トークセッション──『Hyper den-City 東京メタボリズム2』と都市の行方

八束はじめ×西沢大良×吉村靖孝

『Hyper den-City』の誕生

八束──今日はお忙しい中ありがとうございます。いまご紹介があったように、現在森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市」展と関連して、今年4月に『メタボリズム・ネクサス』(オーム社)という本を出しました。これは『Hyper den-City』と同じINAX出版さんが15年ほど前に出してくれた『メタボリズム──1960年代日本の建築アヴァンギャルド』に続く、メタボリズム関連の2冊目の本です。それを含めて僕の研究室でやっていることがありますが、その結果のひとつがこの『Hyper den-City』です。それぞれが続いています。
本の内容をここで詳しくお話するわけにはいきませんが、どういう経緯でこの本を書いているか、あるいはこれからどう続いていくかということを簡単にイントロとしてお話をして、その後、どうして西沢大良さんと吉村靖孝さんにお相手をお願いしたかを話し、3人でディスカッションしてみたいと思います。
かつて、同じくINAX出版から『10+1』(1995─2008)という雑誌が発行されていました。この雑誌は先日亡くなった多木浩二さんと私が編集委員を務めていて、奇しくもその第1号で西沢さんに原稿を書いてもらいました。実は西沢さんとはそれ以来で、久しぶりにお目にかかったわけです。その『10+1』の50号が「Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960」という特集で、私たちの研究室がやっていた東京のリサーチをまとめたものです。『10+1』は50号が最終号で、その発行スケジュールはすでに決まったので、私たちの研究室のリサーチは切りのよいところではなかったけれどあくまで中間報告ということで雑誌の特集をつくったのを覚えています。おかげさまで売れ行きは良かったと聞いています。いまは編集部でも手に入らないようですので、何とか再刊してくれるといいなと思っています。
今回はそれから3年経って、そろそろリサーチがまとまっただろうから、続編の代わりに本をつくれということで刊行したわけです。
研究室では基本的には東京を中心にした大都市のリサーチを4年ほど前からやり始めました。これにはいろんなタイプのアプローチがあります。それと並行して、ヴェネチア・ビエンナーレの日本館で隔年で開催される建築とアートの展覧会があります。その建築のコミッショナーのコンペに、私たちはたぶん今後も不滅の記録になると思いますが、3回続けて落ちました(笑)。最初のコンペは『10+1』50号のリサーチを、2008年用に応募したのですが、しかし「リサーチじゃおもしろくない」ということで落ちました。当時ヨーロッパでは建築家はみんなリサーチをやっていたのに、日本では誰もやっていなかったし、しょうがないなという感じでした。審査員も皆美術関係者でしたから受けなかったのでしょう。その時点では、プランニングをやらない、デザインをやらない、ということにしていたのですが、具体的なアプローチのイメージが見えていなかったからでした。
西沢さんが『新建築』(2011年10月号)にお書きになった「現代都市の9か条──近代都市の9つの欠陥」のように、日本の建築家は都市計画をやらないという暗黙の了解事項があり、当時は私もそれに囚われていたかもしれません。

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左から、西沢大良氏、八束はじめ氏、吉村靖孝氏

その次に応募した2年後には計画もやっていました。これは私の先生でもあった丹下健三先生の「東京計画1960」からちょうど50年後が2010年で、そのビエンナーレに50年後ヴァージョンを出すのはあまりに嵌まりすぎで、やらないのはもったいないということで出しました。研究室では最初からそこにいくつもりではありませんでしたが、デザインの課題として予備的なものをやって、それが段々まとまってきたのが2年前です。私は圧勝したつもりでしたが、「こんなところに住みたくない」というキュレーターの一言で落ちました(笑)。まあ確かに住みたくないかもしれないな、という感想もあるのであきらめました。そういうことが問題ではなかったのですが、不平を言っても仕方ありませんし。
ついでに言うと、今年は「二度落ちているので呼ばないでください」と私が言ったのでさすがに呼ばれなかったのですが、コミッショナーのコンペに指名された藤村龍至さんからゲストで私を入れたいという話があり、「いや止めた方がいいですよ。私は二度も落ちているので入っているだけで印象悪いから」と申し上げたのですが、やっぱりその通り、落ちました。
研究室は、ヴェネチア・ビエンナーレのためばかりの活動をしていたわけではありません。並行してリサーチとデザインもやっています。『Hyper den-City』はリサーチの頃から研究室の諸君がやっていたこと、私が個人的にあちこち行って書いたことなどをまとめたものです。それにアジテーションというか、イントロを書き加えました。「メタボリズム」展でもメタボリズム全体を取り上げたわけではなく、特に都市のヴィジョンを中心に企画しています。そこから50年経ってわれわれの都市がどう変容し、変わっていったのか、そして学ぶものがあるのかということで、研究室の中で問題にしてきたことがこの本にはまとまっています。
あとは予告編になってしまいますが、もうひとつ研究室では逆未来学ということをやっています。これはまだどういうかたちで着地するか不明です。メタボリズムと未来学は並行的な現象として──メタボリズムは1960年に発足し未来学会は1968年にできますが──たとえば、川添登さんは両方のメンバーですし、1970年の大阪万博では両者が中心的な役割を果たします。私が逆未来学を始めたのは、その高度経済成長期にバラ色の未来を描いたとされる運動が、1973年にオイル・ショックがあって、右肩上がりの信仰が壊れた。それによってメタボリズムも未来学もダメになったというのが一般的な総括です。そして、西沢さんの言われるように、日本では都市計画をすること自体を忌避する風潮ができた。しかし、私はその総括が本当に正当だったのかどうかを、50年後の目から検証しようと考えています。特に都市計画は、将来的にわれわれの都市や社会がどうなるかということをある程度予見・予想しなければできない行為なので、そのことは一度問題にするに値すると考えています。それがこの『Hyper den-City』の続編になる予定です。
私事ですが、あと2年半で大学を定年になるので、その逆未来学が大学での最後の仕事になると思います。そういった、私のここ5~6年、最初から数えると15年ぐらいの仕事の流れがあって、この『Hyper den-City』があるということです。

3.11の影

本の冒頭に、序説として「反時代的都市論ノート」を、中ほどに大学のあるベイエリアを取り上げて「ベイエリアン宣言」を書きましたが、この辺りは年甲斐もなく悪ノリをして挑発的に書いています。それを今日のゲストのおふたりがどう取られたかはわかりませんが、書いた本人としては『ネクサス』は歴史の本なので、あまり勝手なことを書けなかったけれど、今回はこれからの話だし、自分たちがどう考えるかなので筆が走ったとは言えるかもしれません。リラックスして書いたこともあって、やっていて非常に楽しい仕事ではありました。ただ、そう言ってはいけないような重いテーマが沢山出てくるし、誤算といえば誤算ですが、この本にせよ森美術館の「メタボリズム」展にせよ、作業を進行させている間に3.11の震災があり、それとどう対峙するかは考えざるを得ませんでした。
3.11の後、研究室の学生は自身の郷里に帰ったりしていたのですが、4月に授業を再開した時に、「われわれはこれからも『Hyper den-City』や『東京計画2010』と呼んでいるプランニングの仕事を続けていくべきか議論してくれ」と言いました。一般的には、こんな話はとんでもない、被災地で家を奪われている方もいるのに、何を今時こんな話をやるのかというリアクションが予想されました。学生は極めて鋭敏でもあるので、ディベートをしました。ところが、悪い言い方をすれば、意外にもイケイケでした。やっぱりこれをやりたいということでプロジェクトを継続し、この本が出たわけです。
「メタボリズム」展も同じようなことが起こりました。展覧会のサブタイトルを「戦後日本・今甦る復興の夢とヴィジョン」として、「復興」ということを銘打ったのですが、それは最初からの案ではなく、震災以降の変更です。展覧会のオープニングは当初の6月から2カ月ずれました。3.11と8.15の終戦をどう重ねるかということです。元々メタボリズム展も戦争の中、一番最初のプロジェクトは1930年代まで引っ張ってありました。ある種3.11ないし、世界的に広げれば9.11以降のグローバリズムとも連動するところも出てきます。今日はそういうお話ができればと思っています。 イントロとしてはそんなところです。

