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特集:201101 2010-2011年の都市・建築・言葉 アンケート<

南泰裕

●A1

超高層、建築の自由、開放系の木造

2010年は、中東の一角における、高みの極限を目指す建築の出現によって幕を明けた。2010年1月4日にオープンした、アラブ首長国連邦ドバイに建つ《ブルジュ・ハリファ》である。高さ828m、160階建てからなるこの超高層タワーは、世界一高い建造物として、さまざまな側面で超高層の歴史を一挙に塗り替えることになった。この塔は現代版のバベルの塔よろしく、天空を希求する人類の欲望を集約的に表象している。が同時に、はからずも2008年以降の世界同時不況の影響を真正面からかぶり、そのほとんどに借り手がつかない空室の状況となり、ゴーストタワーの様相を呈している。
対して日本では、東京東部の一角に、電波塔としては世界一となる《東京スカイツリー》が建ち上がりつつある。高さ634m、2011年竣工予定のこの塔は、すでに500m以上まで建設が進み、建造物として日本一の高さを実現させている。
去年と今年にかけて、この2つの塔の現場を訪れたのだが、いずれも、地に突き刺すような極端に細身のプロポーションで、テクノロジーが超高層の類型を大きく更新させようとしていることを感じさせた。
海外に目を向ければ、《ポンピドー・センター・メス》(坂茂)や《バルセロナ見本市 グランビア会場 拡張計画+トーレス・ポルタ・フィラ》(伊東豊雄)といった、自由造形による建築の楽しげな作品に目を奪われた。実現には恐らく、海外ゆえの困難がさまざまに伴ったと想像される。にもかかわらず、これらには建築の自由を恃んだ豊かな感覚が充ちていると感じられる。建築という文化的な行為に、多くの人たちが基本的なリスペクトを払っている、ヨーロッパだからだろうか。
日本に隣接する韓国では、時期的にはやや遡るものの、伊丹潤氏による、「済州島における美術館群」が、衝撃的だった。《水の美術館》《石の美術館》《風の美術館》《二つの手の美術館》である。ミニマルなデザインを通した、時代の流れから離れて立つその気配に、清々しさを覚えた。これらの美術館群もまた、建築の自由の審級を、強く感じさせてくれる。
国内においては、木材を使いながら、諸般の不自由を巧みにかいくぐって、自由の隘路を見いだしている建築に、驚かされた。日建設計による《木材会館》は、建築基準法の詳細な読解を通して、コロンブスの卵的な発送の転換がなされている。ここでは、都市内における高層建築に、無垢の木材がふんだんに使われて、その意外さに虚を突かれる。
藤森照信氏の《空飛ぶ泥舟》は、文字通り、建築が空に浮かんでいて、度肝を抜かれる。夢想の世界をそのまま実現してしまったような、究極の遊戯とも言えるこうした試みに、脱帽。
これらは、いわば「開放系の木造」とでも呼びたくなるような、木材を利用した特殊解による、建築の新しい可能性を拓いている。
なお、ここで挙げた建築作品のいくつかは、建築系ラジオの「南研究室・建築デザインレビュー」において、紹介している。
ドバイに建設中の高層ビル群から抜きん出て建つ《ブルジュ・ハリファ》[2009年3月、筆者撮影]

秋葉原、プリッツカー賞、世界に痕跡を残すこと

アーティストの中村正人さんがディレクトする、3331アーツ千代田のオープンは、個人的には2010年における関心事のひとつだった。秋葉原の近隣に位置する、廃校となった中学校のコンバージョンにより生まれたこの施設は、リノベーション・コンバージョンのあり方が大きな課題となってくる、今後の建築市場の行方を幾分か、示唆してもいる。
それに関連した、三宅理一さんの『秋葉原は今』(芸術新聞社)の刊行は、時代の気配とあいまって、タイムリーな一冊だった。世界同時不況のなか、海外へのプレゼンスが最も高い地域である、日本の表象としての「アキハバラ」を読み解くことは、同時に日本の今後を占うことにもなり、興味深い研究書である。
日本の建築界において、今年、もっとも大きな出来事のひとつは、SANAAのプリッツカー賞受賞であることは間違いないだろう。受賞直後に、妹島さんと西沢さんにインタビューする機会に恵まれたが、受賞そのものをそばにおいて、たんたんと現在進行中のプロジェクトについて話されている姿が印象的だった。
それ以外に、記憶に残った展覧会や映画としては、「クリスト展」(21_21design sight)、「ドミニク・ペロー展」(東京オペラシティ・ギャラリー)、「デイビッド・アジャイ展」(ギャラリー・間)、『バスキアのすべて』(シネマライズ)などが挙げられる。いずれも何か、世界に対して、いかなる痕跡を残すか、ということを、さまざまな技法と熱情を通して表出しているように思え、そのそれぞれの表現に、強い印象を受けた。

『秋葉原は今』/「クリスト展」/「ドミニク・ペロー展」/「デイビッド・アジャイ展」/『バスキアのすべて』

●A2
建築的行為と出来事は、さまざまに重層的な時間を通して表出されるので、2011年のみに焦点を当てた予測や考察は難しく、と同時にあまり関心が向かない。が、2010年代半ばを見越して、今後5年間を遠望した場合、例えば東京は、現在のプロジェクト状況から考えて、ますます全域的に高層化が進むだろう。また、紙媒体の減衰に伴い、メディアはさらに個別化、細分化が進み、個々の表現行為はいよいよ極端な状態にまで微分化されていくだろう。
微分という操作は、極限化されたときには、個々の要素や行為が、「傾向」という様態に変化する。だとすれば、さまざまに乱立・交錯する表現行為の総体は、次元を異にした「傾向」の、多様で複雑な分布を生み出していくのかもしれない。
これに関連して述べるならば、2000年代の初頭において、私たちの世界認識を次第に支配してきた鍵語は、「検索」という概念であったように思われる。
2010年代においては、その、「検索」に代替する言葉/概念を探しだそうとしてみることが、問われているのではないだろうか。
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