世界建築レポート[2] Lasting Legacy London(ロンドン、永続なる都市の遺産)

白井宏昌

2012年・夏季オリンピック開催都市をめぐる都市間の競争は、オリンピック史上最も激しかったと言われている。最終選考に残った都市は、パリ・ニューヨーク・マドリッド・モスクワそしてロンドン。これらは世界を代表する大都市であり、オリンピック開催都市選挙は2週間のスポーツの祭典の場をめぐる戦いというより、むしろそれぞれの都市の威厳をかけた戦いといえるほど加熱したものであった。このような激戦を経て、ロンドンは自身三回目となるオリンピック開催の権利を得たが、都市はその実現に向けさらなる試練に挑むことになる。本レポートでは、ロンドンがオリンピック開催を決めてから今日にいたるまでの都市の変遷を、過去のオリンピックの事例も踏まえながら報告する。

[左]「甘い一言、ロンドン」、[右]「敗者」
引用出典=2005年7月7日、Guardian紙

1908年、ホワイト・シティー
ロンドンにとっての最初のオリンピックは、1908年、「フランス・ブリティッシュ博覧会」に併設というかたちで行なわれた。開催地はロンドン西部のホワイト・シティー。数々のパヴィリオンと遊具施設が存在するなかに、オリンピック・スタジアムが建設されたが、これは近代オリンピック史上初のオリンピック・スタジアムである。約100,000の観客席を持ち、陸上用トラックの内側にはスイミングプール、体操種目用グラウンドなどが配された(この集約型の競技施設は観客がそれぞれの競技に集中しにくいという理由で避けられ、後に競技施設の個別化が計られることになる)。しかし、近代オリンピック初のホワイト・シティー・スタジアムにとって悲劇だったのは、大会終了後である。このスタジアムは、その後、日常的に利用するにはあまりにも大きすぎたのだ。オリンピック後は、陸上用トラックが、ドッグレースや自動車レース場に改良されたり、トラック内のフィールドがサッカー、あるいは野球(イギリスでは非常に人気がない)場として転用されたりと、観客を引き寄せるためのさまざまな試みがなされた。しかしながら、根本的な解決策を見つけることはできず、1989年ついに、近代オリンピック史上初のスタジアムはBBC本社建設のため、取り壊されることになった。今日、スタジアムの面影が残るのは、わずかにBBCの建物に飾られた記念のプレートと、地面に残された当時の100m走のスタートラインだけである。今からおおよそ100年前に建てられた、近代オリンピック初のスタジアムは、今日のオリンピックが抱えている問題、すなわち「オリンピック後の利用の難しさ」をすでに示していたのだ。そして、この問題は2012年にオリンピックを迎えるロンドンにとっても最重要課題となり、その計画の中心を占めることになる。

1908年、ロンドン・オリンピックポスターとホワイト・シティー・スタジアム
引用出典=[左]The IOC、[右]当時のポストカードより

1948年、ウェンブレー
ロンドン初のオリンピックから40年の歳月を経て、オリンピック・ムーブメントは再びロンドンの地にやって来る。しかしながらこのオリンピックは、第二次世界大戦終結から3年しか経っていないこともあり、競技施設はすべて既存のもの、選手の宿舎となるオリンピック・ヴィレッジはイギリス軍の兵舎を利用し、なんとか開催に漕ぎ着けたというものであった。このようななか、メインスタジアムには戦災を逃れたロンドンの北西部にあるウェンブレー・スタジアムが選ばれた。このスタジアムも元々、大英帝国博覧会の中心施設として建設され、1923年にオープンしたのだが、その後はFAカップ(イギリス、サッカー国内トーナメント)決勝の場、イギリスサッカーの聖地としての地位を確立していった。オリンピックはその聖地を一部改造して使用したのである。オリンピック後もウェンブレー・スタジアムはイギリスサッカーの中心として、さらにはクイーンや、ライブエイドといった歴史的なロックコンサート会場として、そのステイタスを維持してきた。しかしその聖地にも物理的代替が必要となり、ノーマン・フォスターがその設計を引き受けることになる。90,000の客席を持つ新しいスタジアムは、その屋根を支えるアーチが「聖なるスタジアム」としての象徴を作り出すことを目的として建設が始まり、2007年4月にようやく、再オープンとなった。新しく生まれ変わった、サッカーの聖地、ウェンブレー・スタジアムは、2012年のオリンピックでもサッカー競技場として使用される予定であるが、ここでひとつの疑問が生じる。「この新しいスタジアムはなぜ、2012年オリンピックのメインスタジアムとして使用されなかったのだろうか?」これは現在でも市民の間で大きな疑問となっている。