敵か味方か? 西沢大良/吉村靖孝

ゲストのお二人を私が改めて紹介させていただかなくてもいいと思いますが、非常に頻繁にお会いしているという仲ではありません。特に西沢さんは先に述べたように16~17年ぶり、『10+1』誌の創刊号以来です。西沢さんには、大高正人さんの「多摩センター計画/1963-1977年」について書いていただきました。これも何かの暗合かなと思います。
先ほど言いましたように、西沢さんは『新建築』10月号の冒頭に、「現代都市の9か条」という力の入った長い論考を書いています。『新建築』は最近こういう論文を載せていないのですが、論考はまだ最後まで書ききれていなくて、多分続編があるだろうと思います。ただ、こういうことを書く人が最近いなかったので、それだけで語るに足る相手だと思いました。内容的には私と似ているところと正反対のところが両方あると思います。せっかくの機会なので、おふたりにヨイショしてもらってもしょうがない。そこ違うんじゃないか、そういう議論がしたい。いまのところ私の中では西沢さんは敵か味方かわかっていません。その方がおもしろいと思っています。
吉村さんとは西沢さんよりももう少し話をする機会がありましたが、それでもまともに話したことはないですね。2年前のビエンナーレのコンペに、われわれの計画の「サウスシティ」という千葉の沿岸の移民を対象にした巨大な生産都市がありました。その住居部分は移動するコンテナによる、万里の長城みたいなものでつくられています。これは、われわれの研究室でやった部分ですが、ビエンナーレは「コミッショナーは自分ではやるな」と言われます。それを無視して自分でやっていたのですが、ゲストが必要でした。考えてみたら吉村さんは、『EX-CONTAINER』という本を出されていたり、実際にそれをつくっています。
また、『超合法建築図鑑』(彰国社)という大変おもしろい本を出していらっしゃいます。これは、いわゆる鉛筆を舐め舐めして設計をし、「かっこいいからこれでいこう」という建築の類ではない、われわれの言葉で言うと「エレベータシティ」とか「エスカレーターシティ」であり、法規によって建築物の形が決まる/決められてしまうということをフィールドワークした本です。建築の法規が、個々の建築家のアイデアよりも現代都市を決めているということですね。吉村さんはそれを学生さんと一緒にフィールドワークしました。私の研究室でも、羽田空港の航空管制という話題が出てきたのですが、吉村さんの本にはちゃんと出ていました。それで吉村さんに「われわれはこういうことで、ビエンナーレに応募しようと思っているのですが、参加していただけませんか」というお話をしたら「とても興味があります」と快諾いただきました。
味方か敵かという言い方はあまりよろしくないのですが、どちらかと言えば味方かなと思っています(笑)。吉村さんはオランダのMVRDVにいらっしゃいました。私の周りでそういうことを話す人は、今年のビエンナーレに応募された藤村龍至さんや、柄沢祐輔さん、そして『Hyper den-City』にも登場しますが、田村順子さんなど、みなさんMVRDV出身で、同じ考え方を持っているというわけではありませんが、傾向としては話しやすいグループだなと思っています。
これはいわずもがなの舞台裏の話ですが、「メタボリズム」展は関連イベントとして「メタボリズムのDNA」というシンポジウムがあります。吉村さんも出ていますが、僕はこれには一切タッチしていません。出席の打診があったのですが、私は若い建築家の世代、つまり西沢さんの言うところの都市の話をしない世代にはDNAはないと言って、蹴ったんですね。そうしたら、どうもその世代より更に若い人たちの方が話ができるということのようです。僕は若い建築家と聞いて、そこまで降りていくと思わなかった。厳密な世代論はどうでもいいんですが、そのへんを含めて、吉村さんも語るに足る相手だと思っています。
では、長くなりましたが、西沢さんから始めましょう。一応、本の感想からお願いします。

共通点:
モダニズムの重視
コンパクトシティへの疑念

西沢──西沢と申します。今日は事前の打合せをまったくしていないので、どういう流れになるかわかりませんが、最初に申し上げておきたいのは、僕は八束さんと研究室の方々がこれだけの計画と調査を続けてこられたことに感銘を受けています。今日の結論がどうなるにしても、八束さんたちの活動に敬意を抱いていることをはじめに申し上げておきます。
本についての感想を言うと、ひとつは八束さんたちの活動が、いわば非営利のシンクタンクのようになってきていると思いました。この本のなかの計画案や調査はどこかの依頼があった仕事ではないですし、どこに売り込もうということでもない。それをかれこれ4~5年無償でやられてきたことには、価値があると思います。もともと大学というのは非営利団体であり、中間団体でもあるはずですが、過去10年くらいはどの大学も営利団体のようになってきて、国家や資本に対する従属性を増しています。八束研究室の活動はそれに対する抵抗のように受け取りたい気持ちが僕にはあります。計画案の内容も、通常の都市コンサルタントのような営利団体では何年かけてもできるようなものではないですね。ようするに、都市計画の主体としてユニークだと思います。
先ほど八束さんから、西沢は敵なのか味方なのかわからないという話があって、僕もそう言えばそうだなあと思って聞いていたんですけれど、計画案を見せていただいて、僕の考えと共通しているところと相違しているところがあると思いました。
共通点のひとつ目は、モダニズムに対する重視です。近代都市計画を事実として重視するということですね。ただ、「重視」のニュアンスはちょっと違うかもしれないとも思っています。先ほど八束さんから言及のあった、僕の『新建築』10月号の論文は、近代都市には致命的な欠陥がいくつかあるということを書いています。近代都市は長期的・外部的に存続しうるような都市形態ではなくて、短期的・内部的な代物になってしまったと思います。その近代都市を、次の望ましい都市形態(現代都市)へ移行させるには、どこをどう変えていけばいいだろうか。僕の文章では、それを9つの項目ごとに分けて説明しています。読んでない方もおられると思うので、強引に一言で要約すると、近代都市がのたうちまわって現代都市を出現させる、という議論をしています。逆に言うと、近代都市の欠陥を克服する次の都市形態というのは、近代化された都市からしか出てこないだろうと思います。古代都市や中世都市からいきなり現代都市へ移行するというような、段階の飛び越えはないと思う。その限りで、近代都市計画やモダニズムを重視しています。

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共通点のふたつ目は、コンパクトシティに対する疑念ですね。国土交通省が割とコンパクトシティと言っていて、八束さんがそれをどう考えられておられるのか未確認ですが、諸手をあげて大賛成というようなことはたぶんないでしょう。僕は国の言う「人口が少なくなるから都市を小さくすべき」という主張は、相当疑わしいと思っています。国の言うとおりやっていくと、国家は生き延びるかもしれないけど、街や人は生き延びられなくなると思います。国家、つまり官僚制なり税制なりという行政機構は、己自身を生き延びさせることだけを目的として、コンパクトシティを持ち出してきたという印象を持っています。八束さんは昔からル・コルビュジエなり構成主義なりを論じるときに、必ず彼らの政治性、たとえば国家との関係やパトロネージの問題を論じられてきたので、いまの日本の国家についても懐疑的なのではないかと勝手に想像しています。

