繊細さと雄大さの生み出す崇高なるランドスケープ
Dieter Kienast, Dieter Kienast, Birkhauser, 2004.
Charles E. Beveridge and Paul Rocheleau, Frederick Law Olmsted, Universe,1998.
Jan Birksted, ed.,
Relating architecture to landscape, E & FN SPON,1999.
「庭とは、私たちの時代にあって最後に残された贅沢である」
ディーター・キーナスト
今回はランドスケープに関する本を取り上げるが、まずはふたりの対照的ともいえる作風を持つ造園家、ランドスケープ・デザイナーを紹介しよう。
ディーター・キーナストは、1945年にチューリッヒに生まれ、まずは庭師としての見習いをする。その後、カッセル大学にてランドスケープを学びなおし、以後ランドスケープ・デザイナーとして活躍する。キーナストは、ヘルツォーク・アンド・ドゥ・ムロン、ギゴン・アンド・ゴヤー、ディナー・アンド・ディナーなど、ドイツ語圏スイスの昨今活躍が目覚しい建築家たちとのコラボレーションを行なっている(98年没)。
彼の作品は、まだ日本では馴染みが薄いと言えるであろうが★1、この本"Dieter Kienast"は、一冊で彼の作品の魅力を余すところなく伝えている。彼の作風は、この本に納められたプロジェクトのドローイングや写真からわかるように、ミニマルな傾向を持つ。それらは明快な構成を持ち、限られた要素により強い存在感を示し、シチュエーションごとに個性的ともいえるはっきりとしたキャラクターを示すことに成功している。写真はすべて、写真家のクリスチャン・フォークストにより、それらはきわめて印象の強い緊張感をともなう白黒の画面となっている★2。また、この本にはランドスケープの研究家やキーナスト本人によるテキストが多数収められているが、キーナストによるテキストは単なる作品解説ではなく、彼があるヴィジョンと理想を持って仕事に取り組んでいたことをよく伝えている。
フレデリック・ロウ・オルムステッド(1822-1903)は、現代作家であるキーナストと異なり、歴史的人物ともいえる。アメリカにおけるランドスケープの父と呼ばれ、ニューヨークのセントラル・パークをはじめ、ワシントンD.Cのキャピタル・グラウンド、そのほか数多くの公園、大学のキャンパス、個人邸宅のための庭園などをデザインした。建築家ヘンリー・ホブソン・リチャードソンとのコラボレーションもいくつか行われたが、彼とは個人的にも深い親交で結ばれていた。
この"Frederick Law Olmsted"に見られる彼によるランドスケープは、自身がイギリスのピクチャレスク庭園に影響を受けたとすることからもわかるように、一幅の絵のような絵画的な美しさをたたえながら、どれも伸びやかで、雄大なものだ。オルムステッドが活躍した19世紀後半のアメリカとは、南北戦争(1861-65)に象徴されるように、この若い国が自らのアイデンティティを獲得しようとしていた時期であった。彼のランドスケープは、今日われわれがイメージするアメリカとはまったく異なる、健全で純粋ないわゆる「よきアメリカ」を体現しているものと思われる。これらの庭園や公園の風景を前にすると、人は勇気付けられ、前向きなエネルギーに満ちる自分に気付くであろう。オルムステッドはまた、多くの社会的な活動にも参加したが、つまり彼にとってランドスケープのデザインとは、よき共同体を象徴するものでもあった。
庭やランドスケープについて議論していると、サブライム(崇高)という言葉がキーワードとしてしばしば登場する。実際、息を呑むほど美しい光景に向かい合ったり、隅々まで神経の行き届いた端正な庭の中に佇むと、何か言葉にはできない特別な経験をしているとの確信をえることがある。ここに紹介したふたりのランドスケープ・デザイナーは、ともにこうした崇高ともいえる光景を実現することに成功した。しかし、その両者の作法はまったく好対照とも言え、キーナストはシンプルで時に緊張感を伴うような表現を追及し、一方オルムステッドは、自然の優美さと穏やかさに魅力を最大限に引き出している。ランドスケープや庭園における、ふたつの極ともいえるヴェクトルの可能性をここに見ることができる。
そして、次には庭園やランドスケープがどのように建築と関わってきたのか、そうしたことに興味が沸くであろうが、そのような両者の関係に関する考察というのはそれほど多くない。"Relating architecture to landscape"は、そのタイトル通り、建築とランドスケープを関係付けて論じようというテキストのアンソロジーである。編集は、庭園の研究家であるヤン・バークスタッドによるが、彼はイースト・ロンドン大学で教鞭をとり、ドコモモのランドスケープと庭園の委員会の議長を勤める。この本では、ルイス・セルトによる美術館と外部空間の関係に関するテキストと、映画監督デレク・ジャーマンの庭に関するテキストを寄せている。そのほかにも、カロライン・コンスタントによるプレチェニック設計のプラハ城の考察、オーギュスタン・ベルグによる東京の考察、ピーター・ブランデル・ジョーンズによるハンス・シャロウンの空間の考察などなど、興味深いテキストが集められ、イースト・ロンドン大学建築学科を率いる建築家ピーター・ソルターも論考を寄せている。
★1──筆者の知っている範囲では、建築家の槻橋修が、キーナストの紹介を2度行なっている。1回目は、『建築文化』2000年11月号「特集=ランドスケープ'80年代以降の現代ランドスケープの試み」において。ここで紹介されたキーナストの写真から強い印象を受けた読者も多いことと思う。筆者もその一人であり、その後長いことキーナストの全貌を知りたいと思っていたが、今回紹介する本がそうした要望に非常に適ったものであると思われる。槻橋によるもうひとつの紹介は、『ランドスケープ批評宣言』(INAX出版、2002)に収録されたキーナスト論「庭園のミニマリズム『楽園』へのまなざし」である。
★2──繰り返し述べているように、このフォークストによるキーナストの作品の写真はまったく美しいのであるが、難点を挙げるとすれば、この写真から受ける強い印象が、キーナストに帰するものなのか、フォークストに帰するものなのか、その判断がつきかねることだ。もちろん、優れたコラボレーションであるわけだが、少なくともこの写真からキーナストの作品そのものの質を的確に捉えるには困難がともなう。一方で、本文で述べたように、キーナストは多くのスイスの現代建築家のためのランドスケープをデザインしているわけだが、これらの写真は、そうした名声を持った建築家、ベッヒャーの影響を感じさせるドイツ圏の写真家、キーナストによる、贅沢なコラボレーションであるともいえよう。
[いまむら そうへい・建築家]