鈴木了二氏への手紙

中尾寛(建築家)
鈴木了二様、

『建築映画 マテリアル・サスペンス』、ありがとうございます!

まさにこの本自体がサスペンスであることに興奮しつつ一気に読ませていただきました。なぜなら、ここでは建築と映画の双方が宙吊りにされ、振り子のように空中で揺さぶられたそれらは、最高地点で最も遠くはなれたかと思うと、急速に落下し最下点で間一髪すれ違ったり、時に正面から激突し、あげく交錯するそれらはどちらがどちらとも見分けがつかなくなるからです。

本は、光と闇、色彩の湧出、溶融する非常に美しいスチルで開始されます。それは本文中で触れられるマーク・ロスコの絵画空間のように、あるいは『ゴシックの芸術』でハンス・ヤンツェンが書く大聖堂のディアファーン(半透明)な建築空間のように、映画空間を媒質=物質として捉える意思の表明でしょうか? するとこの時点で、そこに建築が映っていようがいまいが実は「建築映画」は始まっているのですね。

そう言えば、鈴木さんもデュラスの分析で参照されるパノフスキーが、ファン・アイクの絵についてでしょうか「深い水底を覗き込んだときに体験するものに似ていなくもない、ある奇妙な魅力」と書いていました。一方、ロンギはカラバッジョの絵を「水槽のごとき現実(realta acquario)」と言っていたのでした。たとえば、プールに潜っているときに身体にぴったりとまとわりつく媒質としての水、そのとき我々はその媒質の粘性、温度、音響、圧、揺れ動きなどを過敏に感じます。そうして身体は、全体も部分も内部も外部もなく隅々まで浸透し連続するその媒質の中に浮かんでいます。その時、鈴木さんがベンヤミンを参照されながら「建築映画」で最も重要な感覚として導きだされる触覚、それがフル稼働するばかりでなく、全感覚が触覚化されているのでしょう。「建築映画」の空間体験とはそのようなものでしょうか?

鈴木さんの筆致に脳を心地よく弄られ、そんなことを想像しながら本文も読み進めるのですが、すると建築物がイメージとしてであれ物体としてであれ軽量化することや、内部外部の連続性を白々しく演出すること、ましてや流動体を形態的に模倣することなどは,鈴木さんも強い苛立ちを込めて書かれているようにつくづくどうでもよいことですね。建築における開放性、流動性、浮遊感もまた、鈴木さんが「身体的なレベルで反応するひりひりするような政治性」と定義されるマテリアル・サスペンスにおいてこそ獲得される! 「オーソン・ウェルズは、建築家である」とは鈴木さんもよくご存知のさる哲学者の言葉ですが、だから我々は優れた建築家である映画作家から学ばなければならないのでした。ル・コルビュジエからではなくデ・パルマから!

そして、収録されたペドロ・コスタと黒沢清との対談、面白いとしか言いようのない面白さのそれらは、ヒッチコック・トリュフォー『映画術』がそう言えるのと同じ資格で、建築的想像力にとっての最良の教科書と言えるでしょう。昨今の建築で念仏のごとく唱えられる道徳的固定観念に縛られた教育的言説、その感性の社会的封じ込めなど糞食らえと叫びたくなります。そう、真に開放的なこの本は「建築映画」を建築的に体験することへ読者を直ちに掻き立てます。そうして私も全くの食わず嫌いだった青山真治や、あるいは学生時代に『神田川淫乱戦争』と『ドレミファ娘の血は騒ぐ』しか観たことがなかった黒沢清の作品を慌てて観ることになるのです。

黒沢清『トウキョウソナタ』、確かに家族の住宅は際立っています。リビングとダイニングがスキップになっているのも興味深いところです。段差・階段と言う断続的場。映画的ポテンシャルに満ちた空間。さらに住宅への帰宅路の坂道、ショッピングセンターの吹き抜け... つまりは落差=潜在性、内的緊張=強度を孕んだ場で、あたかも張り巡らされた弦を擦り弾くかのようにカメラが動かされる。事件が生じる。マテリアル・サスペンス。カサヴェテス論の中でも「空間を折れ曲がりつつ斜めに上昇する空間があるからこそ悲劇も喜劇も超越した笑いを生み出すような奇跡が起こりうることにカサヴェテスははっきりと気付いている」と書かれています。階段、この建築の異成分の力線を搔き鳴らし奇跡を起こさせることを知るものが優れた「建築映画」作家の条件の一つということですね。

