対談:ゼロ年代の建築的状況をふりかえり、現在とこれからを考える(極私的に。)

塚本由晴(建築家)×中谷礼仁(歴史工学家)
中谷礼仁氏、塚本由晴氏

本になっている本──アトリエ・ワン『空間の響き/響きの空間』

司会──今日は塚本由晴さんと中谷礼仁さんに、2000年代、いわゆるゼロ年代の10年間についてそれぞれご自身の活動振り返りをしながら、さらにこの先建築がどうなっていくか、都市がどうなっていくのかについて討議していただきます。ちなみに、10月の半ばにINAX出版から、アトリエ・ワンの『空間の響き/響きの空間』が刊行され、また、中谷さんも来年から『建築雑誌』(日本建築学会)の編集長をなさるということです。それらについても触れながら、進めていただければ幸いです。

中谷──『空間の響き/響きの空間』は「本になっている」という感じがしました。この本は塚本さんがこれまでしてきたことに対してすこし反省(自らをかえりみる)的な記述になっている。本という形式に落とし込むときに重要なのは、いったん自分の作業を振り返ることだと思います。そこからまた新しい関係性が発見される。たとえば、昆虫採集と「メイド・イン・トーキョー」とをつなげる発見、おそらくコンテクスト説明的な評論家ではできない。全体のモチーフも、お面やユクスキュルの話など、僕にも充分理解可能な範疇にいてくれる。塚本さんと僕は、集合円的に見ると重なるところがたまにあるんだけど、この本でその重なりを再確認できて嬉しかった。

塚本──「反省する」というのは確かにそうですね。「メイド・イン・トーキョー」の最初の展覧会は1995年ですが、そのとき中谷さんに、「これは面白いけれどレコード。でもレコードよりもスコアのほうが大事。歴史はスコアをやっている。」と批判されました。でも、レコードじゃないと伝わらない臨場感もあるな、と思って受け止めました。あのときは、いままでにない切り口を出すことが大事だった。その切り口のシャープさに意識がいっていたし、それ以上の余力がなかった。その後も都市研究は続けていますが、続ける中で学んだのが、ものごとをつながりの中で生かしていかないとすぐ息絶えてしまうという点で、自分でやり始めたことも世の中に既にあることも、意味の生態系を作っていく上では区別すべきではなく、そういうつながりの方を育てるイメージが、ある時期から自分の中で強くなってきた。ひとつの言葉を選ぶにしても、その言葉が孤立せずに何かにつながっているかどうか、前よりよく考えるようになった。

中谷──言ってみればこの文章って、生態系的なつながりが心地よい、いわば生態系的テクストですよね。「いい文章」だと思うときと、「粗いな」と思うとき、その違いにあるのは、たとえば引用の扱い方だと思います。テクストは自分が一番に発明したものではなくて、全部誰かのフレーズを集めて作っている。そのなかで註がやたらに多いテクストは権威的に感じられます、つまり「俺の言っていることは、偉いあいつが書いている」というふうに投げちゃうことで責任を回避しつつ権威づけている。それを塚本さんは、剽窃でなく自分のテクストの生態系にきちんと位置づけている。非常にうまいなと感じました。

リテラシー/リダンダンシーの高い世代?

塚本──1868年の明治維新から今年でおおよそ140年ですが近代化してそれぐらい経たないとわからないこと、うまく制御できないことがあるんじゃないかと最近考えるようになった。いま自分たちが立っている場所だったら何ができるのかを、前の人が歩いてきた道の先に思い描く方が、地面を蹴っている感じがあっていいのではないか。「あの人はここまで考えたけど、その先を考えてみようか」ということですね。モダニズムの建築も、実はあまり上手くない所が見えてくる。

中谷──いま塚本さんは、時間をむりやり拡張して明治からの話をしたでしょう。僕もひととき大阪にいた経験はでかくて、あそこは明治より、はるか古墳時代からそのまま形が残っていたりする。それに出会ったときには、ぐわっと視界が開けた。ここから考えてみると、日本が本当に変わったのは昭和30年代だということです。それまでの田畑なんて、条里制の形とほとんど変わらなかった。僕は世代論が苦手なのですが、それでもある時代に生きて、それに関してまっとうな反応をしてきた経験からすると、たとえば僕らの子供の頃は舗装なんてない三丁目の夕陽状態、それから高層ビルが徐々に建ちはじめた新宿で遊んで、パソコンをはじめて買えた世代で、手書きからCADに遭遇し、いまはインターネットがある。それこそ、ありとあらゆる出来事を経験できた。そういう感じからすると、この世代のリテラシーは相当高いだろうと思う。いままではそんなこと絶対に言わなかったのですが、最近はそういうことを考えている。塚本さんと僕とは同じ歳ですが、基本的にはもう「おっさん化」を迎えているんですね。でもそれはリテラシーとかリダンダンシーの高さを隠し持っている点では大事です。「隠居」という状態も同じようなものではないかと思います。口ははさんでも手は出さない美学を貫く隠居にはどうなれるのか。

塚本──野村監督の「ぼやき」みたいな(笑)。「ぼやき」モードは「こうしろ」「こうじゃなきゃいけない」ではなく、「こうなんないのかな」。僕も最近は事務所でぼやいてます。みんなが察知したかのように動くときもあれば、たまに無視されたりもする(笑)。無視されるってことはぼやきの精度が悪いのかな?

中谷──いや、ぼやきの精度がいいんですよ。きついから、7割は聞かなかったことにしてる。

塚本──「隠居」の特徴はぶれないこと。だから自分が期待したような答えが返って来なくてもくじけない。

限界性項目──中谷礼仁『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』

中谷──経験というのは絶対消えないものだから。そういう、ある種の図太さというか、心臓に毛の生えた状態というのが、他の人を生かすには重要な感じがする。こんなことを考えはじめたのは30代後半にかなり突き詰めて『セヴェラルネス──事物連鎖と人間』(鹿島出版会、2005)という本を書けたからかもしれない。

塚本──いい本だよね。特に「限界性項目」という言葉が素晴らしい。ものと人間の連鎖、その関わり合いの闊達さに、広がりを見出している。先日ある雑誌の「窓」特集のために、藤本壮介君とメール対談をしました。私が窓に関心を持つのは窓が「限界性項目」だからです。窓じゃないと体験できないこと、あるいは窓が窓であるために引きずっていること、そこを逆に開いていくと、自分がいままで体験できなかったところへ行けるんじゃないか。だから、窓が窓と言えなくなるまで変形しては駄目で、あくまで窓に留まらないと窓を議論することにならない。そこの理解に関して彼とすれ違っていた。モダニズムもこの問題にどれだけセンシティブだったかは、かなり疑わしい。あまり考えてこなかったんじゃないか。基本的にそこを解除することに自由を感じていたから。

