革命歌としてのロネッツ
──そしてLiveを記録すること

中谷礼仁(歴史工学研究)
撮影:前田敏治

2015年3月10-16日、横浜のBankART1929で、鈴木了二氏の仕事を一覧する大規模な展覧会と鈴木氏による5夜連続レクチャーが開催された。近年盛んに議論される「社会性」にするどく切り込むこのレクチャー最終日について、中谷礼仁氏に執筆いただく。

ソシアリズムとは何か

マックス・ウェーバー
『支配の社会学I──経済と社会』
(世良晃志郎訳、創文社、1960)
「ウェーバーによると、社会的な小集団が存続するためにはいくつかの条件があるというんだよね。そのひとつは《数年に1回、奇跡を起こすこと》らしい......」(場内大爆笑)。

こんな出だしで始まった鈴木了二の早稲田大学芸術学校退任の最終講義に合わせたLiveの5日目・ソシアリズム論。
もともと倉庫であったコンクリート打ち放しのハードな空間で、本格的なPAから多様な音群が送り出され、幾つものプロジェクターが、映画からの抜粋を、顔写真を、イメージ資料を、スローガンのようなテロップを多重投影している。阿吽の呼吸でリソースを送り出す今回のツアーのスタッフ(研究室所属学生もしくはOBOG)たちの機敏な動き。その真ん中にローテーブルと鈴木専用の肘掛けなしの椅子が置かれ、持参したLPジャケットをみせるための小さな照明スタンドがひとつ。その背景には開け放たれた荷捌き用の鉄扉から見えるハマの港。聴衆は鈴木の前のローテーブルと同じアングルで彼を直角二側面から取り囲み、立ち見が後方を埋め尽くしている。


上2点、撮影:前田敏治

さて、この日の演目であったソシアリズム論は、少なくとも報告者にとっては初見であった。鈴木は、途中でどちらに論を進めるかたまに躊躇したり、ノートに書きつけられたメモを何回か見返していたから、おそらく上演直前まで筋書きはそれほど決まっておらず、簡単なコード進行のノートが関係者に配られた程度だったのだろう。おそらく今夜は、鈴木のソシアリズム論が、スタッフと聴衆との関係のなかでその輪郭を次第に明らかにしていく日だったのだ。Liveという触れ書き通り、何かがその場所のみで立ち現われたのであった。
このLiveの報告者たる私は、当日その終了とともに、立って大声で賞賛の奇声を発していたのだから、確かにその日、私にとっては奇声に値する出来事が起こったようである。これを「数年に1回の奇跡」であったと総括することに躊躇はないのだが、その体験とそれを記録することとは別である。〈Liveを記録することの本質〉を述べてこの評の最後にするつもりだが、そのためにもまずはなるべく仔細に当日の出来事をつたえようと思う。

さて、鈴木の提起したソシアリズム論のプロット自体はたいへんにわかりやすいものだった。
それはひとつに小集団のなかでの社会性(ソーシャリティ)の生まれ方である。そのプロセスを様々な映画からの抜粋やライブ演奏の記録を吟味することによって解き明かしていった。
次に、彼らの社会性がいったい社会に対してどのようなはたらきをもたらすかについての検討とその集団のあり方である。ソーシャリティとその実践的働かせ方、これを鈴木は《ソシアリズム論》として提示しようとしたのである。
それはもちろん歴史的破綻を現に迎えて久しい「社会主義」理論そのものをいまさらどうにかしようということではなく、それらも含めあわせ、その前提として、まずは社会性の現われをとらえること、そしてそれを認め育むことの基本的重要性なのである(何せこれがなかったらあらゆるジャズ "トリオ"、"カルテット"、"クインテット"は何も生み出しえないのだから)。

