ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート




ゼロ年代の都市や建築を語るうえで、参照すべき──重要だと思われる──建築作 品・言葉・書物・映像・メデイア・出来事などをあげ、それについてコメントしてください。


有山宙(建築家/assistant)

Banksy(グラフィティ・アーティスト)そしてParis Hilton(セレブリティ)

CCTV(OMA)そしてPRADA Transformer(OMA)


都市への痕跡。ゼロ年代は劇場型、メディアと記憶。
Banksyのグラフィティは2000年以降、急激に、ロンドンを、そして世界の街を覆い尽くした。
ステンシルにより、短時間に作品を仕上げることができる。時には、複数の人間によって、Banksyの名のもとで都市への痕跡を残す。たった、1日で20メートル四方の巨大な壁画が現われるのだから。しかも、世界同時多発で。その証拠は世界中をうめつくさんとする大量のCCTVに記録される。"ONE NATION UNDER CCTV"とはBanksyの2008年のグラフィティから。
そして、Banksyは20世紀を象徴するゼロ年代最大のセレブリティ、20世紀を象徴する高級ホテルグループのオーナー一族であるParis HiltonのデビューCDにこっそりと"Why am I Famous?"と書き残した。
次に、中国国営放送のCCTV。レム・コールハースはゼロ年代を象徴するであろう、CCTVのコンペに参加するために、飛行機によって爆破された20世紀を象徴するWTC跡地のコンペを辞退した。
CCTVは竣工目前で、その付属ビルがただの爆竹によって崩れ落ちる。付属ビルには、マンダリン・オリエンタルという高級ホテルが入居する予定だった。
CCTVのプロジェクトは100パーセントの完成を果たすことはできなかったが、レム・コールハースには新たな試みがある。それは、セレブリティだけを対象にしたPRADA Transformerというプロジェクト。ビルディングが変形しながら、何種類かの機能を使い分けていくという。このTransformerプロジェクトがゼロ年代を象徴することになるかはまだわからない。
一見、ただの言葉遊びのようにも見えるが、プライベートな都市活動であるグラフィティと、パブリックな都市活動の建築が、偶然と必然を交えながらも同じところを目指しているように見える事実が、ゼロ年代を象徴しているような気がしてならない。

「One Nation Under CCTV」(<<graham>>, www.flickr.com)/Paris Hilton, Paris, Warner Bros., 2006/CCTV付属ビル(rudenoon, www.flickr.com)Transformerプロジェクト(calamity_hane, www.flickr.com)

ありやま・ひろい
1978年奈良県生まれ。建築家。2003年東京大学大学院建築学科修了。2004-05年Alsop Architects, Ushida Findlay architects(ポーラ芸術財団の助成)。assistant共同主宰。
http://www.withassistant.net


松原慈(建築家/assistant)

タカシムラカミとハルキムラカミ

ラストサムライとロストイントランスレーション

フィーバーとホームレス


2004年、初春。
ロンドン・ソーホーの街中に、二つの映画の看板が貼られた。
トム・クルーズが演じる『ラスト・サムライ』とソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』。二つはほぼ同時に街の映画館の多くを占領した。ちなみにそのひとつ前に看板を飾っていたのは、タケシキタノの『キクジロー』。私は『ラスト・サムライ』を意図的に観逃したものの、あちこちのバーで起こる『ロスト・イン・トランスレーション』についてのディベートに参加せざるを得なかった。

2004年、初夏。
ロンドン・ソーホースクエア、晴れた6月の午後、都会の小さな芝エリアはごった返していた。友人に混じり、カーリーヘアの見慣れぬ顔が読書にふけっていた。初めて紹介されたギリシャ人の彼女の襟元にはタカシムラカミの花模様の缶バッジが光り、彼女が読んでいた本はハルキムラカミだった。彼女に日本人の友人はおらず、アジアを訪れたこともない。スタイリッシュな彼女は、ギリシャで建築学校を卒業し、当時、オランダのアインドーベン・デザインアカデミーで勉強していた。

ゼロ年代の東京を振り返るときにショッキングだった事件のいくつかは、こうした出来事に回収される。上の二つの歴史的事実に、ロンドンで学生生活を始めたばかりだった私は、驚愕した。カフェに立ち寄れば、見知らぬイギリス人の若者たちに「東京が大好きだからいつか行きたい」と言われ、握手を求められる。彼らは総じて次にこう言うのだ。隣のテーブルに座るファッショナブルなアジア人を指差し「彼らもジャパニーズでしょ?」。私には二の句がない。隣の席から聴こえてくる会話が、日本語ではないだろうことを知っているからだ。

これらの事件は、北京オリンピックに前後して高らかにこだまする都市の噂を、2004年の時点で私に耳打ちしていた。一昨日の晩いたソウルで、2年ほどソウルで暮らす若いアメリカ人建築家が私に言った。「東京に、いつか行きたいと思っているんだけど、なかなかチャンスがなくてね。ソウルに住んでると、北京か上海には誘われる用が多いんだけど。でも、サムライチャンプルーって知ってる? 日本のアニメでしょ? DVD全部もってるよ」。ドイツ・アンティーク家具の収集家が経営するカフェでの、ソウルに集まる各国の建築家と芸術家、そして美術関係者を集めた小さな会で。
また、昨年北京で出会った20歳のイギリス人の少年は「北京に住めて本当に楽しいよ。東京...? 変だな、考えてみたことなかった」と笑っていた。

ハルキムラカミの英訳本は、ロンドンの本屋街Charing Cross Roadに立つ最も大きな本屋、BORDERS1階のメインテーブルを占拠した。それにしばし遅れて、日本では、村上春樹による『グレート・ギャツビー』の新訳が出版される。物語が上書きされるとき、言語は新しい。『グレート・ギャツビー』は、村上春樹が訳せなかった「オールド・スポート」という流布せぬカタカナ語だけを残して、全面刷新される。貧民に近かったロマンティックな男が、ギャツビーという運命を手にする、1920年代のアメリカのおとぎ話。
ほぼ同時多発のムラカミ・フィーバーを経て、東京に残るのは、ジョギングとサイクリング。東京へのスポットライトから逃れるように、(あるいは、スポットライトの下に胡座をかくのに飽きたかのように? それともジョギングこそがムラカミ効果?)、身の回りの手触りを求めて人々は四肢を動かし始める。

ゼロ年代の都市に求めたのは日常性の回復と感情の救出。「正確さ」を欠いた記録の流布は、好ましい状況である。求心性を失ったメディアで、噂はヴォイスの質量をもつ。バッシングはゼロ年代の刑務所。精神的に追いつめられても身体は自由でいられる。そして、プラダ・マーファ(Elmgreen & Dragset)はゼロ年代に予期せず落ちた、誰も見たことのなかったUFO。落ちた場所はGoogle Street Viewでしか観光することができない。
東京は、ディストピアン・ユートピアからユートピアン・ディストピアへの道をたどる。2009年11月最後の週、世界で3番目に見られていたミュージック・ビデオはFever Rayの"Keep the streets empty for me"。スウェーデンの若手監督が撮影した映像の舞台は、ディストピア・東京。街を彷徨うのは、汚れたファッションをまとうホームレスである。

『ラスト・サムライ』/『ロスト・イン・トランスレーション』/『サムライチャンプルー』/『グレート・ギャツビー』新訳/『Fever Ray』CDジャケット

まつばら・めぐみ
1977年生まれ。建築家。2004年ロンドン大学バートレット建築学校MA修了。assistant共同主宰。表現活動の幅は、静的な建築から、つかの間の状況まで多岐にわたり、空間造形、彫刻、音楽、文章、建築、都市研究などの分野で複合的に観察できる。
http://www.withassistant.net


天内大樹(美学芸術学/日本学術振興会)

都市に対するゼロ年代のアプローチを3つ挙げる。いずれもある意味で「マッピング」ないし俯瞰に関わっている(ゆえに三者はいずれも重複する)。

第一には文字通りの地図への関心が挙げられる。地図を通して欲望されるのはまず地形であり、土木構築物・埋設物、群としての建築が織りなす都市風景などがそれにつづく。これまで地図は印刷媒体として都市への手がかりを提供してきたが、中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005)は読者に想像力を喚起させることで、旧メディア=印刷媒体における地図の可能性を総決算した書物になるかもしれない。この10年で、地図は街中でネットワークから読み込むものとなった。石川初、田中浩也、佐々木一晋らはネットワーク技術を前提にさまざまな像を可視化している。本江正茂が述べるとおり(『10+1』No.42、INAX出版、2006.3)、それらは単に情報技術の拡大という以上に、没場所性に抗するという意味を繰り返し確認すべきものだろう(日本スリバチ学会、日本坂道学会、ドボクサミットなどなども含まれる)。

『アースダイバー』/『10+1』No.42

第二に、場所を含めた日常体験を都市への手がかりにする動きがある。その萌芽的な例は奥出直人『アメリカン・ポップ・エステティクス──「スマートさ」の文化史』(青土社、2002)だが、原克『流線形シンドローム──速度と身体の大衆文化誌』(紀伊國屋書店、2008)は独米日に及ぶ大衆的な科学神話を集中的に追究し、長谷川一『アトラクションの日常』(河出書房新社、2009)は日常生活への「機械」の浸透を場所と関連づけながら活写した。訳書にもジョウ・シュン+フランチェスカ・タロッコ『カラオケ化する世界』(松田和也訳、青土社、2007)がある。これらと都市・建築との関係を訝しむ向きには黒石いずみ『「建築外」の思考──今和次郎論』(ドメス出版、2000)や中谷礼仁『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』(鹿島出版会、2005)と瀝青会の活動を参照してほしい。「政治」が祝祭や式典に付随して日常に行き渡るものと解釈すれば、原武史『皇居前広場』(光文社、2003/増補=筑摩書房、2007)もこの系列に入るかもしれない。

『アメリカン・ポップ・エステティクス』/『流線形シンドローム』/『アトラクションの日常』/『カラオケ化する世界』/『「建築外」の思考』/『セヴェラルネス』/『皇居前広場』

第三に、政治が拠り所とする思想や歴史のアーカイヴを「都市」や「建築」から再編成する試みがある。その代表は日本近代建築の営みを各種概念の解釈・認識からたどった八束はじめ『思想としての日本近代建築』(岩波書店、2005)だろう。建築史学的な実証作業を集成した西澤泰彦『日本植民地建築論』(名古屋大学出版会、2008)は、一方では日本近代建築史の再解釈だが、他方で戦後一旦抑圧されながら布野修司や村松伸らの表明で復活した、地図上で近接するアジアへの関心を、地政学的な日本の関与に再び引き寄せたものともいえる。長谷川堯の書物の相次ぐ復刊(『神殿か獄舎か』2007、『建築の出自』『建築の多感』2008、鹿島出版会)も思想と建築批評の蜜月時代を振り返る同列の動きといえよう。この10年に美術、工芸を含め近代日本とくに20世紀初期を回顧する展示も多かった(西村伊作、今純三、上野伊三郎+リチ、白樺派、日本の表現主義など)。

『思想としての日本近代建築』/『日本植民地建築論』/『神殿か獄舎か』/『建築の出自』/『建築の多感』/上野伊三郎+リチ コレクション展/

このアーカイヴには「日本近代建築」以外の枠組みも設定できる。上松佑二『建築美学講義』(中央公論美術出版、2008)は建築と美学の関係に集中した希有な書で、井上充夫『建築美論の歩み』(鹿島出版会、1991;ゼロ年代ではないが)に加わるスタンダードとなろう。手前味噌だが、筆者が翻訳に加わったエイドリアン・フォーティ『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2006)も英語圏における建築のモダニズムの語彙を歴史的に辿る。書店の棚が建築家の著書で色とりどりに溢れかえった10年だったが、感性的な惹句に惑わされず、先達の蓄積に自らの思考を重ねる姿勢は建築家にもつねに必要だ。アーカイヴの枠組みも、したがって議論の方向性も異なるが、坂牛卓『建築の規則』(ナカニシヤ出版、2008)も藤村龍至、柄沢祐輔、南後由和の「批判的工学主義」を軸にしたムーヴメントも、そうした姿勢が表われた好例だろう。最後に、『都市表象分析 I』(INAX出版、2000)に続く田中純の一連の仕事は以上3つの論点をカヴァーしているものの、その野心はゼロ年代の総括とは稿を改めるべきものである。

『建築美学講義』/『建築美論の歩み』/『言葉と建築』/『建築の規則』/『都市表象分析 I』

あまない・だいき
1980年東京生まれ。分離派建築会を中心とした日本近代建築思想。2008年東京大学大学院(美学芸術学)博士課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員(PD、大阪大学)、國學院大学兼任講師。共著に柳沢田実編『ディスポジション:配置としての世界』(現代企画室2008)。


池田剛介(美術作家)

無線LANが飛ぶカフェスペースのある店内で、最新の雑誌や書籍を選び、コーヒーを飲みつつブログを更新し雑誌のページをめくる。ゼロ年代中頃、留学先のボストンにてバーンズ&ノーブルやボーダーズといった大型書店でのこうした行為が新鮮だったことを覚えている。同様の光景は、日本でもTSUTAYAとスターバックスの併設店が増えるにつれ、徐々に浸透してきた。くつろいだ店内で、買わずにひたすら読みあさる。当初、これは消費者による資本へのささやかな抵抗ではないかと、冗談っぽくではあれ思えたものだ。むろん、このような環境は今度、多くの監視カメラやRFIDタグといったテクノロジーのさらなる普及とともに進展していくであろうことは想像に難くない。都市空間の自由は、環境管理との共犯関係を結ぶだろう──。

酒井隆史『自由論──現在性の系譜学』(青土社、2001)

