『教室内(スクール)カースト』書評

山崎泰寛(編集者)

3月を迎え、学校は、卒業式という年間最大の行事を迎えつつある。『スクールカースト』の著者の鈴木翔は、そんな学校で「抱えていたもやもやした薄暗い感情」は、卒業式が近づくにつれて美しい思い出に塗り替えられていくという。そして卒業してしまえばそんな懸念など「最初からなかったかのようにさえ思えて」くるという(本書あとがき)。本書で述べられるのは、「スクールカースト」と呼ばれる、生徒間の学内ヒエラルキーの実相である。今年もまた、誰かのカースト経験が塗り替えられていくのだろうか。
筆者が初めてスクールカーストという字面を目にしたのは、ツイッター上で誰かのツイートが回ってきた時だったと記憶している。「うまいこと言ったものだな」。これが筆者の第一印象であった。なにしろ文字を見た瞬間に何を言いたいのか即座にわかってしまう。それも、「たしかにそういうことがあったかもしれない」というおぼろげな実感が後からじわじわと追いかけてくる。しかし同時に、とても怖い言葉だとも思ったのである。カーストと言えば、たしかヒンドゥー教に基づくインド社会の身分制度だったはずだ。終生変わることのない差別が根強く残るインドの社会と、学校社会での、簡単に言ってしまえば「仲間関係」が、カーストという言葉で簡単に接続されている。この語感がちょっと怖い。ということで、筆者はややびくびくしながら本書を読み進めたということをまずは告白しておきたい。



鈴木翔
『教室内(スクール)カースト』
(光文社新書、2012)

本書は、小学校や中学校、あるいは高等学校に漠然と、しかし厳然と存在する学内ヒエラルキーの存在をあらわにした点で極めて興味深いと言える。著者は神奈川県内の中学2年生2,874名(男女比50.9:49.1、有効回答率83.2%)を対象にした膨大なアンケート調査を踏まえて、2010〜11年時点の大学1年生10名(男女各5名)と、同期間に首都圏の公立学校に通う20代男性教員4名に実施したインタビューを軸に論述を進めていく。1984年生まれの著者は論及する対象(=小中高生)に年齢的にも非常に近い。そこで明らかになるのは、生徒同士の関係にレベル差があり(本書ではそれを「地位」と呼ぶ)、教員はその差(本書ではそれを「能力」と呼ぶ)を前提に学校生活を運営していく。
インタビューの対象となった大学1年生といえば、18〜19歳である。高校を卒業してから間もないし、中学生時代の記憶も生々しい。小学1年生が2000年前後にあたるから、彼らが「そうだった」と把握している世界は、ほぼ2000年代のどこかの時期の学校である。彼らが語る中高時代は2005年あたりの学校生活だろう。本書によれば小学校と中学・高校では「スクールカースト」の認識が変化する。小学校では個人間の「地位」として、中学・高校ではグループ間の「地位」として認識されている。特にグループに基づいた中高での「スクールカースト」は固定的で容易に変更できないという。また、下位グループは上位グループに「恐怖心」を持っているという点も興味深い。上位グループへの単なる身体的な負担となる恐怖だけではなく、「スクールカースト」そのものが、システムの所属者に服従を強いるという意味での権力を有しているからである。
同様のシステムへの隷属ぶりは、教員にも見られる。いや、むしろ積極的に参加しているぶん、システムの維持に回っているとも言える。20代という教員グループは、教職に就くのは早くとも23歳だろうから、就職後7年以内の社会人である。インタビュー時期から考えれば、最も早くて2003〜04年あたりから働いている教員である。前述の大学1年生たちが中高生の時期とほぼ同時期に教員として学校の空気を吸い始めた、学校の構成員ということになる。そして、彼らが中学生になったのは、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こった1995年以後である。筆者は、当時、「島宇宙化」(宮台真司)した学校社会に順応してきた教員たちの語りだと捉えたが、考えすぎだろうか。教員らの赤裸々な発言に驚かされるが、ともかく彼らは「スクールカースト」の存在を肯定的に捉えており、学級経営という教員の職能としてはそれを利用すべきものだと考えている。
スクールカーストのような、グループ別の行動を前提とした学校生活への言及は、本書にも述べられているように「ヨコナラビの島宇宙」としてとして語られてきた。お互いがおのおのの価値観の相違にはあえて踏み込まず、全体が上手くなじんでいるかのようなヒリついた関係性。本書はそういった島と島の関係を垂直方向に積み直し、ある立体的な空間として記述している。そして、「○○力」で複雑に構成されたハイパー・メリトクラシーな社会(本田由紀)、つまり、たとえば「生きる力」や「コミュニケーション能力」までもが学校で評価されうる「業績」となった学校において、いかにやり過ごすか、あるいはそれを緩和できるのかという立場から対処を促し、本書の幕は一旦下ろされる。
本書のような研究は、教育社会学という分野において生徒文化研究と呼ばれ、積み上げられてきた議論である。学校教育は私たちのほとんどが経験してきており、それはあまりにも個別の経験で容易に一般化できない。そこで定量的、あるいは定性的なデータに基づいて学校(に限らないが)の「当たり前」を疑い、その問題点をあぶり出し、解決に至るための素材を提供してきた。本書では第2章をまるまる当てて先行研究の中への位置づけを試みている。建築系の読者には耳慣れない言葉が並んでいるかもしれないが、ぜひ読んでいただきたいと思う。生徒間に存在する学内ヒエラルキーが、生徒には地位として、教師には能力として認識されているという知見は、今後どのように生かされていくのだろうか。
面白いのは、著者がこの「スクールカースト」という言葉をなかなか定義しないことである。言及される「スクールカースト」は、どれも、さまざまな発言によって浮かび上がってくる「スクールカーストらしきもの」に過ぎない。いや、過ぎないという言い方はおかしい。筆者のように「学内ヒエラルキー」などと言い換えてしまっては読み落としてしまう事象がたくさんあるように思うし、本書がつぶさに明かす学校の場面が描けない。あるいは、本書のように定義を与えないままに論述していくことが、この言葉がまとう空気をもっとも体現しているのかもしれない。
筆者は、「スクールカースト」の曖昧さは、教師-生徒関係におけるいじめ=体罰と同様なのではないかと思う。教育史家の佐藤秀夫は、近代公教育の成立とともに体罰が生れたと指摘している(『学校教育うらおもて事典』)。現行法制化でも「懲戒」は認められているが、体罰は認められていない。しかし、その境界はきわめて曖昧である。ある種の教員が懲戒権をタテに体罰を暗黙のうちに実施することと、「スクールカースト」の存在をタテに学級経営を暗黙のうちに推し進めていこうとすること。両者にどのような差異があるというのだろうか。
ところで、本書は「教室内カースト」を「スクールカースト」と呼んでいるが、学校内での隠された身分制度は生徒間にのみ存在しているわけではない。藤井誠二『学校の先生に見えないこと』には教科を教える教員とは別の「先生たち」の姿が活写されている。たとえば、30年以上養護教員として働いた養護教員は、「学校に来るのは楽しいけど、勉強はまったくわからない。けれど、家にいても寂しい」と保健室にやってくる生徒の処遇を巡って、教員たちから敵視されていた日常を語る(「保健室をきらう先生たち」)。これは何も新しい事象ではない。養護教員によれば1970年あたりの保健室登校(学校に登校しても保健室で大半の時間を過ごす)で起こった出来事であった。筆者がかつて調査した養護教員の声でも、一般の教員が生徒に向かって「○○さんを先生と呼んではいけない」など信じがたい発言があったと耳にした(ゆえに白衣を纏い、生徒の生理に直接関わることができる保健室と養護教員は、異質な存在として学校空間の避難所たりうるのだが)。教員たちの手の届かない清掃や身の回りの細々とした仕事を引き受ける現業職員の話題も考えさせられる。「スクールカースト」が「スクール」を冠に掲げて許されるのは、私たちの誰もが、教室を含めた「学校という場」が持つ複雑さに気づいているからなのではないだろうか。「スクールカースト」の経験は、そうやって私たちを学校へと呼び戻してしまう。