いわゆる「社会派」について

さて、鈴木は彼のソシアリズム論を進めるにあたって、まず現今の「社会」にまつわるターミノロジーをごく簡単に整理した。それは、社会性/社会派/社会主義の区分である。ここで鈴木が社会性のはじまりこそに重きをおくことはすでに説明した通りだが、返す刀で実に切れ味鋭く「社会派」、特に日本におけるそれのあり方を批判した。それは社会派の作品における社会性の不在である。
たとえば「社会派の映画監督」の作品は表現において、社会性がほとんど消えかかっている。その代わりに大きくせり上がってくるのが、「社会派」たる監督の自己意識と極度に抽象化された「社会」の二項関係なのである★1
鈴木は吉本隆明『共同幻想論』(1968)の「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」のカテゴリーを巧みに用いてみせた。つまり共同幻想批判が、対幻想や自己幻想の構想パタンにさしかえられて行なわれているのだと。
この言葉は個人的には重く響いた言葉だった。本来的に反社会的な対幻想(男女の愛)のラディカルさをもって共同幻想に対峙して自らをすり減らせたとしか思えない故・中上健次のことを思い出したからであった。それどころか中上の闘争とは全く反対に、家族愛をより大きな共同体愛にすりかえようとする最近の特定の傾向の映画の予告編(映画の登場人物がなぜか泣いているシーンが多い)のおぞましさと、いわゆる社会派の表現スタイルが類似していることに気づくからであった。そこには単純化された社会像と自己像の愛憎関係のみがあるのである。
鈴木は、この用語法における近年の社会派と目される建築家の文言も吟味してみたらいいだろうと、笑いながら、しかし相当冷淡に言い放った。私はこの鈴木の立場に基本的に賛同した。たとえば建築家による「社会」へのはたらきかけが空回ることについて社会派の建築家はその傾向を批判するが、なぜそもそも彼らの言動が空回るかについての吟味が彼らの言説に欠けていることが多い。30年近くも前に井上章一がその傾向を『アート・キッチュ・ジャパネスク──大東亜のポストモダン』(1987)として、すでに指摘している。いささか露悪的にではあるが、戦争体制下で建築家の行なってきたことの見事な空回りのどたばたを描いているのであるが、まずこの誤解を生じやすい悪書の真意ぐらいは読みとってもらいたいものだと思う。

集団から社会性が現れてくる時

さて今夜の主題は、小集団(具体的な有志によって構成される)から、いかに様々な社会性が湧き上がってくるかを指し示すことだ。集団は3人からはじまる(男女、親子のペアは対幻想だから範疇に入れない)という定義の元に、人数や男女比率や登場人物の性格像を変えつつ厳選された映画の抜粋がいくつも登場し、そこに鈴木が社会性の類型を説明してみせた。その豊富さをまとめることはほぼ不可能に近いし、鈴木によってまたその解読も改訂される可能性があるので、ここではその演目と、タイプについての私のメモとを列挙して読者の用に供しておくことにしたい。


・フランソワ・トリュフォー『恋のエチュード』(1971)
男1人と女2人のピクニックに登場する性的緊張感、ソーシャリティの息吹。

・同『突然炎のごとく』(1961)
女1人、男2人。片ヒゲを描いたようなジャンヌ・モローのユニセックスな動き。

・ジョン・カサヴェテス『ハズバンズ』(1970)
中年男3人のじゃれあい映画。じゃれ合いを執拗に描く背後の撮影隊と緻密なカットの連続。

・ロバート・アルドリッチ『カリフォルニア・ドールズ』(1981)
女2人、男1人。場末の女レスラーとトレーナーが、リング(社会)に自分たちの社会性を押し通していく方法論。


・ジャック・ロジエ『オルエットの方へ』(1970)
女3人、男1人。操縦困難な社会性の登場。

・ハーモニー・コリン『スプリング・ブレイカーズ』(2012)
男1人、女4人。夢のような社会の誕生と既成社会との闘争。

・ビクター・フレミング『オズの魔法使い』(1939)
人間女1人、ブリキロボット、カカシ、ライオン、犬各1ヶ。社会的役割の固定化による組織の見事な戯画化。

・フィリップ・カウフマン『ライトスタッフ』(1983)
男7人の宇宙飛行士集団の権利獲得闘争。

・クエンティン・タランティーノ『レザボア・ドッグス』(1991)
登場人物が多すぎて、オープニングで全部紹介。

・クリント・イーストウッド 『ジャージー・ボーイズ』(2014)
クレジットタイトルによる登場者全員によるアンコール。


・フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』(1963)
同エンディングの登場者全員によるアンコールシーンだが、死後の世界を描いている、「社会全体」のファントム。

・ロバート・アルトマン『今宵、フィッツジェラルド劇場で』(2006) 
同上。


以上が当日、集団から社会性が生まれる瞬間を語るために用いられた映画である。原基としての3人から、ファントムとしての死後の全員登場まで様々なシーンが集められたことがわかる。私は、そんな「社会映画」そのほかの作品(たとえば『オリエント急行殺人事件』(1974)とか『帰らざる河』(1954)とか)を個人的に浮かべつつ堪能していたのだが、優れた映画は総じて社会性、要は映画の登場人物によっていくつもの関係の空間性を生むものなのである。