中谷──いまの話で二つ思い出したことがあります。ひとつは、建築というものは基本的には著作権を主張できない存在だということ。たとえば、柱が「おれのものだ」とは言えない。天井や階段もそうで、基本的な部位は既にオープンソース化されている。それをどのように変形させて組み合わせて取り扱っていくか、ということが大事なんですね。ただ、いわゆる大学教育ではまだ天才教育がひとつの理想になっていて、いま存在しているものの可能性を発見してあげるような教育との乖離がすごく大きい。これが初歩的な問題としてある。もうひとつ重要なのは、スチュアート・ブランドという人が『How Buildings Learn』(1994)という本を書いている。直訳すれば『建物はいかに学ぶか』という意味で、建物自体が増改築の歴史を何十年も繰り返していくのをレポートしたような本なのですが、その本の結論に「Architectureというのは水晶だ、Buildingsというのは液体だ。お前らの周りは液体だらけじゃないか。だからArchitectureというものは存在しうるのか?」と書いてあった。僕はそれを見て「おかしい」と思った。周りが液体だらけだったら、それはホワイトノイズの状態だから認識も何もできない。窓があるから窓のクリティークができる。窓がなかったら、つまり全部が新しいぐにゃぐにゃした何かだったら、それはホワイトノイズの状態だから何もできない。だから「ブランド、それは間違ってる」と書いたわけです。

塚本──建築というものそれ自体が知性の塊ですよね。大雑把に言えば人類的な知性が建築に蓄積されている。だけどそれは一般論化できなくて、必ず個別の「限界性項目」としてしか知性は出現しない。そこがまた面白い。

中谷──「限界性項目」はその事物の連続性を支える「同一性項目」でもある。何かが変わるときには、変わらない部分がないと、変わることが感じられないからです。塚本さんの顔を見て、ぱっと目を離してもう一度塚本さんを見たときに、同じ塚本さんだとは厳密には証明できない。では、人間はどうやって同じ人間だと認識しているか。その方が人間にとって非常に重要なことで、むしろ「同一性認識」が奇跡的な時間的連鎖だというのがわかってきた。そうしないと、世界が鮮やかで確固なものに見えない。
しかしこの事物の同一性を証明することは難しいですね。それはオブジェクトの問題なのか、あるいは主体の認識の問題なのか。最終的にはエルンスト・マッハの説明した人間の認知方法の基本形である「ヴィジュアル・エゴ」の再検討から話を進めました。で、次にぶちあたるのがアフォーダンスのギブソン。彼は、人間がこのワイングラスをそれとして認識できるのは、「パララックス(視差)」の揺らぎによると言う。これを不変項という。ギブソンは片目を閉じている場合、それがどういう形なのか見えてこないけど、両目の視差によって人間がその形を精妙にスキャニングしているからと言います。それは面白い考え方だと思うけれど、実はギブソン自身がややこの説に限界あるなって意識していたみたいです。というのは写真などの二次元平面に写し取られた画像は不変項になりえませんから。そのため彼は写真の認識には、彼の大嫌いな「人間の記憶というがらくた」を含まざるを得なかった。だから知覚性能が不足している状態でも人間は逆に「これは何か」をしぶとく認識していく方向性こそがクローズアップされてくる。まちがいつつ徐々に前進する。それが人間的なものだ、という結論になった。


建築的知性の定着と反復性

塚本──そういう認知の話から、どういうふうに建築に戻ってくるのか......。

中谷──それを建築に生かすとすると、いわゆる経験的工学の問題になってくるのかもしれない。たとえば、建築には二大類型が依然とあります。柱・梁構造と、ドーム構造の二つ。柱・梁のほうがどちらかというと低級なもので、ドームのほうが高級なものだというイメージが、特に日本人にはある。だけど、柱・梁の構造のほうが、大規模建築化しようとしたときにはお金が要る。なぜかというと、梁を延ばすには素材としての限界があるからです。だから当然、梁の成(せい)が高くなる。それがギリシャ建築です。しかしローマはそうではなくて、たんなる土くれを固めて、どういうふうに積んでいったら空間が発生するかという経験工学的性格を持つ。実際にドームの発生過程から見ると、4,000年前くらいのエジプトの倉庫群から始まっている。それがローマで大成するわけですね。そして重要なのは、ギリシャは大都市を作れなかったけれど、ローマは煉瓦1個からはじめて植民都市が作れた。それによって拡張性が異常に発達した。つまり、泥を経験的工学の蓄積によって空間に仕上げた。そこでの数学は、ギリシャにおける美的比例の問題とは違う。まるで重力と人間がスポーツをするようなフィードバックの世界がある。

塚本──そうした知性も、B.C.4000年からB.C.300年くらいまで発現に時間がかかって、それから定着するにはローマまでしばらく待たなきゃいけない。

中谷──そう。例えば、ルドルフスキーの写真を見ると、イスファファンのバザールで、砂漠に連結ドームが皮一枚で浮かんでいるけれど、あれはまさに、砂をいかに浮かすかという問題です。そういう素朴な建築の発展の仕方は、たとえばローマからはじまって、ロマネスクがあって、ゴシックは大きくなりすぎた恐竜、そこまでは論理が語れるけれど、ルネッサンス以降は「様式」という反復概念ができて、昔にもう一回戻ろうとする。「様式」は歴史的なものだとみんな思うけど、実は全く違う。歴史が様式になれば、いまみんなが着てる衣服と同じでいつでも取り替え可能だ、ということを認識しちゃったのがルネッサンス以降の基本的状況です。だからネオ・バロック、ネオ・ルネッサンスと何回でも繰り返す。モダニズムにおいても反復が問題になるのはそのためです。

「アジア的ヘドニズム」の再考

塚本──なるほど。でも、変化するから一つは、なんらかの「同一性」が担保されていたんじゃないかな。ルネッサンスはローマもギリシャも真似たわけだけど、そのためにゴシックを反古にする。なぜそれができるのか、なぜ壊すことができるのかというと、なんらかの連続性を念頭に置いていたからじゃないか。「この連続性さえちゃんと確保しておけば、どうなってもいい」という、骨太な「同一性」をもたらすものが担保されていたのではないか。ルネッサンスの場合それは地中海的なもの──暮らし方、物の扱い方、外部空間の扱い方──に支えられていると思います。パラーディオも『建築四書』の中にも、ル・コルビュジエの「近代建築の五原則」みたいなのがあって、その要素のひとつにロッジアをあげていますね。そのル・コルビュジエにもそういう同一性はうけつがれている。コルビュジエには圧倒的な地中海的なるものへのあこがれ、あるいは信頼があり、その救出のために様式建築を攻撃しているように見えます。これをバウハウスと比較すると、違いがより鮮やかに見えてくる。バウハウスには地中海的なヘドニズムが全くないと言ってもいいかもしれない。

