美術館の現場から[2]
Dialogue:美術館建築研究[6]


 建畠晢
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 青木淳


●想定される身体
青木──ぼくも、フィクションを暴くというようなナイーブな方法は、もう飽き飽きというところがあります。そもそもホワイトキューブが、視線だけに還元された身体になるというフィクションだということにしても、そう一概に言えないところもあって、事はもっと複雑だと思います。たとえば、もしホワイトキューブが本当に無限定な空間を獲得しえたとすれば、それはたしかに身体を失なった眼だけになったと言えるかもしれません。それはノン・スケールの空間です。しかし、ホワイトキューブにはコーナーという非常に特権的な場所が残されています。作品の展示においては、コーナーとの関係が重要になっている。作家自身が展示を行なえば、よりコーナーへの意識が強くなっている。これは、ホワイトキューブには「部屋」という、つまり有限の領域を持ち、またそこに置かれるものとの特定の関係をもたらす面が保持されているということを意味しています。コーナーのある「部屋」であるからこそ、ホワイトキューブが他のさまざまな要素を消去しても、スケールとプロポーションだけは残る。となれば、ホワイトキューブは、やはりそこに展示されるだろう作品あるいは作家の身体のスケールとそれを見る視線を持った身体が想定されているのではないかと思うのです。ぼくは磯崎さんのもとで働いているとき水戸芸術館を担当しましたが、ぼくが描いた図面を見て、磯崎さんが「この幅だと日本の作家で展示できる人はいない。こんなに広くては駄目だ」と言われたことを思い出します。もっとも水戸芸術館の場合は、設計が終わってから、その運営が予想以上にラジカルな内容に決定され、また1990年のオープン以降、どんどん展示される作品の大きさが大きくなっていったため、いまでは窮屈な印象を受けるわけですけれど。ホワイトキューブが想定する身体と美術が想定する身体のあいだには相互相関関係があって、やはり身体は重要な項だと思うのです。
ただその一方で矛盾しながらも、おっしゃられるように、ホワイトキューブにおける身体と空間の関係は、身体側にある種の浮遊感をもたらす方向にあって、どこかにコーナーから逃れ、また身体から割り出されるスケールやプロポーションから自由になろうとする契機もたしかにあるのだと思います。青森県立美術館のホワイトキューブは、床も白セメントにして、なるべく壁や天井と床を融合させようとしています。これもその無意識な現われかもしれません。ホワイトキューブは、部屋という明確な領域性への希求と無限性への希求が矛盾しながら共存している状態であるように思われます。
アレコホール
青森県立美術館、パース画(アレコホール)
提供:青森県立美術館
青森で意識的に行なったのは、ヒューマンスケールと縁を切ることでした。これは、この美術館の重要なコレクションであるシャガールの《アレコ》という舞台背景画があったおかげで、無理なく行なえました。青森は、《アレコ》全4幕中、3幕を持っています。幅14メートル高さ9メートルという巨大な作品です。そのための展示室も21メートル立方の巨大な空間になりました。一方、基本的に1室に1人の作品展示という方針がありましたから、こじんまりとした展示室もかなり必要でした。だからその両極をつなぐように、各展示室のスケールとプロポーションに相当のばらつきを持たせ、それらのあいだに適切な配置を見つけることで全体のバランスを図っていったわけです。それは、見る人の身体なり感覚を括弧に括らないとうまくいかない設計作業で、幾何学的なあるいは形式的な手順で解いていかざるをえない。そうしたことの結果、ヒューマンスケールとかなり無縁な空間が出現したと思います。
旧・国立国際美術館
旧・国立国際美術館、外観
提供=国立国際美術館
人がそこで持つだろう感覚は人の身体と関係があるわけですが、だから人がそこで持つだろう感覚を括弧に括れた空間は、ホワイトキューブが持っているひとつの理想を実現できるのかもしれません。川崎清さんが設計したかつての国立国際美術館はその一例ですね。あれは、万博会場の一施設としてつくられただけでなく、当時の「環境」というキーワードから直線的に設計されたものでした。だから、展示空間として人がそこをどう感じるかという視点は括弧に括られ、非常に特異な空間が生まれてしまいました。しかし、人の身体なり感覚と切れたその「取りつく島のない」空間ゆえのすばらしい展示室になったと考えるのです。
建畠──たしかにホワイトキューブというのは単純な原理なので、ストレートに生まれてくると思われがちですが、現実には作品をはじめとするさまざまな要素との相関関係で生まれてきます。作品との関係も重要ですが、身体との関係も重要です。さらに天井高、床、照明、そのほかの条件との関係もはずすならはずす、受けるなら受けるでなかなかバランスが難しい。ホワイトキューブを白くて四角くければいいというようなところに還元してしまうのは危険な考えです。作品を想定していない空間をつくるにしても、それははずすという意味では自覚が必要で、おっしゃるとおりです。
もうひとつホワイトキューブの表現はコーナーに現われるというのは、ホワイトキューブというのは必要な空間が永遠に続くわけではないからどこかで屈折して、3本の直線が一点に集中する。そこには強い意味をもつ付加価値が発生していて、理念的にはないものとして見なしているけれどもそこにしっかりと空間がある。そこでふと思い出したのですが、バーレット・ニューマンという作家がニューヨークで常に個展をしていた画廊がありました。バーレット・ニューマンは作品のなかにジップと呼ばれる垂直の線がはいっている。これを画面のエッジの直線を画面の内側に引用したものと見なす評論家もいますが、基本的にはモノクロームの色面に線がはいっている。その画廊は基本的にはホワイトキューブですが、入り組んでいる箇所があって、その直角の角がカーブになるように全部アールがついている。空間として、なまぬるくてしゃきっとしていないのですが、それはすべてニューマンが要求した。彼の作品は直線で構成されていて、それを純然たる意味を発揮するためには画廊の中に直線が現われると困るということでしょう。いまの話は、ホワイトキューブという表現がコーナーにあって、われわれは気がつかないという嘘の約束をしているのですが、バーレット・ニューマンはそれに耐えられなかったという事でしょうね。コーナーを表現として積極的に捉え直すことも可能でしょうし、そこに個性がないという約束事をより見事に制度化することもあるでしょう。アールをつけるようにある意味こそくな手段でニュートラルな空間にすることもできますが、ただし完全なニュートラルな空間はあり得ないわけですよね。それはニューマンにとってニュートラルなだけで、別の人から見ると生ぬるく見えてしまうように、またべつの独特の表現が生まれてしまうわけで、不可避的だと思うんです。
旧・国立国際美術館
旧・国立国際美術館、展示室
提供=国立国際美術館
万博の会場のもとの国際美術館はぼくも好きだったのですが、ホワイトキューブではありませんでしたよね。だからといって強く表現している空間でもない。工場みたいな無機的な空間で、作品を前提にしていないが故のすがすがしさがあるという気がします。たしかに作品を前提にする、あるいは身体をモジュールにするのは、安易なホワイトキューブをつくりださずにすむひとつの方法であると思うけれど、そこで想定した作品はやがて消費されてしまってまた別の作品が現われる。作品と違ってホワイトキューブをすぐにつくり直すわけにはいかないですし、なにも想定しない空間のほうがアーティストにとっても観客にとっても刺激的でもある。さらに、新しい挑戦意欲を喚起させる場合もあるし、よりフレキシブルに対応できる状況をつくり出せることにつながるかもしれない。


