ミース・ファン・デル・ローエを知っていますか?[2]
Phyllis Lambert , Barry Bergdoll, Mies in America, Harry N Abrams, 2003.
Detlef Mertins, The Presence of Mies, Princeton Architectural Press, 2000.
Ignasi Sola-Morales Rubio, Cristian Cirici, Fernando Ramos, Ignasi De Sola-Morales, De Sola-Marales , Mies Van Der Rohe: Barcelona Pavilion, Gustavo Gili, 1999.
Daniela Hammer-Tugendhat, Wolf Tegethoff, Ludwig Mies Van Der Rohe: The Tugendhat House, Springer Verlag Wien, 2000.
八束はじめ『ミースという神話 ユニヴァーサルスペースの起源』(彰国社、2001)
田中純『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』(彰国社、2000)
前回の予告どおり、今回も引き続きミース・ファン・デル・ローエに関する書籍を取り上げる。そして、これもまた前回同様、現在ミースについて考えることは、ミースに対するスタンスの取り方を再考することにほかならないという思いを強くしている。そもそも、ミースに限らず過去の対象に対して、どのように向かい合ったらいいのであろうか。歴史家にせよ、批評家にせよ、一見雑多に見えたりもする現象を、あるかたちで掴み取り、それを的確な言葉で置き換えるという作業を彼らの仕事の重要な側面と考えるであろう。我々は、そうした成果を享受し、わかりやすく整理された解説を読むことで、自分ではまとまらなかった考えにかたちを与えられ、腑に落ちたりもするであろう。しかし、このように物事を整理してしまうことからくる単純化にも、注意が必要だ(例えば、書店の本棚に「30分でわかるニーチェ」などとあると、げんなりする気分はどうだろうか)。歴史なり過去というものは、単純化された視点からのみ見られるのではなく、膨大な数の事物の総体そのものという考えもある。鋭く切り取るのではなく、急いで単純化することに耐え、あるがままにそのすべてを受け入れること。そのどちらの立場が正しいのかを決める能力を僕は持たないが、そのあいだを往復することによってしか、歴史の理解は深まらないのではないか。
ミースは、そのキャリア半ばにして、外部からの力によりその輪郭を決められてしまった。つまり、1932年のMoMAにおけるあのモダン・アーキテクチャー・インターナショナル展において、明快な立場を与えられた。これは、本人が望んだ部分もあったであろうが、現在進行形でデザインを進める建築家にとっては、こうしたレッテル貼りは、きわめて矛盾を孕んだものではなかったか。
『Mies in America』は前回紹介した『Mies in Berlin』と同時期に出版され、同様にホイットニー美術館ほかで開催された同名の展覧会に合わせたものである。タイトルどおり、アメリカに渡って以降のミースの全活動を網羅しようとするもので、800ページ弱の大部である。構成としては大きくふたつに分けられるが、半分の400ページ近くを費やして編者でもあるフィリス・ランバートがミースのアメリカ期の作品を、多くのスケッチやドローイング、写真とともに解説している。それは、実証的でありながら、ミースの建築の展開を丁寧にトレースしようというものである。走り書きのようなスケッチも多く収録されているが、そうした「生」のマテリアルは、湧き上がるイメージを瞬時に固定したいとするデリケートな行為を想像することが出来、合理性や客観性で説明されがちなアメリカ時代のミースにも、きわめて感覚的な側面があったことを裏書する。
また、ミースのモダン・アートのコレクションも紹介されているが、キャンチレバー・チェアーで葉巻を燻らせる有名な写真の背後に写っている、シュビッタースのコラージュ数点は、アメリカに渡ってから購入したものとのことである。これは、ミースとアヴァンギャルド・アートの関係はドイツ時代の文脈で通常語られるが、アメリカに渡っても、こうしたアヴァンギャルドの美学を大切にしていたのか。それとも自分の過去に対する、単なるノスタルジーなのであろうか。アメリカではミースの建築は形式化に向かったとされているが、現場にたたずむミースの姿、とりわけ職人と談笑する彼の写真は、素材に対する彼の終生変わらない姿勢を浮き彫りにする。
そのほかにもこの本には、マイケル・ヘイズ、ピーター・アイゼンマン、レム・コールハースといった一家言持った論客による、現在に対するアクチュアルなり批評的なテキストも含まれているので、そちらに強い関心を持つ人たちも多いだろう。申し訳ないが、今回はこれらに関する紹介は省略するので、そういった方々はご自分でご確認ください(参考までに、下記の田中氏の論考で要点は紹介されていますので)。かつて、建築史家の藤森照信氏は「評論は強く、歴史は弱い──これが建築ジャーナリズムの性(さが)なのだと思う。」★と書いたが、今回僕は、評論よりもスケッチや写真といった一次資料の肩を持ちたい気分なのだ。それらから自由な想像を愉しみ、美しさに感嘆し、そのようにミースに耽溺する。この本は、そのようなことを可能にしてくれる質と量を兼ね備えた、贅沢な一冊だ。
