪『カンバセーションズ』
──歴史のなかの現代建築


歴史のなかの現代建築
歴史を耕し、未来をつくるためにできること
長谷川豪『カンバセーションズ──ヨーロッパ建築家と考える現在と歴史』2015年、東京
建築の新しい自律性に向けて
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る