記録することの意味

天内大樹(日本学術振興会特別研究員/美学芸術学)

「アートレス」なアートの存在

『アートレス―マイノリティ
としての現代美術』

『オン・ザ・ウェイ──
川俣正のアートレスな旅』
川俣正という美術家がいる。おおよそ一人では作り得ない空間の大きさや時間の少なさという状況下で、おもに木材や木製家具などを既存建築物に付加するような作品=「プロジェクト」を1977年から作り続けてきた。彼には一人で作れる規模のもの──たとえば街に落ちている廃品を組み合わせて作る「フィールドワーク」シリーズや、キャンバスサイズの板上に自らの「プロジェクト」のスケッチ(アクソノメトリック図)を木材や画材を用いて展開するマケット群──も確かにある。しかし既存建築物に見合った規模、ときには土木工事にも匹敵する規模の作品を、複数の人間が携わる一種のワークショップである「ワーク・イン・プログレス」と呼ばれる手法で制作するのが中心である。
そうした規模の作品を制作する長大な期間には、自らは別の都市からファクシミリやメールなどで簡潔な指示を出すだけで、ほとんど手を下さない局面もある。特にプロジェクトが行なわれる地域の人やコミッション・ワークを依頼してきたクライアントと話し合って進める場合には、ある種の言説でこれまで固定的に語られてきた美術のように、作者の主体と結びついた表現としてそれらの制作物を語ることは、困難である。彼の著書に2冊、タイトルに「アートレス」という語を含むものがあるのも、天性の才能を持つ作者の創造性が発揮されて作品が完成されるという、いわゆる近代的な芸術観を基にした現状の美術界への違和を表明している。

アーカイヴへの関心

「川俣正デイリーニュース」展

『Book in Progress
川俣正デイリーニュース』
彼のキャリアの初期には、街中で展示会場とするのを許可してくれた人の家や部屋、画廊などで木材を組み、展示期間が終わるとすぐに解体、次の会場に木材を移しインスタレーションを組んでまた展示、という期間があった。いわば自転車操業的に展示をこなしていたのだが、彼はそうした展示ごとにも写真と日英両語の文章で記録をとり、出版物としてパンフレットを作成していた。最新の著書でも「記録に対するこだわり」を自分なりの「アーティストとして重要な点」の一つとして述べているほどである★1
しかしその彼がそれまでの制作活動、あるいは当のその「プロジェクト」の歩みを集積して「アーカイヴ」という形で示すことを始めたのは、決して初期からではない。1996年に始まった「コールマイン田川」がその嚆矢であろう。そこでは年に1〜2回、川俣が以前の炭坑町・福岡県田川市を訪れることで開かれたイヴェントと、それに並行して進められた作業とが「クロニクル」として日ごとに記録され、パンフレットに記された。さらに1999年の同プロジェクトではサイトの一角に「カタログ・資料などを入れる」「ライブラリー・資料室」★2が計画され、同年中に設置されている。この関心は豊田市美術館でのコミッション・ワーク「ワーク・イン・プログレス豊田」に先立つ1999年の刊行物に「クロニクル」が含められていることにも表われているが、最大限に明示されたのは2001年に水戸芸術館で開かれた「デイリー・ニュース」展と、それに付随して出版された『Book in Progress 川俣正デイリーニュース』だろう。 同書は基本的には、水戸芸術館の森司氏から個展の依頼を受けた2000年9月13日から、翌年11月初頭に始まる水戸の展覧会の直前である2001年9月末までの川俣が、どこで何を行なったか日単位で時系列順に載せたもので、500頁にも届かんとする大部なものである。つまり通常ならアーカイヴとしてプロジェクト・サイトの脇などに置かれ、関心のある人の閲覧ないし展示の一環に供されるところのダイアリーが、出版物としてまさに公刊されたわけである。しかし巻頭には時系列を超えて2001年8月の磯崎新との対談が掲げられている。そこでは磯崎自身がダイアリーを限定部数ながら公刊したことに川俣が冒頭で言及している。同書のために設定された対談であること以上に、同書全体の性格であるダイアリーという形式をめぐる議論が対談の目的に据えられ、それゆえに冒頭に置かれたといえる。