2001年の7月、つまり9/11のおよそ2カ月前に上梓された酒井隆史による『自由論』は、排除型社会やセキュリティ意識といった、9/11以降いっそう高まってゆくことになる問題群を、理論的なレヴェルで精緻に捉えていた。広く共有されることとなった「規律訓練からコントロール社会へ」というパラダイムの下地にはフーコー『監獄の誕生』での議論がある。古典主義的な法の応報原理──目には目を──から近代型のノルム──精神医学や統計学をつうじて導き出された「標準」としての人間像──へと移行する、刑罰の基準のシフトを丹念に洗い出す。こうした作業を通じて、かつての法原理とも、標準化を目指す規律訓練とも異なる、都市空間におけるコントロール社会のありようが描き出されている。

東浩紀+大澤真幸『自由を考える──9・11以降の現代思想』(NHK出版、2003)

東浩紀+北田暁大『東京から考える──格差・郊外・ナショナリズム』(NHK出版、2007)

こうした問題を、より身近なものとして私の意識に立ち上げるきっかけとなるのが東浩紀+大澤真幸『自由を考える』、東浩紀+北田暁大『東京から考える』の2冊だった。前者では、マクドナルドの椅子やAmazon.comでのネット通販といった身近な話題に潜む問題が思想的枠組みと共に示され、後者では人間工学に基づき設計される大規模なショッピングモールやフランチャイズによって郊外が均質化してゆく現状をふまえ、公共性やナショナリズムの問題を考察する。両著ともに、私たちの生に密接した近年の状況の変化に寄り添いながら、そこに潜在する抽象的な次元の問題が鮮やかな手つきで引き出されてゆく。この2冊を通じて都市の情報化と郊外の均質化とがそれぞれに広がりながら相互に織り合わされてゆくゼロ年代の光景を俯瞰できるだろう。

『自由論』/『自由を考える』/『東京から考える』


越後妻有アートトリエンナーレ

取手アートプロジェクト

こうしたゼロ年代特有の都市や郊外の問題を美術の側へと引きつけてみれば、この10年のうちにいつの間にか日本各地で行なわれるようになっていたプロジェクト型アートの存在に目を向けることができる。とりわけ2000年から3年おきに開催されてきた「越後妻有アートトリエンナーレ」や1999年から茨城県取手市にて毎年行なわれている「取手アートプロジェクト」などがその先駆であり、どちらもこの10年を通じて街ぐるみで運営を続け、生き残ってきたことはゼロ年代日本のアートにおけるひとつの達成だといえるはずだ。当初、こうしたプロジェクト型アートのコアには、既存のアートの枠組みを解体し、地域的に、あるいは人々とのコミュニケーションのなかに開いてゆく、といった批評性が宿っていた。しかし、幸か不幸かそうした試み自体が広く認知されてゆくなかで、プロジェクトというかたちそのものが、もはや既成の枠組みとなってしまったように思われる。地方の活性化といった、別の意味でクリティカルな要請もあいまって、各地で行なわれるプロジェクト型アートのパターン化が起こってしまった感は否めない。そもそもweb上でこれだけコミュニケーションが溢れかえっている現在、人は美術に同様の役割を求めるだろうか。

いずれにせよ、それ自体としては新鮮みを失いつつあるからこそ、今後こういった試みがサヴァイヴしてゆくためには、何らかの形で問題設定を更新する必要があるだろう。これからさらに進行するであろう郊外化や、テクノロジーの発展によって変化するコミュニケーションのありようなどを通じて、その意義を新たに再考するためのよいチャンスではないだろうか。

ARCHITECT JAPAN 2009──ARCHITECT2.0 WEB世代の建築進化論

ゼロ年代初頭、こうしたプロジェクト型アートとも近い感性を持っているように思われるアトリエ・ワンやみかんぐみなど、ユニット派によるスーパーフラット・バラック建築とでも呼べそうな活動が注目を集めていた。近年ではこうした、グローバル化してゆく都市のなかでニッチ的な抵抗を試みる、といったような議論はやや後退し、むしろ設計の情報化や効率化といった条件を受け入れながら、いかにより良いデザインが可能かを模索する議論が現われ始めている。
建築に関して門外漢の私にこういった方向性を印象づけたのは、企画監修を飯田高誉が、キュレーションを藤村龍至/TEAM ROUNDABOUTが担当し、表参道のEYE OF GYREにて開催された展覧会「ARCHITECT JAPAN 2009──ARCHITECT2.0 WEB世代の建築進化論」だった。1945年、1970年、1995年を戦後の切断点ととらえる日本の批評界の議論を受け、戦後建築の展開をこの3つのフェイズに分けて捉える視点を提示。そのうえで、1995年以降、現代の建築における大型化、郊外化、情報環境といった問題を踏まえた視点から、古谷誠章「せんだいメディアテーク案」などに、新たな角度からの光を当てる。展示の締めくくりには、若手エンジニア徳山知永によるCADの図面がさりげなく配されることで、石上純也のような建築家による「アーティスティック」な表現を技術的に支える、もうひとりのアーキテクトの姿が浮かび上がる。このあたりに鋭く批評的な賭けが託されていて、展覧会という形式の可能性を改めて考える点でも、意義深いものとなっていた。
以上、思想、美術、建築といった異なる分野から、都市の情報化や郊外の均質化といった諸問題に触れてきた。今後、こうしてジャンルを超えて重なり合うさまざまな問題を改めて検証してゆく必要があるだろう。ゼロ年代を通じて閉域化を極めた島宇宙内の議論がダイナミックに混じりあい、領域同士の垣根を錯乱させながら、より豊かな創造活動のフィールドが形成されてゆくことを期待せずにはいられない。そういった場所でこそ、ようやく21世紀の新たな創造のパラダイムが開かれるのではないだろうか。

いけだ・こうすけ
1980年生。東京藝術大学大学院修了後、文化庁新進芸術家在外研修員としてアメリカ留学。個展=「Plastic Flux」(Lower Akihabara、東京、2009)「Goldf ishPicture」(Voice Gallery、京都、2006)。グループ展=「Vivid Material」(東京藝術大学、東京、2008)、「Salad Days」(Artist s Space、New York、2006)など。


伊藤亜紗(文学・パフォーマンス研究/Review House編集長)

まんが喫茶


80年代のテレクラにしろ90年代のカラオケにしろ、あるいはラブホテルにしろ、かつての「都市のなかの個室」は個人が欲望を解放し快楽を得るために囲われた空間だった。欲望、つまり資本主義と結びついていた。しかしゼロ年代のまんが喫茶が囲うのはせいぜい個人の控えめな娯楽であり、あるいはつかのまの睡眠、ときには最低限の生活や労働の合間の休息ですらある。格差が拡大した後期ゼロ年代において、まんが喫茶は個人の生の最後の受け皿となり、ほとんど社会保障の代理物として機能しているかのようである。囲い込みは、もはや都市という匿名の空間から個人や特定の集団を隔離するためにあるのではない。それは社会のゆがみが生み出した必要不可欠な機能である。社会の構造が、人々をあの狭いブースに送り込むのだ。だからブースの中にいるのは、社会が構造的に生み出した個人である。ほかの誰かによって置き換え可能な労働によって収入を得る、匿名化された個人である。
小説や演劇においても、まんが喫茶は重要なトポスになっている。たとえばゼロ年代を代表する劇団と言ってよいチェルフィッチュは、2006年にまんが喫茶を舞台とする作品『エンジョイ』を発表した。もう若くはないアルバイトの店員が、店に入り込んでくる浮浪者を追い払うことができない。この浮浪者にどうしても自分の将来を重ねてしまうのだ。非正規雇用の問題はチェルフィッチュが一貫して扱い続けているテーマのひとつだが、まさにアルバイト帰りにこの作品を観に行った筆者に、未来についての想像力を書き換えるに足るするどいショックを与えた。

いとう・あさ
1979年生まれ。文学・パフォーマンス研究。Review House編集長


大山エンリコイサム(美術家)

Obey Me──撮影空間から都市空間へ


fig.1──映画『フォーン・ブース PHONE BOOTH』TM and © 2002 Fox and its related entities. All rights reserved.

ひとつの電話ボックスのなかだけで物語が進行することで話題になったジョエル・シュマッカー監督の映画『フォーン・ブース PHONE BOOTH』は、2002年に製作されたが、アメリカで起きた狙撃事件のため本国では2003年4月に、日本では2003年11月に公開された。いわゆる普通のサスペンス型エンターテインメントであるこの映画が、今日の都市空間を考えるうえで興味深い事例として読み替えられるのは、画面上に映り続ける「あるもの」に気がつく瞬間だ。それは、映画の舞台となる電話ボックスの背後に貼られた、グラフィティ・アーティストOBEY GIANTことシェパード・フェアリーの有名なステッカーである。OBEYのステッカーはグラフィティとして世界中に貼られているが、この映画では最後までほぼ一貫して撮影場所が変わらないため、おそらく半ば偶然、半ば意図的に背景に映されたこのステッカーが頻繁に画面に現れてくることになる[fig.2, 3]。

fig.2──ストリートに貼られるグラフィティ・アーティスト OBEYのポスター Copyright OBEY © 1989 - 2009. All Rights Reserved.


fig.3──電話ボックスの後方左に四角いOBEYステッカーが3枚貼ってある

まず、簡単にストーリーを確認しておこう。舞台はニューヨーク。携帯電話の所持率が急増する一方で公衆電話はその数を減らし、8番街53丁目で唯一使用可能な電話ボックスも近日中に取り壊される予定だ。このボックスに、主人公スチュがやってくる。コリン・ファレルが演じるスチュは業界人のパブリシストで、携帯電話を駆使して俳優やタレントの卵を各方面に売り込む、いわば「有名になりたい無名人の欲望」を操作する存在だ。彼自身も、自らの立場を維持することで、変動の激しい業界のなかでプライドと固有名性を確保しているように見える。そのスチュが、53丁目のフォーン・ブースから愛人にかけた電話を切った直後、突然この電話が鳴り響き、その受話器を取ってしまうところから映画は本筋に入っていく。見えない電話の相手は、スチュが奥さんに秘密で愛人をつくっていることや、有名になりたいタレント予備軍の欲望を利用して、本当は小物の自分にかりそめのステータスを与えていることを非難する。そして、自分は今近くのビルからスチュを監視しており、電話を切ったり命令に背けば射撃する、と告げるのだ。その後、殺人が起こり、警察やマスコミが駆けつけすべての状況が街頭のテレビで放映されるなか、スチュと見えない電話の相手、警察との駆け引きが展開する。

この映画の中心には「無名の大衆と有名性への渇望」というテーマが設定されていると同時に、固定された公衆電話から遍在性の高い携帯電話へという都市空間でのコミュニケーション作法の変化や、不透明な権力による管理型社会のメタファーなどがそこに折り重ねられ、複雑な編み目をなしている。例えばスチュは、街中を動き回りながら携帯電話を多用しパブリシストとして暗躍する(=他者の有名欲をコントロールしつつ自らは不在に留まる)が、すぐ後で電話ボックスに閉じ込められて見えない電話の相手に監視され、さらにテレビで報道されてしまう(=不在の視線にコントロールされつつ歪んだ有名性を獲得する)[fig.4]。

fig.4──街頭のテレビに映し出されるスチュ

このようにいくつかの今日的な問題を想起させつつも、しかしこのプロットは、最終的にスチュの傲慢な生き方に対して自戒を強いる教訓ものとして機能している。犯人は捕まる前に自死し、スチュは無事に生き延びてそれまでの自分を反省することで、プロット=物語はいわば困難を経たうえでの解決へと無難に収束したように思えるからだ。しかし最後に、死んだはずの犯人が実は偽物で、本当の犯人はまだ生きていることを示唆するシーンが短く挟まれ、不気味な余韻を残したまま映画は終わる。

撮影空間に映りこむOBEYのステッカーは、このラストシーンの不気味さに直結している。というのも、この不気味さは「映画のなかの物語」と「映画のなかの映像」の奇妙な関係から発生してくるからだ。すでに述べたように、この映画においてプロット=物語は教訓ものとして描かれ、犯人は一度死んだことになり事件は解決される。ハリウッド映画としては基本的なパターンだ。だが、この「物語の水準の犯人」とは別の真の犯人とおぼしき人物が、完結したはずの物語をくつがえすかのように、オーバーラップされた歪んだ映像のなかで最後に一瞬登場する。この人物はしかし、一連の事件の真の犯人と読み取れるため、あくまで物語の水準にも関わっている両義的な立場だと言えるだろう。普通に映画を鑑賞していれば、この点までは誰しもが了解できる。しかし、OBEYのステッカーに気がつくことができれば、映画の冒頭でのスチュと見えない電話の相手の次のやり取りが、もうひとつの視点を与えてくれるはずだ。

見えない電話の相手「お前は私に従うことになるだろう。 You're going to learn to obey me.」

スチュ「お前に従う? Obey you?」[fig.5]

fig.5──スチュと見えない電話の相手のやり取り

その後の映画の展開を決定づけるこの重要なセリフにおいて「Obey(従う)」という言葉が象徴的に用いられていることは、この会話がなされている電話ボックスのすぐ後ろに貼ってあるOBEYのステッカーが、見えない電話の相手を表象するイメージであることを暗に示唆している。しかし、そのことは物語のなかではまったく示されず、ステッカーはいわば映像としてのみそこに埋めこまれているに過ぎない。つまり、死んだとされる「物語の水準の犯人」、そして真の犯人と考えられる「半-物語的な犯人」とは別に、見えない電話の相手そのものの直接的なイメージが、OBEYのステッカーとして映像の水準に表出しているのだ。映画の最後に登場する「半-物語的な犯人」の不気味さは、物語の外部に潜む「見えない電話の相手=OBEY」が発する不気味さの、ほんの断片でしかない。