池沢の家 最後の教室
[上]1948年、ロンドン・オリンピックポスターと旧ウェンブレー・スタジアム
引用出典=[左]The IOC、[右]URL=www.manutdzone.com
[下]2007年6月にオープンした、ノーマンフォスター設計による新ウェンブレー・ スタジアム
(引用出典=Architectural Record誌)

2012年、ストラット・フォード
1908年、1948年のオリンピックを経て、2012年、ロンドン・オリンピックのメイン会場はロンドンの東側地区、ストラット・フォードに600ヘクタールのオリンピック・パークとして新たに建設される。ここはイギリス国内で最も貧しいと言われる地区のひとつであり、オリンピック開催はこの地区の再開発のきっかけとなることが期待されている。そしてロンドンにとってさらに重要な意味を持つのは、ストラット・フォードが、今後ヨーロッパ本土から運行されるTGVの停車駅となる点である。これによりこの地区は、ヨーロッパ本土からやってくる人々にとって新たなロンドンの玄関となり、ヨーロッパ本土からは直接オリンピック会場にアクセスすることが可能となるのだ。

オリンピック・パークの基本マスタープランは横浜客船ターミナルを設計したFOA(Foreign Office Architecture)、そこにザハ・ハディド設計による水泳競技場などが配置される。しかし、ここで、オリンピック組織委員会が重用視したのは各々のデザインが持つ象徴性の構築というより、オリンピック後いかにそれらの施設を利用し続けるかという永続性の追求である。ロンドンが掲げた施設計画では、「オリンピック前にオリンピック後をデザインする」というレガシー・プランニング(遺産の計画)に重点が置かれているのだ。そして、レガシー・プランニングの採用は「近代オリンピックが絶えず持ち続けた問題をロンドンが救う」という、なんとも魅力的な響きとなって、ロンドンが開催都市選挙を勝ち抜き、オリンピックを自らの都市にもたらすのにも一役買ったのである。それ故、ロンドンには、オリンピック期間中、オリンピック後という2つのオリンピック完成予想図が計画の早い段階から用意されていたのだ。

池沢の家 最後の教室
[左]2012年、ロンドン・オリンピック完成予想図(大会期間中)
[右]2012年、ロンドン・オリンピック完成予想図(大会終了後)
(上記2イメージは開催都市選挙時のイメージ)
引用出典=London 2012 Olympic Delivery Authority

オリンピック・パーク内の競技施設は大きく、仮設でつくり大会終了後は解体するものと、恒久的に残す施設とに分類することができる。さらには恒久的施設であるメインスタジアムや水泳競技場も、大会終了後はその規模を縮小できるように、あらかじめ設計されているのだ。メインスタジアムはオリンピック期間中には80,000席の規模であるが、オリンピック後は25,000席に縮小されることが可能な設計となっており、オリンピック・パーク内には、大会終了後は巨大なスポーツ施設は残らず、一般利用が可能な規模の施設が点在することになる。また、オリンピック選手の宿舎であるオリンピック・ヴィレッジは大会終了後、地元住民のためのソーシャル・ハウジングへと転用されることが計画されている。

しかしながら、ロンドンが打ち出したレガシー・プランニングはある種の逆説的な状況も生み出している。というのも本来、貧しい人々により良い環境を与える目的で、オリンピック後の計画がなされたが、オリンピックの誘致は、この地区の価値を否応無しに高めることになってしまった。その結果、ストラット・フォード地区は高級化され、いままでの住民はもはやそこに住むことが経済的に困難である。新たにこの地区にやってくるのは、経済的に裕福で、オリンピック効果を享受できるアッパーミドル層であり、既存の住民はこの地から出て行かなくてはならないと予想されている。地域地区のブランド化による再開発の困難さがここに露呈しているのだ。

