瑞々しい建築思考
Patrick Beauce, Bernard Cache, Objectile: Fast-Wood: A Brouillon Project,
Springer, 2007.
Shaun Murray, Disturbing Territories,
Springer, 2006.
Log 8, Summer, 2006
Anyone Corporation.
Log 9, Spring, 2007
Anyone Corporation.
瑞々しい(みずみずしい)。新しい建築という表現はよく聞く。では、瑞々しい建築とはどういうものか。新しさとは、以前からあるものとは異なる価値を持つものを指す。瑞々しさといった場合には、それに鮮度のようなニュアンスが加わる。採れたての野菜や果物に冠され、滋味溢れ、口にすると思わず笑みが浮かぶような。
時代や技術が変われば、自然と新しいものは生まれてくる。これまでにない建築が建てられ、しかしそれだけでその建物を評価できるのであろうか。変化の時代にあるから、それに乗るだけでも次々と新しい装いの建物は生産される。近代とは、新しさに重さを置いたから、そのことからも自動的に新しいものに更新することにわれわれは慣れてしまっている。
また、一方で建築には本質的に保守的な側面があり、法規や経済や慣習や技術といったものの強い制約下にあるから、そうそうがらりと新しいものを生み出すのは難しい。しかし、だからこそなんだか今までと異なる装いをまとわせることによって、革命的な建築が生まれたと勘違いさせることは容易だ。このところのザハ・ハディドやフランク・ゲーリーに代表される、自由奔放な建築形態の建築は、これまでにあった形の制約を取り払ったことにより、一見革新的なことを行なっているように見えるが、実はかなり安易にものごとを組み立てている事実がある。もちろん、彼らの建物には本当に優れたものが多いことを前提にしての話である。僕自身、彼らの探求がどこまで到達するのかを、興奮をもともなって注目していることを隠すものではない。しかし、こうした傾向の危険さは多くの人たちが感じているだろうし、そのことをきちんと議論すべき時期にあるのではないか。
2004年に、ドイツのハンブルグにiCP(Institute for Cultural Policy)という組織だかグループが誕生した。名称を直訳すると、文化政策協会となにやらいかめしく、政府直属の組織のような印象を受けるが、インディペンデントの活動を行なっているグループのようである(だからこの名称も、一種のユーモアとして捉えればいいのだろう★1)。彼らは、ここ数年精力的に建築の展覧会、出版を行ない、それらのシリーズはConsequence: Book Series on Fresh Architectureと名づけられている(実は、この連載の2つ前でも少し触れたラウール・ブンショーテンの本が、このシリーズの一冊であり、ほかに取り寄せた2冊を今回手にし、実はこのiCPの活動がとても興味深いことに気付いた次第である)。全部で8冊のこのシリーズのうち、まだ3冊しか入手していないので、全体像をきちんと捉えているわけではないのだが、Freshすなわち瑞々しく、生きのいい建築活動を紹介するものとして理解していいだろう。ロンドンのAAスクールや、ベルリンのアエダス・ギャラリーなど、いくぶんアンダーグラウンド気味の活動が、新しい才能を発見し世に送り出してきた例はこれまでにもいくつかある。このiCPがそのような場となることを大いに期待するものだ。
さて、今回紹介するもののうち1冊は、オブジェクティル(ベルナール・カッシュ+パトリック・ボーゼ)による『Objectile: Bernard Cache + Patrick Beaucé: ImageFast Wood: A Brouillon Project』で、彼らは政府のバックアップを受けかなりの規模の体制で研究を続けているし、日本でも数年前のアーキラボ展において紹介され、来日しているので、すでにマイナーな存在とはいえないのだが、それでもこの小冊子は彼らの最近の活動をまとめて紹介する初めての本であるようだ★2。この冊子には、オブジェクティルがiCPの展覧会で紹介したFast- Wood: A Brouillon Projectや2003年にポンピドゥー・センターで開かれた「ノン・スタンダード展」の際に発表されたテキスト「Toward a Non Standard Mode of Production」などが収録されている。ノン・スタンダードすなわち非線形といっても、彫刻的で結果高価なオブジェを作ることには、カッシュは反対だ。このBrouillon Projectも、台形の合板がいくつか組み合わさり、互いに木製の楔で留められているようなものだが、それらはデザインのシステムと生産のシステムをぴったりと一致させることから産み出されているものなのだ。