相違点:
狭義のモダニズム/広義のモダニズム、
資本主義へのスタンス

他方、八束さんとの相違点についても申し上げると、いまのふたつの共通点を掘り下げていくとはっきりすると思います。一点目の「モダニズムに対する重視」については、八束さんのお仕事を初期から今回の本まで見渡すと、基本的に狭義のモダニズムを重視されてきたと思うのです。たとえば、ロシア構成主義やそれに遡るビジョネールなり、あるいは20年代のモダニズム諸派なりですね。彼らの実現できなかったけれども構想していたヴィジョンを重視されてきたと思います。どの本も優れたお仕事だと思いますが、モダニズムを可能性の中心において肯定するという点で、一貫性があると思うんです。それに対して、僕が重視するのはむしろ広義のモダニズムで、形を変えて世間に広まってしまったところの、モダニズムの成れの果てです。なぜそちらを重視するかといえば、そちらの方が僕らに重大な影響をもたらしているからですね。この六本木ヒルズも広義のモダニズムです。皆さんがこの会場に来られたときの地下鉄や首都高も広義のモダニズムです。事実として現われたモダニズムですね。それらは一見すると快適なのですが、ある致命的な欠陥を持っています。たとえば、資本や国家がなくなったとたんに破綻するという脆さがあります。つまり、可能性の中心からではなく事実性の中心から見ると、モダニズムというのは肯定できるような代物ではないと思うのです。そこに八束さんとの違いがあるかなと思っています。
二つ目の「国家に対して」という点ですが、この本のなかの計画案を見ながら、もし仮にこの提案が部分的にでも実現されるとしたら、どういう状況かなと考えました。もちろん、この計画案は実現を目指したものではなくて、一種の思考実験として計画されています。ただ、それをあえてどこなら実現できるかと考えてみると、計画案の性質がわかると思うのです。僕がパッと思ったのはオーストラリアのデヴェロッパーなら実現するかもしれないなと。オーストラリアは資源がありますし、リーマンショックの影響が少なかったし、デヴェロッパーは非常に元気です。移民も今後10年で3000万人受け入れるそうです。シドニーだったら、国籍のないエリアというような提案にはリアリティがあると思いました。
つまり、都市を実現・維持をする主体として、ひょっとすると八束さんは、国家よりも民間資本をイメージされているのかな、と思ったのです。現在、都市を実現したり運営している主体は大きく言ってふたつあり、資本と国家のふたつがあります。資本というのは民間資本のことで、デヴェロッパーなり不動産債権市場なり多国籍資本なりというものによって、ビルや住宅をつくっていくというパターンです。国家というのは税金ベースの公共事業のことで、国交省やそれに類する省庁、あるいは特殊法人や第3セクターなどによって、道路やビルや住宅をつくっていくというパターン。いまの東京なりニューヨークなりといった近代都市は、特に1990年代後半以降、国家よりも資本の影響が圧倒的です。新自由主義政策というのは国家が資本の使用人に成り下がるということで、日本でも小泉の構造改革以降そうなりました。もしハイパー・デン・シティが、オーストラリアのデヴェロッパーや多国籍資本が実現するようなものだとしたら、資本主義の勝利の持ち駒になってしまいます。
僕が今日、どうしても八束さんにお聞きしたいのは、資本主義に対するスタンスとして、「本当にそれでいいんでしょうか」ということです。レム・コールハースを見るとはっきりすると思いますが、彼は昔から国家を問題にしていない。資本だけです。でも資本に抵抗するというよりは、資本が暴れる先端部分で一緒に暴れていればいいじゃないかという立場です。最近は非西欧圏のある段階の国家に興味を抱いているみたいですが、どちらにしても彼の場合はたいして違わないことになるのではないかと思います。彼は資本や国家が滅びた後の世界について、一度も考えたことがないのではないかと思います。でも僕は、自分が生きているうちに、資本も国家も一度は滅びるだろうと思っています。そうなった時に、生き延びられるような街や環境が必要だと思います。それをやるのが21世紀の都市計画の重要な役割だと思っています。いまはまだ資本と国家は壊れていませんが、それらが壊れていないいまのうちに、壊れた後の世界に備えた街や環境や建物を、部分的にでもつくっていくべきだと思うんです。僕が今日、八束さんとお話ししたい論点はそういうことです。

吉村──資本主義、あるいは消費社会の優等生TSUTAYAとスタバの脇で相当異様な話に聞こえているかもしれませんね(笑)。僕も西沢さんが書かれた「現代都市の9か条」を大変興味深く読ませてもらいましたので少しおさらいしてみたいのですが、そこでは、クリストファー・アレグザンダーやジェーン・ジェイコブスの誤読によって建築家や都市計画者が都市を計画することを放棄してしまったという話が導入になっています。そうして「失われた40年」が導かれ、いまでは計画の分野で物を申す人がいなくなってしまった。ここまでは、おそらく八束さんや、それから僕とも共有する前提です。

その後、話は誤読の指摘にとどまらず、アレグザンダーやジェイコブスの射程そのものの不備の指摘へと展開します。たとえばジェイコブス的な界隈とか都市の賑わいみたいなものが、内部的で短期的だとおっしゃっています。それに対してもっと外部的で長期的な提言が必要なんじゃないかと書かれている。ここも異論のない話です。

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ただ最後に、これから東京がどうなっていくのかということについて素描があり、東京という都市は、広域的で不均質、要するにこのスプレッドアウトした状態を維持したまま虫食い状になっていく。そのための実験場になるとおっしゃっています。この部分でおそらく八束さんの湾岸にギュッと高密度にまとめる提案との違いが出てきています。その違いをお二人は建築家としてどう捉えるのか、今日ぜひ伺ってみたいところです。

プロジェクトと立地のリアリティ

八束──僕はオーストラリアに建てられても嬉しくない気がします(笑)。東京じゃなくてもいいけど、湾岸というのがひとつの味噌。内陸の話はとりあえずしませんと。半分冗談だけど、内陸は大野秀敏さんに任せましたと書きました。今度この3人+大野さんで藤村龍至さんによるイベントがありますから、その時のために取っておいた方がいいと思いますが。とはいえ、この計画は日本の一部というよりそのエッジにあるものとして位置づけています。実際一部はパスポートフリーゾーンとして考えています。飛び地というか出島のようなものです。それでもエッジはエッジとして日本にくっついていないとおもしろくない。
この立地に関して私が学生たちに言ったことがひとつあります。私たちの学校は最初、芝浦にありました。3~5年前に豊洲に移ったのですが、いずれにしろベイエリアです。西沢さんが出られた東工大は内陸で、吉村さんが出られた早稲田大学も大陸です。東京の内陸というのは、低い建物が絨毯のように広がっていて、その中に隙間があってという話が塚本さんたちがやっている「ヴォイド・メタボリズム」というようなことです。ですが、私が「ベイエリアン宣言」とわざわざ言っているのは、大学が違う環境にあるのに、大多数の建築の学校と同じことを考えるのは変でしょうという理由が背後にあるからです。それからオーストラリアではおもしろくないのは、オーストラリアはあれほど高密にする意味はない。波打ち際で全部引き受けてしまおうというのは、移民最前線の場所という意味でもあります。この前も移民に関するインタビューを受けたのですが、内陸にその人たちが入っていくかということは明確にしていません。とりあえず、あそこでなにがしかの労働をして、対価を得て帰る人たちを想定したのがコンテナのプロジェクトです。だからこのエッジは定住体ではないのです。もちろんそれが定住して2~3世になって日本の社会に溶けこむということはあってもよくて、その人たちはインナーシティに入っていくと思いますが、そこまでの計画をやりだすと切りがない。
エッジに関していうと、丹下健三さんの「東京計画1960」は海上の計画で、湾岸はブランクなままですが、そのように海の上にやるとコンテクストがなくなってしまいます。
今回の本には出てきませんが、われわれがやったエリアは、地価のコンタを書くとあそこから内陸側が高くなる。そういう意味でも、エッジ=ベイエリアは地価がある程度安くて、ケヴィン・リンチ風に言えば、グレインがでかい、不細工な町だと。ここだったら実際にできるかはともかく、背景としてはリアリティがある。オーストラリアだとあまりそのリアリティを感じない。
それからコンパクトシティの話が出ましたが、これは相対的にコンパクトにするということで絶対的なサイズのことではない。その意味で僕はコンパクトシティ反対ではない。われわれの提案はメガ・コンパクトシティです。ただ、コンパクトシティと言うと、ハワードみたいな3~5万人スケールのものをつくってもしょうがないと思います。この点では西沢さんと同じですね。地方では意味があると思いますが、とりあえず内陸は知らないと言ったので、地方のことも知らないと言っておかないと辻褄が合わない。ですから、東京は横に広がりすぎたからグッと集めて、エクスプロージョンじゃなくて、インプロージョンが起きるとしたらどういう都市形態になりうるかという話が我々の計画です。半分は香港がモデルのつもりです。香港もベイエリアに集まっている。そういうふうなことを考えていました。
ちなみに、オーストラリアという話が出ましたが、吉村さんに聞いてみたいのは、レム・コールハース/OMAにせよ、MVRDVにせよ、オランダという九州くらいの大きさと人口なのに、なんでああいう高密や巨大なものが好きなんですか。