中谷──ミースもない。

塚本──地中海的なヘドニズムがあったからこそ、ル・コルビュジェは非常に挑発的なことができたし、かつ自分でもどんどん変わりえた。そこから東京にいるわれわれが問題にすべき「同一性」は何なのかなという問いかけができる。ヘドニズムを考える前は、もうちょっと建築的なこと──都市の町並みとか──で「同一性」は確保できるんじゃないかと考えていました。20世紀の日本の建築家は、都市の風景をほとんど問題にできなかったので、これをどうやって問題にするは未だに非常に大きなテーマだと。そして、それに取り組むときに、周辺の建築との何らかの共通性や類似性を引き受けて、その中に隠れている知性を引っ張り出して新しいステージに上げていけばいいんじゃないかと思っていた。だけど、やっていくうちに、それはあまりにも限定的すぎるかなと思うようになった。そこから「地中海的ヘドニズム」に匹敵する何かが必要だなと感じるようになって、その一つの試みとして「アジア的ヘドニズム」という仮説が出てきた。ただ、これまで、日本の20世紀近代建築は「アジア的ヘドニズム」をことごとく否定して、「お前たちはそういうものでぬくぬくしていると、近代的人間になれないぞ」的な発想で来たような経緯がある。だから、もう一回そこを再興する可能性はあると思う。それは、80年代のポストモダンのときに一回出てきている。そのときはかなりベタなアジアで、第二の自然、あるいはクリティカル・リージョナリズムが言われたけれど、それはアジアンモダンみたいにスタイル化されただけで長続きしなかった。その長続きしない理由を考えるべきだと思う。

アレグザンダーの「アーキテクチャ」

中谷──極論ですが、長続きしないというのはけっこう政治的な文脈が多いように思います。たとえば80年代、クリストファー・アレグザンダーはいま読んでも使える、理論的な慣習の問題を扱っているけれど、いまあれが読まれないのは、「高い」とか「分厚い」とか(笑)。

塚本──たしかに(笑)。本の内容にふさわしくない重さがある。

中谷──学生の頃、彼の《盈進学園》を新築のときに見に行って「けっこういいな」と思った。しかし建築界からは、ぼろくそに言われていささか奇異に思った。あれも不思議で未だに解けない謎です。おそらく、アレグザンダーの本の通りにしたら、これまでの既存の建築生産体系そのものに大きな変更を強いることになるから封印したのだと思います。《盈進学園》は理事長がアレグザンダーに惚れてお願いしに行って、アレグザンダーは敷地を見て「そこに杭打ってみてくれ」というところからものを決定していったわけですね。そんなこんなで進めるから、学校認可の時期に決定的に間に合わなくなるのは火を見るよりも明らかです。そこで、妥協策として日本の優秀なゼネコンが入った。そのときにアレグザンダー批判のもとになる証言があって、要は「われわれが乗り込んでいったら、ポンチ絵しかなかった。だから全部実施図面を新たに書かざるを得なかった」という。でもアレグザンダーからしてみれば思考生成のためにやたらに「図面を描くな」と言っているわけだから、基本的に方法論が全く違うものがぶつかっている。その結果アレグザンダーの理論は生産的でない、ということになってしまった。

塚本──あれに耐えられるのは、宗教的なつながりをもつ集団しかないと思われてしまった......。

中谷──そう、みんなそう思っちゃった。あれは非常に政治的な問題です。学校認可みたいな政治的なものがなかったら、クリストファー・アレグザンダーの方法論は使える。たとえば日曜大工(笑)。われわれは「棚が欲しいな」と思ったときに、ホームセンターから板を買ってきて、やってみて失敗、また買ってきて失敗と、一番貴族的なことをやっている。設計して施工業者に図面を渡したら、「失敗、崩して直して」とは言えない。でも日曜大工のレベルだったら、崩して直して、ということは当然できる。建物の建て方として、まずそれを基本にしておいたほうがいいんじゃないか、と僕は思う。一方で、僕は建築家というのは絶対に要ると思っている。なぜかと言えば、建築家とは、その人の職能に関係なく、他人から認められたときにはじめて与えられる呼称で、素晴らしい建築をつくったから建築家なのであって、建築家という職能があるわけではない。ただそれが、日曜大工と地続きじゃないと思っている人たちが建築家の中にいるとしたら、それは間違っていると僕は言いたい。
基本的に、1960年代のアメリカで建築のアンダーグラウンドの中でも一番のコアのタイプ、アレグザンダー、アーキテクチュアル・マシン・グループ、『Whole Earth Catalog』といったものは、全部オープンソース化ですよね。要は日曜大工系。それがコンピューターの方向に入っていって、共有可能な知のネットワークを作ったから、彼らは「アーキテクチャ」と言うわけ。そういう意味でも、日曜大工を基準にして、建築家というのはその特別バージョンとしてあったほうがいい。

塚本──それでもほとんどの人は、やっぱり難しいと言うだろうね。時間がかかりすぎてつきあいきれない。

「奇跡」を作る建築

中谷──建築家は、図面を渡したら一発でやるというところにある種の力点があるのだから、それは致し方ない。また、お施主さんのお金にも限界がある。そういう意味で、建築家はベストな回答を一発で答えないといけない才能や決意が必要になる。ウィトルウィウスが書いている建築家の資格はいまでも充分あたっています。

塚本──それと同時に、建築なるものが世の中に出て行くために必要な、より好ましい、より幸せな枠組あるいはシナリオを探していくということも建築家の仕事にはある。それは必ずしも日曜大工的なことではまかないきれない、より大きなパースペクティヴの中で、建物の必要性や、新しく何かを作ることの位置づけをやるべきだと思う。日曜大工とはまた違う意味での、建築家の役割として。

中谷──いまの話が小さい枠組と大きい枠組ということだとすると、僕にとってそれは連続しているということです。しかしそれが隔絶しているように語られるのが問題。たとえば「箸を横に置いたら倒れにくい」「立てたら必ず倒れる」といったセンスは、経験的なサイエンスとして、誰でも共有できると思う。設計による決定行為というのはそういうサイエンスの複雑な積み重ねではないか。そのプロセスが腕の見せ所。
それと、いまの話でなるほどと思ったのは、建築は「奇跡のような空間」を作るのではなくて、「奇跡」を作るのが基本だということです。たとえばゴシックで重要なのは、細くて長い柱とガラスだけで構成されている空間ですが、そうしたすぐ崩れそうなものが保っている、というのが「奇跡」。だから「こんなことができるところ、帰依します」となる。でもそれは裏に回ってみると、全部フライング・バットレスがあって、構造を担保している(笑)。それを見かけ上そう見えなくする構造の配分の巧妙さがある。普通だったらそうしないところを、うまく配分して奇跡を部分的にでも達成する。それができることは当然重要だと思います。

塚本──それを技術によってやる場合もあるけど、枠組のシフトというのも最近すごく力があるなと思っています。どれだけ人は納得して生きていけるか、つまりどれだけ空間が枠組に合っているかはあまり理解されていないけど、大変大きな問題だと思う。ゴシックの大聖堂は信仰と結びつくと同時に技術的な展開もある。でも必ずしも技術的な展開がなくても、奇跡のような、夢のような状態ができればいいなというふうに思っている。