もう一冊の『Shaun Murray ImageDisturbing Territories』は、ショーン・マレイによる、Disturbing Territories と名づけられたプロジェクト群で、10年ほど前から、彼がまだロンドン大学バートレット校の学生であった頃からのいくつかのプロジェクトが収められている。収録されている解説によると、マレイのプロジェクトは、バートレット在学中から抜きん出ていたものであったらしく、ここでも最新のテクノロジーが自然環境の中で振る舞いを見せる、詩的ともいえるヴィジョンが提出されている。正直、オブジェクティルにしてもショーン・マレイにしても、プロジェクトは新鮮で魅力的なのだが、紙面からその意味するものを読み取ることはなかなか困難だ。テキストにしても作品のわかりやすい説明といったものであるよりも、彼らのヴィジョンを表明するものであって、作品とテキストとの間にはギャップがあるもどかしさは否めないの。ただ、それもまた未知の試みの可能性としてわれわれの想像力を刺激するし、またおそらく作者たちにとっても、次への製作へと向かわせるモチベーションになっているのではないだろうかと思う。
さて、この連載で何度か取り上げている、NY発の理論誌『Log』の近刊を見ておこう。
『Log』は通常特集という形式を持たないが、第8号では「サステイナブル建築とランドスケープの批評をめざして」というタイトルが掲げられている。かつて磯崎新は、エコロジーの問題は設備技術の問題であって、建築の問題ではないという主旨の発言をしたことがあるが★3、環境問題が今世紀の主要なテーマであることは今の時点ではすでにだれも否定しないだろうが、それが建築の問題としてはまだほとんど考えられていないというのが現状である。こうした『Log』のような理論誌が、エコロジーで特集を組むあたり、時代の潮目が来たと感じられる。
『Log』の9号は、マンフリッド・タフーリに関する論考やアルド・ロッシの初期の作品に関する論考、ザハ・ハディドのグッゲンハイムでの展覧会評、ベイルートについてやナチの建築についてなどさまざまなテキストが集められているが、特徴的なのは(編集者も記しているように)、10本のテキストのうち3本が翻訳ものだということだ。以前、知り合いのアメリカ人から、『Log』は所詮東海岸の小さなサークルのおしゃべりみたいなものとの風評を聞いたことをあるが、翻訳テキストが増えてきているということは、この小さな冊子の射程が国際的になってきているように思える。
★1──未読であるが、ピーター・クックが、2005年の12月に『Architectural Review』において、このiCPについて書いているようで、そのなかでも、「ふざけた名称だ」とコメントを寄せている。iCPのサイトは、http://i-c-p.org/。ちなみに、サイトで見る限り、これまでの企画は実験的ながらも建築系のものだったようだが、iCPの活動そのものは、建築、アート、サイエンス、工業を横断するものと、位置づけられている。
★2──ベルナール・カッシュの主著『Earth Move』は、以前この連載で取り上げているので、参照されたい(https://www.10plus1.jp/review/kaigai/index0306.html)。 また、この著作のうち「歴史」と題された章が、『10+1』No.40 に訳されている(「柔らかい大地──テリトリーを備えつける」)。
★3──「サステイナビリティとは、大抵文化的美徳もしくは文化的啓蒙のプロセスとして、一般の社会で(建築家によってではなく)考えられている」『Log 8』所収のMark Jarzombek のテキストより。
ここでも、環境問題は、建築家の領域として考えられていないことが確認できる。
[いまむら そうへい・建築家]