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特集:201101 2010-2011年の都市・建築・言葉 アンケート<

小林恵吾

ヴェネツィア・ビエンナーレと上海万博


建築や都市について語るうえで、1年という時間はあまりにも短い。今年に完成したいくつかの建物があっても、それは去年、もしくは数年という過去から続くひとつのプロセスの一部であり、それが必ずしも2010年といういまを表現しているとは言い難い。2年という時間をかけて完成した建築と、10年という時間をかけて完成した建築が1年という時間の額縁によって囲われた際に見えるその構図は、はたしてどれだけ現在という状況を把握するために意味があるものなのかどうか。建築の歴史がつねにアバウトな時間によって定義付けられているのもそのせいであり、いまがどんな状況におかれているのかということよりも、結果としてあの時期はこうであったという分析のほうが遥かに信憑性の高い結論を導きだすことができる。そんななかで、僕にとっての2010年はこうした見えにくい現在、およびに長期的な動向の切断面のようなものがいくつかの出来事を通じて多少たりとも垣間見ることのできた1年だったように思う。
そんな出来事のひとつはヴェネツィア建築ビエンナーレ。 アカデミックな色が強かった2年前の展示に比べ、実寸模型やインスタレーションを通じて空間を体感するような展示傾向が目立った今回であったが、特に印象に残ったのは個別の展示よりも受賞式であったように思う。日本人の総合ディレクター妹島和世によって企画された今回のビエンナーレは、オランダ建築家レム・コールハースと若手日本人石上純也がそれぞれ金獅子賞を受賞、ついで若手のOFFICE Kersten Geers David Van Severen(オランダで教育を受けたオランダ人とベルギー人の建築家が主宰)が銀獅子賞、およびに特別記念金獅子賞が故・篠原一男に与えられた。授賞式壇上に招かれた5組の受賞者のうち2組が日本人であり、もう2組がオランダという結果に、オランダと日本の建築が世界という視点のうえにおいていまもなお強い影響力をもち、またそれが世代を超えて脈々と受け継がれているのを改めて感じ取ることのできた結果となったように思う。篠原、妹島、石上という繋がりはもちろんのこと、ディヴィッド・ヴァン・セヴェレンもまたレムと親しかった家具デザインナーの故マルタン・ヴァン・セヴェレンの息子であり、独立以前には長年OMAに所属していたザヴィエル・デ・ヘイテムのもとで働いた経験をもつ。
もうひとつは、ビエンナーレに先駆けて開催された上海万博。万博といえば、毎回展示内容以上に各国のパヴィリオンのデザインが注目されるが、今回は特にパヴィリオンを通じて各国の建築に対する姿勢が表われていたように思う。デザインの善し悪しは別として、建築が国の発展と富の象徴として扱われている姿勢が見て取れる国々と、国家の発展や展望といったテーマの表現媒体としてもはや建築がその役目を果たすことを期待していない国々との差が顕著に表われていたように思う。なかでも郊外のオフィスビルか電気製品店のようなアメリカ館はある意味印象的であったし、発電所かゴミ収集所といった都市のインフラが曖昧なデザインによってカモフラージュされたような日本館もまた、近年の日本の公共建築物を象徴しているようで印象に残った。バブル崩壊後、公共建築への投資が削減され、建築家の活躍する領域が着実に国家から商業、個人という単位に還元されてきた結果が、改めてこのパビリオンによって提示されているように見えたのは自分だけだろうか。
ビエンナーレによって浮き彫りになった日本建築界に対する世界の高い評価と、上海万博において日本という国が世界に対して提示した建築とが2010年というひとつの額縁によって切り抜かれた際に見えてくる景色は、より一層建築と国家が決別し、互いにまったく異なった方角へと進んでいるような不安を感じさせる構図を示しているような気がしている。
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