池袋東口・西口地下街フィールドワーク
その2

ワンルーム地下街
瀬山真樹夫 SEYAMA Makio


地下街の屋上
池袋東口・西口の地下街で、地上への階段を上ると、不思議な経験ができる。というのも、その上り階段は、駅前広場にあるロータリーの真ん中に通じているため、歩行者は地上への階段を上ることでちょっとした広場の中央に出ることになるからである。とはいえ、この事態の一体どこが「不思議な経験」なのだろうか。それは、ただ普通に階段を上がったら駅前の広場に出ました、ということと、どこがどう違うというのだろうか。

地下街を歩いていると、そこが地上との関連において一体どの辺なのかさっぱりわからなくなり、いざ階段を上ってみても、しばらくは方角さえつかめないということがしばしば起こる。このようなとき人は、しばらくは勘に頼って歩き、案内板あるいは何か目印となる建物といったもの、またそれに類する何かを見つけることで、方向感覚を取り戻すだろう。そして、そのことからはじめて、先程までいた地下街と地上との関係も把握することができるようになるはずだ。地下街という完結した領域の内側では、相対的に位置を把握しながら歩くことができたが、地上に出たとたんに今自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。あるいはその逆。つまりここでは、地下街と地上とは、切り離された別々の領域であると認識されている。

ところで、池袋で起こった出来事は、これとは全く逆であった。階段を上って、ロータリーの真ん中に出た私達は、ふりそそぐ春先の午後の日差しを浴びながらくつろぐ、レゲエのおじさんの群れや、ハトの群れ、配置された植栽や彫刻、ベンチ、地下からの排気口などがある風景を眺めながら「まるでここは地下街の屋上のようだね」と言い合ったのである[fig.1]★1。つまり、そこはすでに地上であるにもかかわらず「地下街の屋上」という言い方で、地下街の一部とみなされていたわけだ。これは、前述の、地下街と地上との関係についての一般的な了解のされかたとはいささか異なる事態であるだろう。なぜなら、そこにおける了解とは「地下街と地上とは、切り離された別々の領域であると認識されている」というものだったからだ。さらに、自分で書いておいて言うのもなんだが、その時思わず口をついて出た「地下街の屋上」という言葉、これはどうも語義矛盾であるように思われる。つまり、この矛盾した経験こそが「不思議な経験」の正体というわけだ。池袋の両地下街において、階段を上っていくと、われわれはそこに「屋上」を発見してしまうのである。しかしそれにしても、なぜこのような経験が可能になるのだろうか。そもそも、「屋上」という概念を適用することが不可能な領域こそが「地下街」なのではなかったか?


ワンルーム地下街
池袋の地下街を注意深く歩いてみると、(東口でも西口でも)各商店と通路の関係が、前回のフィールドワークの対象であった八重洲地下街とはだいぶ異なっているということがわかる。なによりも、各商店は通路に面して独立したファサードをもっておらず、通路に面しているのは、それら各商店をテナントに持つ大きなフロアのほうなのである。これは、八重洲地下街と比較したときにその規模がだいぶ小さい(八重洲地下街の延べ床面積が73,253平方メートルであるのに対して、池袋東口・西口両地下街はそれぞれ15,257、14,709平方メートルと、それぞれを足しても八重洲の半分以下に過ぎない)ことや、経営戦略上におけるイメージの作り方の違いといった事柄が関係しあった結果であると思われるが、いずれにせよこのことから、池袋地下街はきわめて「デパートの地下」と似ているという印象を与える(ちなみにこの情報は、地下街の案内板から読みとることはできない[fig.2])。つまり池袋地下街は、文字通り「街」と呼ばれていながらも、前回の八重洲地下街のようにそこを「都市」という比喩で語ることがそれほど有効でなく感じられる。そこは、「都市」というよりはむしろひとつの「部屋」と呼んだほうがよい。そしてこのことは、「地下街の屋上」という一見矛盾する考え方が成立する条件とも大きく関わっている。

話をわかりやすくするために、八重洲地下街と池袋の両地下街の空間構成をそれぞれモデル化して、比較しながら考えてみよう。前回の八重洲地下街をモデル化すると[fig.3]。それに対し、池袋の両地下街は[fig.4]のようにモデル化できる。それはきわめて対照的な空間の作り方であると言っていい。八重洲地下街のモデルは、木の根のようなチューブ状の空間が、外部を想定することなく拡張してゆくようなイメージである。そこでは、あらかじめ床や壁といった要素を想定することはできず、それらはあくまでも「掘られた結果」として現われるに過ぎない(ここであらためて、この地下街の地下2階において文字通りチューブ状の首都高速道路が連結しているという事態を思い出そう)。それは、どこまでいっても完全に内的な論理に従わざるをえない空間のモデルであり、つまり、このモデルにおいては「屋上」という概念は存在しない。それに対して、池袋の両地下街は、均質なスラブが積層することによって成立するようなイメージの空間モデルである。そこには、あらかじめ様々な出来事が起こりうる平面が、計画として想定されている。そこでは空間は、地中に掘られたヴォイドとしてある以前に、もっと無限定で均質なものとして想定されている。重ねられた一枚一枚の平面は、その中がどのように仕切られようと、あくまで単一の領域なのである。この意味で、池袋の両地下街の空間モデルを「ワンルーム地下街」と呼んでもいいように思える。また、このようなイメージの空間が現実的に成立すれば、当然そこには「最上階」が発生するだろう。われわれは、池袋の両地下街において地上への階段を上ることで「最上階」(つまり、屋上)へと上っていたのである。

ちなみにこのような発見は、このフィールドワークを始めるまでは、まったく考えもしなかったようなことであった。これら以外にも独自の形式をもった地下街があるのだろうか? 興味は尽きないが、それについては、次回の横浜駅地下街フィールドワークを待たなければならない。




★1——フィールドノーツ参照。また、このことは「駅前のロータリー」が、車道によって囲まれていることで、島状の独立した領域になっているということもきわめて重要な要素として作用していると思われる。

 
 
 
 
 
 
 
 

fig1──池袋東口地下街の屋上
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 










fig2──池袋東口地下街の案内板
この案内板からは、そこがほぼワンルームに近い空間になっているという情報を読みとることは難しい。

 

 

 

 


fig3──八重洲地下街の空間モデル


fig4──池袋東口・西口地下街の空間モデル
 
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