より良き建築文化の土壌を築くために
──建築アーカイブから見えてくるもの

松隈洋(京都工芸繊維大学美術工芸資料館教授)
ここでは、設計原図を中心に建築にかかわる資料を蒐集保管し、展覧会の形で発信する役割を担う建築アーカイブの機能をもつ施設に勤務する立場から、建築アーカイブの活動を紹介し、その意味について考えてみたい。
筆者の所属する美術工芸資料館には、主要な建築資料として、建築家・村野藤吾(1891~1984年)の実施設計図を中心とする図面類、約2万8千点(2011年3月31日現在)が所蔵されている。これらは、さまざまな経緯から、村野没後の1994年に遺族から寄贈されたおよそ5万点を超える図面類の中で、順次整理が行なわれて登録を終えたものである。また、資料館では、活動の成果を広く一般に公開することを目的に、1999年から2008年まで、全10回にわたって「村野藤吾建築設計図展」を開催してきた。さらに、毎回、図録『村野藤吾建築設計図展カタログ』も発行し、シンポジウムも開いている。一方、これらの学内での活動と併行するかたちで、個人的にも、「文化遺産としてのモダニズム建築―DOCOMOMO100選展」(2005年)や「生誕100年・前川國男建築展」(2005年)、「アントニン&ノエミ・レーモンド展」(2007年)、「ル・コルビュジエと国立西洋美術館展」(2009年)、「建築家・坂倉準三展」(2009年)、「建築家・白井晟一展」(2010年)など、各地の美術館で開催されたさまざまな建築展の企画に実行委員として加わる機会があった。以上のような限られた経験に過ぎないけれども、現場報告から話を始めたい。

建築アーカイブの現場から

資料館における村野藤吾展は、現在の形になるまで、毎年、試行錯誤の連続であり、今なお手さぐり状態である。というのも、建築資料の整理と収蔵という日常的にこなす必要のある活動と、外部への発信という展覧会の流れとをどう組み合わせればよいのか、そのバランスに苦しむことが多いからだ。また、資料館には建築を専門とするスタッフはおらず、教員の連携でやり繰りしている状態なので、組織的な体制が整っているとはとても言えない。こうした中で、一連の活動の母体として、1999年に、学内の近代建築史と建築設計を専門とする教員に建築設計の実務経験をもつ外部委員を交えた約20名の委員で構成される「村野藤吾の設計研究会」が組織された。そこに大学院の学生たちが加わる体制で、これまで何とか運営してきたのが実情である。また、図面の整理作業についても、学科や大学全体のカリキュラムに組み込めるところまでは至っていない。そのため、学外の委員の献身的な協力を得ながら、学生のボランティアにも頼って、膨大な図面類を少しずつ整理する状態が続いている。
こうして、ここ数年来で定着してきた活動のサイクルを記せば、次のようになる。毎年、春から夏にかけて、図面整理の進捗状況を把握しながら展覧会のテーマを決め、取り上げる建築作品を選び出し、夏から秋にかけて、担当者が現地視察や資料調査を行なう。また、これと併行して、学生たちは図面の電子データ化作業に着手する。続く秋学期から年末にかけては、学部の学生たちによる展示模型の制作と会場構成の検討に入り、図録の編集作業を本格化させていく。そして、年を越して2月初旬へ向けて、会場の設営を行なう、ということになる。会期中のシンポジウム運営なども含めると、強弱はあるものの、ほぼ年度全体に及ぶ長い期間にわたる活動であり、それに割くエネルギーは厖大とならざるを得ない。それでも、このような経験から得た実感だが、図面の整理収蔵と展覧会という組合せは、建築アーカイブ活動のいわば両輪であり、どちらかだけではその役割を十全に果たすことはできないと思う。おそらく、この点に、一般の美術館や博物館とは異なる建築アーカイブの特徴と独自の使命があるのではないだろうか。
建築アーカイブの中心となるのは、やはり、手描きの設計原図である。当然のことながら、これらの図面は、建築を現実のものとして実現させるために描かれた、いわば制作図である。その中身も、設計当初の計画案のスケッチに始まり、基本設計、実施設計を経て、現場における施工図や原寸の製作図まで、幅広い範囲に及ぶ。また、建築の意匠図以外に、構造図や設備図、家具やサイン、外構や植栽計画図等も含まれている。そして、これらの図面は、すべて、通常は建設関係者以外に公開されることなく、建物が完成すればその役目を終える性質のものである。そもそも、絵画や彫刻などとは異なり、それ自体が展示される作品という性格をもっているわけではない。しかし、だからこそ、そこには、設計のプロセスが手つかずの生の状態のまま記録されており、その建築がどのようなプロセスを経て、何を求めて造られたのか、設計者の意図と思考の推移が読み取れる貴重な記録になっている。この設計原図のもつ独特の性格こそ、建築アーカイブの活動を考える上で乗り越えなければならない高いハードルでありながら、実は大きな可能性を秘めている要因なのだと思う。