では逆に、階段の「異次元性」を賛美せずにはいられないものが優れた映画建築家と言えるでしょうか? この本は、読者にそれを想像する楽しみを残してくれているのですが、そもそも鈴木さんご本人がその全作品において階段,階段状の空間への「異常な愛情」を隠そうとはされない方なのでした! あるいはミケランジェロ。ラウレンツィーナ図書館前室。階段の異質さを裏側に封印せんとするルネッサンス期と前面へ劇的に噴出させるバロック期の狭間で、階段だけのための、あたかも階段が横臥像のごとく厳かに横たわる、外が内に裏返ったかのような異様な部屋。映画建築家ミケランジェロ? いずれにせよ鈴木さんがデュラスの時空間の液状化の参照として招聘するこの作家が設計した階段室は、また青山真治論で招聘されるロスコが、ニューヨーク、シーグラムビル内のレストラン「フォーシーズンズ」の壁画シリーズ制作中、片時も心を離れなかったと口にしていたものでした。

そうして、青山論ではマテリアル・サスペンスの重要な基本概念がロスコの絵画論から移植されて開示されてゆきます。すなわち、触知性と官能性。ロスコは、触知的な空間とは「空気が空虚としてではなく、現実の実体」であり、「ゼリーかパテ」の様に対象を埋め込んだものであると書いています。一方、近代以降、建築では空間は空虚として了解されてきました。そして、その何も無さ、中庸性が人間の自由な振る舞いを保証するかのような虚言が、未だに堂々と流通しています。さらには、それは「みんな」(建築家の好きな言葉です!)が集うと建築家によって勝手に断言された公共空間なるものへとしばしば昇格させられる。そんなばかな! 鈴木さんが驚きとともに強調されるロスコの官能性は、「リアリティの指標」であり「客観性、主観性のいずれにも属していない」ものです。官能性。これこそ建築の本性に従った現実性であり公共性であることを「建築映画」は、改めて我々に教えてくれるようです。映画館の闇の中で!

鈴木さんとの対談でコスタは、はっきりと「まったくの空虚を撮ることなどできない」と、また「小津の映画に空虚が映っていたとしても、それはかつて誰かが通過していた場所ということが分かり、それが私を感動させる」と語っています。実際、鈴木さんがコスタ論で書かれている通り、その漆黒の闇もまた「厚みのある物質」のように存在しています。コスタの映画は、ストア派の哲学が、その全面的マテリアリズムにおいてすべてが物体であり、曙も真夜中も物体であり、霊魂も諸徳も物体であり、言葉も神も物体であるとする意味において、ストイックなのでしょう。鈴木さんが「建築映画のゼロ度」と名付けるブレッソンをはじめ、このエモーショナルなストイシズムを備えることが優れた「建築映画」作家の絶対条件であるのですね。もちろん、それは優れた建築家の条件でもあるはずです。

黒沢清の『アカルイミライ』、藤竜也がオダギリジョーを探しに橋を渡るシーン。当初、固定に思えた藤をとらえていたカメラが、近づいてきた藤のクローズアップを執拗に追いかけ回す。最後には、カメラが藤を近傍とともに鷲掴みにして揺り動かしているようでした。黒沢映画では、カメラが媒質としての空間をゆっくり撫で、弄り、突然つかみ、そして不穏にざわめかせるようです。官能性の立ち上り。すると、マテリアル・サスペンスは同時にマテリアル・ポルノグラフィと言ってもいいでしょうか? 少なくともこの本を読む体験では、脳を激しく弄られ恍惚感(物質的恍惚!)すら覚えるのでした。

最後に、鈴木さんによる「建築映画史」の完成を夢見ています。平然と映画をお撮りになり、海外の映画祭に颯爽と参加されもする鈴木さんのことです。既にその日は近いのかもしれませんが!


中尾寛(なかお・ひろし)
建築家 。武蔵野大学で非常勤講師。1961年、神戸市生まれ。1989年から建築設計活動、創作活動を行う。《週末住宅[暗箱と鳥籠]》で第9回(1992)新建築賞受賞。作品=《Monash Steps/Stawell Steps》(2012、メルボルン)ほか。個展=「Galerie Renate Kammer」(2003、ハンブルグ)ほか。作品集=『HIROSHI NAKAO leib・raum・plan』(2003、JUNIUS Verlag)ほか。


201304

特集 鈴木了二『建築映画 マテリアルサスペンス』刊行特集


建築─ガレキ─映画
「Playback」と「建築映画」
鈴木了二氏への手紙
「建築の証拠」からグルーヴするその論の行方
光学としての建築映画
建築のエモーショナルな感受性へ
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