ソーシャル・ミュージックとしてのロネッツ

社会映画の紹介が一息ついたところで、鈴木は話の舵を別の方角に進め始めた。小集団の継続の方法論である。
まずは先の『ジャージー・ボーイズ』を再登場させ、主人公であるフォーシーズンズのネーミング誕生のシーンを示した。その兆しはロードサイドでジジジジジと放電する壊れかけのネオンのホテルの看板であった。その放電の音が聞こえた時、その場末ホテルの名前が口論中のグループ全員を無言でたちすくめさせたのであった。フォーシーズンズは名曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes off You)」(1967)の永遠のヒットによってスターになったが、そんな小集団が奇跡をもたらす具体的装置として、鈴木はポップスを登場させた。マイケル・チミノ監督による『ディア・ハンター』(1978)においてもこの曲が、これからベトナムに出征せざるをえない田舎の若者群像たちが自然に口ずさむ様子も紹介された。
ここで「数年に1回の奇跡」とはまさしくヒット曲にほかならなくなっている。それは小集団の継続のみならず、その枠を超えて、ほんの3分に満たないヒット・チューンが、世界を席巻し普遍的といってもいいほどの共同的幻想を体現させるものとして扱われている。
ここで、予備知識的に、貧乏アーティストを支えた音楽レーベルとして、プレスティッジ、ブルーノート、フィリップス、ECMの設立者とそのレーベルのいくつかの名録音が披露され、小集団を生かすためのシステムの必要性が「レーベル」として紹介されはじめた。
その流れのなかで、鈴木が最後のモチーフとしたのは、フィル・スペクターの設立したフィレスが放った奇跡の一発、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(1963)である。鈴木はこれを、ソーシャル・ミュージックと呼びたいという。古い世代にとっては革命歌と呼んでもあながち間違いではないという。

ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」が
収録されたアルバム(1964)
ビーチ・ボーイズやカーペンターズが重用した名ドラマー、ハル・ブレインがイントロで叩く"タン タ ターン、タタタ(フィルイン)、タン タ ターン"のリフは、確かに、多くの人を魅了する。このリフの魔力は、私の場合、胸底からこみ上げてくる狂おしいほどの懐かしい若さである。つまり時間と鮮やかな場所と、そこでの感情が強く想起されるのである。この魔力が世界的なものであることを鈴木は2つの映画作品による挿入を通して証明してみせた。ひとつはポルトガルの映画監督ミゲル・ゴメスの『熱波』(2012)であり、ここでは新旧の時間をつなぐものとしてこの曲が効果的に使われていた。しかしその絶頂的効果は『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)で2流の仕手集団が自らに奇跡を起こす瞬間を活写したマーチン・スコセッシ監督のデビュー作『ミーン・ストリート』(1973)であるという。チンピラの主人公が朝遅くベッドに潜り込んだ途端に、このリフが聴こえ、主人公はミーン・ストリートの現実に覚醒するのだ。

『熱波』(監督=ミゲル・ゴメス)
©SOM E A FURIA, KOMPLIZEN FILM, GULLANE, SHELLAC SUD 2012

この頃、すでに参加者としての私はその進行に完全に不意を突かれてしまっており、"信仰"の渦中に巻き込まれていたのだが、鈴木が最後に紹介したレーベルは故・大瀧詠一が設立したプライベートレーベル、ナイアガラ(1974)だった。
話題は大瀧詠一による名曲「夢で逢えたら」(1976)の様々なバージョンに収束していく。「夢で逢えたら」のオープニングのリズムは「ビー・マイ・ベイビー」のパタンの変形版である。その魅力が時間を超え奥深く、私たちに反復されていることを私たちは、共感とともにいやと言うほど思い知らされたのだった。

建築はどこか

そういえば建築はこのLiveでどこに行ってしまったのだろうか。実際いくつかの建築のトピックは登場した。その最たるものとして鈴木が挙げたのはソビエト革命時に短期間成立したロシア構成主義である。とりわけ鈴木が「国際花と緑の博覧会」(1990)のために設計したリシツキーのレーニン演説台の想像的復原のフォリーにからめてコラージュした彼ら構成主義者たちの写真が印象的だった。抽象的な社会一般を表わすかのような大階段を背景にぎこちなく距離を持ってたたずむ小集団としての構成主義者たち、彼らの社会的ビジョンがそんな小集団の中だからこそ生まれたというわけである。とはいえ、当日の建築的話題の登場の少なさは否めなかった。よって再び問いたい。建築はLiveにおいてどこにあるべきなのか?

