網膜上の記譜法──ル・コルビュジエの写真とデッサンについて

米田尚輝(美術史)

建築術としての写真

ル・コルビュジエと写真といえば、その『全作品集』のなかに見出される写真家ルシアン・エルヴェによる「芸術的」な写真がすぐに思い起こされるだろう。オスカー・ニーマイヤー、アルヴァ・アールト、ジャン・プルーヴェらの作品の撮影も手がけることになるこのハンガリー生まれの写真家は、マルセイユの《ユニテ・ダビタシオン》を撮影した650枚におよぶ写真をル・コルビュジエ本人へ見せたところ彼の目に留まり、それ以降はル・コルビュジエの建築写真を定期的に手がけることになる★1
ヴァルター・ベンヤミンは「写真小史」(1931)において、「おそらく誰でも気づいたことがあるだろうが、絵とか、とりわけ彫刻とか、いわんや建築は、実際に見るよりも写真で見たほうが理解しやすい」と述べている★2。「芸術としての写真」が西欧近代における大衆に認知されつつある只中で、芸術作品を撮影した写真──「写真としての芸術」──によってもたらされる、芸術と写真との緊張関係こそがこの時代の特性であるという。周知のとおりル・コルビュジエ自身もまた、膨大な数に上る写真を残しており、それをアーカイヴとして蓄積すると同時に建築的創造の霊感源として活用した。そしてまた、建築を写真に収めるという身振りそれ自体が、ル・コルビュジエにおいてひとつの建築術として成立していたということも付け加えてよいだろう。
ル・コルビュジエの写真に対する偏愛はよく知られているが、写真家としての彼のキャリアはまずもって、旅行者として始まっている。したがってその写真は、旅行の記録としての性格を持つ。
まだル・コルビュジエと名乗っていいなかったシャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、1907年にスイスのラ・ショー=ド=フォン工芸学校の教師であったルネ・シャパラと共に《ファレ邸》を実現した後、1907年から1908年にかけて初めて北イタリアを訪問する。ピサ、フィレンツェ、パドヴァ、フェッラーラ、ヴェローナ、ヴェネツィア、ラヴェンナなどを巡り、ウィーンに滞在してその旅程を終えている★3[図1,2]
ル・コルビュジエが生涯にわたって師と仰ぐこととなるもう一人の教師シャルル・レプラトニエは、ジョン・ラスキンの著作に基づく思想を通じて建築と装飾との連関を追求していた。ラスキン的伝統を継承していたレプラトニエの教えは、装飾家に必要とされた徹底的なデッサンの訓練によって、自然から造形的な規則性を抽出することが目指されていた。実際、レプラトニエに導かれたこのフィレンツェ・ゴシック探求の旅のなかで、ジャンヌレが残したデッサンには、確かに後に特徴的なものとなる類型学的な主題の選択という傾向は認められるが、必ずしも建造物それ自体の構造を把握することだけが目的とされているわけではない。むしろその眼差しは、装飾を構成する造形的文法を獲得すべく、細部へと向けられている[図3,4]

1──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、サンタ・マリア・ノヴェッラの写真、フィレンツェ、1907
2──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、サンタ・マリア・ノヴェッラのデッサン、フィレンツェ、1907
1,2 引用出典=Stanislaus von Moos et Arthur Rüuegg(éd), Le Corbusier Before Le Corbusier: Applied Arts, Architecture, Painting, and Photography, 1907-1922, New Haven: Yale University Press, 2002.

3──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、シエナ大聖堂のファサードのデッサン、シエナ、1907
4──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、サン・ヴィターレ教会の細部のデッサン、ラヴェンナ、1907
3,4 引用出典=Danièle Pauly (éd.), Le Corbusier. Le dessin comme outil, cat. d'expo., Musée des beaux-arts de Nancy, Lyon: Fage, 2006.

