今となっては、建築写真が存在しないということはちょっと想像しにくい
Adolf Loos: Works and Projects, Skira, 2007.
Carlo Scarpa: Architecture and Design, Rizzoli Intl Pubns, 2007.
Robert Elwall, Building with Light, Merrell Holberton, 2004.
Photography and Architecture, 1839-1939, Mit Pr., 1985.
Candida Hofer Libraries, Schirmer/Mosel Verlag Gmbh, 2006.
建築についての情報を得る際にしても、建築についての記憶を辿る際にしても、建築写真を抜きにしては考えにくい。われわれがある建築を思い出すときに頭に浮かぶイメージも、実際に見た姿ではなく、本に載っていた建築写真であることは多いだろう。実際の経験とはあいまいなことも多いから、写真家によって作られた明快で強いイメージが、われわれの記憶として代わりに定着されているのである。
建築の長い歴史に比すれば、建築写真の存在は1世紀半ほどにすぎないが、それ以前に建築家や一般の人々が、どのように建築のイメージを保存していたかを想像することは今となってはかなり難しい(建築写真の登場以降、建築の認識のされ方、記憶のされ方というのは、それ以前とはまったく異なるものになってしまったのだろう)。わわれは実際には訪れていなくとも、その建物をよく知っていると思うことは可能であるし、訪れたことのない建物について良い悪いと意見を述べることは普通である。だが《サヴォア邸》のような著名な建物であれば足を運んだことのある人は多いだろうが、いったいどれだけの人が、レムやズントーの近作や桂離宮を見ているのだろうか。ここでは体験していないことを問題としているのではない。実際には見ていなくとも、あたかも知っているように振る舞うことを可能にしている、それが建築写真だということを確認しておきたいのである。
たとえばジュリアス・シュルマンによるケース・スタディ・ハウスNo.22の写真や石元泰博による桂離宮の写真など、その建築のイメージを決定付けた写真があり、われわれはその建築はそのようなものだと刷り込まれていることがままある。なので、同じ建物の他の写真家による写真を目にすると、これは知っている建築ではないと戸惑いを覚えることすらある。
ラルフ・ブロックによる『Adolf Loos: Works and Projects』とグイド・ベルトラミニとイタロ・ザンニエルによる『Carlo Scarpa: Architecture and Design』は、すでに巨匠として広く認知されている建築家の作品を再度撮影しなおし、今日の目で捉えなおそうとしている。ともにそれぞれの建築家の作品を網羅しようと企図され、彼らの活動の幅についても新しい知見を得ることができる。
ロースの本は、カラー写真においては、すべてフィリップ・リュオーが近年撮り直したものだが、この写真家は日本の読者には馴染みがある。というのも『建築文化』の誌上で、ル・コルビュジエ(1996)、ミース(1998)、ロース(2002)といったモダンマスターの建築写真を発表しているからだ。なので、この本にも『建築文化』の写真と重なるものもあるが、その他のいくぶんマイナーな建物まで、新たに撮り下ろされているのは素晴らしい。この本は、前半はロースの評伝、後半は作品という構成になっており、作品にはそれぞれ新たに描き起こされた図面が付されている。ロースは、重要な建築家であるにもかかわらず、入手しやすくかつ内容のともった作品集がない状態が続いていたが、これからは大丈夫だ。この本が今後のロース探求のスタンダードとなるだろう★1。
スカルパの本は、没後30年近くが経ち、この建築家の作品を整理し網羅しようという試みが、一段落した成果として受け止められるであろう。実作43点が解説と図面をともなって収録されているが、これまでほとんど知られていなかった作品も多く含まれている。ページをめくるたびに、この建築家の新しい側面を発見するような楽しさがある一冊だ。この本も、今後のスカルパ研究のベースとなるものだろう。
建築写真が載っている本はもちろん無数にあるが、建築における写真の重要性にもかかわらず、建築写真の歴史を概観するような試みは、まだほとんどなされていないのが現状だ。これは、同じく建築にとって切り離すことができないドローイングやスケッチに関する本が、すでにいくつも出ていることとは対照的だ。