中谷──僕も基本的には賛同します。

塚本──建築による奇跡か夢かという状態は、月に行くような夢とはちょっと違って、遠くにあるわけではない。

中谷──ゴシックが大きな枠組みでの奇跡だとすると、小さい枠組みでの奇跡は常日頃起こっている。では、その小さい奇跡って具体的にはなんなのでしょうか。

塚本──たとえば、夜道に10mくらいの異様に長い屋台があって、そこでみんなが飯食っている。その光景はもう奇跡っぽい。これまで、アートの仕事で展覧会に出展しているうちに、機能的要求を過不足なく満たしてかつ自分の美意識が投影されるという、限定された枠組ではなくて、機能自体が夢のようなものとしてわっと現れてくる瞬間を作り出すことができると思うようになった。

中谷──わかりやすく「奇跡=夢」としておきますが、「小さい奇跡こそみんなが常日頃意識せず起こしている」と言うと、僕はちょっと反動的な響きを感じる。

塚本──ちょっと引いてみたら、いまこうやって集まっているのも奇跡になる。僕は本当にそう思うけれど、どこに枠を持ってくるかによって全然変わってきちゃう。

「普通」の新局面

中谷──気持は大いに了解した上で、でもさっきの建築家談義とちょっと乖離があるような気がする。白状すると、塚本さんのことを昔から清家清に似てるなって思ってた。

塚本──よく言われる。

中谷──清家さんはすごく絶妙な、中間の奇跡を連発した人ですね。小さい奇跡というのは、われわれが日常的に意識せぬままやってること、大きい奇跡というのは、ゴシック教会みたいなもの。清家さんは、中間くらいの奇跡を連発していった。そしてだんだんと大家(たいか)になっていった。でもあえて悪意のある言い方をすれば、これはいわゆる日本回帰の典型パタン。「ああ、青空がきれいだなあ」という何気ない感情を、政治的、つまり日本的なるものに落としこもうとするような回路があって、清家さんの評価もだいぶそれに絡めとられていくわけです。現在に転じてみれば、「芸術立国日本」ですから、われわれもいまそこにいるわけ。だから、それに対してどう自己批評していくかというのはすごく大事です。

塚本──ただ、「ああ、空がきれい」みたいな話は日本だけじゃないみたいだよ。保坂和志が言ってたけど、小島信夫の『私の作家遍歴 文学篇』の中に、チェーホフの兵隊の話があって、チェーホフは「撃たれて、バタンと倒れる。その時に見た空はきれいだ」と書いているらしい。だからそれは日本だけじゃない、必ずしも日本回帰と言わなくていい、と思うよ。

中谷──その通りで、人間一般の経験的素朴な傾向は別に国家的なもののはずがない。ところがその素朴さを国家的なテイストに絡められていくという回路が日本にはあった。それを日本回帰というと僕は解釈している。論理に対して実感の問題を政治的に利用する、というね。

塚本──でもいまは、実感の問題を論理化するほうに面白さが出てきてるんじゃないですか。

中谷──そうですね。だから、政治的に絡まないでどうやったら別の回路で活動できるかと考えるわけです。たとえば、僕は今和次郎の民家調査の追跡をしているんですが、民家ってほんと危ないなあと思う。つまり、民家は誰でも政治的道具として使えるわけです。昔からそうで、困窮している階級をどうするかは左翼的な問題にもなるし、あるいは現代建築批判にもすぐ使われる。民家は全てのカウンターパートの塊みたいなところがある。先ほどの「普通」という問題です。僕は「普通は選べない」と言っています。たとえば大建築家の家の実測をお願いしたら、住み手も分かってくれる。でも『突撃!隣の晩ごはん』みたいに、いきなり行って「実測させてください」って言われたら、僕だって嫌だ。「なんでおれなの?」と聞かれて、「普通だから」って理由はありえない(笑)。つまり「普通」というものに含まれている含意はえらくでかくて、説明しようがないんだけれど、たしかに存在している。それが何なのかを、ちょっとずつ言葉にしようとしている。

塚本──でも民家っていまは「普通」じゃないでしょう。実測には、たとえば、横浜の港北区あたりに建ってる戸建住宅に行かないでしょう?

中谷──瀝青会はそのへんを巧妙にしていて、「あなたの家は今和次郎の書いた本に90年前に載っていた。でも30年前にもうその建物は壊されているから、いまあるこの建売住宅を実測させて下さい」と言うわけ。そうすると、「うん」としか言いようがない。お互いに、はずれくじに当たったようなもの。そこには偶然性も絡むし歴史も絡む。「いつ建て替えたのか」「なんで建て替えたのか」と話を聞いていくと、いろいろ面白いことが起こっている。印象的な話だったのが、「茅葺き民家がなぜなくなったか」ということ。職人がいなくなったこともあるのですが、昭和30年代から40年代にかけて、防火のことで消防署が「茅葺き殲滅令」みたいなのを出しているわけです。そうすると、伊豆大島のある村である日、「全部替えよう」って決議されて、全ての家が自分のうちの茅を海岸に持ってきて燃やしてしまった。それを見た当時の子供が「きれいだった」と言っていました(笑)。そういうのは聞いていて面白い。そんなことやっていると、若い建築家が騒いでたって、あんまり関係ねえやと思っちゃう。火事の方が迫力がある。

塚本──「普通」という言葉がそこまでの重みを持ってくる、というのはある意味新しい局面だね。「普通」という言葉だって、たとえば「みかんぐみ」でも、やっぱりカウンターとしてしか用いていない。

中谷──われわれがやっていることは本当に「普通」です。「普通」というのは認識されない状態、つまりゼロの状態なわけです。それはおそらく完璧な調和状態。良くも悪くも、建売住宅が「普通」というのはやっぱりなんか意味があって成立しているわけで、そのゼロ状態から、どれがプラスでどれがマイナスなのかを分析していくと、総合的なホメオスタシスの中にあることがわかる。塚本さんの本は、そこをするどく捉まえているので、それをどう活かしていくのかいつも注目している。「普通」の使い方のエッジに立っている。

塚本──近代が忘れたものの知性として、僕も世界中の窓を見て歩いてるんだけれど、それはやっぱり近代との対比として捉えすぎているかもしれない。

中谷──今和次郎は、単なる研究対象として選んでいるだけじゃなくて、「センスいいな」という理由で選んでいる。近代であんなになびかなかった人いないんじゃないかな。

塚本──保坂和志が言う「盤には乗っていたけれど最後まで動かなかった将棋の駒」みたいな(笑)。

中谷──有名にもならないし、無名にもならない。それは変に目指しちゃいけないと思うんだけど、ちょっとした生き方だと思う。


「グリーニズム」

中谷──ちょっと話題を変えて現在の「グリーニズム」を挙げましょう。緑化と19世紀の折衷主義、廃墟庭園の感覚はけっこう似ている気がするんだけど、どうでしょうか?