プロセスの必然性

この対談で川俣はプロセスをダイアリーという形で公にすることへの関心を表明しているが、磯崎は公開という点にはさほどの重きを置いていない。むしろ当初から最後まで見通すタイプのプランニング=計画に対し、それが無効となったアンチ・ファシズムの時代の都市建築において、経過を見ながら設計を進めていくこと、つまりプロセスを掲げることに重点を置いている。これには磯崎が手がけるような規模、たとえば公的施設や都市規模の複合施設の設計にはあまりに多数のステイクホルダーがおり、建設期間も長くなるため、計画時点から竣工までの全体を見通しにくいという、建築家一般というよりは磯崎、ないし磯崎の世代固有の事情も働いているだろう(つまり、住宅設計ならば磯崎が語るような混乱が起こることは比較的少ないはずだ)。「海市」展★3の混乱を予測した『UNBUILT』★4の建築家磯崎にとって、プロセスは必ずしも最終形態の実現とは結びつかない。「[落成した]後は極端に言うと僕はもう関係ないんです」★5という類の発言が繰り返されていることは、逆に落成以前のプロセスそのもの(その具現化としては、構想時点でのイメージをドローイングに定着させた「還元」シリーズなどが挙げられる)と「僕」との強い関係を示唆している、 一方、川俣は「コールマイン田川」のフリートークで、おそらくはプロジェクトそのものについてであろうが、「[誰かが]関わることによってどんどん僕の手から離れていくということが必要だと思う。客体視するということが絶対に必要だと思う」と述べている★6。彼は水戸芸術館の「デイリー・ニュース」展でも、展示室に積み重ねられた150tの新聞紙と、それを取り巻く通常の流通システム、また川俣が介入してできた自前の流通システム(つまり、古紙工場に搬入される前の新聞紙が水戸芸術館に集められ、展示終了後再び回収されていくもの)そのものが、個人の表現を超えたところで作品として自立することを願っていただろう。ゆえに、プロジェクトがある一つの形態に収斂していく過程を公にすることも、その形態ないしプロジェクトが個人の表現を超えた自立性をもつものになるために必要な所作だといえる。あるいは、川俣正という一アーティストの1年の動きを公にすることも、そのアーティストが個人名を超えた自立性をもつ、ある種の匿名性をもったマシンとして自立することを狙っていたのかもしれない。どちらも、アーカイヴの整備を基盤としてはじめて展開する試みである。次回の越後妻有トリエンナーレでも、川俣はアーカイヴへの関心を全面的に押し出す予定であるという。
建築家の磯崎にとってのアーカイヴは、自らの署名がどこまで有効で、(自ら設計したはずの)建築がどこで建築家の名から放たれるかを確かめるためのものである。事実、一部の有名建築家の作品以外、ほとんどの人はその建物を誰が設計したのか関心を払うこともない。それでなくとも、発注者、構造や設備などの共同設計者、各種工事を担当する業者やその下請け、使用者といったさまざまな主体の力が錯綜しているし、建築プロジェクトであろうとそれ以外であろうと、さまざまな主体がそれぞれの思惑で磯崎と接し、当該のプロジェクトに力を及ぼす。本人にはダイアリーをつけること、ましてその公開への欲望はさほどなさそうではあるが、それには磯崎を取り巻くスタッフの働きなどが関与しているだろうから、ここではさほど重要ではない。一方美術家の川俣にとってのアーカイヴは、どこまで行っても個人名と結びつけられ、作者の「自己/内面」の表現であることを宿命づけられるかのような、近代美学において決して卓越的ではなかったはずの思想をベースとした作品理解を崩すためのものである。新聞の「首相動静」欄のような、ほとんど公人であるかのような身振りをとることは、各種の政策が総理大臣の「自己/内面」を示しているとは考えにくいのと同様に、そのプロジェクトが権利上誰にでも開かれており、いわばヒアリングの過程を踏んで実行されていることを示している。自らの発明したシステムをかりにインストールすることで、そのプロジェクトを取り巻く社会の力を測定するのが、川俣の働きであるといえる。この視点に限って言えば川俣正の署名が入ることは、法律案の最後や、街中でよく見る各種官庁の感謝状の類に総理大臣や国務大臣の署名が入ることと、とりあえず同列に語ることができよう。