吉村──彼らはよく、「潜在的な人口密度」という言い方をします。オランダはキロ平米あたり350人とか、日本と同じくらいの人口密度を持っています。もちろん、あちらは山も谷もない、すべてが居住可能域という特殊な地形にうすべったく住んでいて、日本のようなほとんどが山で住めるところが限られている状況とはまったく見え方が異なりますが、数値上は疑いようのない高密度です。彼らはこれが、何かちょっとしたきっかけによって飽和する可能性を憂えているので、さまざまな都市機能を高密度に集積して、潜在する閉塞感を打破する方向の提案は受け入れられやすい。それから、もともと自分たちで土地をつくってきた伝統があるので、ゼロからつくることに抵抗感がない。土木と建築が近いんですね。それが彼らが巨大なプロジェクトに取り組む理由だと思います。少なくとも僕がいた頃は、逆に人口密度の薄い土地ではなかなか受け入れられないと嘆いていました。アメリカでは相手にされないとか(笑)。

近代化/近代都市の次の段階

八束──オーストラリアはもっと相手にされない(笑)。
これはたぶん良し悪しの議論を超える本音の話になると思いますが、どのみち60年当時の世界人口みたいなのがこれから地球上に被さってくる状況で善し悪しの問題は簡単にいえないということはさんざん本に書いたので、なんで僕らがこんなことをやっているのかと言うと、あまり拡散していくことに心が沸き立たないからなんですね、無責任な言い方だけど。香港へ行くと僕は気分が良い。東京へ帰ってきて成田エクスプレスで来ると、千葉のあのへんが低くて嫌だなと思います。どうせならば、「Hyper den-City」の方がやっていておもしろい。正しいかどうかではなく、そういうモチベーションは確かにあります。まあ、僕の学生でも香港行って気持ちが悪くなったというのもいるから、これは一般化できない個人的な問題であることは否定しませんが。
あと、西沢さんがモダニズムの狭義/広義という話をされていましたが、それは僕の過去を見ていただいているので、そう位置づけられているのかもしれません。「メタボリズム」展はそういうものの中に引っかかっていますが。ただ、僕としては広義のモダニズム、モダニゼーションを引き受けた話のつもりです。西沢さんは否定的に書かれていますが、中国やアジアで行われようとしている、あるいはすでに進行している近代都市が生成されていくということに対して、いくつかコラムがありますが、半ば呆れながらも、無視できないというところがあります。それでいいんですかと言われると、良いか悪いかはわからないけど、ちゃんと見てみたいということです。

西沢──わかりました。確かに僕は昔の八束さんのお仕事と混同しながら見ていたところがあります。ハイパー・デン・シティだけを切り取ってみれば、確かに広義のモダニズムを重視していると思います。
それを確認した上で、僕がお聞きしたいのは、広義のモダニズムの次に来るもの、つまりモダニゼーションの「次の段階」もしくは「後の段階」です。いまの日本はまさにその「次の段階」で苦しんでいる最中です。近代化のノウハウはみんなよくわかっているし、近代都市のつくり方もよくわかったけれど、近代都市をつくった後にはじめて生じる問題については、誰も手も足も出ないというのがいまの状況だと思うんです。僕も偉そうなこと言えるわけじゃなくて、あれこれ考えてはいても、「じゃあお前やれ」と言われて全てを解決できるわけではありません。そこで、モダニゼーションの「次の段階」に大きな困難があるというコンセンサスをつくって、ちょっとでも使えそうな提案や議論を掬いとることが、何はともあれ必要なことだと思っています。八束さんのハイパー・デン・シティも、本当はモダニゼーションの「次の段階」を意識されているのではないかと思います。
モダニゼーションそのものについては、日本の60年代の高度成長が一種の成功例のように思われています。いまの中国のモダニゼーションの手法は、ほとんどメイド・イン・ジャパンのようなものです。農民を賃労働者に転換するやり方、国家主導の高度成長の進め方、海外ノウハウによる大規模ニュータウンの整備の仕方、といったパッケージ全体が、日本の60年代の制作品だと思うのです。それはある意味では致し方ない面もある。あれだけ大胆に農民を農地から引き剥がしてしまったら、近代都市に住まわせて賃労働者にしないとどうにもならない。問題は、そうやって近代都市が整備されてゴールインかというと、全くそうではないことです。そこに生じる「次の問題」が、近代都市をのたうちまわらせることになるからです。だから、近代化の「次の段階」に移行しつつあるいまの東京のような都市で、どこに突破口があるかという、次のヴィジョンを見つける必要があると思っています。

磯崎新──「都市からの撤退」

八束──近代都市ないし、現在の東京の話をする前に、都市論をしなくなったこの失われた40年の話をしたい。それはモダニゼーションじゃなくて、ポストモダニゼーションです。それって一体どういうことなのかと。その時に都市はどうであったのかという話は、多分3人それぞれ歳がずれているので、それにも拠る気がします。

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僕からすると、僕は72~73年頃のメタボリズムの最後の香りを知っています。オイルショックの時も大学院生ですから知っています。その後、いきなり都市に関わる言説がなくなった。磯崎新さんが「都市から撤退する」と言ってしまった。あれはあまりにかっこよかったから、みんなが右に倣えをしてしまいましたが、いまから考えると問題があったと思っています。逆未来学というのはそこから発想しています。未来学はバラ色の未来像を振りまいたけれども、それがあっという間についえてしまった。オイルショックの直前に『終末から』という雑誌が出たりするくらいでバラ色が急転直下暗黒色に染め直されたんですね。磯崎さんの撤退論は元々廃墟論をしていた人だからそこにフィットしたわけです。ル・コルビュジエにしても丹下先生にしても、メタボリズムにしても、都市はダメだから大規模手術をしなくてはいけないと言ってきたはずですが、敗戦で壊れているから再建しなければいけないというのはあったけど、1957年に「戦後は終わった」という政府の発表があり、高度経済成長に入っていく。その波に乗って丹下先生は次のフェーズに入っていきます。しかし実際には、何もやられていないのに、万博という擬似イベントがあって、オイルショックで経済も落ち込んだのに、「いまの都市って結構良いじゃん」ということになった。それを肯定したのは伊東豊雄さんとか僕のちょっと上の世代です。富永譲さんは「インダストリアル・ヴァナキュラー」という言葉を使いました。日本の都市そのものが変わったわけではないのに、いきなり手のひらを返したのか元々そう思っていたのかわからないけど肯定になってしまって、それには違和感がありました。僕もジェイコブスとかは読んだし、現実都市については必ずしも否定派ではなかったけれども、それにしてもこうなってしまうと前の時代の人が言っていたのは何だったんでしょうねと思った。この違和感が40年続いているという気がします。「都市からの撤退」についてと実際の都市への認識は、おふたりと僕ではまた違うと思いますので、お話いただけますか。
できれば、都市を語らない状況への批判をしてもらえると嬉しいんだけど。