塚本──似ていると思う。ただ、いまのグリーニズムは植物を機能化して、生命的存在としてみないところが寂しい。植物をリスペクトせずに使いのめしちゃっている例は貧しい。

中谷──たとえば、ゴシックの最終形態はイギリスだと僕は思っているのですが、キングス・チャペルなんかは異常に植物的です。蓮の花が開いたような構造でできている。でもあそこまでいったらゴシックという範疇以外のものではないか。「植物に恋してる建築」だと思った。そんなことを、イタリアではゴシックがすでに飽きられていた頃にイギリスでやっていたのが面白い。あとは同じイギリスで、ジョン・ソーンが自分の建築を設計すると同時に廃墟画を描いているときに、ピクチャレスクの庭園も発達した。ジョセフ・パクストンは庭師で、庭園を管理して温室をつくってとうとう建築家になっちゃって水晶宮を作った。それらが全部、植物のメタファーでできている。でも厳密に言えばメタファーじゃなくて、ちゃんと植物のことを理解して、植物の葉脈を鋳鉄を使って構造化している。ゴシック建築家、折衷主義建築家といった人たちが、自ら限定した中で当時の論争を繰り広げている中に、するっと庭師が温室を作って、驚かれた。そうやって、ブレイクスルーが別のところから起きる可能性はすごくあると思う。一方で先ほどのピクチャレスクと建築の廃墟の関係は、建築界の自己言及的な反省のような感じがする。それに比べてゴシック後期や水晶宮のときはそれがシンクロしていたものがあった。

塚本──それは主体を人間から植物にずらしたからではないですか。人間から建築の主体をずらすと面白い。いまランドスケープというのが都市計画の中でかなりその役割を果たしていて、ランドスケープアーバニズムと言われているけれど、その端緒を開いたのがコールハースのラビレット公園あたりです。人間というのを主体に置かないで、何か別の角度、たとえば植物を主体において、人間はそれに寄り添っていくだけというようにすると、政治やいろんなものが外せて自由になれる。歴史の中でそれがいろんな時代に出てくるのかもしれない。

中谷──コールハースをそういう風に解釈するのは、とてもよいですね。大賛成。

向温暖化建築

藤村龍至──塚本研OBの藤村です。「ル・コルビュジエは『地中海的ヘドニズム』を外さなかったことによって挑発的になることができ、変化していくことができた。同様に、私たちも『アジア的ヘドニズム』をベースに展開することができる」という視点が塚本さんから出てきて、それは非常に面白いと思ったのですが、塚本さんがおっしゃるように80年代の「クリティカル・リージョナリズム」は、単なるアジアンモダンというスタイルとして消費されました。中谷さんによればそれは単なる政治的な問題であって、クリストファー・アレグザンダーが読まれなくなったのと同じ、ということですが、そうだとすれば、塚本さんのいう「アジア的ヘドニズム」はどのように政治的に位置づけ、広めていくことができるのか、戦略をうかがいたい。

塚本──政治的には、温暖化を逆から見ることをする。要するに、建築も温暖化に対抗するという発想ではなくて、温暖化に向かっていく。だから「向温暖化建築」と言っています。「抗う」じゃなくて「向かう」。これはふざけて言っているんじゃなくて、実際にここ10年は、建築が悪者になり続けていて、そうじゃないやり方がないか、ということです。政治的にはそこで、温暖化というものを読み替えるのはどうかと思っています。

藤村──ロッジアのような外部空間の生活を強調するのも戦略のひとつということですか。

塚本──冗談抜きで温暖化に対して、スウェーデンに学ぶのか、東南アジアに学ぶのかの選択はあると思う。スウェーデンに学ぶというのはわりと住宅メーカーの発想で、これは「抗温暖化」。建築家はどちらかというと東南アジアに学んで、アジア的ヘドニズムでもって、もっと開放的な建築を作ってもいいと考えている。そこに社会関係や運営の問題も投影できるのですが、どれもことごとく境界に関する問題なので、非常に守備範囲が広い。古典的ではあるけれども、パワフルな切り口だとは思っています。

建築の愚かしさがいとおしくなるとき

中谷──話はつながるかわからないけど、アレグザンダーは何故伝統的な家がかっこいいかという話をばらしている。すごくおかしい話なのですが、「昔からひどいやついっぱいいて、ひどい家をいっぱい作っていた。でもそういう家は台風なんかで全部ぶっ壊れちゃう。最終的には、フィードバック関係で、人間が作る力と外的な力がちょうど調和するような形でしか物は残らない」と言っている。でも次にアレグザンダーが言ったのは、「いまはそれができない」。

塚本──醜さを技術が克服してしまうんだ。

中谷──当たり。昔は間違っても自然が正してくれたわけ。だけど今は間違っても技術が強いから残ってしまう。だからいい形で物を残そうと思う意識が逆に競り上がるようになる。

塚本──昨日愛知県に行ってリニアモーターカーに乗って周りを見てきたのですが、やっぱり建築的に間違っていることがすごく行なわれていると感じられた。東京だと変な建築ができてもノイズの中に隠れちゃうけど、長久手の農村風景の中に突然「おれがおれが」という建物が建てられてしまったのは大失敗だと思う。建築は新しいし変わっていてもいいんだけど、周りと全く関係なくできていくというのは、人々を相当落胆させているのではないか。作り手がみんなどこかの大学を出ているかと思うと、本当に教育の失敗だという感じがする。

中谷──反省的に風景を考えるという視点は、僕が学生の頃はなかった。

塚本──僕はあったよ。

中谷──僕は勉強してだんだん出来てきた。新幹線から見る日本の家々の風景が、気になってずーっと見はじめたのは大学院ぐらいからかな。そういうことからすると、人間には最初から総合的な感覚があることを意識的には気づいていない。モノとつきあう過程でだんだん気づいていくのではないか。自己正当化かもしれませんが。
連続的なモノづくりでは与件とそれに対する解決案の間にフィードバックが行なわれて、ある状態に落ち着いていく。そしてまた与件の変動でまた別の状態に落ち着く。それは庭づくりでも日曜大工でも起きる。だから自分で庭仕事したり、自作でデッキ作ったりすると、みんなそういう総合的な感覚があること、つまり自分の思いだけでかたちが決まるものではないということを自ずと習得していくんじゃないか。つまり自分の愚かしさを知る。でも、逆にその「愚かしさ」がいとおしくなってしまうという逆説がおこる。大山さんももしかしたらそうでないですか?

