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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

保坂健二朗

金沢21世紀美術館の開館と10周年を迎えた小さな美術館


金沢21世紀美術館が鳴り物入りで開館したのは2004年だが、その翌年、隣の富山県の小さな町にある美術館が、開館10周年を静かに迎えていた。入善町下山芸術の森発電所美術館である。SANAAの設計による前者に対して、後者は旧黒部川第二発電所のリノベーション。予算も物理的規模も一般的な話題性も金沢がはるかにうわまわっているが、「美術史」的に見たらはたしてどうか。発電所美術館では、水を使えるという利点をいかして、たとえば遠藤利克(2006)、内藤礼(2007)、塩田千春(2009)らが、きわめて意欲的な、そこでしかありえない壮麗なインスタレーションを発表している。しかも、予算的にけっしてめぐまれていない施設だから、きわめてエコノミカルな手法によってであるところが好ましい。2006年に開館した青森県立美術館は、むしろ発電所美術館に近い質を空間に与えようとするものであったはずだが、残念ながら、常識を超えた活用方法は、少なくとも美術サイドからは出てきていないようである。演劇は元気のようだけれども。

饒舌な劇作家たち


いつの時代だって演劇は、大衆の欲望をかぎ分け、それを裏切りながら疾走していくのだろうが、ゼロ年代のそれは、ひときわパワーに満ち溢れていたように思う。たとえば本谷有希子の一連の舞台。平凡であるがゆえに饒舌になっていく言葉を、想像力(妄想?)を、よく捉えていた。『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』の、個性的に平凡な空間は、今でも時々思い出す。また三浦大輔率いるポツドール。彼(ら)が希求するリアルの手触りは、触れたくない類のものであるのがしばしばだが、都市の奥底にある劇場という空間であればこそ、そのような暗部に再び出会う意味がある。前田司郎、あるいは彼が主宰する五反田団の一連の舞台も見逃せない。『すてるたび』で、スチールパイプ椅子4脚(と4人の登場人物)の組み合わせによって広がる世界の豊かさといったらなかった。

小説家たちは建築へと向かう


本谷や前田は小説家としての活動も盛んだが、文学プロパーの小説家だってもちろん元気だ。「建築」が形而上性を獲得してしまい、ついには「建築するんだ」という意味不明の言葉が叫ばれることになる鹿島田真希の『ナンバーワン・コンストラクション』(新潮社、2006)。建築バブルの時代が孕む歪みをタワーの意匠に投影した吉田修一の『ランドマーク』(講談社、2004)。この時代に東京に生きることの感覚を、そのまま文体で表そうと試みた青木淳悟の『このあいだ東京でね』(新潮社、2009)。日本の、あるいは世界の建築の状況が、言語空間にも変容を与えている。もちろん保坂和志『カンバセイション・ピース』(新潮社、2003)のように、空間と記憶という永遠のテーマに取り組もうとする試みもある。最近、建築がフォトジェニックになっていることへの嘆きが聞かれるようだが、日本の小説を読んでいると、近く、ロマンジェニックとも言える建築が登場するのではないかと期待してしまう。そのとき、はたして私たちは、どう思い、どうふるまうことになるのだろうか。

『ナンバーワン・コンストラクション』/『ランドマーク』/『このあいだ東京でね』

建築と公的な記憶


フォトジェニックという言葉で思い出すのは、広島と長崎にある国立原爆死没者追悼平和祈念館だ。開館したのは、それぞれ2002年と2003年のこと。設計を担当したのは、前者は丹下健三・都市・建築設計研究所、後者は栗生明+栗生総合計画事務所+国土交通省九州地方整備局営繕部である。それらの施設は、英語の名称には「Memorial Hall」とあるように、「memory」、すなわち記憶を形成すると同時に保持することにささげられているはずの空間である。そしてその記憶とは、基本的に、原子爆弾が都市に投下されたという、言語を超越した出来事にかかわっている。しかしそれらの施設を訪れてみると直截な説明的意匠に満ちあふれていて、まるで、記憶しようとすることの重要性(あるいは記憶を手がかりに想像していくことのそれ)を言外に否定するかのようである。
広島と長崎での開館より少し前の2000年、ウィーンでは、レイチェル・ホワイトリードの設計によりホロコースト・メモリアルが完成している。また2005年には、ベルリンに、ピーター・アイゼンマンの設計によりホロコースト・メモリアルが完成した。いずれも、「説明」はもちろんのこと、「癒し」のような甘えた思いを拒否する空間(あるいは実体となったヴォイド)であり、そのような強度を持つ建築であれば、当然のことながら、長年にわたる「論争」があった。そして困難を越えて完成した。しかし、この日本はどうか。国立の「メモリアル・ホール」ができあがるまでになされた議論は、いったいなんに対してであったか。できあがったその空間は、いったい、日本に住む人々の記憶の、どこを、どのように占めるつもりなのか。その答えが見えてこないところは、いかにも日本的であると言えてしまうだけに、悲しい。
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