建築を経験するための写真

1908年にジャンヌレは、ウィーンから出発し、ニュルンベルク、ミュンヘン、ナンシーを経由して初めてパリを訪問しており、そこでフランツ・ジュールダンやウジェーヌ・グラッセらと知り合っている。後者の紹介によってジャンヌレは、オーギュス・ペレの事務所で1909年の春まで働くことができたのである。装飾家、グラフィック・デザイナーとしてそのときすでに高い評価を得ていたグラッセは、『植物とその装飾的応用』(1897)と『装飾的構成の方法』(1905)という二冊の重要な装飾図案集を刊行していた。後にジャンヌレは「グラッセは花の幾何学者であり、代数学者であった」とも回想している★4。また1910年と1911年の二度にわたるドイツ訪問は、ペーター・ベーレンスの事務所で5カ月のあいだ働くことになる契機となった。この旅行はドイツ工作連盟の周辺で活躍していたモダニスト達と初めて接触したという点において決定的な出来事であったが、その目的が、産業化の国際的な競争状況を計ることであったことも忘れてはならないだろう。ミュンヘン、フランクフルト、デュッセドルフ、ハンブルグ、そしてベルリンを訪れたこの旅の軌跡は、『ドイツにおける装飾芸術の動向に関する研究』と題されたラ・ショー=ド=フォン工芸学校の報告書として出版されている★5
1911年にはオーギュスト・クリプシュタインをともなって、東ヨーロッパとバルカン、イスタンブールへの旅が遂行される。この「東方への旅」はル・コルビュジエの建築哲学にとって決定的なものとなった。1911年の5月にドリスデンを離れ、プラハとウィーンへ向かった。約6カ月の旅におよぶ旅行中にジャンヌレは、およそ300のデッサンを描き、500の写真を撮影し、6冊の手帳をまとめた。ブルガリア、イスタンブール、アトス山、アクロポリス、ナポリ、ポンペイ、ローマ、そしてフィレンツェで残した「東方への旅」の記録は、ジャンヌレにとって写真的探求の成果であると同時に、観察手段のもつ表現上の特性を示すものでもある。多くの場合にそこで主題とされるのは、空虚な空間、噴水、あるいは記念柱といったものであり、それらはフレームの外へと拡張するはずの広場の中心に隔絶して位置づけられている[図5,6]。「東方への旅」のなかでジャンヌレは、観察手段としての写真とデッサンによって、建築とその表象に現われる認識論的な違いに意識的になったようだ★6。事実この思考は、彼の手紙のなかで絶え間なく主題として議論されている。
1910-11年にかけて、ジャンヌレはきわめて精力的に写真の撮影を行なっており、1911年7月18日のレプラトニエ宛の書簡では、「おお、写真の奇跡! 素晴らしいこのレンズは、何と価値ある目なのであろうか! 私は素晴らしいカメラを使っています。使いこなすことは難しいですが、その結果は完璧です。4月から私は1枚のネガもしくじっていません」★7と、その技術的進化に対しての感嘆を表わしている。あるいはまた、今日では失われてしまったラ・ショー=ド=フォンの写真への註記には、「出版されたラ・ショー=ド=フォンの眺めは現実に一致しており、間違っているのはまさにその現実なのであって、私たちのコダックのレンズではない」とも記している★8

5──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、ポンペイの写真、ポンペイ、1911
6──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、マクセンティウス帝のバシリカの写真、ローマ、1911
5,6引用出典=Stanislaus von Moos et Arthur Rüuegg(éd), Le Corbusier Before Le Corbusier: Applied Arts, Architecture, Painting, and Photography, 1907-1922, New Haven: Yale University Press, 2002.

こうして写真の存在は、ジャンヌレにとって建築の経験を記録して理解することを可能とする道具となっていった。この「東方への旅」で撮りためられた写真の数は500枚に上るが、実のところ、先に見たサンタ・マリア・ノヴェッラやタルノヴォのように、デッサンと同時に写真に撮られる主題というのはそれほど多くない事例である[図7,8]。より重要なのは、彼にとっての建築的経験が写真的語彙によって認識されうるということである。すなわち、ジャンヌレにとって写真とは、建築の「眺め」を秩序づけるためのフレーム(骨組=枠組)として機能するものであったということだ。これらの撮影された建築──「写真としての芸術」──はすべからく、主体に対して確立された統一的な実体として規定されている。エスプリ・ヌーヴォー誌上に掲載された《シュウォブ邸》の写真に、編集者でもあったル・コルビュジエが修正を施していたという事実も、こうした問題機制から俎上に載せられている★9
1911年にジャンヌレとクリプシュタインが「東方への旅」を企てたとき、写真撮影技術はその数年前と比べてなおいっそうの進歩を遂げていた。ではその一方で、ジャンヌレにとって写真のオルタナティヴな観察手段であったデッサンという手の運動は、写真という表現手段といかなる関連を持っていたのだろうか。

7──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、タルノヴォの写真、タルノヴォ、1911
8──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、タルノヴォのデッサン、タルノヴォ、1911

視覚と触覚

人間の知覚が組織されるあり方を、「知覚を生じさせる媒体(ミディウム)」★10として規定したベンヤミンは、断片的で非連続的な時間が支配する近代において、大衆の芸術に対する関与のあり方のなかでも、集団によって受容される典型的な芸術作品として建築を挙げている。「建築物は二重のやり方で受容される。使用することによって、そして眺めることによって。あるいはむしろこう言ったほうがよい──触覚的に、そして視覚的に」★11。この論文で随所に並列して用いられている視覚と触覚の対立は、とりわけドイツ語圏における美術史の言説においてこれまで幾度となく論じられてきたものである★12。しかしながら、ここで用いられている「触覚的」なるものとは、何かしらを文字通りに手で触れて知覚できるものを指しているわけではない。ゴンブリッチはヒルデブラントの『造形芸術における形の問題』(1893)を念頭に、「私たちの心理的イメージを分析して、その構成分子を発見しようと試みた場合、それらは視覚や、触覚と運動の記憶から発生した感覚与件から構成されていることがわかるだろう」と述べている★13。つまり、知覚対象が視覚的な感覚与件に限られる場合、触覚と運動によって補われることによって、三次元的な形態の再構成が可能となるというわけだ。この視覚と触覚をめぐるエピソードは、生まれつき盲人の視覚と触覚を巡ったモリヌー問題にまで遡るさらに遠い起源を持っている。いずれにせよ美術史の言説においてこれらの対立が問題としているのは、視覚の体制のうちで認識される「触覚的」なるものの様態にほかならない。

