議論が拓く世界──「LIVE ROUND ABOUT JOURNAL」評釈(後篇)

倉方俊輔

前篇では「LIVE ROUND ABOUT JOURNAL」(以下「LRAJ」)というイヴェントの、この批評における中心を「愛と力の関係」というテーマと、主宰者の藤村らが唱える「批判的工学主義」の2つに据えた。続いて「批判的工学主義」の趣旨を要約し、この主張が誤解を招きそうなポイントとして、1)単なる「工学主義」と混同されそうな発言の仕方と、2)「批判的工学主義」の目的と手段の分別が不明瞭であることの2点を指摘した。そのうえで、以上の誤読の種が「批判的工学主義」の理想が明示されていないからではないかと述べた。
「批判的工学主義」が社会追随型に聞こえてしまうことを危惧したといえる。スピードの時代だから表現もスピードに対応せねば、効率化の時代だから設計も効率化に対応すべきだ、コンピュータの時代だから建築もコンピュータを駆使しなければいけない等々、幾度となく繰り返されてきた光景であるかのように切り下げて捉えられてしまうと、生産的な議論にはならないだろう。

会場風景
会場風景

「力」から「愛」を
そこで浮かび上がってくるのが「愛と力の関係」というテーマである。この短くも喚起的な言葉が、持ち出されたまま放置されたようになっていることは前に述べた。
「愛」と「力」とはわかったような、わからないような言葉である。そこに発言者がどんな意味を込め、両者の関係をどのように捉えているかを示さなければ、おぼろげな印象論の交換に終始してしまいそうだ。逆に言えば、このテーマを展開させることによって、「批判的工学主義」の位置づけも、より明確になるのではないか。さらには他の手法との間に補助線を引けるかもしれない。
それは明示されていないので、ここからは「LRAJ」に刺激された評者の議論である。
最初に結論を言ってしまおう。「力」とは世の中の計量化できるもの、それに対して「愛」とは計量化できないものなのではないか。「工学主義」とは「愛」をすべて「力」に変えようとする現代の趨勢である。それに対して、「批判的工学主義」とは「力」を利用して「愛」を生み出そう──ないしは「力」を認めつつ「愛」を確保しよう──という試みである。このロジックでいくと、藤村らが「ウィリアム・モリス」や「反グローバリズム」を指して言う「抵抗運動」は、世界の中心で「愛」をただ叫ぶ人、ということになる。
「力」を利用して「愛」を生み出そう(確保しよう)とは、言うは簡単だが、相当な困難が予想される。その〈目的〉のために、さまざまな〈手段〉が模索されているのが現状であって、例えば藤村の「超線形設計プロセス論」も、そのひとつに入ることになる。今回の「LRAJ」は、図らずもそうした現代の〈目的〉の共通性を浮き上がらせた。
「批判的工学主義」が、「力」には「力」をではなく、実際には不可能な「力」からの逃避を叫ぶのでもないとしたら、そのためにはどんな〈手段〉が効果的なのか? それが次に問われることになろう。