西沢──磯崎さんの「都市からの撤退」については僕も文章の注のところにあげたんですが、僕はそれよりも重大な問題があるという気がしています。僕は基本的に建築家の全員が全員、都市のことを考えなくてもいいと思っていますが、とはいえ、八束さんのおっしゃるとおり、日本の建築界ではほぼ全員が考えていないという、かなり極端な状況になっています。日本の50年代はそうではなかったわけですから、これは70年代のポストモダニズムのあたりで露骨になったのでしょう。どうしてそんなことになってしまったのかと言えば、磯崎さんの撤退宣言が原因というよりも、磯崎さんを撤退させたことの方に原因があると思います。それは国内の都市計画の受注形態のことです。
僕はヨーロッパやアメリカに憧れたことは一度もないですが、でも、ヨーロッパなら30歳くらいの建築家でも、たとえば自分の街のセントラル駅の駅前広場がどうあるべきかという一家言を必ず持っていますよね。そのための調査業務もしているし、それを自治体からオファーされる発注システムもある。あの駐輪場が問題だとか、ここにスターバックスが店を出すとダメだとかいう意見を、彼らは細かく言いますね。ヨーロッパにも都市から撤退して、クラフト的な、あるいはアーティスティックな仕事だけをやっている建築家はいるわけですが、その一方で、一定数の人たちは必ず都市問題、たとえば広場の使われ方なり道路の渋滞なり、人口密度なり物流問題なりエネルギー問題なりという、都市であるがゆえに誰かが解決しなければならない問題に取り組んでいる。大事なことは、それがイノベイティブな成果をあげていることですね。しかもそのイノベイションが新たな市民的なコンセンサスのベースになるという、社会的な回路があることです。
日本にはそれがない。それに相当する作業は、日本では都市計画系のコンサルタントが独占的に受注しています。ちょうど原発の調査レポートを経産省から受注する人たちのように、都市計画コンサルが東京なり福島なりの調査レポートを受注してきました。それはいくらやっても開かれたコンセンサスを形成しないし、イノベーションをもたらさない。前例主義ですからね。この発注体制が確立されたのが、たぶん1970年代なんだろうなと思います。それが日本の都市空間に創意工夫をなくしてしまったし、ジェントリフィケーション(高質化)しかできなくしたと思います。まあ高質化にも良い面はありますが。
ようするに、都市からの撤退をせざるをえなくした問題というのがあって、それは下世話な話をすれば発注形態の問題です。それ以降、前例のないものでも都市を改善する提案を受け入れていく回路が、ほぼ完全に遮断されたと思います。

必要な都市生成プロセスの解明

吉村──日本の都市空間というのは、計画がうまく機能しなくて、僕の文脈に引き寄せて言えば法規だけが自動的に作動しているようなところがあります。特に東京は地価が高く、ヴォリュームを最大化するという市場感覚が一般化して背景に下がり、法規がわかりやすく前景化しています。運転手のいないトレーラーのようだと例えても良い。

 ただだからといって、東京は救いようがない都市だと不安をあおることにも懐疑的です。東京は、これだけ安全に快適に暮らせる都市で、しかもこれだけの人数を収容しています。清潔でありながらこういうお店のような都市の賑わいもある。そういう都市が計画を経由せずつくられたとなればそれこそ驚き以外の何ものでもありません。そのプロセスを何とか解明したいという気持ちが強くあります。なので、僕はひとまず現状肯定派で、機能しない計画を再度召還するというよりは、いまの東京のつくられ方を新種の都市計画と定義し直せないだろうかということを考えています。

西沢さんの「現代都市の9カ条」の中にスラムの話がありますが、それはスラムという言葉から僕たちがイメージするような空間的な集合を伴うものではなく、都市空間にレイヤー上に台頭する新種のスラムです。西沢さんはスラム排除の歴史を痛烈に批判されていますが、僕も、単に排除することには反対です。ただ東京が悪例とも言い切れないと感じていて、僕は、スラムが蔓延してなお機能不全を起こさない東京から学ぶことがないか注目しています。端的に言えば、なぜ東京ではスラムを都市空間に紛れ込ませることが可能だったのか。その動作系を解明して、再現可能なよう理論化しておく必要があるのではないか。そんなことを思うのです。その意味で、『東京計画2010』にスラムエリアがあらかじめ計画されたことの意義は大きいと思いますし、そのことに深く共感するものの、それが隔離されたことについては違和感があります。ネットカフェを転々とするような存在とか、ギリギリ定義を免れているだけでほぼスラム的な暮らしを送っている世代をうまく吸収する空間に東京がなれたということは、もう少し評価されていいという気が僕はしています。スラムエリアは、ビエンナーレのとき僕にお手伝いのお声がけいただいたエリアでもあるので、僕自身そこが何となく消化不良のまま心残りとなっています。今後もぜひ議論をつづけさせてもらいたいと思っています。

篠原一男の都市論

八束──先ほどは建築家たちの手のひらを返したような物の見方に関して申し上げたのですが、僕も現実の東京に対する見方はそんなに吉村さんとは違っていない。社会学者や哲学者の間でも、都市空間が貧しくなっているという言説があります。それを見ると、半分そうだと思うけど、まあやっぱり知識人は何でもネガティブに言うのが好きだよねという気がする(笑)。いままでのところ東京はそんなに悪くない。ジェイコブスが言おうが悪くない。それは下町のようなところが残っているということが悪くないというだけじゃなくて、六本木ヒルズも基本的には悪くないと僕は思っています。ここは西沢さんと違うかもしれない。
ただし、これからずっと悪くないかどうかはわからない。人口がもっと増えて、高齢化して、外国人がたくさん入ってくるとそんなにうまくいかないだろうと思います。だから、もっと大きな話を考えていかないといけないだろうというのが僕らの根底にあります。
たとえば、この40年、住宅を通じて都市を語るというような、篠原一男さんから始まった世代ですが、僕らがやってくれることを理解してくれるのは篠原さんだろうと思っています。篠原さんの書いたそういう都市論がありますよね。それは次の世代には伝わらなかったように思いますが。篠原さんはクールメタボリズムとは全然違う。それはその通りですね。

西沢──そうですね、篠原さんは都市にたいして非常にこだわっていたんですね。ただ、計画対象としては見ていなかったと思います。篠原さんの場合、いわば仮想の都市コンテクストというか、自分が想定している都市はこういうような秩序です、というような話でしたね。篠原さんの最後の本もそういう都市論でした。

八束──僕らの「東京計画」も実のところ計画なのかどうか分からないと思ってはいるのですが。むしろ都市のファントムのようなものかもしれない。過度に具体的な処方箋としては見てほしくないのです。こんなところに住みたくないという問題ではないとさっき言ったのはそういう意味です。
個人的な思い出を言うと、昔、僕がよく翻訳をしていたマンフレッド・タフーリという歴史家、評論家がいます。彼が来日した時、僕はまだ磯崎さんのアトリエにいたんだけど、東京を案内しろということになりました。磯崎さんの都内の住宅と、デヴィッド・スチュアートが合流して「上原通りの住宅」を見ました。そこに篠原さんがいらして、みんなでワイワイと渋谷へ行って飯を食った記憶があります。その時、篠原さんが嬉々として公園通りを歩きながら、「これローマのヴェネト通りと似ているんじゃない」というような話をしていて、篠原さんもそんな話をするんだなと思いました。たぶん、多木浩二さんの影響もあって、彼がやっていた都市論というのは、たぶんメタボリズムに対して直接的には否定的だったと思いますが、どこか、僕らが「おもしろいからやっている」というような感覚が似ていると思います。ただ、それをグローバリズム、資本が一人相撲をやっている中でどう考えていくかということは、西沢さんの言うように「それでいいんですか」ですが、それでやらざるをえないかなとは思っています。そういうことを考えないで篠原さんの上澄みだけを掬って、住宅をかわいくつくるとそこに何となく隣近所との隙間があって、これが都市だよねとか、ずっと低く無限に繋がっていく、エクスプロージョンしたサバーブス的な東京の中に吸収されていくというのは違和感がある。40年、日本の建築家はそれをやっているわけです。それが驚くことに震災の後も続いている風なのはもっと違和感がある。

セカイ系の建築?