一方で、主人公スチュの本名がスチュアート・シェパードであり、よく知られたOBEYの実名シェパード・フェアリーと重なるという事実から「見えない電話の相手=OBEY」が同時にスチュを表わしていることもわかる。一般にグラフィティ・アーティストは本名とは別のタグネーム(グラフィティ用の名前)を都市空間に刻み、グラフィティの世界における有名性獲得の競争は主にこのタグネームによって展開される。本名は度外視され、まったく知られず無名状態に留まる場合も多い。その意味で、有名/無名をめぐるこの映画において、見えない電話の相手とスチュがそれぞれOBEY/シェパードとして対応しているという事実は確かに興味深い。しかし、セリフや人名で表わされるこれらの関係は、スチュと見えない電話の相手の「対関係」を依然として残したまま、スクリプト=物語の設定に部分的に組みこまれている。むしろ重要なのは、物語の水準での対応関係ではなく、その外部にある映像の水準であり、そこにおいてスチュと見えない電話の相手は対関係を逃れ、OBEYのステッカーのイメージのなかに溶けこみ合いながら同時に表象されているのだ。

さらに言えば、公衆電話と携帯電話における固定/遍在の関係や、見えない電話の相手とスチュの間の管理/従属の関係などの物語の水準における対関係の図式を、OBEYのステッカーは映像の水準において無効化する。例えば、現実の都市空間ではあらゆるところに無数に貼られているこのステッカーは、その遍在性ゆえにこそ、撮影場所が固定されたこの映画の画面に終止現われ続けることができたのであり、またそれが画面に映り続けるからこそ、観る者は嫌でも映画のなかの空間を超えて現実の都市空間へと想像を広げてしまう。そして、現実の都市空間においては一般に管理と排除の対象とされてきたグラフィティが、この映画のなかでは逆に「従属(Obey)」を要求しうるものとして、特権的な立場を獲得しているのだ。

ゼロ年代の都市空間を考えるうえでのいくつかの重要なキーワード──有名/無名、固定/遍在、管理/従属。スチュと見えない電話の相手の関係性のなかに織り込まれたこれらの対概念を、物語の水準と映像の水準を行き交いながらOBEYは功みにはぐらかしていく。もはや明らかなのは、OBEYの反復運動が最終的に企てているのは、映画の画面から現実の都市へとジャンプオーバーすることだろう。物語の水準から映像の水準へ、そしてさらに現実の水準へと鑑賞者の思考を引きずり回すOBEYのステッカーは、まさにあらゆるところに遍在しつつ、撮影空間を都市空間へと分解しようとしているのだ。

おおやま・えんりこいさむ
1983年。東京生まれ。美術家。慶應義塾大学卒業後、東京芸術大学大学院修了。主な展示に「Fractal Edge」(compound gallery、2008)、「FFIGURATI」(contempo、2009)など。主な評論に「グラフィティからポストグラフィティへ」「目撃の美学」など。


荻上チキ(評論家)

コストコ、ハンズマン、ドンキホーテ、IKEA、amazon、A-Z......。「倉庫=店舗」の発想に基づいた、ロングテール型マーケティングを実践するこれらの「売り場」が、僕が印象論的に思い浮かべる「00年代の風景」です。もちろんこれらは、00年代に始まったものばかりではありません。というか、こうした風景自体は、90年代末頃から何も変わっていないようにさえ思えます。が、逆にそれこそが、00年代の風景を象徴していた気がします。

90年代末に「フリースの馬鹿売れ」で成功したユニクロをはじめとして、こうした「売り場」モデルの拡大は、数多くの「経営者啓発番組」において成功例として繰り返し取り上げられました。長期不況によって醸成された「デフレマインド」が、「モードの消費」をにわかに後退させたのか、そうしたメディアの「語り」のなかで重きを置かれたのは、「何を売るか」(先端のトレンドをいかにキャッチするか)ではなく「どうやって売るか」(既存の失敗に対していかなるレバリッジをきかせるか)でした。ゆえに、具体的なゾーニング技術の導入事例が注目されていたように思います。
この10年間、コンテンツ内容をめぐる議論よりも、コンテンツを流通させるアーキテクチャそのものをめぐる議論が盛り上がったのも、そうした背景と無縁ではありません。記号論をベースにした「表象論」的語りはほとんど目立たなくなり、都市を闊歩する人の慣習と、周到に埋め込まれたナッジとの関係に焦点が当てられました。「新しさ」「ホットさ」だけを語り競いあうスノッブ談義は無価値となり、多層的なアーキテクトが、次々と「空間」生成へとコミットメントする様相が記述されていくようになりました。言説上でも、ますます「様式美から機能美へ」といったモード転回にドライヴがかかっています。

しかし他方で、コミュニケーションそのものへの着目も活発になっています。00年代は、オタクや「デジタルネイティヴ」(笑)たちが、あるいはギャルや「やから系」の面々が、都市空間をどう「創造的」に塗り替えているのかが着目されていました。ICTの飛躍の10年間、街にはモバイル機器を持つ人で溢れています。電車のなかでケータイ小説を読む者、モンハンのアドホックモードを試すため、あるいはルイーダの酒場に集うため、「趣都」に群がるゲーマーたち。ケータイ小説、プロフ、リアル、モバイルSNSなどを駆使して、学校空間をデジタルスペースで「上塗り」していく者たち。都市をコミュニケーションで埋め尽くしていく人々の生態を前に、いつしか「整っているが温かみもない」とされた郊外をめぐる語りも変わっていきました。
そうした現象を前に、かつて郊外を語るうえで重要だった社会学的な言説も、そのブームに落ち着きをみせています。その変わりに台頭してきたのが、ひとつは経済学的な言説でした。もちろん、経済学ブームの引き金は、経済不況という課題が眼前に現れたからというのが大きな理由。ですがそれだけではありません。
経済学は単に、マーケティングや予算、景気の話をするためだけでなく──なにも行動経済学に限定せずとも──、市場=メカニズムのなかにいかにいかなるインセンティヴが埋め込まれているかを読み解くツールも提供してくれます。サンスティーンの仕事をみてもわかる通り、数多くのアーキテクチャ論も、いわば「設計」と「行為」を同時に語ろうとするゲーム理論的な思考の一種として分類することがでる。「意味のダイナミックな生成変化」を読みとこうとする、参与観察的なアプローチではなく、そうしたものをひとまず括弧にくくったうえで、生成のメカニズムそのものを記述する知。すなわち「臨床としての都市論」を行うための手段が、ひとまずは経済学などのツールに求められていたのです。

完璧な設計をする建築家よりも、生成変化の「余地」を巧みに残したプログラマが注目を集めたこの10年間の動きと、統計的切り口が、「ホット」なトピックスをクールダウンさせていった経済学ブームの盛り上がりの、補完的な並行。そうした知性のあり方は、「自然的」なものでも「人為的」なものでもない、ハイエク的な「規則性の自己生成」領域への注目手段として、サイバースペースや都市へのまなざしに限定されることなく、また「00年代」に限定されるようなこともなく、今後ますます精度を高めていくと思います。

おぎうえ・ちき
1981生。成城大学文芸学部卒業。東京大学大学院情報学環・学際情報学環修士課程修了。テクスト論、メディア論を中心に、評論、編集、メディアプロデュースなどの活動を行う。人文系ニュースサイト「トラカレ!」主宰。社会学者・芹沢一也と共に思想系メールマガジン「αシノドス」を創刊、編集。著書=『ウェブ炎上──ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書、2007)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社、2008)、『ネットいじめ』(PHP新書、2008)、共著=『バックラッシュ!──なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(上野千鶴子、宮台真司ほか、双風舎、2006)、『革命待望!──1968年がくれる未来』(スガ秀実、橋本努ほか、ポプラ社、2009)など。編著=『日本を変える「知」』(本田由紀、吉田徹ほか、光文社、2009)など。講談社現代新書より『社会的な身体』(光文社、2009)発売中。


木内俊克(建築家/R&Sie(n))

第3回G20サミットはゼロ年代の動向を象徴するひとつの出来事だったように思う。G8に代わるかたちでG20が国際経済協力のためのもっとも主要な協議の場になるというニュースを耳にし、主要発展途上国が名実共に国際社会のなかでの地位を確立したこと、同時に欧米中心の世界構造が変わりつつあることを実感した。
一方、日本国内では地方分権化の動きや、上記のG20直前の出来事であった脱官僚をうたった民主党の勝利、それにともない対米政策への見直しの議論が起こってきたことなどが印象深い。

これらの動向を振り返り改めて思うのだが、「多様化・多極化」と呼べそうな傾向が、ゼロ年代を通して繰り返し現われてきたように感じている。中心を持たないバラバラな「個」の集まりが、対等かつ多様であることを前提にしながら、なおバランスがとれた全体として共存・発展していけるシステムがいかにして可能か。そんな問いが、国際社会からデザインの現場の細部まで、スケールを超えてフラクタルに現われてきているような感覚、とでも言えばよいだろうか。
個人的ではあるが、以下にその傾向を印象づけたいくつかを簡潔にメモした。

Swarm intelligence/ Self-organization

いずれも、80年代後半から90年代にかけてすでに紹介されていた概念のようではあるが、建築の分野で盛んに話題に上るようになったのはゼロ年代に入ってからであったと思う。
Wikipediaなど、Web上ではすでに同概念を反映したシステムが運用されており、計画という概念を刷新していくうえでより重要性が増してきていることは誰しも認めるところではないだろうか。
おそらくは、こういったローカルな領域から展開するロジックにしろ、既存の計画概念にみるトップダウン型のロジックにしろ、それぞれが閉じたシステムにとどまるのではなく、複数のシステムが衝突しつつもそれを軟着陸させていくような新しい均衡がこれからの世代の関心事になってくるのだろうと思う。

Grasshopper/ generative modeling for rhino(2007〜)

比較的安価であることや国際的なユーザーネットワークをベースにした頻繁なシステム更新により広く普及している3次元モデリングツールであるRhinocerosのプラグインとして開発されたプロセデュアル・モデリング・ツール。
(CG系に多用されるHoudiniと比較すると未発達ではあるが)普及度の高いRhinocerosをベースにすることで、プログラミングの知識をもたないCAD系のデザイナーにパラメトリックな視点/手法を提供するフォーマットとして、またより高度な幾何学的処理を操るプログラマーとのコミュニケーションフォーマットとしての展開が興味深い。

Building Information Modeling

昨夏に日本でも「a+u」の別冊として特集されたBuilding Information Modeling Systemは、建築物の設計からライフサイクルマネージメントにおよぶ大量な情報処理/共有の効率化を着実に押し進めており、注目度が高い。作業環境のよりラディカルな軽量化と広範囲への普及が待たれる一方、不確定要素を包含しながら漸近的にモデルを構築しうるような拡張性を今後多いに期待したい。

多矛盾系(2008)

内藤廣が、2008年に出版した『構造デザイン講義』のなかで、構法を優先させ軸力線が交差しないという矛盾を前提として受け入れていく木構造を指して用いた言葉。矛盾をなくすことを目指す近代的システムではひとつの矛盾が全体の崩壊につながるが、多矛盾系では、小さな矛盾が互いに均衡をとり合うことでより受容力や冗長性の高いシステムがつくれるであろうという指摘。
かつて吉阪隆正氏が「不連続統一体」と呼んだ概念を彷彿とさせ、建築構造のみならず、対立する要素を同時に取り扱うあらゆるシステム一般に拡張できる可能性を感じさせる。

景観法(2006 施行)

2005年より人口減少期に入った日本だが、一方で都市部の人口は増加し続けており、地方の疲弊と裏返しに都市部での過剰な開発は加速している。この流れを見据え、2006年に施行された景観法により「個性的で活力ある地域社会の実現」★1が国主導で動き出したこと、対応して多くの地方自治体で景観に関するローカルな合意形成をつくる動きが活発化し、現在まで進展を続けていることは注目に値する。

日向市駅(2008)

総括監修・篠原修、意匠統括・内藤廣の二人が、多分野の技術者、地方自治体、国交省などとの連携を保ちながら、10年の歳月をかけ、街づくりの一環として完成に導いた駅舎。地場産の杉材を用いたプラットホーム大屋根に結実したように、地域ごとの潜在的な力をいかに育てていくか、その具体的なあり方を実践した事例。

roundabout journal(2007〜)

藤村龍至を中心に展開されている設計プロセスに焦点をあてた議論が、現代的なテーマをあぶりだしている。デザインの現場を政治的な力学の場としてとらえ、いかにして情報が蓄積/共有/運用されるかが極めて重要なファクターであり、それがデザインが関わる地域のローカリティを形作っていく、といった議論は示唆的。

開放系技術(2001)

石山修武が2001年に竣工した自邸《世田谷村》をモデルに提唱した、施主が建築工事の分離発注主となる住宅生産を核にした技術的枠組み。コストコントロールの実践的なガイドであるとともに、ネットワークやシステム論に偏りがちな現代において、個のあり方としての「自由」をいかに最大化しうるかに焦点をあてている。

『0円ハウス』(リトルモア、2004)

2004年出版の坂口恭平の写真集。「絶えず運動と変化を繰り返し、秩序とずれが同居している」★2セルフビルドの家の数々が坂口氏による写真を中心に収められている。明快に提示された、個とともに運動しつづける自己組織化された建築のあり方は説得力をもって語りかけてくる。

『a+u臨時増刊 Architectural Transformations via BIM──BIM元年:広がるデザインの可能性』/『構造デザイン講義』/『0円ハウス』