自らに向けられた「力」
以上の結論に向かうために、「愛」対「力」の構図は無意味だという話から始めたい。そこには「愛」への信仰がある。
「力」というと悪いもののようだが、であればなぜ、悪いもので世界がまわっているのだろう。われわれが望まないものが、増えるわけはない。「力」が猛威を振るっているとすれば、それは私たちが望むものだからだろう。
一言で言えば「力」は公正だが、「愛」は不公正である。特定のものを受け入れ、特定のものを受け入れない。それが「愛」の本質ではないか。「愛」はどんな公正そうな理屈や正義や金銭を目の前にしても──その時は──揺らがず、時に偏りを正当化するもの。もちろん、遍く世界を覆う愛が達成されることが望ましいが、それは隣り合ったものへの「偏愛」から一歩一歩進む他はない。一足飛びに距離を消去できるような、観念ではないのである。公正を望むなら、「愛」は撲滅するのがいい。そんなわけで、私たちは計量化=近代化を、自分たち自身に対しても向けることになった。愛なきスマイルを買って帰り、偏っていると思われないようネット上の書き込みすら自己検閲して、眠りにつくことになったのである。
いま話題にしているのは、ハードな「力」──むき出しの暴力や権力など──ではなく、もっとスマートな「力」である。相互監視や公正さといった、私たちが望んでいる「力」である。
しかし、一方で、私たちは「愛」なしに生きることはできない。なぜなら、他の誰でもない自己を愛するがゆえに、生存しているからである。食料を手に入れ、あからさまな暴力──と今では見えるもの──を耐え忍び、私たちは過去が望んだものを達成したにもかかわらず、今ほど人が「愛」を渇望している時はないのかもしれない。純愛信仰、まちおこしブーム、愛国ムード、反グローバリズム意識......、それらはたとえ滑稽に見えるものであったとしても、私たちの幸せの背後で鳴る、耳には聞こえない低音の反映に思える。私の経験のすべてが計量化でき、他人と交換可能だとしたら、私たちは生きていると言えるのだろうか。そんな囁きが反映した不安である。しかし、どうやったら自らが招いた「力」の専制を逃れられるのか。

真に必要なのは、「愛」を全面化しろと叫ぶファシストでも、つかの間の「愛」──実は「力」──で魅惑するホストでもなく、「力」を利用しながらその一部で「愛」を達成させる持続可能なメカニズムを生み出せるアーキテクトであろう。アーキテクトと言うからには、ITアーキテクトであっても構わない。しかし、これは実体のあるモノのほうがはるかに強い。「愛」は隣接的なものだからだ。「力」を「愛」に変えるか、「力」の効能を認めたうえで「愛」を確保するような、動的な調和が確保されるメカニズムが求められている。そこで〈建築〉が問題になってくる。
安穏とした前提に甘えて、建築の逸脱や戯れを語っていれば良い時期は過ぎた。建築はそこまで追い詰められたともいえる。だが、逆に捉えれば、期待は大きいのである。建築がブームであることも、若手デザイナーがプロダクトから都市までも自然に射程に入れていることも、故無きことではない。
建築は世界を救えるか? こう言ってしまうと「力」の競争に勝ち抜くための「愛」のキャッチコピーのようだが、「批判的工学主義」として抽出した事柄は、そうした根本が焦点になってきた現状を指し示しているのだろう。

「かた」を議論する場所
いま必要なのは、すべての人を包含しながら、各人に自らの交換不可能性を実感させるための具体的な方法。言い換えれば、「力」の中に「愛」の領域を生み出すための具体的な方法である。「か」、「かた」、「かたち」という言葉を借りれば、「かた」にあたるものと言っていい。「か」(=本質)を議論することや「かたち」(=作品)を紹介する以上に、「かた」(=方法/システム/タイプ)を説明し、解釈し、評価することが、もっとなされるべきではないか。「かた」は設計者の個性や作品といったん離れて、応用が可能である。それが全体の向上に寄与する。モダニズムにおけるル・コルビュジエのような「フォーム・ギヴァー」が求められる。他のメディアに置き換えがたい建築としての解法は、結局のところ、デザイナーそれぞれが創出するほかはないのだが、その過程で意見の流通は役割を果たすだろう。

「ROUND ABOUT JOURNAL」の試みは、それを生み出すための新たな「サロン」として期待される。「サロン」というと閉じた存在のようにも感じられるが、そうではない。ここでは特に、常に漂泊し、筋書きなく、異分子と出会おうとする議論意見交換の場としての性格が強められている。現実で対面することと、インターネット上で出会うことは大きく異なる。けれど、オープンエンドな性格においては共通している。その両輪を駆使して、旧来のジャーナリズムの限界を乗り越えようとしている。そんな「サロン」の生成が「LRAJ」を含む一連の「ROUND ABOUT JOURNAL」と関連イヴェントの最大の価値に思える。それを通じて、「愛と力の関係」というアクチュアルな問題が、ますます深められていくはずであり、展開を注視したい。

[くらかた しゅんすけ・建築史]
http://kntkyk.blog24.fc2.com/


200808


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