八束──僕はまだちゃんと議論をする用意がないし、この前もあまりうまくいかなかったけど、「メタボリズム」展のレム・コールハースと東浩紀さんと、御厨貴さんを呼んだシンポジウムで、東さんにオタクの話をさせようと思ったけど不調に終わった(笑)。彼はセカイ系ということをずっと言っていて、僕は年齢がはっきり違うのでよくはわかりませんが、彼がそれを書いているのは未来学会のスタンディングメンバーだった小松左京さんのことに関してです。要するに、小松さんの『日本沈没』のようなSFに対して、その20~30年後の漫画を含めたオタクの世界があって、それはセカイ系だというのが彼の総括です。僕とあなた、恋人同士やファミリーといった非常に身の回りの話が、社会とか国家とかの中間をすっ飛ばして、世界の話にいく。これがセカイ系だと。いまの日本のポストモダン建築も世界は引きずってないけど、中間の話が飛んでいて、別の意味での世界になっている。それは決して都市にも社会にも微小な部分でしか繋がっていかない。それはどうなんだと。
たとえば、震災以降の状況でも、ボトムアップ型の思考に意味がないとは言いませんが、広がりがないのですね、それだと。それは慰めの空間を用意するかもしれないけど、じゃあ一体あの地域をどうするんですかというヴィジョンは提供しない。そうでなくとも縮退コミュニティだった東北はほっておいても、ほっておかなくてもお金を注入しても産業は生き返られないし、高齢化は防げない。それをどうするかというヴィジョンが見えない。議論しようともしない。ある新聞記事ですが、「愚痴を聞いてあげるのも建築家の役割だ」という発言をした人がいて僕は口をあんぐり開けてしまいました。これってイマジネーションが著しく縮退している状況じゃないかと思いますがどうでしょうか。

西沢──セカイ系の話はお恥ずかしながら初耳だったのですが、たしかに建築家は自分の身の回りの人だけしか考えないという風潮になっているでしょうね。ただ、そういう人たちには言ってもわからないので、言うだけ無駄なような気もするんです。そういう人たちはヨーロッパでもアメリカでもわりと増えています。そういう矮小な日本的なるものに開放感を感じる人たちもいるわけです。もちろんヨーロッパやアメリカには、他方でそうじゃない人もガッチリいる。運河はこうすべきだとか、産業はこうすべきだとか、この物流方法はすごいんだとか、延々とイノベーションをやっている。だから、セカイ系の人たちは放っておいて、ガッチリ系を増やしていくしかないと思うんです。ガッチリ系はとてつもなくクリエイティブなんだよってことを、大学生とか中学生とかに示していくことが大事だと思います。

資本と国家よりも寿命の長い都市

それと、さきほどの東北の話ですが、僕が思うのは、税金を使って防波堤をつくるのもどんどんやってもらって構わないんですけど、ひとつだけ東北の方々にお伝えしたいのは、税金がないとやっていけないという生存形態になったらジ・エンドだ、ということです。先ほども言いましたけど、吉村さんや僕らが生きているうちに、いまの国家は破綻してしまうと思うのです。財政赤字が1,000兆円を遥かに超えて、いままでの円が廃止になって、「ハイ、今日から新円に移行します、旧円の預金は全部ゼロになりました」というようなことが起こると思います。そういうことは歴史的にはしょっちゅう起きていますしね。だから、国家をあてにしていると危ないのです。かといって、資本主義をあてにすることもできないのです。アメリカがあれほどドルを刷りまくり、日本も円を刷りまくってアメリカ国債を買いまくっている以上、いずれハイパーインフレーションか信用恐慌かのどちらかになるでしょう。ハイパーインフレが起こると、たとえば1,000万円の貯金を全額はたいても消しゴムひとつ買えないような事態になる。信用恐慌が起こると、円やドルを持っていても何も交換できなくなる。どちらの場合も、いまの日本円、つまり日銀の兌換紙幣は使い物にならなくなる。だから、資本も国家も信用できないのです。もちろん、現時点では国の税金を使って街を整備すべきだし、港も整備すべきだし、まちづくりもすべきだけど、その目的を間違えないでほしいのです。真の目的は、国家が滅びても生き残れるような環境を東北につくることです。あるいは資本が滅びても生き残る街を東北につくることです。そのためになるのであれば、税金であれ民間資本(寄付金)であれ、使えるうちに使いまくってほしいです。

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別の説明をすると、都市と国家と資本という三者は、区別されるべきだと思うんです。その上で、都市の寿命が国家や資本の寿命よりも長期的だということを、最大限に重視すべきです。ベルリンは20世紀に2回ハイパーインフレを経験しています。国家の崩壊も2回経験しています。それでもベルリンは生き残っています。都市というのはそういうものです。東京も、国家の崩壊を2回経験しています。それでも東京は生きながらえています。都市や街の寿命は、国家や資本の寿命よりも長いです。国家や資本はまったく永遠なものではないです。
だから、東北はいまの国家からお金をむしりとって、国家よりも長生きする環境をつくってほしいです。そして資本からも、つまり寄付金や赤十字からもお金をむしりとり、赤十字よりも長期的な街をつくってほしいです。国交省の言うとおりにやっていると、30年ごとに交付金をもらわないとガタガタになるような街しかできません。交付金が途絶えたとたんにメンテナンスできなくなるようなものしかできません。そんなことでは国家と共に滅びることになってしまいます。近代国家や産業資本というのは,かなり短期的なのです。いまの国家が東京を制圧しているのはワシントン講和条約以降の60年間程度で、その程度でガタガタになっているのです。その前に東京を制圧していたのはアメリカが7年間、さらにその前は大日本帝国が70年間くらいですが、60年とか70年というのは人の一生よりも短いです。近代国家をあてにしていると,短期的に崩壊するような街しかできません。
近代国家や資本主義が滅びた場合も、何らかの統治形態は残るでしょうし、何らかの交換経済は残ります。それが自治体紙幣なのか地域通貨なのか代替貨幣なのかわかりませんが、円もドルもダメになっても生き残る環境、それが東北で一番構想されるべきものだと思うのです。僕が長期的と言っているのはそういうことです。

吉村──そうですね。建築の上位にある法、建築の上位にある土地や都市といった、包摂関係を信じられない時代です。普段僕は、いまだに都市のことを考えたがっている希少種を自認していますが、実際手を出せる範囲が異常に限られていて、政治という実現力を欠いた、いわばDIYのようなことしかできないわけです。「都市のDIY」でいったい何ができるのか、無力感を感じざるをえないのも事実です。ただいまの話を聞くと、建築が都市を凌駕するというような物言いが単なる負け惜しみでなくなりつつあるのかもしれないと感じます。