ギャラリー手会場風景
「貧しいコミュニティーのためのオリンピックへの期待」
引用出典=2006年10月19日、Guardian紙

2000年、グリニッチ
ここで、もうひとつのオリンピック主要施設、体操競技会場である「ドーム」に触れておこう。2000年、イギリス政府はミレニアム事業の一環として、ロンドン南東部、グリニッチに、リチャード・ロジャース設計のミレニアムドームを建設した。内部にはザハ・ハディドらによるパヴィリオンが作られ、千年紀の祭りの場として1年間ほど使用されたのだが、ミレニアムドームはその後、ほとんど使用されず、維持費だけがかかるという悲惨な運命をたどることとなる。ミレニアム事業を終えた巨大建築は、もはやミレニアムドームではなく、なかば廃虚と化していた。都市政策学者のアンディー・ソーンリーはこの状態を「ドーム・アローン」と呼び、メガ・プロジェクトが地域から完全に孤立してしまった状況を批判した。しかしながら2005年、「ドーム」は新たに「O2」(イギリスの携帯会社)という名の施設として生まれ変わることが決まり、2007年、夏のオープンを目指し、目下修復・改築が進行中である。それでもこの建物にはさらなる機能付加が必要であり、最近ではスーパーカジノの誘致に乗り出したものの、それも失敗に終わってしまっている(イギリスではカジノは規模により、その建設数が限定されており、コンペティションの結果、スーパーカジノはマンチェスターに建てられることになったのだ)。2012年、オリンピックの体操競技場がオリンピック・パークに新たに作られるのではなく、ドームをその競技場とするという判断は、ドームにとって新たなるチャンスとなるのだろうか?

ギャラリー手会場風景
「ドームはスーパーカジノを失った」
引用出典=2007年1月30日付、Evening Standard紙

2012年にむけて。ロンドン市民の関心
最後にオリンピック開催の準備を進めるロンドンにおいて、市民の最も大きな関心事を2つ述べておこう。ロンドンがそのオリンピック・ヴィジョンの実現に苦労している大きな問題のひとつはコストである。オリンピックを開催するのに、一体いくらかかるだろうか? コストの問題はオリンピック都市にとって常に大きな問題であり、市民の一番の関心事である。ロンドン・オリンピックの立候補段階でのコストは23億7千5百万ポンド(約570億円)であった。しかし、この数字はオリンピック開催決定後上昇を続け、2007年3月に正式発表された修正金額では93億ポンド(約2兆2千億円)と当初の4倍ほどの金額に膨れ上がった。この額はロンドン市の1年間の予算に匹敵する数字である(これは競技施設やインフラストラクチャー整備費にかかる金額で、大会運営費はIOCから予算が割り当てられるため、この額には含まれていない)。そして、この金額はさらに膨れ上がり、最終的な金額はオリンピック開催直前まで分からないとい言われている。市民にとって、オリンピックはまさに「高い買い物」であり、その買い物に自分たちの税金がどれだけ使われるかは、当然のことながら、市民の大きな関心事である。

[左]「いくらかかるのだろうか?」
引用出典=The London Paper 紙
[右]「なぜ、オリンピック・コストが4倍になったかわれわれに教えてくれ」
引用出典=2007年2月28日、Evening Standard 紙

市民が関心を寄せているもうひとつの事柄は2012年ロンドン・オリンピックのロゴである。2007年6月4日、オリンピック組織委員会は正式ロゴを発表したが、これが市民の間、さらには海外でも大きな論議を醸した。組織委員会の発表では、新しいロゴはこれまでのオリンピック大会のロゴとは違うもの、インターネット世代に訴えるもの、オリンピックの参加を訴えるものというコンセプトを体現するものであると説明したが、発表するや否や、すぐさま数千にものぼる反対意見が寄せられたのだ。新聞各社もそのデザイン、特にデザイン料が400,000ポンド(約9,600万円)かかっていることの是非を論じ、新たなロゴを募るコンペティションを自主的に開催したりしている。新しいロゴが大きく批判されている点に、ロゴが「ロンドンらしさ」をまったく表現していないということが上げられる。オリンピックは自らの都市を世界にアピールすべきものなのか、あるいはそのような都市間の争いのツールとなるべきではなく、よりニュートラルなものとして存在すべきなのか? このロゴをめぐる論争は都市が持つべきオリンピックの意義を問いかけているのだ。

ギャラリー手会場風景
「あなたなら2012年オリンピックのもっと良いロゴを作れる?」
中央が2012年ロンドン・オリンピックのロゴ
引用出典=2005年6月5日、The London Paper紙

[しらい ひろまさ・建築家]
1971年生。1996年早稲田大学院卒業。2001-2002年、文化庁派遣在外研修員としてOMA所属、
その後、2006年までOMAロッテルダム、北京事務所にてシニア・アーキテクトとしてCCTVプロジェクト等を担当。
2006年よりLSE(London School of Economics andPolitical science)、The Cities Programme 博士課程在籍。
http://www.lse.ac.uk/collections/cities/