★1──景観法、第一章・総則、第一条より抜粋。URL=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16HO110.html
★2──『0円ハウス』あとがきより抜粋

きうち・としかつ
1978年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。2005-2007年 Diller Scofidio + Renfro勤務、2007年より R&Sie(n)勤務。http://www.new-territories.com/


小林恵吾(建築家/Office for Metropolitan Architecture)

ドバイ・中東


2001年の世界貿易センタービル同時多発テロに始まった10年は、いまも建設中の超高層ビル群が立ち並ぶドバイの経済危機によって幕が閉じられようとしている。アメリカ資本主義の物理的イコンがNYで崩れ落ちた9月11日、アメリカ各地で計画中であった大規模建築計画のほとんどが中断または中止に追いやられた。その後はじまったイラク戦争によって原油価格が高騰、ドバイをはじめとする湾岸諸国の急速な発展に繋がる。
高層オフィス群、ホテルやショッピングモール、海岸沿いの住宅地にいたるまでのすべてが、マーケットの成功術に忠実にしたがって完成したユートビアであるとするならば、そのユートピアが現在危機に瀕していることが示唆するのは、この場所に存在しないものの重要性とその再発見であると言えるのではないだろうか。
東京もこの10年間にいくつかの巨大な開発が行なわれた。高層オフィス街、高層マンション、ショッピングモール、映画館、美術館といったコンビニ弁当のセットのような内容が繰り返されるなか、ドバイに存在しないものの価値とはなにか、ということをひとつの物差しとして今後の都市の発展に生かされることを期待したい。

「ドバイ・ショック」という言葉の余韻がいまだ色濃く漂うなか、改めてドバイの衛生写真(計画中プロジェクト合成)を眺めてみる。いまや見慣れてきたこの一枚の画像が意味すること、それはこの10年間を振り返るうえでいくつかの重要な都市のテーマを含んでいると思う。

○同時多発テロ事件後、砂漠に突如として出現した資本主義の結晶体。カジノのないラスベガスから学べること
○NY世界貿易センタービルの倍近くの高さを誇る超高層ビル群や巨大リゾートホテル。大きさと形態に還元された建築と都市の行方
○砂漠地帯の緑地と「サステイナビリティ」の流行が露にする今世紀都市のジレンマ
○ユートピア「ザ・ワールド」と、それを支えるアジア労働者と欧米エクスパットのリアル・ワールド
○グーグル・アースが可能とした都市設計における新たな視点
○世界中に進展する中東デベロッパーによって繰り返される急速都市開発と建築家の生き残りを賭けた死闘
○鮮明な画像(レンダリング)が先行する都市計画における可能性と不確定要素の排除
Nakheel - Plan Dubai, March 2007
URL=http://www.eikongraphia.com/?p=1865

こばやし・けいご
1978年生まれ。2002年早稲田大学理工学部建築学科卒業、2005年ハーバード大学大学院デザイン学部修士課程卒業、2005年よりOffice for Metropolitan Architecture勤務。


志岐豊(建築家/ジョアン・ルイス・カヒーリョ・ダ・グラサ・アルキテットス)

ゼロ年代とは、私が建築を学び始めた年であり、建築設計の実務を始めた年である。建築を学んだ期間と実務経験を積んだ期間がちょうど半々というわけである。また、ポルトガルの設計事務所に勤務しているため、半分は日本、半分は海外と、建築メディアに触れる環境は前半と後半で大きく異なる。しかし、一方でブログなどの新しいメディアの出現によって、もはや建築の出来事は国内と国外で別々に起きているのではなく、世界同時に進行している。そのような状況において私が「経験」したゼロ年代の建築界における主要な出来事を以下にまとめた。

1──建築作品


OMAによるダイアグラムを用いた建築思考方法

ゼロ年代初期、建築を学び始めた私が衝撃を受けたのは、OMA設計のカーザ・ダ・ムジカのコンセプト模型であった。リサーチを徹底的に行ない、その結果をグラフィカルなダイアグラムとしてまとめ、それを建築設計に利用していく思考方法は、当時学生であった私たちだけではなく、世界各地の建築家や建築教育に影響を与えた。

SANAAによるプロジェクトが続々と竣工

日本発で世界においていまだショッキングでありつづけるSANAAだが、白く薄く軽やかな模型で表現される彼らのプロジェクトがゼロ年代を通して世界各地で竣工した。また彼らのミニマルな模型、図面表現方法は良くも悪くも若い世代に影響を与え、そのことがゼロ年代後半になって問題視されたりもした。

2──書物


Aires Mateus, 2G, 2003.

日本において白いミニマルな建築が(少なくともわれわれの世代において)もてはやされるようになった頃、ユーラシア大陸最西端の国ポルトガルの現代建築もいくらかの注目を浴びた。ポルトガルと言えば、アルヴァロ・シザが絶対的な知名度を誇るが、その若い世代の建築家達の作品は日本の同世代の建築家達に共感をもって受け入れられ、リスボンの建築家アイレス・マテウスの作品群はそれを代表する存在であった。

Paulo Mendes da Rocha - Fifty Years, RIZZOLI, 2007.

2006年のプリツカー賞を受賞したパウロ・メンデス・ダ・ロシャの半世紀にわたる作品を集めた作品集。ポルトガルで建築設計に携わることになったという個人的な経験、趣向は、いつしか私をポルトガルと密接な関係にあるブラジルの建築にも向かわせた。ポルトガルのモダニズムがブラジルのそれに多大な影響を受けていることを認識しただけでなく、自由な曲線と幾何学を組み合わせたワクワクさせるプランは現代の日本の建築家たちにも間接的に影響を及ぼしていることを知る。また、同建築家によるMaquetes de papel(紙の模型)(COSACNAIFY, 2007)は模型による建築思考のおもしろさを再認識させてくれた。

 
Aires MateusPaulo Mendes da Rocha - Fifty Years

3──メディア


PASAJES Arquitectura y Critica

隔月出版のスペインの建築雑誌PASAJES Arquitectura y Critica。厳密には1998年創刊でゼロ年代ではないが、ぺらぺらとした薄い冊子(海外の新聞サイズ)、解像度にこだわらない図版、5ユーロ程度という低価格、キオスクで購入可能、などその気楽さは新しい建築メディアとして刺激的であり、ゼロ年代を通して欧州やスペイン語圏を中心に浸透した。その後、同様なスタンスの建築雑誌がいくつか創刊されている。

 
PASAJES Arquitectura y Critica

建築系情報ウェブサイト、またはブログ

紙媒体の建築情報誌が次々と規模を縮小、もしくは廃刊していくなか、「10+1 web site」などの建築系情報ウェブサイトはその穴を埋める働きをした。またインターネットが社会へ浸透するのにともない、海外の建築情報ウェブサイト「Europaconcorsi」「Dezeen」なども国内で閲覧されるようになり、日本で活動する建築家にとっても作品発表の場として機能している。これによって、掲載するには狭き門であった従来の建築雑誌に代わり、すべての建築家がフラットに作品を発表する環境ができた。また、五十嵐太郎らによる「建築系ラジオ」は私のような海外在住者が日本の建築関係者の生の声を聞くことを可能にし、ゼロ年代に誕生した画期的なメディアと言える。

4──展覧会


SDレヴュー2005

本展でSD賞を受賞した石上純也による《長屋のちいさな庭》は従来の建築とは明らかに趣が異なり、それは各審査員の戸惑いと期待を同時に抱かせるコメントに現われ、建築界に大きな影響を与える可能性を感じさせた。現に、その後石上はメディアで大きく取り上げられるようになり、石上本人は2008年にヴェネツィア・ビエンナーレ日本館を担当し、世界的にも注目される存在となった。個人的には長谷川豪の《森のなかの住宅》に強く魅惑され、同世代の建築家たちの新しい試みに期待を抱いた展覧会であった。

しき・ゆたか
1979年福岡生まれ。東京大学大学院環境学修士課程修了。大学院在籍中、リスボン工科大学、セント・ルーカス建築学校(ベルギー)に留学。大学院修了後、2005年より現職。リスボンをはじめ、ポルトガル国内外の建築プロジェクトに携わっている。http://bomdialisboa.blogspot.com/


平昌子(広報/TAIRA MASAKO PRESS OFFICE)

石上純也《table》2005「キリンアートプロジェクト」出品作品

建築と美術は一緒になる必要性はないのですが、この作品を見たとき境界線などという言葉が安易なように思えたのを覚えています。
機能があるうえで、芸術性も備わっているものをつくられる建築家は昔からいらっしゃいますが、ゼロ年代的建築と美術をつなぐ突破口的な瞬間を共有した感じがしました。

courtesy of gallery koyanagi

山川冬樹《The Voice Over》2009「ヨコハマ国際映像祭2009」展示作品

これは建築作品ではなく映像インスタレーションです。聴覚、触角、視覚をとおし、また時間を超えて「空間」を体現させる作品でした。
建築もここ数年で表層的視覚の問題から、もっと動的な映像のような体験できる作品をつくる人が出てきているので紹介しておきたいと思いました。

©FUYUKI YAMAKAWA
Installation view:ヨコハマ国際映像祭2009 photo:KEIZO KIOKU

ここ数年、特に国内のアート業界は「建築」というジャンルに注目していらっしゃる方が増えています。美術館での建築展が続いていますし、ギャラリーが建築家の仕事に注目しています。これは建築家の仕事の仕方が変わってきて、枠にとらわれず自由にアウトプットしている世代がでてきているのかなーなどと個人的には感じております。

たいら・まさこ
1974年大阪生まれ。設計事務所、建築プロデュース会社、アートギャラリーを経て、TAIRA MASAKO PRESS OFFICE主宰。2007年「リスボン建築トリエンナーレ」日本セクション事務局、2008年「横浜トリエンナーレ」広報担当。2010年1月末開催のトップギャラリー15が終結するアートフェアー「G-tokyo」PR担当。http://www.gtokyo-art.com/


勝矢武之(建築家/日建設計)

さまざまな建築雑誌の廃刊と一般向けの建築情報の増加

この十年で多くの建築雑誌が休刊に追い込まれました。その一方で、『casa BRUTUS』といった一般紙が建築を取り上げるとともに、個人住宅の建築家を一般向けの住宅誌が取り上げるようになりました。
ここには3つのポイントが潜んでいます。

1──建築の流行

この10年でインテリアへの関心が高まり、多くの一般紙が建築を取り上げるようになった事実が示すように、80年代のDCブランドの隆盛とともにもたらされた「衣」の向上、90年代のイタリアンの隆盛を中心とした「食」の向上に続き、ようやく日本において「住」の向上が達成されたことになります。これまでハイカルチャーでしかなかった「建築」が、ようやく人々に普及した「生きた文化」となったことは、言うまでもなく、望ましい変化といえるでしょう。こうしたメディアの存在もあり、使い手と建築家が、同じ言葉を共有し、対等に話して建築をつくっていくようになりました。そしてそれとともに、建築家もかつての「先生」ではなく、使い手と同じ土俵に立った、親しみやすい「カウンセラー」あるいは「医師・整体師」のような姿をとるようになったわけです。

2──「建築」の衰退

一方で、多くの建築雑誌が休刊に追い込まれ、建築家が建築を思想から語る場がなくなりました。と同時にWEBの隆盛により、さまざまな情報が瞬時に世界を伝播するようになりました。建築の情報はもはや過去のストックではなく、現在のフローがベースとなったわけです。こうして、書物を読んで、言語概念から建築を思考するといったアプローチそのものが弱体化することになります。さらに、Webのライブな情報があふれることで、歴史に対する関心も低下しました。結果として、建築が築き、囲い込んできたメタ概念としての「建築」の牙城がほぼ崩れ去ってしまいました。いわば、建築をその起源から考えるという垂直的思考のあり方が弱体化していったわけです。もはや一冊の出版物が建築を変えるという事態はほとんど起こりえなくなったのです。と同時に、建築をめぐる批評も、建築というメタジャンルの弱体化とともに、その力を弱めていくことになりました。

3──「デザイン」という概念の波及

こうした変化の一方で、流通したのが「デザイン」という概念です。この概念を基準に建築が語られるようになったことで、建築はもはやプロダクトなどの他のジャンルと同じ土俵で語られるようになりました。建築はいまや過去からの連続を基盤とする「垂直」な思考ではなく、同時代性を基盤とし、他のジャンルを横断する「水平」な思考から語られることになります。「デザイン」という一元化された物差しだけで建築が語られてしまうことは、一般への波及力というプラスの面と、建築という複雑なものが持つ問題を単純化しかねないマイナスの面があります。ただ、いずれにしろ、こぼれた水はもう盆には戻りません。建築をめぐる思考は今後新たなあり方を探っていく必要があるでしょう。

かつや・たけゆき
1976年生まれ。1998年京都大学建築学科卒業。2000年同大学院修士課程修了。現在、日建設計勤務。


戸田穣(日仏近代建築史・庭園史/東京大学大学院)

とりあえず「ゼロ年代」、というよりも21世紀最初の10年は、20世紀の喪の期間にあてたような気がする。ジャン=リュック・ゴダール『二十一世紀の起源』(2000)を見ながら、あくまで「わたしにとっての」(pour moi)。わたしは人生の半分から3分の2ほどを21世紀に過ごすことになるのだろうが、わたしにとってこの世紀は前世紀ほど親しいものになるだろうか。