建築・都市を議論する場と言葉

八束──先ほど西沢さんが発注形態の話をされたけど、それは非常にダイレクトですね。そういうことを議論する場もなければ言語もないんだと思うんです。僕は都市工学科を出て、大学に11年もいました。磯崎さんのところに行ったのは77年です。オイルショックで落ちた時期です。僕は都市をやろうと思ってその学科へ行ったのですが、メタボリズムみたいなものがばっとなくなった。それで、役所のレポートを書くわけですよ。いまだにそうだけど、日本の都市計画事務所が役所のために書く文章は生理的に受け付けられない。こういうことは絶対に一生続けられないと思いました。
会場の中にそういうことをやっている人がいたら恐縮ですが、まちづくりという言葉にも違和感があります。まちづくりを否定するつもりはないし、DIYも否定するつもりはない。ボトムアップも重要なことを否定するつもりもないのですが、逆に「それだけでいいんですか」という感じがする。
この前もインタビューでそういう話をしたのですが、「ふれあい何とか」というのは気持ち悪くてダメなんです。僕の家の近くに「ふれあい緑道」があって、何か痴漢がいっぱい出そうじゃない(笑)。そういう言語に対する想像力の衰退があります。建築家は建築雑誌で身体とか自然とか、難しいことを言っているようだけど、あんまり実は「ふれあい」と違わないことを言っている。それが問題で、誰が悪いのか元凶を見つけてもあまり意味がありませんが、『ネクサス』の執筆中に調べて印象に残ったんですが、当時の『新建築』は官僚がいっぱい書いています。建設省の人たちとかは結構いいことを言っているんだな。でも、いまの『新建築』にそういうことは絶対にない。西沢さんの論文はまあよく出たと思うけど、そういう雑誌になっている。それは編集者が悪いのか、役人がダメなのか、建築家もダメなのかわからないけど。じゃああなた方は何を根拠にデザインをやるのかと。プランニングになると、社会的な広がりが要請されると思うんだけど、それが身体観や「ふれあい」だったりすると食欲がわかない。それでは、将来のエキサイティングな都市は絶対に生まれてこないと思います。
建築作品はおもしろいかもしれないし、いまの日本の現代建築が世界で受けているのは、向こうの連中からすると「クール・ジャパン」というか、要するに人間社会の何かが落ちている動物がおもしろいことをやっている、巣作りをやっているというように見えていると思う。新手のエクゾティシズムだと思うけれど、それでいいのかということですね。
一方西沢さんの先ほどの発言に少し違和感があったのは、パブリックスペースの話がありましたよね。ただパブリックスペースというのは西洋的な考え方ですよね。シンガポールなんかは3人集まって何かやると捕まるような抑圧体制でもある。でも多分伝統的にパブリックスペースがない社会だから成立していると思います。僕らの「サウスシティ」にもそういう意味でのパブリックスペースはない。なにがしかの代替物は自然発生的というかインフォーマルに成立してくることを期待していますが、形にはしていない。先ほど吉村さんが僕らのスラムに違和感を持たれるといわれたけれど、ここのところが引っかかるのでしょうね。そこはまだ宿題なんです、グローバリズム都市における新たなパブリックスペースのあり方は。ただ西洋で培われた市民社会の空間や建築と同じことを日本がやってもしょうがない。だけど、動物的なカワイイだけの根拠のない建築でもしょうがない。そのどっちでもないものを考えていくことが必要ではないか。

吉村──僕は、いまおっしゃられていたような建築をつくっている世代に属しているんじゃないかと思います。僕自身にもそういう一面があるからなのかもしれませんが、これも単純に否定できない現実のひとつではないかと感じます。都市を語り、地域を語り、国を語り、次第にエスタブリッシュするような道筋が見えなくなって、部屋と世界を直結する回路がむしろ鮮明なわけですから、そこを使うことにこそある種の社会性があるとも言えます。僕の場合はやや旧型の社会性に固執している面もあって、たとえば法規や流通システムに注目するプロジェクトとか、建築の図面を配るプロジェクトをやっていたりします。既存の社会にすでに築かれているものにパラサイトするようなことで何か変えられないかというアプローチですから、それは大きなヴィジョンを直接描いているわけではないし、それは先行する世代の建築家よりもささやかかもしれないけど、社会に繋げたいというストレートな希望が比較的大きいと言えます。それは日本的な側面ではなくて、MVRDVで培われたものかもしれません。

八束──それは吉村さんのユニークネスですね。僕は、でかい話をやらなくてはダメということを言っているわけではありません。いまの日本のパラダイムは変だと言っているわけで、そこに上から亀裂をつくろうが、下から亀裂をつくろうがストラテジーの問題です。だから今日来ていただいた。
さっきのパブリックスペースの話はどうですか。

西沢──なるほどなと思いました。パブリックな意識の低さというのは、従来の常識によれば一方的に悪いことだと捉えられてきたのですが、逆に良い結果をもたらした可能性があるということですよね。さっき吉村さんが「マスタープランがないのにうまくいってしまった」とおっしゃったけど、そこにつながる問題だと思います。
東京は、厳密に言うとマスタープランがないわけではないけど、基本的には文言だけのもので、前例主義でやってきて、何の投企もトライアルもしていない。いわば空気を読み合いながら鉄道なり人口密度なりをいじってきた。なのに、なぜか前例のないものができてしまったというわけですね。それは八束さんが示唆されたように、日本のパブリックスペースに対する意識の欠如が可能にしたという分析も可能かもしれない。僕がパッと思ったのは、たとえば山手線の生成です。あれは、なぜあのサイズで円環になったのか。30分で半周というあの大きさは非常に巧妙で、全ての駅に30分以内に到達できるんですよね。しかもそれぞれの駅が、全く違う性格の街にあることも、ちょっと巧妙なんですね。あれはマスタープランありきの国ではできない気がします。八束さんの本にも出てきますが、いまや山手線はものすごいオペレーションをしていて、信じられない間隔と密度で人を輸送するインフラになっています。ああいうのは他の都市では見たことないですね。大阪の環状線もちょっとサイズが違いますし、ロンドンの地下鉄のリングもちょっとダメです。山手線は、明らかに人間がつくったものだけれども、意図したものと意図していないものが混ざりあって成立していますね。
都市計画が、仮に過去40年間の大きな空白があったとすると、ジェイコブスなり、アレグザンダーなりの言った「自然成長性」をどうやって計画性に取り込むのかという段階で挫折して、空白期間に突入しています。もし自然成長性の保持の仕方を解明できたら、人類史的な価値があると思います。

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話がそれましたが、日本の公共感覚のなさというのは、割と意表をつく結果をもたらしたような気がします。公共感覚がないからといって、アナーキーになるわけではなくて、別の秩序をもたらすことがある。

ポリティカル・コレクトネスの空間

八束──話がずれてヤバい方にいくかもしれませんが、逆未来学を書き始めて感じていることがあります。先ほどの「ふれあい」じゃないけど、いまの日本社会はポリティカル・コレクトネス空間になっている。言っちゃいけないこともいっぱいある。
たとえば、僕は原発について実はあまり言いたくない。というのは、自信を持って原発は否定とも容認とも僕は言えない。それだけの知見がない。だから言いにくいんだけど、たまたまいま読んでいる小松左京さんが生前の頃、計画が始まった3.11以降のSFのアンソロジーがあります。その中に小松さんの最後の文章が載っています。あの人は若い頃に雑誌の記者をやっていて、原発の始めの頃の取材をたくさんやっています。それで、基本的に原発あるいは原子力に対して否定的だから自分は共産党に入ったと。そういう人間なんだけど、いまから考えてほしいと。広島と長崎で29万人が亡くなったけど、今回、瞬時に亡くなった人はひとりもいないでしょう、そのことは考えるべきだと言っています。これが正しい言説かどうか知りませんが、それをいまの時点で言うことにはものすごく勇気がある。やっぱり原発がダメと言っている方がPCです。
それに類したことがたくさんあります。原発の話に触れなくても、東京の話ができるかもしれません。けれどもそれをひっくり返していくことを考えていかないと、「ふれあい」みたいなものに落っこちていく。
逆未来学は、まだ入口ですからあまり大したことも言えないのですが、そういう議論を日本の建築界や都市計画の人たちもまったくしていないわけです。僕はこの本のイントロで、正しいとか良いということでモノを評価するのは限界に来ていると書いてしまった。これからまだ人間は30億人増えるかもしれないけれど、エコロジカル・フットプリント、人を養うための耕作地面積は限界を超えている。どうなるかわからない。そこでPCの話をしていても埒があかない。そこまで踏み込んだ話をしていかないといけないと思います。
先ほど西沢さんは、将来的に日本がギリシャ化しているかもしれないという話をしていたけれど、そんな状況でめでたい話をしていてはいけないと思います。そこで僕はそろそろリタイアも近いし、後はよろしくと言って逃げることはできるけれど、おふたりはそうはいかない。また、今日聞いてくださっている若い方にも是非そういう議論をしてほしいし、そのための、勉強して欲しい。上から目線で恐縮ですが。そのためにこの本が役に立てばいいと思って、嫌われ役を引き受けています。

