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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

岡本源太

●A1
実験工房展──戦後芸術を切り拓く(2013年1月12日から2014年1月26日にかけて、神奈川県立近代美術館・鎌倉、いわき市立美術館、富山県立近代美術館、北九州市立美術館分館、世田谷美術館を巡回)
戦後日本の前衛芸術運動の先陣を切った「実験工房」は、1951年から1957年頃にかけての活動期間中には建築家とのコラボレーションこそなかったものの、その後の「空間から環境へ」展(1966年)や大阪万国博覧会(1970年)などの動きへと直接的につながっていったという点で、空間や環境の問題系においても看過できない足跡を残しただろう。昨年、大規模な回顧展が国内5ヶ所の美術館を巡回して、実験工房の全貌に触れる機会に恵まれた。 工房メンバーだった湯浅譲二や武満徹の電子音響音楽にはかねてから親しんでいたけれども、このたび実験工房の作品と記録にまとめて触れてみると、戦後復興期にアートとテクノロジーの先端を切り拓いていった前衛芸術家集団、というイメージからはいくぶん逸脱する側面のほうが強く印象に残る。彼らの作品は、いわばブリコラージュ的な発想に支えられていて、むしろ「進歩」に反旗を翻すかのような想像力のありようも見せる。第五福竜丸事件の1年前に、原子力発電のために壊滅する惑星を物語った作品を上演してすらいる(《見知らぬ世界の話》[1953年])。
現代フランスの哲学者エリー・デューリングは、論考「実験のいくつかの体制」(2009)のなかで、戦後に各地で展開された「実験芸術」には複数の体制があったことを指摘した。けれども、デューリングの分析する「人間行動学的体制」(E.A.T.やジャン・ティンゲリーなど)、「認識論的体制」(アスガー・ヨルンやシチュアシオニストなど)、「宇宙論的体制」(ジョン・ケージやフルクサスなど)のいずれにも、実験工房の「実験」はすっきりと収まらない。テクノロジーを利用し開拓するにしても、新たな媒体や素材自体に興味があるわけではない。既存の芸術制度や社会状況に対するオルタナティヴな場を切り拓きはするが、芸術を直接的な政治活動にはしない。いちはやくケージと交流をもったけれど、日常生活への着目や自己表現の放棄をおこなうわけでもなく、ワーク・イン・プログレスという発想もない。
実験工房の「実験」は、いまだいかなる文化や因習にも取り込まれていない真新しいテクノロジーを介して、あらゆる文明以前の全人類的な「起源」にさかのぼろうというものだ。「進歩」ではなく「回帰」──それを、瀧口修造から受け継がれたシュルレアリスム的な実験の精神の一展開と見るべきかもしれないと思いつつ、戦後の成長と発展のイデオロギーとは異なる「場」の姿を仄見る機会となった。

「実験工房展──戦後芸術を切り拓く」チラシ/Élie During et al. (dir.), In actu. De l'expérimental dans l'art, Dijon, Les Presses du réel, 2009


●A2
ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』(中央公論美術出版)
ジョルジョ・ヴァザーリの著した『美術家列伝』、すなわち『いとも卓越せる画家、彫刻家、建築家の生涯』(初版1550年、第二版1568年)の日本語全訳刊行が、今年から6年がかりで予定されている。この書物は言うまでもなく、「建築」が実際の建造物としてだけでなく理論的言説としても存在しはじめたルネサンス期イタリアのもっとも貴重で重要な証言のひとつだ。すでに抄訳されてはいたものの、全容が日本語で読めるようになるのはなによりも喜ばしい。
ヴァザーリの「ディセーニョ〔disegno〕」の理論が──ほとんど暗黙裏のうちに──建築のみならず空間に関する僕らの思考をどれほど涵養し、また束縛してもいるのか。さらに展開させるにせよ、あるいは棄却するにせよ、それはこの古典の再読を通してしか可能ではないように思う。
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