20世紀が映像の世紀だとして、映像の次の世紀を画するのが2005年のYouTubeなのかどうかは知らないが、ゼロ年代を代表する監督ならばジャ・ジャンクーを挙げたい。97年にデヴューした後、2000年から2年ごとに作品を発表しつづける70年生まれの監督のキャリアの大半は「ゼロ年代」に収まる。他の監督もいようが「ゼロ年代」というジャーナリスティックなテーマに即して、北京を。であるならば彼の一番とは言えないかもしれないが、ここでは『世界』(2004)を推そう。オリンピックを控え都市の相貌が日々変っていく北京。その郊外に実在する、世界のモニュメントのレプリカを集めたテーマパーク「世界公園」を舞台に、虚実混濁した空気が瀰漫しガスよりも重く都市の底に溜まっていく。

では、日本の都市は。となれば、映画よりもむしろ写真を。ホンマタカシ『東京郊外:TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版、1998)や『東京の子供』(リトルモア、2001)に写した「郊外」から、中野正貴『TOKYO NOBODY』(リトルモア、2001)にはじまる東京四部作、本城直季『small  planet』(リトルモア、2006)、佐藤信太郎『非常階段東京──TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎、2008)まで。あるいは畠山直哉『Underground』(メディアファクトリー、2000)の地下、内山英明『JAPAN UNDERGROUND』(アスペクト、2000-2008)の地下、新良太『Not Found』(エクスナレッジ、2003)の地下。

東京への、都市への、あるいは都市の識閾下への、時に深く時に浅い視線のさまざま。都市の断片を切り取るスナップ写真の移動する視線とは異なる、広角な、固定された、それぞれにテマティックな写真の一群。これらの厚み、それ自体に、ゼロ年代のわれわれの都市イメージが象徴されているように思える。

ジャ・ジャンクー『世界』/『東京郊外:TOKYO SUBURBIA』/『東京の子供』
『TOKYO NOBODY』/『small  planet』
『非常階段東京』/『Underground』

とだ・じょう
1976年生まれ。日仏近代建築史・庭園史。博士(工学)・東京大学大学院研究生。翻訳=クロード・パラン『斜めにのびる建築──クロード・パランの建築原理』。共訳=エイドリアン・フォーティー『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』ほか。


中川純(建築家/レビ設計室)

ゼロ年代の都市と建築はレムに始まりコールハースで終わったと言っても過言ではないが、日本に限って言えば下記の三点が印象に残った。

伊東豊雄《せんだいメディアテーク》(2000)

佐々木睦朗の功績は大きかったと思う。巨大な地震力に対して微細で多面的な対策を講じたこと、9.11のような不確定な破壊に対してリダンダンシーを備えた計画としたことによって、複雑性と合理性を兼ね備えたラチス・シェルとハニカムプレートという構造モデルを導いたのだが、むしろその結果に至る試行の膨大な反復によって構造設計というものを脱構築したことに敬意を表したい。脱構築的手法の利点のひとつにシステムの解放(新しい関係)がある。あるひとつのシステムを追究することによって、そのシステム内部に存在する逆説を発見し、その逆説を発見したことによる自己解体から導かれた結論を決定不可能性と呼ぶならば、この宙ぶらりんな決定不可能性にこそ他のシステムが応答する可能性が秘められている。脱構築された構造モデルは、意匠、環境、機能、構法、材料といった他分野への関係性に多大な影響を与える。《せんだいメディアテーク》はそのような新たな形式を発見したという意味においてエポックメイキングな建築であった。
伊東豊雄《せんだいメディアテーク》
引用出典=http://ja.wikipedia.org

ファスト風土化

語り尽くされた言葉ではあるが、ゼロ年代の日本の都市を語るうえでは外せない言葉だと思う。1960年代後半から日本全国でモータリゼーションが進み、地方の中心は鉄道駅を拠点とした商店街から国道沿いにシフトした。その後、政治と経済が複雑に絡み合う状況のなかで団塊の世代を中心に郊外化が進み、ショッピングセンターのような没個性的で大量消費を前提とした風景がつくり出された。地方のロードサイド文化は都市部との差異を縮小するために進化してきたが、そのモデルを都市部の再開発に適用することによって都市が郊外化しつつあるのが現状である。中谷礼仁はクリストファー・アレグザンダーのセミラティスを時間差をともなったツリーの重合体と見なした(中谷礼仁『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』[鹿島出版会、2005])。ここで都市のファスト風土化に至る変遷を世代の断面=ツリーとしてとらえるならば、われわれは前世代が創り上げたツリーの上に新たなツリーを描かなければならない。世代の断面に見え隠れする「農村が都市を包囲する」という思想に手がかりはないだろうか。

Google

Googleは世界中の情報を整理することをミッションとした会社であり、そのミッションを遂行するために環境問題にも積極的に取り組んでいる。Google Earthは不動産会社のソフトウェアとして開発されたもので、ストリートビューをはじめさまざまな情報を集約しつつある。近年そのなかで日照シミュレーションが可能となった。当然、不動産の流れを汲んでの機能だが、Googleが環境問題に取り組むに当たって、今後次世代電力網を視野に入れたGoogle PowerMeterなども組み込んでいく可能性があり、情報を可視化することによる啓蒙的なヴィジョンにも注意を払うべきだろう。GoogleがCFD(流体シミュレーション)を初めとした各種環境シミュレーションソフトを買収し各種センサー類と共にアプリケーションに組み込むことによって、都市の環境問題はかなりの精度で可視化されるだろう。そのとき設計者は環境や運用に配慮した工学的な設計を余儀なくされる。政治や経済、主義といったものではなく、ツールが世界を変える可能性もあるのではないか。転換期には予期せぬところに時代を変えるパラメータが潜んでいる。

Google PowerMeter

なかがわ・じゅん
1976年横浜生まれ。早稲田大学卒業後、難波和彦・界工作舎勤務、2006年レビ設計室設立、2008年〜東京大学非常勤講師。作品=《箱の家ではない》《屋上実験装置》《GPLの家》ほか。http://njun.jp/


中村竜治(建築家/中村竜治建築設計事務所)

妹島和世建築設計事務所《梅林の家》2003.12

「隣の部屋も外と見なして間仕切壁に窓を開ける」と外壁と間仕切壁の区別がなくなり、外と中の区別がなくなっていく。てっきり壁を透明にしていくことで実現されるのだろうと思っていたことが、いわゆる壁と窓によって実現した。「建築は限りなく透明になって消えていくことが一番いいのでは」という問にひとつの答えを出してくれた建築だと思った。

石上純也建築設計事務所《神奈川工科大学 KAIT工房》2008.1

「均質な空間は完成していなかったんだ」と思った建築。だいぶ昔に均質な空間は完成したことになっていたはずなのに、そこで使われていたグリッドというものは俯瞰すると均質だけれども、アイレベルでは均質な空間をつくれていなかったんだと気付かされた。そして、完成した均質な空間は心地良いものだった。

なかむら・りゅうじ
1972年長野県生まれ。東京藝術大学大学院修士課程修了後、青木淳建築計画事務所を経て、2004年中村竜治建築設計事務所設立。主な仕事に、shortcut/JIN's GLOBAL STANDARD 流山、insect cage/DEROLL Commissions Series 1: box、catenarhythm/「散歩-ミナペルホネンのリボンプロジェクト展」空間構成、atmosphere/オペラ「ル・グラン・マカーブル」舞台美術、blossom/private dining of les halles de saison sageなど。主な受賞に、グッドデザイン賞、JCDデザインアワード大賞、THE GREAT INDOORS AWARD(オランダ)など。
http://www.ryujinakamura.com/


永山祐子(建築家/永山祐子建築設計)

9.11

青木淳建築計画事務所で夜仕事をしていた時、モニターの画面上で飛行機がWTCに突き刺さった姿を目の当たりにした。目の前の出来事がまるでフィクションのようでリアリティがなかったのを覚えている。この出来事の前と後では決定的に何かが変わった。それまで、なんとなく補完されていた安住の地が根底からすくいとられてしまった。もう、どんな基盤もなんの保証もない。地球上のあらゆる場所、ほんの片隅の吹きだまりから恐怖は湧き出てくる。擦り傷を風にさらしたような、ざらざらとした感覚が心のなかに生まれた。それは今まで感じたことのないものだった。それからは生きている感覚を求めるようになった。何かリアルな生の証のようなものを。それは自分が造るものに対しても。明日何もかもなくなってしまうかもしれない、そんなかけがえのない "今この瞬間"を誰かと共有するために造りたいと思った。だから私は物質として残すよりも、受け手側のなかに瞬間的に残るものを造りたい。だから現象というものに興味がある。

Google ストリートビュー

今、どこか特定の場所の話になったとき、必ずググる。そしてとりあえずストリートビューで歩いてみる。実際にその場所に行く。すると、そこにはストリートビューで一度みたことのある風景が広がっている。デジャ・ヴュ。ストリートビューの登場で都市はすべてデジャ・ヴュになってしまった。地球上の大半の場所は平等にインフォメーションが与えられ、秘密の場所が消えていく。都市の捉え方も変わった。都市を思い浮かべた時の俯瞰的で漠然としたイメージは、ヒューマンスケールの細切れになったディテール映像のコラージュによって、リアルな仮想イメージを持つようになった。それは俯瞰的志向性ではなく、ディテールから出発していく志向性へと変わった若い世代の設計手法にも関係がある気がする。

新しくなった Google マップのストリートビュー

同世代(70年代)

私が独立したのは今から7年前。ゼロ年代がはじまってから私と同じように多くの同世代建築家が世の中に出てきた。同じ世代の建築を見るとやはりこの世代特有の感覚があるように感じる。その感覚は、都市の捉え方の変化と符合するように、細部から全体をとらえ直そうとする。都市的スケールや大きな体制からスケールダウンしていく従来の思考の順序とは逆の方向性が強く意識されたように思う。私たち世代が自分の身の周りの世界を意識し始めた時、取り巻く世界はすでにとても重層的で複雑なものだった。その世界を把握するのに、自分の周りからちょっとずつその複雑に絡み合っている糸をたぐり寄せながら手がかりを見つけ、その先の世界を把握していくという方法をとっていたように思う。だから、その思考の順序をリアルに感じる。自分の身の周りで起こる小さな刹那的現象のなかに普遍的法則が生まれないかと夢みてしまう。

ながやま・ゆうこ


南後由和(社会学/東京大学大学院情報学環助教)

建築作品

- 伊東豊雄《せんだいメディアテーク》(2000)
- SANAA《金沢21世紀美術館》(2004)
- 西沢立衛《森山邸》(2005)
- 藤本壮介《情緒障害児短期治療施設》(2006)
- 石上純也《神奈川工科大学KAIT工房》(2008)


《せんだいメディアテーク》は竣工が2000年ということで、ぎりぎりゼロ年代の建築作品に含めたい。石上純也、平田晃久、藤本壮介に代表される1970年代生まれの建築家の仕事は、いずれも大枠としては「ポスト・せんだいメディアテーク」の方向性を追求していると見なせることができ、ゼロ年代への橋渡しとなる象徴的な建築作品だと思われるので。
90年代がアトリエ・ワン、みかんぐみなど、ユニットによる建築家の活躍が目立ったのに対し、ゼロ年代は、個人の氏名を掲げたアトリエ系建築事務所の作家性が先鋭化した。《森山邸》は都市居住や集住の新たなかたちを、《情緒障害児短期治療施設》は離接的な空間が持つ冗長性や多様性を、《神奈川工科大学KAIT工房》は動的な秩序による、シームレスで連続的な現象の集積を内包した空間性の地平を切り開いた。いずれの建築作品も、情報化にともなう空間-身体感覚の変容と無縁ではなく、建築が要素間の「距離」を調整、操作するメディアであることを再認識させられた。
紋切り型の箱モノ批判が続くなかで、《金沢21世紀美術館》は、空間とプログラムの秀逸さによって、建築の持つ魅力が社会への伝達と結びつきうること、さらには「集客都市」への発展にも寄与しうることを示した好例だろう。

書物

- 中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005)
都市における諸事象を規定する深層としての地形や地層に潜行し、東京の無意識をあぶり出す斬新な試みによって、新たな東京論の機軸を打ち出した。90年代におけるレム・コールハースのジェネリックシティが抹消した「歴史」の問題を、80年代の記号論による表層的なコンテクスチュアリズムとは異なる形で提示したともいえるだろう。

- 東浩紀+北田暁大『東京から考える』(NHK出版、2007)
ゼロ年代は、情報化、郊外化、新自由主義などを背景として、一方では、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンに代表される都心の超高層が、他方では、タワーマンション、ショッピングモールに代表されるアノニマスかつ、圧倒的なスケールとヴォリュームを持った建物が都市/郊外に続々と出現した。これらの現象に対して、主に人文社会系では、東浩紀、北田暁大の『東京から考える』が、建築・都市論では、柄沢祐輔、南後由和、藤村龍至が提唱した「批判的工学主義」が応答した。

『アースダイバー』/『東京から考える』

メディア

- 建築批評誌の休刊、一般誌での特集増加
『SD』『建築文化』『10+1』と相次いで、建築批評誌が休刊したことは特筆すべきだろう。それに代わる動向として、カタログ的な『Casa Brutus』『Pen』などの一般誌で建築が取り上げられる機会が増えたが、すでにゼロ年代後半から低調気味であり、2010年代もこの勢いが続くとは思えない。

- フリーペーパー、ブログの台頭
建築批評誌の衰退と連動して、若手によるフリーペーパー、ブログの台頭が注目に値する。なかでも、専門誌とブログをつなぐメディアとして位置づけられた『ROUNDABOUT JOURNAL』は、シンポジウムや書籍『1995年以後』(エクスナレッジ、2009)とも連動しつつ、建築界に貴重な議論の場を構築した。

- 卒業設計イヴェントの隆盛
ゼロ年代ほど、学部4年生の卒業設計が、メディアを巻き込んでイヴェント化したことは、これまでなかっただろう。文系、理系を問わず、(総合大学で)学部4年生が注目される学部・学科は建築学科ぐらいかもしれない。