西沢──僕の都市論も、明らかに世の中の流れと違うなと書きながら思ったんですよね。こういう意見を発表すると、あちこちで人に嫌がられますし、仕事もなくなっていく恐れもあるし、友だちも減っていくわけんですよね(笑)。ただ、そういう意見を公表しないということにしてしまうと、自分の認識を言うのでなくて、人が聞きたいことを予想して言う、という人間になってしまう。空気を読み、当たり障りのないことだけを言うという、日本版ポリティカル・コレクトネスになってしまう。そういう言説しかしない人は、存在していないのと同じです。もっとその人にしか言えない意見を、間違ってもかまわないから、言った方がいいです。

吉村──僕も基本的には同意なのですが、ヒールを演じることで、議論ともども葬られることを避けないといけない。そこはしっかりアンカーを打って議論を続けなければいけない。そのための方法が何なのかは、なかなかはっきりと明言できないですが...。

西沢──続けることが大事な気もします。この本にあるような計画案とリサーチは、八束さんが退官されても、監修者になられて、可能な限り続けてほしいです。本来こっちの方がいいだろうという証明を、大学という場所でやり続けてほしいです。バチカンみたいな中間団体は、それに近いことを何百年もやっていますよね。そういった、大学の持っているポテンシャルや可能性を、可能な限り長期的に続けていただけると、非常におもしろいと思います。

八束──この前にインタビューされた時も、建つことを想定していないという話をしました。考えてみれば、ル・コルビュジエの「300万人の都市」とか、「輝く都市」は建てたいと思ってやっていたんですね。丹下先生は「東京計画1960」をやった時も、あれで建つとは思っていないけど、建設コストを計算しています。あの頃彼は大来佐武郎さんなんかと付き合っていて、数字を出しています。2~3年前にある方と話をしていて、その方のお父さんが1960年代当時現役バリバリの不動産屋さんだった人でした。あの計画が発表された時「東京はこれからこうなる、俺たちの商売はこれに突っ込まなければいけない」と言われたそうです。だから、ひょっとするとあのままの形じゃなくても、ありえたのかもしれない。もちろん建つべく説得したり、正しい計画にも意味があると思うけど、そんなに単純な話ではない。われわれがヒールを買って出てるのかわからないけど、そういうことをやれるという面が大学にはあります。ただ、これはひとりだけで言っていてもしょうがないので、いくつかの大学でやってほしいと思っています。日本のいまの建築学科って本当に言語がないんですね。
吉村さんなんかはあちこちの大学に行って、学生のプロジェクトを見ていると思うんですが、そこでヒールやったら大変だよね。

吉村──僕自身ができるかどうかも謎ですが、いまの学生たちはヒールになれないと思いますね。どの大学に行っても、学生達がそれこそポリティカル・コレクトネスにどっぷり浸かって育ってきたことを痛切に感じます。コミュニティがいいとか、オープンがいいとか、図書館がいいとか、よいことはよい、と思考停止してしまう風潮が強くあります。教育は慣性力が強く、とても難しいと思いますが、いまあきらめてしまったらまたこの先40年間うすっぺらい道徳観に悩まされることになる。それはとても危険なことです。

西沢──そうですね。やっぱり大学というのは社会的に見れば知的集団で、最もイノベイティブな場所であったはずです。そこがいまや単なる就職のための予備校みたいになっているので、そうではない知的インパクトを生産できるようになってほしいです。

八束──ここの3人では、僕だけが専任の教師だけど、設計志望の学生に対しては先生が干渉しない方がいいんですね、彼らから見ると。コンペやったりしているから、あれやれ、これやれと言わない方がいい先生なんです。いまの子に反発されるかもしれないし、是非反論が出てくると嬉しいけど、やっぱりキツいことを言うとめげるよね。それはとっても大きな問題。僕の上の野武士たちの世代がある種、行儀のよくない乱闘をやってきた世代だから、その後みんな行儀がよくなってしまって。僕の研究室は、たぶん周りからすると異質な空間だと思います。

吉村──これに学生がついてくるというのはすごいですね。

八束──でも素直だからうまく入り込めばそこで大発展したりします。これって教育の醍醐味ですね。もちろんその一方ではこれをやらされるから、八束研に行きたいけど行かないという人もいますね。僕の研究室は昔人気だったのですが、最近は不人気なんです。けれど、入ってくる人はそれなりの覚悟をしている。本当は大学とはそうあるべきです。いま、設計の仕事ははっきり言ってあまりないじゃないですか。だから、厳しいことを言われても平気というくらいのメンタリティがないと、都市の話どころか建築なんかできません。そういうことを日本の建築ジャーナリズムが怠ってきた。建築家たちは相変わらずモノを書く。最近の建築はこうだと能書きを書く。建築家は自分のことだからまだいいんですが、びっくりするのは、学生がそのまま信じるんだね。ほんまかいなと思うようなことを平気で「この人のこの作品では、こういうことが実現されている」とか言いますね。そういう意味で言うと、都市なんてそういう話にはならないからね。それは大変ですよ。

西沢──「言っていること」と「やっていること」の区別がつかなくなっているのでしょう。言ったことがすべてになっちゃうという。本当は、逆じゃないとダメなんですけどね。デザインというのは「やったこと」が全てですからね。

八束──建築家たちが文章を書くのをやめたらどうなるのかなと思いますね。文章を書いてきた自分が言うのもあれですが。最後は脱線気味でしたね。
本日の討議の第二ラウンドが12月3日に、INAX銀座で信じられないぐらい長いイベントがあります。LIVE ROUND ABOUT JOURNALというもので、最後にミニコミ誌が出るようです。7時間という高齢者には優しくないイベントですが、私と大野秀敏さん、豊川斎赫さん、中島直人さん。西沢さんと吉村さんもコメンテーターということで議論に参加していただくという内容です。今日言い残した話も出てくるかもしれません。


八束はじめ:芝浦工業大学工学部建築工学科教授。建築家。建築批評家として、『ロシア・アヴァンギャルド建築』『思想としての日本近代建築』『メタボリズム・ネクサス』などの著書がある。2011年森美術館での《メタボリズムの未来都市》展を企画監修。

西沢大良:建築家。『新建築』2011年10月号において、現代都市・都市計画論へアクセスするための仮説「現代都市のための9カ条──近代都市9つの欠陥」を発表、大きな話題を呼ぶ。最新著作に『木造作品集 2004-2010 (現代建築家コンセプト・シリーズ)』がある。
http://www.nszw.com/

吉村靖孝:建築家。吉村靖孝建築設計事務所主宰。1999-2001年、現代都市リサーチの先駆者、レム・コールハースの系譜に連なるオランダのMVRDVに所属。2006年『超合法建築図鑑』(彰国社��%


201201

特集 「Hyper den-City 東京メタボリズム2」と都市の行方


トークセッション──『Hyper den-City 東京メタボリズム2』と都市の行方
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