ル・コルビュジエに戻ろう。写真の特性はしばしば網膜像にもなぞらえて語られてきたが、写真それ自体はそもそも物質の薄片でしかない。写真は私たちの視野とは別のものであって、そこに映じられているものを視野に提供する素材である。写真がジャンヌレに気付かせたのは、二次元の素材を見るという偽りの振る舞いを通じてこそ、三次元の空間が認識されるということだ。その両方を同時に達成することは生来的に不可能であり、私たちは眼球の運動として戯れることしかできない。ゴンブリッチに倣って、もし「私たちが、決して自分自身の網膜を見ることはできず」★14、あらゆる感覚与件は写真の感光板のごとく網膜上に銘記されるのであれば、問題となるのはむしろ見るという行為の受動性であろう。ジャンヌレにとって旅の記録方法であった写真とデッサンは、相互補完的な関係にあった[図9]。「東方への旅」を終えて半世紀を経たル・コルビュジエは、デッサンについてこう記している。「デッサンすること、それは見ることを学ぶことである」★15

9──シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、ユスキュダルの写真、イスタンブール、1911
引用出典=Giuliano Gresleri, Le Corbusier. Viaggio in Oriente. Gli inediti di Charles Edouard Jeanneret fotografo e scrittore, Venezia: Marsilio, 1984.


★1──ルシアン・エルヴェに関しては以下を参照。林美佐「『ル・コルビュジエ』を創造した写真家──ルシアン・エルヴェ」(『10+1』No.10、INAX出版、1997、138−153頁)。
★2──ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」(『ベンヤミン・コレクションⅠ』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1995、575頁)。
★3──「東方への旅」を含めたル・コルビュジエの旅行の形跡は以下に詳細に記されている。Giuliano Gresleri, Le Corbusier. Viaggio in Oriente. Gli inediti di Charles Edouard Jeanneret fotografo e scrittore, Venezia: Marsilio, 1984.
★4──Le Corbusier, L'art décoratif d'aujourd'hui, Paris: Ed. Crès et Cie, 1925 [Paris: Flammarion, 1996, p. 134]. ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』(前川国男訳、鹿島出版会、154頁)。
★5──以下にリプリント版が出版されている。Le Corbusier, Étude sur le mouvement d'art décoratif en Allemagne, New York: Da Capo Press, 1968.
★6──Leo Schubert, ≪Jeanneret, The City and Photography ≫, Stanislaus von Moos et Arthur Rüuegg(éd), Le Corbusier Before Le Corbusier: Applied Arts, Architecture, Painting, and Photography, 1907-1922, New Haven: Yale University Press, 2002, pp. 55-67.
★7──Ibid., p. 286.
★8──Ibid., p. 287.
★9──ベアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』松畑強訳、鹿島出版会、1996[1994]年、73-101頁。以下も参照。Beatriz Colomina, ≪ The Media House ≫, Assemblage, No. 27, The MIT Press, 1995, pp. 55-66; ≪ Vers une architecture médiatique ≫, Le Corbusier. The Art of Architecture, cat. d'expo., Vitra Design Museum, 2007, pp. 247-273,
★10──ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン・コレクションⅠ』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1995、591頁)。
★11──同上、625頁。
★12──ベンヤミンは、「触覚的/視覚的」あるいは「近接像/遠隔像」という知覚の様態を峻別しているが、この主題とバーナード・ベレンソン、ハインリッヒ・ヴェルフリン、アロイス・リーグルといった美術史的言説の展開に関しては以下に詳しい。ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜──視覚空間の変容とモダニティ』(遠藤知己訳、十月社、1997[1990]、107-146頁)、田中純『残像のなかの建築──モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、1995、11−36頁)、前川修『痕跡の光学──ヴァルター・ベンヤミンの「視覚的無意識」について』(晃洋書房、2004、69−96頁)、門林岳史『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?──感性論的メディア論』(NTT出版、2009、59-80頁)。
★13──E・H・ゴンブリッチ『芸術と幻影』(瀬戸慶久訳、岩崎美術社、1979[1960]、43-44頁)。
★14──前掲書、349頁。
★15──Le Corbusier, ≪ Dessiner ≫ (1968), Danièle Pauly (éd.), Le Corbusier. Le dessin comme outil, cat. d'expo., Musée des beaux-arts de Nancy, Lyon: Fage, 2006, p. 74.

よねだ・なおき
1977年生。近現代美術史、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位所得退学。国立新美術館研究補佐員、跡見学園女子大学等非常勤講師。論文=「Ornement et style: l'art décoratif en France à la fin du XIXe siècle」「装飾の秩序──ル・コルビュジエのアール・ヌーヴォー」「ル・コルビュジエと絵画の舞台」など。


201007

特集 建築写真2010


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網膜上の記譜法──ル・コルビュジエの写真とデッサンについて
建築の経験/写真の経験
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