出来事

- 9.11
編集部からいただいた依頼では、「可能な限り日本に限定」ということだったが、ドメスティックな議論が多かったこともゼロ年代の特徴のひとつだった。9.11は、国内外を問わず、異質な他者に対する不寛容や排除の動きを加速させ、監視する/されることを欲望する監視社会の強化をもたらした。超高層と航空機の衝突という事件および、それのメディア上のイメージの反復は、事物のスケール感覚や「リアル」の所在の変容にもつながったように思われる。

- 耐震強度偽装事件
2005年の構造計算書偽造問題は、建築士/建築家を取りまく社会的現実の一端を浮き彫りにした。建築基準法や建築士法の改正が行われたという点でも、社会的影響力が大きかった。

- 巨匠の死
2005年には丹下健三と清家清が、2007年には共生新党を立ち上げ、都知事選、参院選に立候補した黒川紀章が逝去した。相次ぐ巨匠の死は、意識的、無意識的に、20世紀建築からの離陸を促したともいえるだろう。

言葉

- アイコン
- アーキテクチャ
- アルゴリズム

なんご・よしかず
1979年生。社会学、都市・建築論。東京大学大学院情報学環助教。桑沢デザイン研究所、駒澤大学、法政大学非常勤講師。共著=『都市空間の地理学』(ミネルヴァ書房、2006)『路上のエスノグラフィ』(せりか書房、2007)など。論文=「コンスタントのニューバビロン×建築界(1)(2)」など。


濱野智史(情報環境研究者/株式会社日本技芸)

建築家・藤村龍至の登場(「批判的工学主義」と「超線形設計プロセス」の提唱)


筆者にとって藤村の出現は事件だった。実に恥ずかしい限りだが、拙著に『アーキテクチャの生態系』という題を付けておきながら、それまで筆者はまともに「建築」に関する書籍を読んだことがなかった。それまで筆者が意識していたのは、主にレッシグ(法学)やクラーク/ボールドウィン(経営学)の文脈であり、いわゆる「建築」とは一切関係がなかった。ゼロ年代の10年間、筆者にとって建築は知的関心の外側にあったのである(いまではそのことを後悔している)。

もちろん、これは単に筆者の知的怠慢でしかない。だが然るべき事情もそこにはあった。ゼロ年代以前、「建築」と「思想」は(磯崎新と浅田彰のタッグに象徴されるように)密接な関係にあったが、ゼロ年代以降は『Any』シリーズも『批評空間』も終刊し、筆者のような門外漢にとって「建築」はアクセスしがたい領域となった。そんな筆者にとって、藤村の存在は強力な「建築へのインターフェイス」であった。

それは一言でいえば、藤村の問題意識の現代的普遍性によるところが大きい。というのも、藤村らの提唱する「批判的工学主義」とは、社会学者のA・ギデンズがかつて提唱した「第三の道」の建築ヴァージョンとみなすことができる。冷戦構造というイデオロギー対立が崩壊し、グローバリゼーションが不可避に進む現代社会においては、単なる市場至上主義路線(ネオリベラル)も福祉国家路線(リベラル)も残されてはおらず、旧来の二項対立を超えた「第三の道」へと、政治も経済も思想も向かわざるをえない。

これに対して「批判的工学主義」とは、アトリエ派と組織派、表層と深層、芸術と工学という《市場的なものと反-市場的なもの》の二項対立を乗り越えようとする、まさに「第三の道」の実践プログラムとして注目に値する。それは(藤村の編纂した書名を借りれば)「1995年以後」の日本の建築界だけに限らない、広く深い射程を持っているのである。

さて、そのうえでさらに「アーキテクチャ論」の観点から注目すべきなのは、藤村の「超線形設計プロセス」という方法論なのだが、これに対する筆者の考えについては『Final Critical Ride』(東浩紀+宇野常寛編、2008)に所収の藤村との対談をあたってほしい★1

ただ一言付け加えておくならば、筆者が見るに藤村にとっての《建築》とは、(ルーマン風にいえば)ある種の《政治》的な「コミュニケーション・システム」とみなすことができる。建築という巨大な人工物を設計する過程において、そこに関わる主体や変数は多種多様であり、時に相互に背反するような関数的関係を結び合う。建築家はそれらをまとめあげ、いうなれば(アルチュセールの有名な言葉をもじれば)「集合知的決定」として建築という人工物を出力/切断する。藤村の方法論的関心は、この「コミュニケーション・システム」をいかに設計するかに向かっている。

もちろん、こうした建築/建築家像は、建築界の内部から見ればあまりにも当たり前で、日々実践されていることに過ぎないのだろう。しかし、筆者がいま藤村の「コミュニケーション・システム設計論」に大いなる着目を払っているのはなぜかといえば、次のような背景があるからだ。

かつて現代思想は、「内部と外部」(社会システム理論的にいえば「システムと環境」)をめぐって、クリティカルな「脱構築」を繰り広げてきた。しかし筆者の考えでは、情報化によってコミュニケーションの唯物論的基盤(アーキテクチャ)が設計可能となった現在、システムの「内部と外部」の境界線(インターフェイス)は、プラグマティカルな「構築(設計)」の対象となった(その詳細を知りたい読者は、ぜひ「モジュール化」や「エコシステム」をめぐるこの10年あまりの経済学/経営学の議論を追ってほしい)。おそらくいま私達が注目すべきなのは、いうなれば「隠喩としての建築」(柄谷行人)ではなく、「実践としてのアーキテクチャ」であり、それゆえにこそ藤村の活動から目を離すことはできないのである。

★1──2009年6月28日にABC青山本店で行なわれたトークイヴェント「設計/デザインを考える」を収録したもの。

『1995年以後』/『思想地図』vol.3

はまの・さとし
1980年生。株式会社日本技芸リサーチャー。専門は情報社会論。特にウェブサービスのアーキテクチャ分析を中心的に手がける。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版、2008)。


林憲吾(建築史/総合地球環境学研究所)

僕にとってこの10年は、大学で建築を学びはじめてからいまに至るまで、建築と関わりを持つようになった期間と重なる。その過程で、1建築、2批評、3歴史、4都市、5環境と、建築に対する関心の領域を拡げてきた。そんな自分の過程とリンクする形でいくつか列挙する。

1.建築

藤本壮介「N House Project」2001(『SDレビュー2001』より)

人は大聖堂そのものの荘厳さに感動するのと同じように、差し掛けの屋根の下で、熱帯の日射しを避けて涼しげに談笑する人々の姿に心惹かれるときがある。そんな「人と建築との身体的つながり」への豊かな感性が、スラブを積み上げてできたこの作品には漂っている。大学の生協で立ち読み中に初めて出会った藤本壮介の作品で、アフォーダンスという概念が建築化されたような印象を持った。建築写真には、通常あまり人が写り込まないが、この作品の建築写真が撮られるとすれば、きっと人も一緒に写っているに違いない。こうした「身体性」は、ゼロ年代の建築を語る上で、ひとつのキーワードになるだろう。

2.批評

「〈建築〉が消えている」2005.03.25(磯崎新による丹下健三への弔辞より)

丹下健三が亡くなったことは20世紀建築の節目を象徴し、磯崎新による弔辞はゼロ年代を象徴している。都市や社会の中で、建築の存在意義やあるべき姿を追い求めた丹下世代に対して、磯崎とその下の世代は解体・脱構築などをキーワードに、既存の建築に込められた「教条」を崩していった。しかし、その態度自体は、多くの言葉で語られ、むしろ社会性を獲得していた。一方、近年は、そこから言葉が失われ、こうあるべきという「教条」からの自由だけがある状態に近い。そんななか、磯崎が、丹下に成り代わり、冒頭の言葉、あるいは「〈建築〉を構築しようとする意志、それを忘れてはいけない。」などと述べたのは、皮肉ながらも重要な示唆となろう。

『10+1』終刊 2008.03

90年代半ばから日本の建築界での批評的言説の場をつくってきた雑誌が終刊したことは、批評の力への需要が急速になくなっている状況を端的に指し示す事件である。

『10+1』No.1, 50

3.歴史

9.11:アメリカ同時多発テロ事件 2001.09.11

イラク戦争から街角のゴミ箱が消えるまで、世界の状況を一変させた出来事。

「先行デザイン宣言」2004.12(『10+1』no.37 INAX出版より)

建築史からデザインへの革命宣言。デザインを行なう際に渡される紙(大地)には、過去によっていつも必ず線が既に引かれていて、意識的にせよ無意識的にせよ影響を受けてしまう。フィールド調査から浮き彫りにしたこのことを、デザインへと還元する手法まで考案。建築史・都市史研究的にも、陣内秀信らによる大地や街区や建物などの時間的な層状の重なりとして都市を捉える視点に、先行形態という分析概念が加わったことで、研究手法のフェーズが一歩先へと展開した画期であった。宣言文は、ぜひご一読あれ。

先行デザイン宣言(全文)
http://10plus1.jp/archives/2004/12/21215326.html

『10+1』No.37

4.都市

世界人口の半分以上が都市に住む 2008(UNFPA『世界人口白書 2007』より)

縮小都市やサステナブルシティなど、ここ10年、都市への注目が高まっている。地球環境や地域社会の問題を考えるうえで、世界で起こっている都市化の動きが重要なトピックとなる。これは、そんな傾向を象徴する出来事。アジア・ラテンアメリカ・アフリカなどでの都市化の拡大、日本やヨーロッパなどの中小都市での縮小、都市と非都市との界面の拡大と相互関係の複雑化など、その課題もまちまち。

『世界人口白書 2007』

5.環境

『IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書』2007(原文"IPCC Fourth Assessment Report: Climate Change 2007")

「エコ」という言葉の流布、ゴアによる『不都合な真実』とノーベル平和賞受賞など、この10年のうちに、環境問題、というより温暖化、さらに言えばCO2が、市井の人々にまで浸透していった。それは、さまざまな懐疑論を生む一方で、あらゆる分野で「エコ」が商品化する過程でもあった。そんななか、本報告書によって、人間活動が温暖化の直接的原因のひとつであるという見解が当時の科学的知見を集約して示された。いわば、「人間の問題」として温暖化への対応を迫る現在の風潮が、今後ますます強まることを決定づけたといえる。だからこそ余計に、環境問題を等閑視するより、ゼロ年代を振り返り、むしろ本当に環境を豊かにするような建築文化とは何なのかを改めて考えるきっかけにもなるだろう。

Climate Change 2007: The Physical Science Basis, Cambridge University Press, 2007/『不都合な真実』

はやし・けんご
1980年生まれ。インドネシアを中心とした東南アジアの近代建築史を研究。2009年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。2009年4月より、総合地球環境学研究所プロジェクト研究員。共著に『千年持続学の構築』。


平瀬有人(建築家/平瀬アトリエ)

場の持つ気配や質・記憶をどのように記譜するかということに興味がある。ときにそれはテキストやイメージかもしれない。あるいは物質によって建築として定着させることで顕わになるのかもしれない。

鈴木了二《物質試行47:金刀比羅宮プロジェクト》(2004)

急峻な起伏のある山肌に絶対水平の人工地盤と絶対垂直の擁壁が立ち現われる。まるで遺跡を掘っていったら出てきた地層のような建築で、建築とはその場にある見えない地層を掘り起こし、物質によって場所の記憶を呼び戻すものなのかもしれないと改めて新鮮さを覚えた。

Peter Zumthor, Bruder Klaus Field Chapel, 2007.

ドイツ・ケルン郊外ヴァッヘンドルフの麦畑に建つ小さな礼拝堂。地域の人びとがセルフビルドによって1年かけて50cmずつコンクリートを打設して、信仰のための場が生まれた。内部には炭焼きされた112本の丸太組み型枠の痕跡が残り、350個の吹きガラスが充填されたセパ穴からは光が降り注ぐ。建築がその場に在ることの意味を改めて問いかける重要な存在である。


Bruder Klaus Field Chapel
©Yujin Hirase

Studio Monte Rosa(Prof. Andrea  Deplazes), New Monte Rosa Hut, 2009.