ロバート・エルウエルの『Building with Light』は、写真の誕生の時期から、現代に至るまでの、建築写真を通観する好著である。写真発明の時期にあって、人物と並んで建築は、その対象として重要な位置を占めていたことはよく知られている。そして、フランスでの国家的試みを典型に、世界の建築遺産を保存するツールとして、写真の可能性が認められた。そのほぼ同時期(1850年代)に、ロンドンにおいては《クリスタル・パレス》の、パリにおいては《ルーブル美術館》の、施工記録が撮影されたのは、新しい建築を記録する道具としての写真という使われ方の最初であった。1860年代には、早くも自分の建物を写真家に撮らせ、それを施主候補や同業者に見せる建築家が現われてくる。現在、建築家が普通に行なっていることが、写真の誕生後割合早い時期にすでに行なわれていたというわけだが、それだけ、写真というものが建築にとって有効な道具である証しであろう。19世紀も終わりに近づくころには、建築写真を絵葉書にしたりアルバムにしたりする専門の業者が現われる。それによって、当初は一部の者にしか手にできなかった建築写真が、広く一般に流通するようになった。これもまた今日ふつうに見られる現象の先駆けといえよう。
さてさて、この本に載っているエピソードをこのように紹介しだすときりがないが、このようにこの本は、各時代の代表的な写真数百点を掲載し、また各時代ごとに建築写真がどのような意味を持ち、また変遷してきたかをまとめている。建築写真の歴史を探るためのいい本がようやく出たといえるだろう。
少し前のものとなってしまうが、カナダのCCA(カナダ建築センター)が出版した『Photography and Architecture, 1839-1939』は、同館が保存する写真誕生から100年の間の建築写真を集めたカタログである。各写真に詳細な解説も付いている。多くは19世紀の写真の黎明期のものであり、第二次大戦前のバウハウスの時期のものまでとなっている★2。
繰り返しになるが、その誕生の時期において、写真にとって建築という被写体は不可欠なものであった。建築や都市を撮ることを通じて、自ずからの可能性を発見していった。しかし、その後も建築は写真に撮られ続けられるものの、写真の側からすれば単に多くの被写体のうちのひとつとなっていく。一方で、建築の世界においては、写真の重要度は増し続け、つまり建築写真のほとんどは、建築の関係者によって生産されるものとなる。もちろん、建築は人々の生活の身の回りにいつでもあるから、建築を主題として撮る写真家はいつの時代にでもいるが、それはけして主流とはいえなかった。
近年その状況を大きく変えたのは、ドイツのベッヒャー夫妻である。彼らは重要な写真家であると当時に、多くのすぐれた弟子たちを産み出したのだが、彼らの主題が工業的建造物であったように、彼らに続く写真家の多くもまた、建築をその主題の対象とした。そのうちの一人、カンディダ・ヘーファーは、建築や空間を対象とした、静謐な作品を作り続けている。作品集もいくつも出されているが、『Candida Hofer Libraries』は、その名のとおり、世界中の図書館の空間を対象とした作品を集めたものだ。宮殿や美術館といったビルディング・タイプに比べればいくぶん地味な印象を受ける図書館であるが、ここに収録された図書館のいくつかは、崇高なまでの雰囲気を醸し出している。人類の英知が集積され、またそこで人々が思索にふける場なのであるから、図書館という空間が、理想的なまでに魅力的に見えるのは、当たり前なのかもしれない。ウンベルト・エーコによる図書館についての論考が、序文としてつけられている。
★1──ロースの有名な発言のひとつに、「インテリアは写真に写らない」というものがある。そのロースを、建築写真の回に取り上げるのは皮肉かもしれないが、ロースの時代にあっては、建築写真というものが広く普及し始めた時期であり、それに対して不快感を隠さなかった建築家の存在ということを読み取ることが可能だ。現在、自身の建築が写真で評価されていることは、どう感じているのだろうか。
★2──各地の建築写真のアーカイブが、今後ますます充実することが期待されるが、世界にいまどのようなアーカイブがあるかという情報も、もっと流通するといい。
CCAの写真コレクションについてはCCAのサイト(http://www.cca.qc.ca)のこのページ(http://www.cca.qc.ca/pages/Niveau3.asp?page=coll_photo&lang=eng#coll_photo_1870)に、現在55,000点のコレクションがあると書いてある。
AAスクールも充実したフォトライブラリーがある(http://www.aaschool.ac.uk/photolib/)。150,000点の建築のスライドと、25,000点の学生の作品の記録があるという。
[いまむら そうへい・建築家]