大山顕──僕は長久手のその風景を見に何回も通っています。ここにいる方々と違って、普通の人はあれを別にひどいとは思ってないし、何よりあれのオルタナティヴが存在しうるなんて思ってもいない。あれこそが「普通」ですよ。

築道プロジェクト

中谷──それでいいんですよ。つまり建築家の言っていることも、大山さんが言っていることも、どちらもすでに美の俎上に上がってしまっている。現実には大山さんのような意識すら、住んでいる人は持っていないかもしれない。それを前に、どうすればいいか考えていたんです。で。考えた。習字塾みたいに、家づくりの塾は子供の頃からあったらよかったなと。それでいま「築道」というのをやっているのですが、これはけっこう革命的だと思っています。以前、長屋の改修をしたら、そのあと何件か話がきた。でもみんな金がなくて「500万で作ってくれ」と言うわけ。それで「いいよ、おれ作ったら経費で300万取るけど、あなたは残りの200万で作れるか?」って聞いたら「作れない」って言う。で、「よし、図面描いて役所行って来てください。確認申請というのは施主が出すもんだから。役所は絶対拒否できないはずだから、法規とか全部自分で調べてきてください」と言う。それで図面描いてきたら、それを僕が習字みたいに朱書きで直す(笑)。それでも「やる」って言ったので、築道プロジェクトが始まった。1回5000円。

塚本──おもしろいね(笑)。花丸とか、先生に赤入れしてもらうのが1回5000円?

中谷──そう。大きく間違わないというのが指導方針。細かいことはもうよろしい。「隣のこと考えたらここに窓つけたら駄目だよ」とかね、つまり僕が自然なわけです。4回くらいのフィードバックである程度はまとまる。そこで、「日本には注文住宅という素晴らしい制度がある。貴兄はこれから工務店を探して、この図面で作ってくれるところがあったらそこにやってもらいたまえ」と。それは建ったんだけど、その後ももう一回丹後の山奥の民家でやらせてもらいました。そこで考えたのが、家元制。家建てられたら免許皆伝、外に看板を出すときに金を取る。塚本流築道とか(笑)。

塚本──ありそうで嫌だな(笑)。それは、さっきの枠組を変える話ではありだと思う。町家の再生とかでもいい。でも東京にはそもそも町屋がないから、困っている。

中谷──大阪は長屋だから、1軒崩れるとみんな崩れるという緊密な関係性のもとにある。でも東京の場合はなんとなくみんな自立している。そこがちょっと「限界性項目」を見えにくくするんだよね。

東京──都市の知性

勝矢武之──日建設計の勝矢です。おそらく塚本さんがクリティカル・リージョナリズムと根本的に違う点は、クリティカル・リージョナリズムは風土を見ているのに対して、塚本さんは都市そのものを生態系として見ようとしている点ではないか。都市という人工物そのものを生態系として見る話と、一方で対極的なアジアの気候みたいな話と、その両方からものを読み解いて建築を見ていくとすれば、どういう方法論が必要になるのでしょう。

塚本──おそらくリージョナリズムは、近代主義をベースにしてその中で差異を出そうというわけで、基本的にはモダニズムです。一方で、僕はほんとうにモダニズムにこだわっていないところがある。それをどういうふうに自分の中で位置づけていいか、正直自分でもよくわからない。

勝矢──対談の最初に、建築の背後に潜む型──「限界性項目」──の話がありました。お二人はそれについて、主体(人間)の側から見る立場(中谷さん)と、客体(世界)の側から見る立場からそれぞれ話されていたと思うのです。塚本さんは客体の側の都市の中からどういった型を読み出して、それをどう定着させようとしていらっしゃるのでしょうか。

塚本──そうなんだよね。「限界性項目」は20世紀との違いを説明するにいいんだけど、同時にどういう根拠があるのかは自分でもよくわからない。そこが一番おもしろいところでもあるけれど。

勝矢──被服の話をするときに、よくイッセイ・ミヤケとマルタン・マンジェラが対比に上がりますよね。イッセイ・ミヤケは全く新しい服の型を作る人で、マルタン・マンジェラはたとえば袖について、普通の袖というのは存在しないけれどもこの袖の「型」というものがいわば文化であり、そして今日語られてきた「限定性項目」なのですが、マルジェラはまさに、この「型」を見据え、それをずらしていくことでものをクリエイションしていくというスタンスです。そして、塚本さんは現代都市そのものを「限界性項目」として捉えられているわけです。当然その先には、ずらすことの目標があるわけです。東京を都市モデルに選ぶということは、東京の都市をどうずらしていくか、そのずらす先に何を実現していくのか、という話があるかと思いますが、そのずらしの目的をもう少し聞かせてもらえたらと思います。

塚本──東京が少なくとも60年間壊れなかったということは大事だと思っています。たとえば1923年に壊れて、そのあと45年に壊れてるから、20年周期で全部壊れるようなことがあった。その周期でいくと、1970年代の高度成長期にみんな建て替えているので、壊れていると言えば壊れている。しかしそれは破壊ではなくて新陳代謝であったので、それで60年くらい続いている。その60年の間にいろんなことが変わったけれども、やっぱり60年くらい続けないと生まれて来ない、都市の知性というものがある。建築家はその知性を早めにつかまえて見せてくるいい仕事じゃないかと思うのです。そのときにどんな姿になるのかというのは、一言ではなかなか言えない。ただ、粒みたいなものが勝手に新陳代謝していく状態を保って、街がある定常状態になるとどんなことになるのかをできる限り想像してみたい。その想像のもとに次の世代の建築を作れたらいいと思っています。 いまの僕たちは、こと住宅に関して言えば第4世代の住宅を設計している。たとえば、日本の住宅は平均寿命が30年です。典型的な戸建住宅が導入された時期が、郊外住宅地の誕生した1920年代後半だとすると90年くらい経っているから、少なくとも2回は建て替えられている。すると、いま建っているものは第3世代です。でも、第1、第2世代がまだ残っているから、1から3世代のものがごちゃっと混ざって見えてるのがいまの状態。その上で、じゃあ第3世代までの反省をふまえて第4世代はどうなるのかという問題になる。でも、いままでは都市というものを見据えた住宅の更新ではなかったと思うんですけど、むしろそこに東京という都市の持っている特徴、特殊性、チャーミングなところが出るはずです。その東京を見据えた住宅を作りたいですね。話が少し飛ぶけど、パラッツォみたいなプロポーションの建築があまりにもないのはよくない。大体はペンシルビルか超高層ですよね。両極化していて、中くらいのビルというのがあまりない。たとえば、村野藤吾が活躍した頃の建築は重心がちょっと低くてパラッツォ型だった。

中谷──昔は百尺規制があったからですね。

塚本──そう。それが、ヨーロッパでいうパラッツォと対応していて、都市建築として一番パフォーマンスを発揮できるヴォリュームなんです。それより小さすぎても大きすぎても、都市建築としてのパフォーマンスが削がれるところがある。そのパフォーマンスが削がれているのが日本の都市で、その状態は意識したほうがいいと思う。ビルからもそういう知性が出てこないといけない。

この10年の建築──何が変わったのか?

