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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

荻上チキ

コストコ、ハンズマン、ドンキホーテ、IKEA、amazon、A-Z......。「倉庫=店舗」の発想に基づいた、ロングテール型マーケティングを実践するこれらの「売り場」が、僕が印象論的に思い浮かべる「00年代の風景」です。もちろんこれらは、00年代に始まったものばかりではありません。というか、こうした風景自体は、90年代末頃から何も変わっていないようにさえ思えます。が、逆にそれこそが、00年代の風景を象徴していた気がします。

90年代末に「フリースの馬鹿売れ」で成功したユニクロをはじめとして、こうした「売り場」モデルの拡大は、数多くの「経営者啓発番組」において成功例として繰り返し取り上げられました。長期不況によって醸成された「デフレマインド」が、「モードの消費」をにわかに後退させたのか、そうしたメディアの「語り」のなかで重きを置かれたのは、「何を売るか」(先端のトレンドをいかにキャッチするか)ではなく「どうやって売るか」(既存の失敗に対していかなるレバリッジをきかせるか)でした。ゆえに、具体的なゾーニング技術の導入事例が注目されていたように思います。
この10年間、コンテンツ内容をめぐる議論よりも、コンテンツを流通させるアーキテクチャそのものをめぐる議論が盛り上がったのも、そうした背景と無縁ではありません。記号論をベースにした「表象論」的語りはほとんど目立たなくなり、都市を闊歩する人の慣習と、周到に埋め込まれたナッジとの関係に焦点が当てられました。「新しさ」「ホットさ」だけを語り競いあうスノッブ談義は無価値となり、多層的なアーキテクトが、次々と「空間」生成へとコミットメントする様相が記述されていくようになりました。言説上でも、ますます「様式美から機能美へ」といったモード転回にドライヴがかかっています。

しかし他方で、コミュニケーションそのものへの着目も活発になっています。00年代は、オタクや「デジタルネイティヴ」(笑)たちが、あるいはギャルや「やから系」の面々が、都市空間をどう「創造的」に塗り替えているのかが着目されていました。ICTの飛躍の10年間、街にはモバイル機器を持つ人で溢れています。電車のなかでケータイ小説を読む者、モンハンのアドホックモードを試すため、あるいはルイーダの酒場に集うため、「趣都」に群がるゲーマーたち。ケータイ小説、プロフ、リアル、モバイルSNSなどを駆使して、学校空間をデジタルスペースで「上塗り」していく者たち。都市をコミュニケーションで埋め尽くしていく人々の生態を前に、いつしか「整っているが温かみもない」とされた郊外をめぐる語りも変わっていきました。
そうした現象を前に、かつて郊外を語るうえで重要だった社会学的な言説も、そのブームに落ち着きをみせています。その変わりに台頭してきたのが、ひとつは経済学的な言説でした。もちろん、経済学ブームの引き金は、経済不況という課題が眼前に現れたからというのが大きな理由。ですがそれだけではありません。
経済学は単に、マーケティングや予算、景気の話をするためだけでなく──なにも行動経済学に限定せずとも──、市場=メカニズムのなかにいかにいかなるインセンティヴが埋め込まれているかを読み解くツールも提供してくれます。サンスティーンの仕事をみてもわかる通り、数多くのアーキテクチャ論も、いわば「設計」と「行為」を同時に語ろうとするゲーム理論的な思考の一種として分類することがでる。「意味のダイナミックな生成変化」を読みとこうとする、参与観察的なアプローチではなく、そうしたものをひとまず括弧にくくったうえで、生成のメカニズムそのものを記述する知。すなわち「臨床としての都市論」を行うための手段が、ひとまずは経済学などのツールに求められていたのです。

完璧な設計をする建築家よりも、生成変化の「余地」を巧みに残したプログラマが注目を集めたこの10年間の動きと、統計的切り口が、「ホット」なトピックスをクールダウンさせていった経済学ブームの盛り上がりの、補完的な並行。そうした知性のあり方は、「自然的」なものでも「人為的」なものでもない、ハイエク的な「規則性の自己生成」領域への注目手段として、サイバースペースや都市へのまなざしに限定されることなく、また「00年代」に限定されるようなこともなく、今後ますます精度を高めていくと思います。
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