アーカイヴと署名

磯崎は建築家の署名がどこまで有効かを測定するためにアーカイヴを利用する。川俣は美術家の署名につきまとうある種の思い込みを解除するためにアーカイヴを利用する。最後に、建築家の署名がそもそも成立するのかを測定するためにアーカイヴを利用している例に少しだけ触れて本稿を終わる。藤村龍至の手法である。
彼らが掲げる「批判的工学主義」についての解説は、すでに幾度も公になっている(そのたびにヴァージョンアップされていることも、ここで触れる藤村の設計手法の応用である)ので本稿では割愛する。そこから導かれる藤村独自の「超線形プロセス」は、商業主義、ないし彼らの言うところの純粋工学主義にドライヴされたスピードと、建築家という職能のよりどころとなる複雑さ、藤村が言うところの「濃密さ」とを両立させるための手法である。当初仮定したとりあえずの設計から、複数の設計要素を「総合判断して」ジャンプすることも、分岐して複数の案を作ることも、後戻りして元の案を検討し直すこともないまま最終的な設計に到達する。つまり自然淘汰なき進化、あるいは生命の発生過程に擬される彼独自の建築設計の漸進的な向上手法が「超線形プロセス」と呼ばれるものである。
そのプロセスの重要な役割は、実は模型という形で残された彼らの検討プロセスのログ、あるいは設計要素=「変数」の一操作ごとに残されたダイアリーであり、それが集積されたアーカイヴである。過去の操作を保存する模型群は、設計の"Undo"操作を保証するためではなく、むしろ一つの「変数」を読み込んだときの操作を保存し、そのベクトルを無効にしないようにするためのものと考えられる。そうしたベクトルの集積が、検索ないし比較の過程を具現化し、そこに建築家の職能を見いだす──というのが藤村の議論である。ここでも、アーカイヴの意義が別の形で読み込まれていることが理解できよう。
こうしたアーカイヴの重視は、おそらく方法論のドラスティックな進歩が見込まれているときに、見込まれた将来の方法論を適用する材料を集める過程を軽減することが目論まれている★7。おそらく、建築でも美術でも、そのような予感が広範に共有されているのだろう。

★1──川俣正『オン・ザ・ウェイ 川俣正のアートレスな旅』(角川学芸出版、2008)pp.183-4。
★2──『川俣正コールマイン田川 1999 october/november』(同実行委員会1999)p.7。
★3──磯崎新企画「海市──もうひとつのユートピア」展(1997年4月19日-7月13日、NTTインターコミュニケーションセンター)。磯崎が準備した、珠江デルタに築かれるという設定の海上都市を象った5mほどの模型に毎週一人ずつ12人が手を加えていく方法で、目標なき都市の生成を狙う「ヴィジターズ」など、複数の主体が都市設計に携わることを集中的にスタディする展示だった。磯崎新監修『海市──もうひとつのユートピア』(NTT出版、1998)。
★4──磯崎新『UNBUILT──反建築史』(TOTO出版、2001)。
★5──川俣正『Book in Progress 川俣正デイリーニュース』(INAX出版、2001)p.24。
★6──註2に同じ、p.11。
★7──たとえば、視覚科学におけるvisiomeなど。

あまない・だいき
1980年東京生まれ。2008年東京大学大学院(美学芸術学)博士課程単位取得満期退学。現在日本学術振興会特別研究員(PD、大阪大学)、國學院大学兼任講師。共訳書にエイドリアン・フォーティー『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会2006)、共著書に柳沢田実編『ディスポジション:配置としての世界』(現代企画室2008)。分離派建築会についての論文を準備中。


200907

特集 建築とアートの新しい関係


ARCHITECT TOKYO 2009──アート・ギャラリーで建築展を開くという試み
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