中谷──『住宅70年代・狂い咲き』(エクスナレッジ、2006)という本で「60年代までビルと住宅の設計は、同じようにRIAのような設計組織がやっていた。でもアーバンスプロールがはじまって、都市の中心部を設計事務所やゼネコンが押さえつつあるとき、結局70年代の名作は全部郊外にできた」と植田実さんが言ってます。要するに、60年代末、そんな住宅作家が輩出したのですが、それは同時に建築のメインストリームから疎外されたという側面もあった。今日来られている若い建築家の方々はその孫みたいな方々だとすると、それをどういうふうに歴史的に見てくのか。皆さん都市に戻られて、6坪とか10坪の住宅設計している人たち──そこに必ず深い意味がある。

塚本──やっとこの10年の話になってきた。2002年か2003年くらいから事務所はじめた人というのは、わりと景気が良かったと思うんです。それは商業建築に建築家が入っていった時代ですが、そこで以前と随分違うことが起こったんじゃないでしょうか。そもそも住宅にこだわらない、商業ビル作っている人もいればテナントビル作っている人もいる。でも私はコミュニティのために、そこと響き合うような建築を作ることが、実はやはり依然として幸せなんじゃないかと思うのです。たとえコミュニティは駄目でも特定の個人と響き合う建築はまだ作れる。ただ商業建築を作る場合、必ずしも建築主がユーザーではないような状態での建築のあり方が出てくる。それがこの10年での違ってきている点ではないかと思っています。建築を考え始める地点が随分違う気がするんです。
この間デンマークでアートギャラリー作った時にそのことを強く感じました。僕たちが仕事をしたのは、クラベスホルムホイスコーレの中でも、特にアートで有名なスクールです。学生たちは彫刻・写真・絵画・建築・グラフィックデザインなど選択できて、とにかく大学に入る前の半年間、集中的にアートを学べる学校です。同時に全寮制で生活することで社会性を学ぶ。そこにOB達の寄付でアートギャラリーを作ろうということになって、4年間ずっとそれに関わってきたのですが、そこでは現地の人たちが建築を本当にコミュニティのために作っているという感じだった。案ができた段階で、建物の使い方について、デンマークの田舎町にニューヨークやパリからいろんな人を呼び寄せて大々的なシンポジウムををやるわけ。この10月オープニングで行ってきましたが、2日間400人くらいOBが集まって建築がみんなに祝福されるこけら落としでした。
日本で、こうしたコミュニティに対する問題意識や建築をどう位置づけるのかに関して、建築家はちょっと腰が引けているのではないかと思っています。いま付き合っている埼玉のある市長なんかは、「ハコモノは絶対作りたくない。それよりコミュニティの再生をやりたい」と言っていて真に迫るものがある。

勝矢──昔はコミュニティがある地縁を前提にしていたわけですけど、いまは衣食住も完全に分離しちゃって、同じ価値観を持っている人が同じエリアに集まっているわけではない。現在では、コミュニティを語るときには、土地をベースに建築を作るというハードの問題じゃなくて、むしろソフトの問題になってしまっているという現実が、建築家がコミュニティを語る際に漠然とあるむなしさにつながっているような感じがしますね。この手の話をするとよく、それでもコミュニティは存在するみたいな感情的な反論があるのですが、そうした小さなエリアの中での、公共性の喪失の話をしたいわけではなくて、都市においてはそもそもマッスが大きくなっているわけです。新しい形のコミュニティという形で人を結びつけていくことを考えるときに、たとえば、塚本さんの話に出ていた市長の求めるコミュニティも、すでに地縁コミュニティの規模を超えてしまっているのではないですか。その中には小さな地縁コミュニティが2000個くらいあるのかもしれないけれど、建築家もまた、そうした個別のコミュニティに目を向けるだけでなく、それらの2000個を緩やかにつなぐ「何か」について、もっと考えていったほうがよいのではないでしょうか。

中谷──勝矢さんの話は都会に関してはわかる。都(みやこ)というのは昔から故郷から逃げてくるところなんですよね。血縁なくしたやつが来て紛れる。だから大阪の西成区で重信房子が隠れていられたわけです。都はそういう意味では、基本的にコミュニティというよりはサバイバル。でもその拮抗関係の中から都市的なコミュニティができることも否めない。それについての建物の力は大きい。事実、僕のいた下町では、夏になったらみんな縁台持ち出して道路で涼んでいました。それはとても良いバッファーソーンだった。でもいまは内と外は鉄製の扉で仕切られている。建築ではなくいまは設備の力ですね。都市の中でもちょっとした付き合いが生まれたときに、その受け皿となるような空間が昔はあった。空間にだらしなさが残っていた。

大山──だとしたら、なんのためにそんなにコミュニティが賞揚されるのかがよくわからない。実際コミュニティはあったほうがいいけれど、それはたとえば、ゴミ出しをどうするか、子供を一緒に育てるときにどうするかであって、コミュニティという言い方じゃなくても、子供を一緒に仲良く育てましょうとか、安全に育てましょうという機能的なレベルにブレイクダウンすれば、そんなにややこしい話じゃなくなるし、建築が関われるところもいっぱいある。建築家も政治家も「コミュニティ」という曖昧な言いかたをするから、みんな関われなくなっちゃう。

日埜直彦──たぶん逆の順序で考えればいいんじゃないか。たとえば昔の地縁の根本的なところでいうと、葬式というイベントある。葬式はひとりじゃ手に負えないような、自分のかけがえのない家族が死んでしまったという状態で営まれる。コミュニティがそれをフォローして、共同体のホメオスタシスの中に繰り込んでいくわけです。そして葬式があっちこっちで行なわれるなかで、そのような出来事をシェアしたかけがえのない繋がりとして事後的にコミュニティは現われる。お話を聞きながら思ったのは、建築とコミュニティを直接結びつけて話をしてもそうは繋がらなくて、そういうプロセスを経なくちゃコミュニティは成立しないということじゃないか。それを、教会があって街があって、みたいな中世的な物語でとらえると、とたんにみんな「それホント?」となる。

中谷──勝矢さんの発言もそうなのですが、「コミュニティとは」から発する言い方が、肯定であれ否定であれ、自分を器にはめるみたいな行動ではないかと感じることがある。「建築クラスタ」というか、建築関係者としてまとまんなきゃいけない理由とかよくわからない。僕はそんな意識が全くなくて、僕なりの経験と技術で、何か問題や依頼があったら徹底的にやる、という覚悟はある。また喰うためのギルドをつくることを否定はしません。また内ゲバも理解できます。生存競争だから、それは仕方がない。けれどもそれを全社会的な問題に拡張して内ゲバをやることは欺瞞に近い。少し冷ややかな言い方をすると、これまでは高度経済成長だったから、教育システムでも「お前ら建築家になれるぞ」とけしかけてきた面も否定できない。それが積み重なって供給過剰な建築家コミュニティができてしまった。そして建築の雑誌は高いし、本も高いし、アカデミーも高い。でもそれがもう崩壊しちゃった。
僕は今大学から給料もらって生きる身です。色々食えないときもあったけど、決まったお金をもらえる様になった。その恵まれ方に立って何をしようかと考えれば、おそらく皆さんがしたくでもできない、中長期的な時間を相手にした仕事を行なうことはせめてもの身の処し方だと思います。築道だって、全然食べれないけど、家元になったらわからん。でもそれは簡単にできるものではない。それは長くかかる実験ですから。そういう意味で、塚本さんが、見知らぬ外国の土地で何年かコミュニティにかかわる回路はとても共感できる。そのつながり方は昔、「少年ナイフ」がアメリカのカレッジチャートで、すーっと人気になったことに似ている。その逆は、「紅白歌合戦」形式、国内で日本一を試されて、日本一の看板背負って外国に乗り込むタイプ。これは気が重いね。