場の固有性が建築の形態・構法・構造を規定してしまう極端な事例が山岳建築であろう。国内では吉阪隆正による一連の山岳建築群があるが、スイス・ツェルマットのモンテ・ローザ山塊に建つこの建築は、エネルギー効率のもっとも良い球形から側面を削ぎ取ったような形態を持つ。多くある変数を最適化した究極の他律型建築であり、否応なしに地形を意識せざるを得ない建築だ。場に応答した建築の素形の姿であるといえる。


New Monte Rosa Hut
©Stéphanie Marie Couson

『季刊 d/SIGN』(太田出版、2001〜)

戸田ツトムと鈴木一誌の責任編集による知覚の地層を探索するデザイン批評誌。都市のさまざまな事象・メディアに関してデザインの思想を語る場であり、かつてないイデオローグであるといえよう。気配や質感をいかにイメージに定着するかという意識で誌面の隅々まで設計されており、かつての杉浦康平による『全宇宙誌』や『遊』といったオブジェマガジンを想起させる。雑誌それ自体の存在が建築的思考と共振する貴重なメディアである。

岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001)

マティスのロザリオ礼拝堂・ブルネレスキの建築・マサッチオのブランカッチ礼拝堂などの諸作品の分析を提示しながら、それぞれに内在する「多視点性」を顕わにしている。ここで提示されている作品あるいは場には、ある全体性が与えられているにもかかわらず、異なる次元の表象が複数に分裂し、注視する位置によって見え方が変わるのである。ブランカッチ礼拝堂はスタンダール・シンドロームが頻繁に引き起こされる場として言われているが、そのような言語化できないそれぞれの場の力を構造的に解析する本書のくだりは圧巻である。

中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005)

東京の現在の地形に縄文地図を重ね合わせて各地を駆け巡ったフィールドノートである。都市の印象はその場の光景や匂い・温度・質感など具体的な物事の連なりによってつくられるものだが、それぞれの場の持つ独特の気配や賑わいには理由があり、土地の記憶が関わっている。たった一枚のアースダイビングマップによって見慣れたはずの都市の相貌が一変したのだった。

向井周太郎『デザイン学──思索のコンステレーション』(武蔵野美術大学出版局、2009)

ウルム造形大学に学んだ氏によるデザインのプロセスと根源を星座(コンステレーション)のように散りばめたデザイン理論の集大成である。氏が影響を受けたとするウルム造形大学学長のマックス・ビルは「デザインの目的はすべて環境形成である」と提起し、建築というモノの象徴性から環境の社会的・文化的な「質」の規範へとデザイン思考の対象を転換した。場の「質」をどのようにとらえるか、今日なおアクチュアルな問題提起であるといえよう。

『季刊 d/SIGN』No.17/『ルネサンス 経験の条件』/『アースダイバー』/『デザイン学』

ひらせ・ゆうじん
1976年生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、同大学院博士後期課程単位満了。早稲田大学理工学部建築学科助手・非常勤講師を経て、平瀬アトリエ共同主宰。2007年文化庁新進芸術家海外留学制度研修員(在スイス)、2008年より佐賀大学准教授。作品=《ebi》《ao》《hh》ほか。論文=「山岳地建築の空間構成に関する研究」(日本建築学会)、「山岳建築研究序論」(SD 2005/鹿島出版会)ほか。http://yha.jp


福住廉(美術評論家)

書物

佐藤修悦監修『ガムテープで文字を書こう!』(世界文化社、2009)


映像

新宿ガムテープ道案内のこと(前編)

http://www.youtube.com/watch?v=_tm0tQWmjSc

新宿ガムテープ道案内のこと(後編)

http://www.youtube.com/watch?v=xr1Eio5c4Uw

出来事

佐藤修悦「現在地」展(@素人の乱シランプリ、2007年8月26日〜9月4日)

http://www.youtube.com/watch?v=xrXQxFz_PgY

佐藤修悦をめぐる一連の出来事こそ、ゼロ年代の都市や建築を語るうえで参照にすべき重要なトピックだと思います。その理由は、新自由主義を標榜しながら都市空間の再編を推し進めたのが90年代からゼロ年代にかけての大きな動きだったとすれば、「修悦体」の運動体はその背後のいたるところで勃発した自律的な公共圏を作り出していく小さな運動を体現する象徴的な出来事だったと考えられるからです。
鉄道の駅という公共空間に現われた「修悦体」は、文字どおり拡張工事という都市の再編過程の只中から生まれ出た芸術表現であり、その意味ではまさしくゼロ年代的な「パブリック・アート」のひとつと言えるのかもしれませんが、しかしそれらの多くがその空間とは無関係に、つまり半ば暴力的に設置されるのにたいし、「修悦体」は乗降客の誘導に効力を発揮するばかりか、その独特のフォルムとガムテープの質感による温もりが、無味無臭の案内文字や意味不明のパブリックアートにとどまらない美しさを、その空間に添えているのです。
ゼロ年代の都市と建築は、透明なガラスと白い壁、そして年中枯れることなく青々とした葉が生い茂る植物の3点セットによって、うす汚れた暗い街並みを片っ端から一掃しつつありますが、「修悦体」はそうした無慈悲なポリティクスが横行する社会にあってもなお、豊かに生きるためのエステティクスを提示しています。その美学さえしっかり持ち続けていれば、さしあたり次の10年は何とかやっていけるでしょう。

『ガムテープで文字を書こう!』

新宿ガムテープ道案内のこと(前編)

新宿ガムテープ道案内のこと(後編)

佐藤修悦「現在地」展(@素人の乱シランプリ、2007年8月26日〜9月4日)

ふくずみ・れん
1975年生まれ。美術評論家。著書に『今日の限界芸術』、共著に『フィールド・キャラバン計画へ』『ビエンナーレの現在』『道の手帖 鶴見俊輔』『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』『文藝別冊 寺山修司の時代』など。


藤村龍至(建築家/藤村龍至建築設計事務所)

「空間から状況へ」展

(会場:ギャラリー・間、会期:2000年10月17日(火)〜12月23日(土)、出展:アトリエ・ワン、千葉学、遠藤秀平、西沢立衛、阿部仁史+小野田泰明、梅林克、クライン ダイサム、松岡恭子、みかんぐみ、宮本佳明ほか)

2000年にギャラリー・間で開催された若手建築家のグループ展である。出展者はマニュエル・タルディッツ(当時41歳)から、貝島桃代(当時31歳)までの若手建築家で、ナビゲータを五十嵐太郎(当時33歳)が務めた。
ちょうどこの頃、バブル崩壊後に襲った空虚さのなかで、建築家不要論がささやかれていた。社会学者の宮台真司は地方都市に建つ公共施設を例に挙げ、「地域性」を表現したバブル公共建築は地域の人が誰も使わないからテレクラの待ち合わせ場所として有効に機能していると指摘した。1990年代初頭のバブル・エイジに確立した建築家のロールイメージ、すなわち自らが高額の商品となり、膨大なコストをかけて実用的ではない箱をつくり、難解な言語を操り自己満足しているというステレオタイプの理解は90年代を通じてすっかり浸透し、社会からの信頼は大きく失われてしまった。
2000年頃、1960年代生まれを中心とした当時の若手建築家たちは、そんな逆風のなか、ゼロから建築の役割を再考しようとしていた。展覧会の会期中6回にわたって開催されたシンポジウムでは、身の回りの環境を読み直すこと、即物的にアプローチすること、新しい作家像を提示することなどが盛んに議論された。五十嵐太郎は1960年代のシチュアオニストの言説を参照し、彼らのスローガンである「漂流と転用」をもじり、90年代の若手建築家の実践を「状況と適用」と総括した。80年代の華やかさに比較するといかにも地味だが、身の周りに徹することで失った信頼を回復することが当時の若手建築家たちの選択であった。

あれから9年後の2009年、大阪のAD&A galleryで「ARCHITECTURE AFTER 1995」展が開催された(会期:2009年11月6日(金)〜11月17日(火)、出展者:乾久美子、梅林克、dot architects、中山英之、中村竜治、藤本壮介、藤村龍至、宮本佳明、吉村靖孝ほか)。出展者は現在「若手建築家」と呼ばれる乾久美子(41歳)から岸上純子(30歳)までの若い世代の建築家である。また、キュレーションを務めたTEAM ROUNDABOUTの藤村と山崎はそれぞれ、33,34歳であり、年齢だけ比較するならば、「空間から状況へ」展の構造が見事に反復している。同展では「状況へ」展にも出展した梅林克、宮本佳明、ナビゲータの五十嵐太郎も加わることで世代をブリッジする役割をはたし、2000年に提起された問題はどのように継承されうるかが討議された。

2000年代を通じて建築家が試みたことのひとつは、バブル前後を通じて無駄なハコモノを量産してきたというステレオタイプから脱皮し、人々のコミュニケーションのベースであるアーキテクチャを設計する専門職という、自らの職能を見つめ直す作業であった。特に、1995年を境に拡大した情報環境がリテラルに人々の日常生活に実装されてきて既存のモデルの書き換えが進む現在、私たち建築家は、自らの社会的な位置づけや方法論を大きく書き換える時期に差し掛かっている。
特に、1960年代に盛んに議論され、その後しばらく議論されることのなかった設計プロセス論は、ウェブを始めとする情報技術の浸透によって新たな想像力が明らかになった今日のコンテクストにおいてこそ、新たな役割を発見しつつある。10年代の始まりに見えてきたのは、そんな風景である。

ふじむら・りゅうじ
1976年生まれ。2002年東京工業大学大学院修了。2008年、同大学院博士課程単位取得退学。現在、藤村龍至建築設計事務所主宰。


保坂健二朗(東京国立近代美術館研究員)

金沢21世紀美術館の開館と10周年を迎えた小さな美術館


金沢21世紀美術館が鳴り物入りで開館したのは2004年だが、その翌年、隣の富山県の小さな町にある美術館が、開館10周年を静かに迎えていた。入善町下山芸術の森発電所美術館である。SANAAの設計による前者に対して、後者は旧黒部川第二発電所のリノベーション。予算も物理的規模も一般的な話題性も金沢がはるかにうわまわっているが、「美術史」的に見たらはたしてどうか。発電所美術館では、水を使えるという利点をいかして、たとえば遠藤利克(2006)、内藤礼(2007)、塩田千春(2009)らが、きわめて意欲的な、そこでしかありえない壮麗なインスタレーションを発表している。しかも、予算的にけっしてめぐまれていない施設だから、きわめてエコノミカルな手法によってであるところが好ましい。2006年に開館した青森県立美術館は、むしろ発電所美術館に近い質を空間に与えようとするものであったはずだが、残念ながら、常識を超えた活用方法は、少なくとも美術サイドからは出てきていないようである。演劇は元気のようだけれども。

饒舌な劇作家たち


いつの時代だって演劇は、大衆の欲望をかぎ分け、それを裏切りながら疾走していくのだろうが、ゼロ年代のそれは、ひときわパワーに満ち溢れていたように思う。たとえば本谷有希子の一連の舞台。平凡であるがゆえに饒舌になっていく言葉を、想像力(妄想?)を、よく捉えていた。『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』の、個性的に平凡な空間は、今でも時々思い出す。また三浦大輔率いるポツドール。彼(ら)が希求するリアルの手触りは、触れたくない類のものであるのがしばしばだが、都市の奥底にある劇場という空間であればこそ、そのような暗部に再び出会う意味がある。前田司郎、あるいは彼が主宰する五反田団の一連の舞台も見逃せない。『すてるたび』で、スチールパイプ椅子4脚(と4人の登場人物)の組み合わせによって広がる世界の豊かさといったらなかった。

小説家たちは建築へと向かう


本谷や前田は小説家としての活動も盛んだが、文学プロパーの小説家だってもちろん元気だ。「建築」が形而上性を獲得してしまい、ついには「建築するんだ」という意味不明の言葉が叫ばれることになる鹿島田真希の『ナンバーワン・コンストラクション』(新潮社、2006)。建築バブルの時代が孕む歪みをタワーの意匠に投影した吉田修一の『ランドマーク』(講談社、2004)。この時代に東京に生きることの感覚を、そのまま文体で表そうと試みた青木淳悟の『このあいだ東京でね』(新潮社、2009)。日本の、あるいは世界の建築の状況が、言語空間にも変容を与えている。もちろん保坂和志『カンバセイション・ピース』(新潮社、2003)のように、空間と記憶という永遠のテーマに取り組もうとする試みもある。最近、建築がフォトジェニックになっていることへの嘆きが聞かれるようだが、日本の小説を読んでいると、近く、ロマンジェニックとも言える建築が登場するのではないかと期待してしまう。そのとき、はたして私たちは、どう思い、どうふるまうことになるのだろうか。

『ナンバーワン・コンストラクション』/『ランドマーク』/『このあいだ東京でね』

建築と公的な記憶


フォトジェニックという言葉で思い出すのは、広島と長崎にある国立原爆死没者追悼平和祈念館だ。開館したのは、それぞれ2002年と2003年のこと。設計を担当したのは、前者は丹下健三・都市・建築設計研究所、後者は栗生明+栗生総合計画事務所+国土交通省九州地方整備局営繕部である。それらの施設は、英語の名称には「Memorial Hall」とあるように、「memory」、すなわち記憶を形成すると同時に保持することにささげられているはずの空間である。そしてその記憶とは、基本的に、原子爆弾が都市に投下されたという、言語を超越した出来事にかかわっている。しかしそれらの施設を訪れてみると直截な説明的意匠に満ちあふれていて、まるで、記憶しようとすることの重要性(あるいは記憶を手がかりに想像していくことのそれ)を言外に否定するかのようである。
広島と長崎での開館より少し前の2000年、ウィーンでは、レイチェル・ホワイトリードの設計によりホロコースト・メモリアルが完成している。また2005年には、ベルリンに、ピーター・アイゼンマンの設計によりホロコースト・メモリアルが完成した。いずれも、「説明」はもちろんのこと、「癒し」のような甘えた思いを拒否する空間(あるいは実体となったヴォイド)であり、そのような強度を持つ建築であれば、当然のことながら、長年にわたる「論争」があった。そして困難を越えて完成した。しかし、この日本はどうか。国立の「メモリアル・ホール」ができあがるまでになされた議論は、いったいなんに対してであったか。できあがったその空間は、いったい、日本に住む人々の記憶の、どこを、どのように占めるつもりなのか。その答えが見えてこないところは、いかにも日本的であると言えてしまうだけに、悲しい。

ほさか・けんじろう
1976年生。芸術学。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学美術史学分野)共著=『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1 1991-2004』(INAX出版、2004)、『キュレーターになる!──アートを世に出す表現者』(フィルムアート、2009)企画展覧会=「建築がうまれるとき──ペーター・メルクリと青木淳」(2008)、「現代美術への視点──エモーショナル・ドローイング」(2009)、「この世界とのつながりかた」(2009)


光岡寿郎(メディア論、博物館研究/東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員)

メディアとの接点で都市と建築のゼロ年代を振り返るとすれば、都市におけるスクリーンの偏在の問題は注目に値する。社会学では、20世紀後半からすでに「監視社会論」のなかで都市空間の隅々にまで浸透した監視カメラに対する注意は喚起されてきた。けれども、ゼロ年代に入って顕在化してきたのは、都市や生活空間の表面そのものがスクリーン化していくという現象ではないだろうか。日常的にパソコンのスクリーンに向かって仕事をこなし、通勤中には携帯電話の液晶でメールや一日の予定をチェックし、気がつけば従来紙媒体だった電車の車内広告や通りの広告ももはや液晶スクリーンである。ファミリーレストランや回転寿司店に行っても、注文はタッチパネルのスクリーンからということもしばしば。また、銀座や表参道に林立するガラス建築もまた、誤解を恐れず言えば都市の表面自体のスクリーン化である。そして、このようにスクリーンが偏在する都市では、私たちの「場所」を巡る感覚が揺らぎ始めている。このような都市の現状を考えるための材料として以下を挙げておきたい。

ジョージ・オーウェル『一九八四年:新訳版』(早川書房、2009)

言わずと知れた来たるべき監視社会を描いた名作。戦後まもない時期にスクリーンを通した監視社会を予見していたオーウェルの感性には改めて脱帽。

ジョシュア・メイロウィッツ『場所感の喪失(上)──電子メディアが社会的活動に及ぼす影響』(新曜社、2003)

いささか翻訳の時期を逸した感があるが、スクリーンが社会に偏在する以前、特に衛星中継を介して「どこか遠くの現在」を「今ここに」映し出しているテレビが、私たちの「場所」感覚に与える影響を読み解く論考。

Marc Augé, Non-places : introduction to an anthropology of supermodernity, London and New York: Verso, 1995.