最後に本書の構成について一言だけ。書誌情報をご覧になればお分かりになるとおり、本書は解説として本田由紀氏の文章があとがきの後ろに置かれている。若者の職業意識や就労環境などに詳しい本田氏は著者の指導教官であり、本書にとっては後見人のような立場にあたるのかもしれない。こういった構成(著者+指導教官の「推し」)がここまで顕著な書籍も珍しいのではないだろうか? むろん著者の力量がなければ実現されなかったのは言うまでもないが、学術論文と商業出版、それも新書という部数の多い書籍の出版の間にあるギャップが取り除かれたことに希望を感じる。大学で「学生」が行う研究にも、(一般的な商慣習を前提とした)社会に還元すべき知が存在するという事実を明瞭に示しているからである。卒業論文や修士論文などに向かう学生にとっても、大きな励みになるだろう。もしかすると賛否両論ある構成なのかもしれないが、かつて一学生として同じ領域に携わっていた者として、大きな拍手を送りたい。

参考文献
宮台真司『制服少女たちの選択』(講談社、1994)[増補版は『制服少女たちの選択 10years After』(朝日新聞社、2006)]
佐藤秀夫『学校教育うらおもて事典』(小学館、2000)
藤井誠二『学校の先生に見えないこと』(ジャパンマシニスト、1998)
山崎泰寛+藤村龍至「都市は学校でつくられる──ローカリティがオーバーラップする場所」(URL=http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/541/)


やまさき・やすひろ
編集者。1975年生まれ。横浜国立大学教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科、京都大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。書店、ギャラリーの企画運営に携わり、2007〜2012年『建築ジャーナル』編集部。現在、京都工芸繊維大学大学院博士後期課程(松隈洋研究室)にて建築の展覧会の歴史を研究している。2002年より、藤村龍至らとメディアプロジェクト「ROUNDABOUT JOURNAL」を展開中。


201303

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「人を怪物にする」小さな社会
学校建築の経験と展開
『教室内(スクール)カースト』書評
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