この10年、歴史家として、建築家として

長谷川豪──あと1カ月半ほどで1年が終わりますけど、この10年が歴史家として、建築家としてどうだったか、というのをお二人にお聞きしたいと思います。

中谷──僕のこの10年は、頓挫したプロジェクトが数えきれない。様々な事情で出版できていない本が3冊ほどある。どれも相当の力を注ぎ込んだものです。内心で忸怩たるものがあります。だから『セヴェラルネス』の中で、たまにそれを使ったりしている。肥やしをつくっていましたね。せっせと。

塚本──建築の歴史っていう世界は、この10年で変わりましたか?

中谷──ジャーナリズムとそれに乗る人たちの考え方は大きく変わったのかもしれない。でも本を訳すとか、昔の本をもう1回生かすといったことは、粛々とやるべきものなので、30代はすべてそれに費やしました。ただ、それが明るみに出たことは1件もない。だから瀝青会はなんとか出さなければいけない、と思っています。

福島──瀝青会はどのくらいのスパンで考えてらっしゃるのですか?

中谷──建築史家は、畢竟の大作というものを自分が死ぬまでに一度出せればいいと考えている人がたまにいる。それでは駄目なんです。やはり5年や6年で成果を出せないと。その積み重ねが大事。2年じゃ短いし、10年じゃ長過ぎる。自分の人生が70とか80だとしたら、自分のいい仕事を4回か5回したいというふうになりますよね。それで大体計算する。1プロジェクトに6年から7年、かぶってもいいなら最長10年と、そうやって決めていく。

塚本──なるほど。僕もやっぱり5年はかかる。磯崎新さんとか、ある種の歴史を参照しつつも、必ずしも歴史でないようなものを作っていた。そこから、妹島さんみたいに「近代以降しか知らない」と言えそうな表現が主導権を握る形になって、日本の建築界というのは動いてきた。それについてはどうお考えなんですか。

中谷──それは逆に良かったと思っている。歴史が試されるのは、そういった状況において自分がどうやって食えるかという問題をきっちりと解くことです。そこは建築家と同じ。だから僕は建築史家じゃなくて、歴史工学家って、宗派をつくったんです。

塚本──乱暴な言い方かもしれないけど、たとえば、リニアな時間というものに対して、つねに偏在してどこからでもわき上がってくる繰り返しの時間というのもある。正当性の話をしようとすると、どうしてもリニアな時間が問題になってくる。だけど、デザインする側としては、リニアな時間は非常にやりにくい。常にどこからでも反復されるユビキタスな時間の方がやりやすい、過去の建築もヴァナキュラーな建築も、同じように繰り返しの問題として生きてるな、と最近はすごく思えるようになってきた。

中谷──まず建築史の授業で最初に僕が言うのは、歴史には書記官がいたわけじゃない、ということ。つまり歴史学というのは、対象となる事物のいわれがわからないから成立する学問です。何かがわかっているんだったら、歴史学ははじめから存在しない。日本近代での一番最初の問題にさかのぼって考えてみれば、伊東忠太が「法隆寺の中門がパルテノンそっくりだ」と、無茶なことを言ったわけです。それを教えると、学生の頭の中で歴史意識に対する意識変換が起こるんです。そこですかさず、「歴史とは、少なくとも2つ以上の事象の間に存在する、想像的時空のことである」と定義する。学生はみんななんか化かされた感じ。新しい証拠が発見されたら過去ががらがら崩れるんだから、歴史こそが一番動く。

塚本──基本的に、時代ものの推理小説みたいなものだと思えばいいんだよね。藤森照信さんの歴史も面白い。おれでも無理じゃないかと思うことを果敢に言ってくる(笑)。

中谷──いまの歴史学は分断しているのかもしれません。アーカイビストと、歴史の流れから普遍的で直接使えるようなものを提示する人、という二極に分かれている。前者のほうが圧倒的に多い。けれど新しいものを提供しようとする人は必ずいる。陣内秀信さんもそうだし、青井哲人さんもそう。

塚本──この10年は、自分なりに歴史に対する向かい方ができてきた10年かもしれない。1999年の頃は、それが難しすぎて、どう考えていいかわからなかった。日常性や、普通の街や、自分の生きている環境から、何かを引っ張り出して学ぼうということに関しては、その頃から思っていた。けれど、それを歴史的なパースペクティヴにどう結びつけるか、かつそれをどうやってもう1回解凍して生き生きしたものとして出してくるか、という感覚はなかった。この10年でそこが随分変わった気がする。そういうことに気づけば気づくほど、先行する世代の建築家との差ははっきりしてきた。その間に何があったかというと、景気が悪い時代でもなんとか建築を作りたいという意識。ほとんど何でも断らないでやった。たとえば、大会社に頼んだ仕事が、そこでできないからとこっちに回ってきたような仕事もあった。建築家にもともと頼んでなかった人が建築家と仕事をするはめになってしまったことが不幸にならないようにするにはどうしたらよいかをすごく考えた。そのときに、屋根とか窓といった彼らがわかる慣習的な建築言語からはじめるというのがひとつにはあった。もともと学生時代からルドルフスキーに強いシンパシーがあり、ああいう観点を現実のものとして、どう投影できるのかを考えていたから、近代主義の英雄時代へのこだわりがほとんどなくなってしまったのかもしれない。

司会──今日のこのトーク・セッションは、当初、「建築」が「アーキテクチャ」、「都市」が「グローバル・シティ」と呼ばれ、そして「批評」が「ポスト・クリティーク」へと変質していった「ゼロ年代」の建築的状況をふりかえる機会として企画しました(笑)。しかしお二人のお話は、10年といわず、近代をこえた歴史そのものと建築の知性に触れるものでした。個々に持ち帰ってさらに考えることができる大きなテーマをいただいたように思います。まだまだ続けたいのですが、やや時間をオーバーしてしまったので、残念ですがこれで終了とさせていただきます。今日はお集まりいただき、ありがとうございました。


2009年11月18日、南洋堂N+にて

200912

特集 ゼロ年代の都市・建築・言葉


対談:ゼロ年代の建築的状況をふりかえり、現在とこれからを考える(極私的に。)
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