建築展という装置

その意味で、建築展は、設計原図のもつ可能性を具体的に考えさせてくれる貴重な機会にもなっている。設計原図は、建築という長い年月にわたって人々の眼に触れ、日常的にそれとは意識せずに接していたものが、いかなる設計の考え方から生み出されたのか、を正確に伝える媒体である。しかし、その一方で、図面をそのまま展示しただけでは、一般の人々が見て、内容のわかるようなものとはならない。そのため、建築展では、多くの場合、写真や模型、建築家の言葉など、あらゆる資料を総動員して、わかりやすく展示することが求められることになる。そして、そのような展示によって、初めて、どのような建築も、いわば、たった一本の線から始まる図面との格闘と長い試行錯誤から生み出されること、そのようなきわめて創造的な仕事の結果として建ち上がるものであることが、誰にでも理解できるものとなっていく。
この建築展の設営プロセスこそ、実は、建築という文化を広く市民が共有する過程をつくり出す作業そのものと相似形をなしている、と言えるのではないだろうか。建築展によって、人々は、初めて建築という存在に気づいていく。見ているようで見えていなかった、いわば透明人間のような、空気のような存在であった建築が、設計者の手の跡がしみ込んだ実体として見え始めるのである。建築展を催すことの最大の目標であり、収穫と言えるのが、この建築が見えてくるきっかけを提供することにあると思う。小さな経験でしかないけれど、展覧会のアンケートにも、身近な建築の存在とその背後にある設計者の思いや時代背景に気がつかされた、という内容の記述を見つける。そのたびに、建築展という装置がもつ建築文化を育む力を実感している。





2008年に京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催された
「第10回村野藤吾建築設計図展」の展示風景、設営風景



建築アーカイブが大学にあるということ

同時に、そのような一般の人々へ向けて発信される建築展の意味とは別に、建築アーカイブが建築教育を行う大学という機関にあることの意味についても、毎年、考えさせられることが多い。現在の建築設計の実務環境の中では、その大半がコンピューターによる製図になっている。このため、長い建築の歴史の中において果たされてきた手描きの図面による設計意図の伝達と、図面を描くこと自体によって建築への理解を深めていく、という仕組みは、その様相を大きく変えてしまったのではないだろうか。このために、さまざまな材料と構造を組み合わせて、的確なスケールで建築を図面化する作業は、手描きによって、ごく自然に体得されていたのだが、それが、成り立ちにくくなっているのではないか。同時に、手描きという肉体を伴った思考が行なわれなくなった結果、建築の設計プロセスから等身大の人間と建築との関係性を考える回路が失われたのではないか、と思われる。また、近年多発する近代建築の保存問題でもそのことを痛感するのだが、手描きの図面から造られていた近代建築のもつ意味や価値を正確に理解することも難しくなっているのではないだろうか。
そして、そのような社会の変化に伴い、大学における設計教育もその手がかりとなる指針が揺らいでいるように思えてならない。こう考えるのも、村野藤吾展やさまざまな建築展を通して、学生たちと手描きの原図に触れ、模型制作などの作業を通して、学生たちが建築への理解を格段に高めるプロセスを何度となく目撃しているからだ。
日本の近代建築史上、かかすことのできない存在である村野藤吾でさえ、学生にとっては未知の領域に属する過去の一建築家に過ぎない。けれども、その膨大な設計原図に触れ、建築創造のプロセスを追体験する中で、彼らは何かに気づき始めるのである。建築展がいわば一般の人々へ向けた建築文化共有の場であるとするならば、設計教育における建築アーカイブの存在は、設計という行為の全体性と建築の奥深さ、良い建築を生み出すために何が大切なのか、を考え始めるきっかけを与えることのできる、生きた教材そのものなのだと思う。同時に、建築文化を継承し、それを伝える具体的な媒体としても、設計原図の持つ意味は重要である。今もって不十分な形でしか活用できてはいないけれど、大学という教育機関が建築アーカイブを持つことの意義は、もっと自覚されてもよいのではなかろうか。

建築と人間の未来を考えるために

さて、こうして、建築アーカイブから見えてくるものについて、身近な経験を紹介してきた。最後に、個人的な感想も記しておきたい。前川國男の下で設計実務についていた経験から、気がつけば、村野藤吾の建築資料を担当するようになって、11年半ほどが経つ。正直、雲の上のような存在である村野藤吾をどうとらえたらよいのか、当初は途方に暮れていた。わずかに、担当する建築作品の設計原図を頼りに、その設計プロセスを読み取る中から、村野を理解することだけができることではないか、と思えた。その意味で、村野との距離は、学生たちと何ら変わらない。けれども、やはり残された原図から多くを教えられた。毎回、描かれたおびただしい図面の数に驚きながらも、村野藤吾も、このような苦しい創造のプロセスを経て設計をまとめていたのか、という事実にも気づかされた。その意味で、建築アーカイブが果たす意味の大きさを実感できたことは大きい。建築展のもつ意味や設計教育の教材としての重要性についても、そのような毎年の作業の中で、少しずつ分かり始めたことに過ぎない。だからこそ、建築アーカイブがもつ可能性についても見えてきたように思う。
この間、建築アーカイブの活動を続けた成果とも思えるような、うれしい出来事もあった。それは、村野の最晩年の作品である「八ヶ岳美術館」(1979年)が、2010年度の日本建築家協会の25年賞を受賞したことであり、そのきっかけのひとつが、2007年の資料館での展示にあったことである。建築文化を育み、広く建築と人間の未来を考えるために、建築アーカイブが果たすことのできる社会的な役割と使命は多大なのだと思う。わずかながらもその可能性を知る者の一人として、これからもその意味を広く伝えていきたい。

まつくま・ひろし
1957年生まれ。建築設計、近代建築史:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館教授。2000年よりDOCOMOMOJapanメンバー。著書に、『前川國男との対話』(六耀社、2006)、『坂倉準三とは誰か』(王国社、2011)他多数。
●京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
http://www.cis.kit.ac.jp/~siryokan/main.html


201109

特集 建築アーカイブ/建築ミュージアム


より良き建築文化の土壌を築くために ──建築アーカイブから見えてくるもの
アーカイブとしての建築空間 ──《伊東豊雄建築ミュージアム》
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