デトレフ・マーティンによってまとめられた『The Presence of Mies』は、ミース設計によるトロント・ドミニオン・センター完成25周年を記念して開催された、同名のシンポジウムの記録であり、さまざまな論考が集められた興味深いものだ。『Mies in Berlin』および 『Mies in America』以外ではほとんど唯一と言っていい、ミースについての多面的なアンソロジーだと思う(ただし、紹介しておいて申し訳ないのだが、現在入手は困難である)。この中の、ロザリンド・クラウスによる「グリッド、/雲/、ディテール」と、ビアトリス・コロミーナによる「ミース・ノット」は『建築文化』1998年1月号に訳出されている。また、サンフォード・クインター、マイケル・ヘイズ等々によるテキストも収められているのだが、個人的に注目したいのは、ダン・ホフマンとベン・ニコルソンがそれぞれ、クランブルック・アカデミーとイリノイ工科大学で、ミースの建築と教育の再読とも言える試みを行なっているものである。偶然であろうが、両者ともダニエル・リベスキンドの影響を受けており、それが直接的には現われてこないが、いずれにせよミースを内部から解体しようとする試みと言えよう。
先述したように、ミースに関する出版物は非常に多く、代表作ともいえる建築は、ほとんどがそれぞれで一冊としてまとめられている。バルセロナ・パヴィリオンは、その修復にもあたった建築家イグナジ・ソラ・モラレス・ルビオらにより『Mies Van Der Rohe: Barcelona Pavilion』(Gustavo Gili社)としてまとめられており、そのほか、チューゲンハット邸『Ludwig Mies Van Der Rohe: The Tugendhat House』、ファンズワース邸『Mies Van Der Rohe: Farnsworth House』、レイクショア・ドライブ・アパートメント『Mies Van Der Rohe: Lake Shore Drive Apartments』、IITキャンパス『Mies Van Der Rohe: Illinois institute of Technology, Chicago』、クラウン・ホール『Mies Van Der Rohe: Crown Hall』が、すべてChronicle Books Llc社より出版されている。また、Phaidon社も、ファンズワース邸の一冊『Fornsworth House』を出版している。
ついでに、日本語で読めるものでお薦めのものを一通りあげるので、ミース読書の参考としていただきたい。まず単行本としては、すでに言及している八束はじめ著『ミースという神話 ユニヴァーサルスペースの起源』(彰国社、2001)と田中純著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』(彰国社、2000)。ともに上級者向けであるが、世界でもトップレベルの評論がなされていることには、日本の建築言論も希望があるという気にさせてくれる(しかし、前回書いたように日本では建築家のアンソロジーは極めてまれで、日本にはない前川國男の評伝が、昨年アメリカで出版されたことは、少し悔しい気がする)。この連載の「秋の夜長とモダニズム」の回に取り上げた、ケネス・フランプトン著『テクトニック・カルチャー』(TOTO出版、2002)の一章はミースに割かれているが、この章はミースのことを技術の面から深く捉えていると同時に、この本のひとつの頂点になっている。磯崎新による「《ミース》というプロブレマティック」(『建築20世紀PART2』、新建築社、1991)および、原広司による「均質空間論」(『空間〈機能から様相へ〉』、岩波書店、1987)は、日本を代表する建築家による優れたミース論であると同時に、建築家自身のスタンスを表明するものとしても読める。
また、最近の建築雑誌からミースに関するものもあげておく。『建築文化』1998年1月号と2月号のミース特集は、写真、図版、論考等により多面的にミースを捕らえる必携のものといえるが、残念ながらすでに入手は困難である(こうしたものは図書のかたちで、いつでも書店に並んでいるようにしてもらいたいものだが、どうでしょうか彰国社さん)。同じく、『建築文化』2002年4月号にも「ミース・ファン・デル・ローエの現在」という小特集が組まれているが、田中純氏による論考「ミースの年 その建築の面影」では、この2回で取り上げた『Mies in Berlin』および『Mies in America』を受けて、これらに対する詳細の応答および、そのほか最新のミース研究を紹介している。また、『a+u』2003年1月号では「シンケルとミース」という特集が組まれているが、両者を新古典主義という視点からではなく、プロイセンの伝統である建築とランドスケープという関係から再読していることが新鮮であり、それにより処女作のリール邸からファンズワース邸までを連続する展開として理解することが可能となっている。
★──藤森照信『昭和住宅物語』、あとがき部分(新建築社、1990)。
[いまむら そうへい・建築家]