フランスの文化人類学者による後期近代における「場所」概念の変容を描いたエッセイ。文化人類学の前提となっていた領域的な「場所」感覚が機能不全に陥り、場所の固有性の記述が困難になった状況を記述している。この場所の「非‐場所化」に深く関わっているのがスクリーンの偏在である。初版は1990年代だが、第二版が昨年出版になるなどゼロ年代に入ってもその重要性は変わらない。惜しむらくは未邦訳な点か。

『一九八四年:新訳版』/『場所感の喪失(上)』/Non-places : introduction to an anthropology of supermodernity

『攻殻機動隊S.A.C』(2002〜2003)/『攻殻機動隊S.A.C 2nd GIG』(2004〜2005)/『電脳コイル』(2007)/『サマーウォーズ』(2009)

都市におけるスクリーンの偏在は、最終的にはメガネやスカウターのようなガジェットを媒介に、実際の都市空間にヴァーチャルな環境を重ね合わせるような夢を抱くだろう。そして、この夢は世界カメラによって部分的にはすでに実現されている。スクリーンの内と外とは、つねにリアルとヴァーチャルの間での境界線が引き直されるアリーナであり、その関係性が近年根底で変容している気配もある。上述の3つのアニメーション作品は、ゼロ年代における場所に介在するリアリティ感覚の揺らぎを振り返る上での好材料。いつの時代も、変化の胎動を最初に可視化するのは研究者ではなく表現者である。

みつおか・としろう
1978年生。メディア論、博物館研究。東京大学大学院/日本学術振興会特別研究員。論文=「なぜミュージアムでメディア研究か?」(近刊)など。共訳=『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2005)。


村上祐資(極地建築/第50次日本南極地域観測隊)

『百年の愚行』(Think the Earthプロジェクト、2002)

京都議定書発効(2005)

バックミンスター・フラー展(神奈川県立近代美術館ほか、2001〜2002)

この10年間は、人類が犯した前世紀の失敗、そして地球の資源は限りあるものだという認識から、なにを学びどのように生かしていくのか、その方向性を模索するための10年間だったのではないだろうか。建築にとってもそれは同様で、2001年にバックミンスター・フラー展が開催され、フラ−の業績や哲学に再びスポットライトが当てられたことは、その象徴的な出来事であったと感じる。

『百年の愚行』

世界測地系採用(2002測量法改正)

Google Earth(2005)+Google SketchUp(2006)発表

2002年の測量法改正によって、国土地理院発行の地図が、これまでの日本測地系から世界測地系へ移行されることになった。これはここ数年に普及してきたGPSやGIS技術に本格的に対応するための措置である。GPS、GISは今後両技術が融合されることで爆発的な利用が進むことが予想されている。建築情報もCADを介して、これらの技術との融合が進めば、近い将来GPSを利用した無人施工や安全管理などが実現されるだろう。
またGoogleが発表した、Google EarthとGoogle SketchUpのフリ−ソフトの組み合わせを利用すれば、簡単にGPS+GISとCAD情報の橋渡しを行なうことも可能だ。まだ実務レヴェルで使用するには心もとないが、順調にバ−ジョンアップが進むことでいずれ問題は解決されるだろうし、なによりもGoogle Earthが抱える世界4億人とも言われるシェア数は大きな魅力だ。建築のつくられ方が根本から変わりうる契機となる出来事だろう。

むらかみ・ゆうすけ
1978年生/極地建築/第50次日本南極地域観測隊(東京大学大学院建築学専攻博士過程休学)/共著=『10+1』No.46(特集=宇宙建築あるいはArchitectural Limits)。作品=《南極コーリング:昭和基地 Now》(村上祐資+第50次南極地域観測隊+国立極地研究所として「ICC OPEN SPACE 2009」出展)。http://web.me.com/myusuke/Field_Note_from_Antarctica/Blog/Blog.html


柳原照弘(デザイナー/ISOLATION UNIT / TERUHIRO YANAGIHARA)

建築作品(だと思ってます)

TEAM ROUNDABOUT『ROUNDABOUT JOURNAL』

佐藤敏宏「ことば悦覧 ことば紀行」

http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/eturan/mokuzi/aturanmokuzi01.htm

2010年を目前に控え、新しい時代の幕開けを意識しだすこの時期にとてつもない構造をもった建築が現われた。
その2つは目に見えない、が立派な建築であると断言する。前者は建築家藤村龍至を中心に、ジャーナリスト山崎泰寛や建築家を中心にそれぞれが役割を持った組織「TEAM ROUNDABOUT」が議論の場を設計していく一連の活動。後者は福島在住の建築家佐藤敏宏が全国へ自ら出向き、そこで会った30代の若手独立系建築家、クリエイターにインタビューを行ないWEB上で公開するというもの。
ゼロ年代の特徴であるインターネットを操り、自己責任を持ちながら公開し続けるかれらの特徴は、自在に移動できるはずのウェブの媒体を拠点にしながらも自身が直接出向き、身体を交えながらインタヴューや議論の場を設計していることだ。もうひとつの共通点は誰にも頼まれていないこと。
そのなかからさまざまな人や出来事を巻き込み、新しい状況を生み出すことは建築をとりまく社会を設計していることでもある。

書物

多木陽介『アキッレ・カスティリオーニ──自由の探求としてのデザイン』(アクシス、2007)

1993年にGi js BakkerとRenny Ramakersによって結成されたdroog designや1999年にレム・コールハースとのコラボレーションで建築と家具の可能性を見いだしたmaarten van severenらの影響を存分に受けたここ10年の日本のデザインシーンは、振り返ればもっとその前の建築家カスティリオーニの一連の仕事によってすべてを語ることができる。日本語でカスティリオーニの思想に近づける最良のテキスト、ゼロ年代の原点といってもいい本だと思う。

『ROUNDABOUT JOURNAL』vol.1, 2/『アキッレ・カスティリオーニ』

やなぎはら・てるひろ
1976年香川県生まれ。1999年大阪芸術大学デザイン学科卒業。2002年"ISOLATION UNIT / TERUHIRO YANAGIHARA"設立。


鷲田めるろ(キュレーター/金沢21世紀美術館)

『歩きながら問う──研究空間「スユ+ノモ」の実践』(金友子編、インパクト出版会、2008)


ソウルの研究者コミュニティの活動を日本語で紹介した書籍。
この10年間、日本の都市と建築について考え、実践する際、以下の3点が自分にとっての課題でした。
(1)都市や建築をつくる主体をどのように形成するか
(2)少ないお金でも、いかに自立して、文化的に豊かに生き延びるか
(3)地方都市のメリットをどのように活かすか

(1)については、大きな行政と建築家のような専門家でもなく、家の持ち主のような私的な使用者でもなく、その中間の、開かれた小さな自主的で、互恵的なグループが、都市や建築を豊かにする主体となるという立場から、そのグループをいかに形成、維持してゆくかを試みました。路上を含む「スユ+ノモ」の活動はその指針となるものでした。(2)については、行政でも、個人でも、経済的な活動が停滞し、雇用の機会も少なくなる状況を背景として、それに左右されることなく、文化活動と社会的な関係を継続してゆくための工夫が、豊かな都市と建築には必要だという考えに基づいています。交代で調理し、原稿料など臨時収入を得た人が出資し、言語や専門知識をお互いに教え合うという方法により、お金をかけずに自由で文化的な活動を継続している「スユ+ノモ」から学ぶべきことは多くありました。(3)については、家賃が安い、地域のコミュニティが存続している、個人や小規模なグループの活動が都市に直結するという点が、地方都市で活動することのメリットだと考えています。上記のような活動は、地方都市でこそ活かされるといえます。
日本におけるこの10年間の都市や建築を振り返る際、経済状況の停滞や、安さのみのグローバル化した経済に曝されずに、地方都市を拠点に文化的な活動を継続する芽を育ててきたことを、次に繋がる可能性として認識すべきだと考えています。「スユ+ノモ」は、そのためのよいモデルでした。

『歩きながら問う』

わしだ・めるろ
1973年生まれ。金沢21世紀美術館キュレーター。展覧会=「妹島和世+西沢立衛/SANAA」「人間は自由なんだから」「アトリエ・ワン:いきいきプロジェクトin金沢」「金沢アートプラットホーム2008」など。


アシュレイ・ローリングス(編集者、ライター、翻訳者/『ArtAsiaPacific』(特集記事担当編集長))

Urban Redevelopment in Roppongi


In terms of the art scene in Japan, the most significant development in the past ten years was the transformation of Roppongi into a new center for contemporary art. The Tokyo art scene is very
decentralized, with museums and galleries spread out all over the city, and until the early 2000s there were few guides to the art world, making it hard for both Japanese and foreign visitors to keep track of this very important part of Japan's contemporary culture.

The opening of the privately run Mori Art Museum within the Roppongi Hills complex in 2003 did a lot to change that, providing the city with a high-profile venue that promoted a bilingual, multicultural identity. Roppongi's status as Tokyo's new art center was cemented by 2007 with the opening of the striking Kisho-Kurokawa-designed National Art Center Tokyo(NACT), the corporate-run Suntory Museum of Art and the Tadao Ando-designed 21_21 Design Sight.

Though Roppongi is in one sense culturally richer, this urban redevelopment is not without problems. At street-level, the physical integration of Roppongi Hills into its surroundings is highly dystopian. The NACT has no permanent art collection of its own. Lacking state-funding it is overly reliant on ticket sales, and thus it operates more as a giant rental gallery, holding both commercially-minded shows of Impressionists and amateur painting and calligraphy exhibitions--there is little that is innovative in its exhibition program.

Though nobody should feel too nostalgic about Roppongi's sleazy history, its redevelopment has perhaps gone too far the other way. Roppongi shows that Japan is capable of producing some of the best arts infrastructure in the world, and yet it is also an example of state and corporate aspirations to global cultural prestige eclipsing local identity and needs.

National Art Center Tokyo/21_21 Design Sight

六本木の再開発


日本のアートシーンにおいてこの10年間のもっとも重要な出来事は、2003年から、六本木が現代アートの新しい中心地へと変貌をとげていったことである。それまでは、東京のアートシーンにはおもだった中心がなく、美術館とギャラリーが点在し、アートガイドもほとんどなかった。そのことが日本人・外国人双方にとって、現代日本文化の重要な一翼を担う"アート"へのアクセスを難しいものにしていた。

2003年10月に開館した六本木ヒルズにあるプライベートミュージアム「森美術館」は、東京のバイリンガル・マルチカルチュアルなアイデンティティをつくったという意味で、その当時のシーンを大きく変化させた。さらに、2007年までに、黒川紀章の国立新美術館・サントリー美術館・安藤忠雄の21_21 DESIGN SIGHTが開館し、東京のアート中心地としての六本木の地位は確たるものとなった。

六本木はある意味で、文化度は高めたが、このような都市再開発にはけっして問題がないとはいえない。六本木ヒルズへの物理的な機能統合は、ストリートのレヴェルにディストピアを生みだした。国立新美術館は収蔵作品をもっていない。また、政府からの支援が少ないので、収入は、入場券の売り上げにひどく依存してしまう。その結果的、まるで巨大な貸し画廊となってしまい、印象派の作品展やアマチュアの絵画展と書道会などのコマーシャルマインドにあふれた展示ばかりになっている。展示プログラムにおいてはイノヴェーションがほとんどない。

以前の六本木がよりよかったというわけではないが、近年の再開発は過剰に感じる。それは、21世紀の六本木が日本が世界一のアートインフラを創設できることを世界に誇示する反面、政府と企業が国際的な文化的評価を望むことでローカルなアイデンティティを覆い隠してしまう一例でもあるのだ。

六本木ヒルズ
すべて筆者撮影

アシュレイ・ローリングス
1981年、ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学の日本語学部を卒業。2005年から2008年まで東京在住。フリーランスの編集者、ライター、英訳者として暮らす。その当時に東京アートービートの英語版ブログの編集長として勤務。現在、ニューヨークの「ArtAsiaPacific」誌の特集記事担当編集長として勤務。


200912

特集 ゼロ年代の都市・建築・言葉


対談:ゼロ年代の建築的状況をふりかえり、現在とこれからを考える(極私的に。)
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