5月2日(火)
・午後、横浜駅東西フィールドワーク開始。ひと月ちょっと前には毎日のように利用していた駅を、ある意図をもって歩くのは不思議な気持ち。池袋での田中の心境に近いのかも。 ・西口地下街は、小高い丘を西端に控えている。通路に各商店が面しているために、プランとしては八重洲地下街の形式に近いのではないか。 ・東西間の連絡は、通常JR横浜駅の東西自由通路を利用するのだが、この日は、北側に別の自由通路(といっても工事中の仮設的なものかもしれないが)を通ってみる。不気味[写真1]。(山崎)

北側にある東西自由通路。日中にもかかわらず人影はほとんどない

 



5月上旬

[全体に]幾つかの小さな商店街とデパートが流動的に連続している印象。前回の池袋で確認された「ワンルーム地下街」の論考になぞらえるなら、池袋のような完結した計画性と、八重洲のような商店街的スプロールや変化の可能性が混在しているようにも見える。池袋では遭遇しにくかったハプニング性もあるだろう。発見の楽しみ。 [自然]この地下街は、「自然」であると感じた。決して、「地下1階」という呼称で識別されるフロアを歩きつづけているときでさえ数段の階段というかたちで幾度か出会う床の微妙なレベル差が、ほぼ正直に敷地の形状を反映させているからだけではない。それは「デッドスペース」があるおかげだろう。正確には、用途の判然としない空間、必要以上に大きな空間、あるいはスペックを満たしていないのではと思われる狭隘な空間。そして、「デッド」ではなく、むしろ「生かされる」余地があるから、それを待っているような空間。優等生の「建築計画」から少し外れた、ささやかな異端児のような場とでも形容できそうだ。それらによって、一元的な計画性を感じさせないが故に、自由だ、ここは。計画・管理の行き届かないところ、合目的的にコントロールしきeれなかったスペースに、予想外の利用を使い手が展開するなんて、自然だ、この街は。しかも港湾付近のスケールで生じる「デッドスペース」は、時として大きめ。池袋にはなかった心地よさ、八重洲では許されなかった大きなムダ。では、なぜ横浜の地下街はそうなったのか?(次のフィールドワークまでに具体的に調べてみる必要あり)。……思うに、複数の主体が進めるプロジェクトの衝突部分に、そんな「ハプニング」な空間が発生するのではないか。例えば単純に、ある企業やデヴェロッパーが右からデパートA計画を、別のデヴェロッパーが左から複合施設B計画を進行する。どこかで、ぶつかる。どんなに繕っても、そこにはやはりアクシデンタルなスペースができあがる。「何に使うの? 誰が通るの?」っていうような。しかし、そのような空間こそ、使い手による解釈の余地と「生きられる」可能性があるようにも見える。う〜ん、地下空間を建設するに当たって立てざるをえない「計画性」と、一方で生じるのびのびした「アバウトさ」との調和。山手線周辺では、見られない地下の景色。(塩田)
 

 


今回の横浜地下街は前回の池袋とうって変わって、僕にとってほとんど初めてといってよい。横浜の地下に来たときの記憶といえば東急から相鉄線への乗り換えで道に迷ったということくらい。この日は瀬山、山崎とともに一通り地下をまわってみたのだけど、やはりここも八重洲や池袋とも違うことが色々と浮かび上がってくる。外部との関係からいえば横浜駅は海に面しており都心とは少し離れたところに位置している。そのような外部の論理が影響をおよぼしているのかどうかわからないが、横浜の地下は今まで見てきた八重洲や池袋と比べると空間的に余裕があるように感じる。地下に設けられた広場や喫煙所はむしろ八重洲のほうが広くとられていたような気がするが、そういう問題ではないような気がする。それを単に空間的なムダといってよいのかどうなのか今のところわからない。他のメンバーも触れているようにここの地下は床面にレベル差がある。通常、建築空間において高低差を出すという操作を施す場合、そこには何らかの目的がある。しかし横浜の場合、今のところそのような操作を施した理由は見当たらないようだ。というか何か意図があってそうなったというよりも、結果的にそうなってしまったという気もするが。とにかく、なぜそうなってしまったか非常に気になる。まだまだ横浜地下街は僕とって謎だらけだ。(田中)

 

 


横浜の地下街には以前から興味があったので、この企画のおかげで散歩のための大義名分ができてうれしい。しばらくうろうろと歩いてみたが、やはり八重洲とも池袋とも全く異なっているように感じた。フィールドワークを開始する前は、とりあえず西口(diamond)地下街と東口(porta)地下街に対象を定めて歩こうと思っていたのだが、歩いてみるとそこは複数の地下街が連結、拡張を繰り返す予想以上に複雑な場所だった。もちろんこういった事態は、八重洲、池袋においても見られた現象ではあったのだが、横浜ではそれがより端的に、わかりやすい形で現われているといっていいと思う。また、これに伴い地下街の床が(前回の池袋とは対照的に)微妙にレベル差を付けながら拡張されることで、いわゆる「階数」がきわめて曖昧な形で分節されている。どこからどこまでが地下1階なのか? 今回のフィールドワークはこの「階数」をめぐって展開しそうだ。(瀬山)
 

 


5月中旬

[“階数”の無意味さ]地下1階、地上1階、2階、3階……。この記号体系は閉じられた秩序(一単位で計画された建物)の中でしか意味をもたない。当たり前のようだが、そんなことを、この横浜地下街は実感させてくれる。僕は確かに地下1階を歩いている。大きなトラスのガラス屋根を通して太陽の光を浴びながら、階段を降りる。まだ、地下1階。たくさん、階段を上る。きっと、3階分くらい。“地上のような”地平に出た。遠くに船と超高層マンションが見える、あまりに“ウォーターフロントな”光景をしばし楽しむ。また歩く、階段を降りる。バスターミナルに出た。店舗街を歩く、数段の階段を降りる、お店に入る、数段の階段を上る。「ここは何階、ここはどこ、私は誰?」という状態。きっと重要なのは、「何階」にいるかではなく、地上と自分の距離を知ることなのだ。安全な地上への最短のアクセスは命綱なら、それを認識しておくことは安全帯を腰に巻くようなもの。  階数が無効になってしまうということは、やはり閉じられるべき秩序が「開いて」しまっているのか。それなら、1階、2階ではなく、港地区らしく「海抜」で表わしてくれたりすると“粋”なのでは? そう、山では「○合目」という相対値とともに、「標高」という絶対値も示されているように。……あっ、やっぱり「自然」なのか、ここは??(塩田)

 

 


5月19日(土)
・この日も、午後から。西口から東口へと歩く。 ・田中は、横浜の地下街をほとんど歩いたことがないらしく、戸惑っている様子。 ・西から東へと歩き通すと、けっこう疲れる。(山崎)