《物質試行31:国際花と緑の博覧会》 ©鈴木了二

《物質試行31:国際花と緑の博覧会》コラージュ ©鈴木了二


この問いについてさしあたり有用なのは、「私たちが行なっていること」の全体を問うたハンナ・アーレント『人間の条件』(原著=1958)であり、そこで提示された人間の生産類型である。
アーレントは人間の生産を、労働(Labour)、仕事(Work)、活動(Action)という大きく三つの段階に分けた。 労働labourとは、人間の肉体の生物学的維持に対応する。つまり人間の肉体的生命と種としての人間の維持にかかわっている。たとえばたんに食事を作ること、たんに出産することがそれにあたる。労働は人間の生物的側面の充足が目的であるので、理性にとって労働自体は意味を持たない奴隷的はたらきである。
ハンナ・アーレント『人間の条件』
(志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994)
それに比べて仕事workは、人間として有用である(したがって生物的には不要な)目的をもった工作物を作る。仕事は器づくりから神殿の建設にいたるまで、自然環境と異なる「人工的」世界を作り出す。つまり仕事のなかに、まず建築は属している。そして作られた道具や、建築はそれを作った人間のサイクルを越えて、独自の永続性を帯びるようになる。
そして活動actionとは、いきなり人前で唱えられた詩の美しさや、予見できない批判、企て、計画の発生といった、それ自体が目的になりうるユニークな状態の発生である。しかしながらそれはそれ自体としては残らず、その様子は仕事workによって記録されるしかないとも述べている★2。この人間のはたらきの階梯は、鈴木がLiveと表現した状態、そしてそれが小集団から生まれ出でたことを強調することについて強く示唆的である。
建築の社会性とはじつは建築に奇跡が起きた瞬間である。それが生成する場所についてはすでにいくつもの検討がある。伊東豊雄はそれをデモクラティックな「みんな」のプロセスにあずけてみようと試み、アーレントで武装した山本理顕は、不思議なことにその顕現を、個人と国家の間を設計せよと、建築家の作品作りの過程に賭ける。

でもこう考えてみたらどうであろうか。Liveとはアーレントにおけるactionに最も近づきやすい言葉なのだ、と(従来の「活動」はわかりにくすぎたのだ!)。Liveとはつまりその場でのみ生まれ出た状態だ。仕事workたる建築とはその奇跡をおこすための周到で真摯な準備であり、そしてその一瞬のヒットを書きとめ、再生産するための記録なのである。そう理解したとき、建築の奇跡は、ヒットチューンや、映画での達成の後で、遅れて必ずやってくることを私は信じた。建築は「奇跡のような」ものなのではなく、まさしく奇跡を起こす装置だと考えなければ意味がないのである。当日の鈴木のLiveはその来るべき実現に向けられていたのだと思う。


★1──その意味で社会派監督のなかでも今村昌平は豊かな社会性を持ちえた重要な監督なので、この話を聞いてさらに今村の作品が好きになった。
★2──「活動し語る人びとは、最高の能力を持つ〈工作人〉の助力、すなわち、芸術家、詩人、歴史編纂者、記念碑建設者、作家の助力を必要とする。なぜならそれらの助力なしには、彼らの活動力の産物、彼らが演じ、語る物語は、けっして生き残らないからである。」
ハンナ・アーレント「第4章 仕事」『人間の条件』p.273(志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994)




●RYOJI SUZUKI LIVE AT THE BANKART
鈴木了二展 "My Favorite Things"
会期:2015年3月10日(火)~16日(月)
会場:BankART1929(BankART Studio NYK 3C Gallery)

レクチャープログラム:

3月10日(火):第1章「色彩論」;佐木島プロジェクト

3月11日(水):第2章「空隙論」;EDGE/空隙モデル

3月12日(木):第3章「DUB論」;FIGARO計画/ANGELICO

3月13日(金):第4章「瓦礫論」;絶対現場/金刀比羅宮プロジェクト/標本建築

3月14日(土):第5章「ソシアリズム論」;Folly No.4



上3点、撮影:山岸剛



『カリフォルニア・ドールズ』
DVD ¥3,790+税
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

『ジャージー・ボーイズ』
ブルーレイ&DVDリリース/デジタル配信中
初回限定生産ブルーレイ&DVDセット
(2枚組/デジタルコピー付) ¥3,790+税
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

『熱波』
DVD発売中 ¥4,700+税
オデッサ・エンタテインメント



中谷礼仁(なかたに・のりひと)
1965年生まれ。歴史工学家。早稲田大学創造理工学部建築学科教授。著書=『国学・明治・建築家』『セヴェラルネス+──事物連鎖と都市・建築・人間』。共著=『近世建築論集』『今和次郎「日本の民家」再訪』ほか
http://www.nakatani-seminar.org/

201504

特集 ストリートはどこにあるのか?
──漂流する都市空間の現在


ストリートの終わりと始まり──空間論的転回と思弁的転回の間で
空間の静謐/静謐の空間
アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い
ビザール沖縄──石川竜一の作品についての少しのコメントと、多くのボヤき
ストリート・ファイト、あるいは路上の痴話ゲンカ
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