【書評】大西麻貴+百田有希/o+h『8 stories』|能作文徳:《二重螺旋の家》における「時間」をめぐって

能作文徳(建築家、東京工業大学大学院建築学専攻助教)

《二重螺旋の家》における空間と時間

大西麻貴+百田有希/o+h『8 stories』
(現代建築家コンセプト・シリーズ17、
LIXIL出版、2014)
以前、《二重螺旋の家》(2011)の模型を見せてもらったことがある。小さな旗竿敷地に建つ住宅にもかかわらず廊下や階段が外周をぐるりと囲んでいて螺旋を描いている。合理的に考えれば、動線は極力コンパクトにおさめ、リビングや寝室などの居室を最大限に広くするだろう。さらに螺旋状の動線によって中央の居室に光が届きにくそうである。日当りのよくない旗竿の敷地に対して居室の採光を確保することをまず考えるはずである。しかしながら、この家はこのような合理性では説明できないところがあった。そのときはなぜこんなにも独特なところから設計をスタートさせることになったのか理解するに至らなかった。




《二重螺旋の家》〈クリックで拡大〉

その後、運よくこの《二重螺旋の家》を見学することができた。古い木造の家屋が所々残っている風情のある東京谷中。細い路地には植栽が並び、街に人の気配が感じられる。旗竿の路地の延長に螺旋へと導く入り口がある。なかに入ると迷宮のような不思議な薄暗さがあり、ところどころに窓が開いていて光が差し込んでくる。窓からは路地の踏み石、隣家の屋根の上の空がみえる。窓辺にはデイベッドが設えられてあったり、広い窓台になっていたり、人がそっと寄り添えるような場面が散りばめられている。このようにひとつながりの螺旋のなかにある明暗のコントラストによって、先へ先へと導かれる不思議な体験をすることができた。確かに螺旋状の動線によって居室は小さくなってしまう。動線を無駄なものとみなせば、単に小さい部屋の集合と捉えられてしまうだろう。しかしこのひとつながりの螺旋は小さな部屋どうしをつなぐ長い「間」の空間となっており、小さな住宅のなかに驚くべき奥行きを与えている。なるほど螺旋状の通路を巡らすことは、小さな旗竿敷地の上に奥行きをもたらす意図があったのかと納得させられた。

プルースト『失われた時を求めて』
それから本書『8 stories』を読み、《二重螺旋の家》のあり方をもう一度考える機会を得た。実は、螺旋状の通路が、空間的な奥行きだけでなく、時間的な奥行きをつくりだし、そこに住まう人の生活を内向きに構造化していたのである。『8 stories』のなかで、プルースト『失われた時を求めて』の主人公がお茶にマドレーヌを浸して食べたときに、幼い時の家の記憶が鮮明に断片的に蘇ってくるという経験について述べられているように、記憶や連想がこの家のなかには埋め込まれている。そのため都市に流れているような時間とは隔絶された、家のなかに独特な時間が流れている。なぜこのように独特な時間を家のなかにつくりだす必要があったのだろうか。

よく言われていることだが、現代の都市生活は時間に急かされている。都市生活者のほとんどが賃労働者であることがその要因だろう。賃労働の時間が人間の生活リズムを支配しているのである。そして時間に換算された賃労働が人々の時間の感覚を均質で一定なものへと変えしまった。人間の労働だけでなく、都市そのもののあり方も時間と関わっている。日本の住宅は30年ほどで建て替えられるため、その集積である都市に流れる時間は、人間の一生より短いものになっている。西洋の都市が人間の一生よりも大きな時間の尺度をもっていることと比較すれば、日本の都市に流れている時間がどれほど急速なものであるかがわかるだろう。《二重螺旋の家》には、この都市の時間から、家の時間を保護するようなはたらきがある。o+hの建築に、個人的でありながら時間を超えた質を感じさせるのは、プルーストの話で触れていた、記憶と連想の作用なのではないかと思う(p.31)。時計が刻む時間を絶対的な時間と呼ぶとすれば、この住宅に内在した記憶と連想はそれを相対化するものであったということができる。空間と時間は別々に存在するわけでなく、空間と時間は切り離せないものである。空間を考えることはすなわち時間を考えることに繋がっているのだ。


《二重螺旋の家》のシークエンス〈クリックで拡大〉

絶対的時間・相対的時間・関係的時間

時間と空間の概念を整理するために、社会地理学者デヴィッド・ハーヴェイの「空間というキーワード」を参考にしたい。ハーヴェイは、「絶対的空間」、「相対的空間」、「関係的空間」の3つの空間概念を提起している。