200707


このエントリーをはてなブックマークに追加
INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引

PROJECT

  • パブリック・トイレのゆくえ
  • TOKYOインテリアツアー
  • 建築系ラジオ r4
  • Shelter Studies
  • 再訪『日本の民家』 瀝青会
  • TRAVEL-BOOK: GREECE
  • 4 DUTCH CITIES
  • [pics]──語りかける素材
  • 東京グラウンド
  • 地下設計製図資料集成
  • リノベーションフォーラム
『10+1』DATABASE

INFORMATIONRSS

戦後空間シンポジウム03「市民・まちづくり・広場──1960-70年代の革新自治体と都市・建築のレガシー」(港区・6/29)

1960〜70年代にかけて、東京都や横浜市など革新系首長が率いる自治体が全国に登場した。これらは高...

刊行記念イベント「建築のそれからにまつわるArchitects」乾久美子×中山英之(渋谷区・6/3)

乾久美子さん、中山英之さんの建築作品集が、それぞれLIXIL出版とTOTO出版から刊行されます。同じ...

「新しい時代のはじまり」展(神奈川県・4/20-5/6)

「旧神奈川県立近代美術館 鎌倉」が「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として生まれ変わります。 鶴岡八...

「ある編集者のユートピア──小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」(世田谷区・4/27-6/23)

編集者にしてウィリアム・モリス研究家の小野二郎(1929-1982)が生涯を通して追い求めたテーマ...

連続講義「建築とアーカイブズを巡る論点」(武蔵野市・5/11-)

近年、開催される大規模な建築展も多く、建築や建築に関する資料への関心が高まっているように感じられま...

シンポジウム「日本の近代建築を支えた構造家たち」(新宿区・5/18)

我が国の近現代建築の発展を技術的側面から支えた構造設計手法や施工法などに関する構造資料は、これまで...

「ル・コルビュジエ 絵と家具と」(渋谷区・3/29-5/18)

20世紀に最も影響を与えた建築家、ル・コルビュジエ。建築と都市計画においてのパイオニアであり紛れな...

「わたしはどこにいる? 道標(サイン)をめぐるアートとデザイン」(富山県・3/9-5/19)

「サイン」とは、人を目的地に導く目印のこと。普段意識することは少なくても、駅や空港、商業施設、美術...

「宮本隆司 いまだ見えざるところ」(目黒区・5/14-7/15)

東京都写真美術館では、現在も国内外の美術展などで発表を続ける宮本隆司の個展を開催します。宮本隆司は...

豊田市美術館リニューアル記念イベント「谷口吉生──美術館を語る」(6/15・愛知県)

豊田市美術館のリニューアルを記念して、同美術館を設計した谷口吉生のトークイベントが開催されます。 ...

日本橋高島屋と村野藤吾(中央区・3/5-5/26)

高島屋史料館TOKYOは、1970年に創設した高島屋史料館(大阪)の分館として、重要文化財である日...

NPO建築とアートの道場 2019春レクチャーシリーズ「これからの建築を考える──表現者と建築家による対話実験」(文京区・4/27-)

これからの建築を考えてみたいと思います 確固たるビジョンがあるわけではありません ただ葛藤や矛盾は...

シンポジウム「感性×知性=建築の新たなる可能性を求めて」 (港区・5/7)

21世紀も2020年代が近づき、AI、生命科学、宇宙といった新たなイノベーションが進行し人類のサス...

建築学生ワークショップ出雲2019開催説明会、講演会(東京・5/9、京都・5/16)

2019年夏、古代より現代に受け継がれてきた、わが国を代表する神聖な場所、出雲大社周辺区域にて、小...

杉戸洋「cut and restrain」(港区・3/16-4/13)

杉戸洋による展覧会が「cut and restrain」4月16日まで小山登美夫ギャラリーで開催し...

鏡と天秤─ミクスト・マテリアル・インスタレーション─(中央区・3/12-5/11)

私たちは非日常(ハレ)と日常(ケ)の境界が曖昧な社会におり、個々が非日常(ハレ)と日常(ケ)のバラ...

- Green, Green and Tropical - 木質時代の東南アジア建築展(品川区・2/6-5/6)

建築倉庫ミュージアムでは、2月6日より「- Green, Green and Tropical -...
建築インフォメーション
Twitter Feed
ページTOPヘ戻る