「絶対的空間」は「規格化された計量可能で計算もできる不動の格子」である。「相対的空間」は、たとえば「多数の場所が(...中略...)コスト、時間、移動手段、さらにはネットワークや場の関係性などによって測られた距離によって差異化された相対的な場所」であり、「観察する人の立ち位置が決定的な役割を果たす」のである。「関係的空間」は「プロセスに埋め込まれているか、あるいはそれに内在する。(...中略...)空間のある点における出来事や物事はその地点で起きたことだけで理解できるものではなく、そのまわりで起きたあらゆる他のことに依拠している」ものである。
──デヴィッド・ハーヴェイ『ネオリベラリズムとは何か』(pp.153-156)

デヴィッド・ハーヴェイ
『ネオリベラリズムとは何か』
(青土社、2007)
これらのハーヴェイの3つの空間概念から「空間」という言葉を「時間」に置き換えることで、時間の概念についても整理できる。たとえば、「絶対的時間」は、時計が刻む一定で均質、直線的な時間、「相対的時間」は、心理的な状態によって長くも短くも感じるような不均質な時間、そして「関係的時間」は、空間と時間の関係やプロセスが内在した時間であると捉えられるだろう。これらは必ずしも明確に区別できるようなものではなく、状況に応じて分けることができたり、3つが一体化していたりする。《二重螺旋の家》の経験は記憶や連想に基づいていた。そのことで短期的に成立した都市の時間、あるいは都市のなかにある絶対的な時間から逃れることができた。つまり家の外の絶対的な時間に対して「相対的時間」が際立っていたのである。しかしながら都市から遮断あるいは保護することによって、都市と家との時間的な関係は薄れる。都市に内在する関係的な時間は、都市建築のタイポロジーやその反復といった持続性に支えられているはずだ。

関係的時間──山里の時間

「関係的時間」について、内山節の『時間についての十二章』を参考にしたい。内山氏は山里の時間について次のように述べている。

農業の基本的な時間単位は一年である。(...中略...)春には春の労働が、夏には夏の労働があって、この労働の系は一年の単位で循環している。(...中略...)祖父や曾祖父の植えたスギやヒノキを家の建て替えや不慮の出費が必要なときに切り、新しい木を植えて、また百年をかけて大木に戻していく時間循環が暮らしのなかにはあった。(...中略...)すなわち山里の回帰する時間とは、異なるスケールをもつ様々な循環する時間の総合としてつくられ、この時間世界のなかに村人の暮らしがあったのである。
──内山節『時間についての十二章──哲学における時間の問題』(pp.48-50)

内山節『時間についての十二章
──哲学における時間の問題』
(岩波書店、2011)
ここで述べられているのは人間と山里の関係のなかで育まれた労働のプロセスであり、そこに内在する「関係的時間」である。人々が感じる時間は季節の移り変わりや木々の成長と同期している。そして山里の家も代々受け継がれてきたものであった。循環する山里の時間のなかで暮らしていくことで、豊かな関係的時間の中で生きることができたのではないか。しかし内山氏が指摘しているように「山里のなかにあった森が、商品の生産過程としての森に変わったとき、森の時間は大きな変容をとげた。(...中略...)以前は時間循環の世界のなかにあった森が、商品としての木材生産がはじまるや否や、直線的な時間世界のなかに存在するようになった」のである(p.64)。山里の関係的時間はこの絶対的時間に凌駕されてしまった。

現代の建物の時間

時間という観点からすると、現代の建物はどうだろう。人間の一生を超えて何世代にわたって持続するだろうか。自然の循環するリズムと呼応することができるのだろうか。現代の建物は20世紀を経てほとんど産業のなかに組み込まれてしまった。そうした建物が集積した都市にも時間の蓄積を感じられなくなってしまった。私たちはこのような問題に対して居心地の悪さを拭い去れないでいる。o+hの建築における「物語」は、都市に流れる直線的な時間を相対化するひとつの手段かもしれない。しかし個人の記憶や連想に依存しているかぎり、時間の相対化は建築の内側でしか起こりえない。現代の建物が人間と自然、人間と都市とのかかわりのなかで関係的な時間を築こうとするならば、より集合的な記憶あるいは歴史的関係のなかに見出されるはずである。21世紀の建築が取り戻すべきものはたくさんある。o+hの物語は始まったばかりである。これからの活躍を同じ建築家として楽しみにしている。


参考文献
デヴィッド・ハーヴェイ『ネオリベラリズムとは何か』(本橋哲也訳、青土社、2007)
内山節『時間についての十二章──哲学における時間の問題』(岩波書店、2011)


能作文徳(のうさく・ふみのり)
1982年生まれ。建築家、東京工業大学大学院建築学専攻助教・博士(工学)。2008年、Njiric+Arhitekti勤務。2012年東京工業大学大学院博士課程修了。2010年、東京建築士会住宅建築賞。2013年、SDレビュー2013鹿島賞。作品=《Steel House》(2012)、《ホールのある住宅》(2009)ほか。


201405

特集 アトリエ・ワン『コモナリティーズ──ふるまいの生産』、その建築的 "知性" と "想像力"


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コモナリティをつなぐために──増山たづ子の「すべて写真になる日まで」展を通して
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