●想定しないこと
青木──そうですね。想定をしないこと、そしてそのことがもたらす空間の質が、ホワイトキューブのひとつの重要な理想だったのではないかと思います。かつての国立国際美術館は、たしかにホワイトキューブではなかったけれど、それを実現できていたから、ホワイトキューブのオルタナティブたりえていた。この、想定をしないこと、というのが難しい。いま、建畠さんは「工場のように」と形容されましたが、工場は工場としてうまく機能することを想定されてつくられる空間です。いろいろな建物のなかでも、特に工場は想定に対して最も厳密なジャンルである。だから、その設計には1本バシッと筋が通っていて、どこにも恣意的だったり適当だったりするところがない。そうした首尾一貫性がもたらす空間の質というものもある。こうした2つのことが複合して、いい美術の空間になったのでしょうね。
建畠──閉館直前、最後に美術館自体をメディアと見なした展覧会が開かれましたよね。ああいったことが可能だったのは、そういった空間だったからですかね。
青木──そうだと思います。とくにあの美術館では、ほぼ毎年若い人の展覧会をずっとやってきて、大きな個展だったということもありますが、いい展覧会でしたね。あの空間だと空間を読み取ってそれと格闘しなければ使い切れない。でも、使い切ることによって、説得力のある展示になりますし、また作家も育つ。
建畠──そのとおりですね。僕は準備室のころから15年間つとめてきたのですが、あの空間が好きでした。ただ、あそこはいいホワイトキューブではないですが、なんで好きだったのか分からなかった。あの場所をつかった展覧会はやりがいがあったけれど、あの空間の良さをうまく言葉に表わせなかった。
一般的に美術館建築は展示空間としては評判が悪い場合が多いです。また、学芸員と建築家は不倶戴天の敵という関係になりやすい。それを煎じ詰めていうと、ひとつの空間では一人のひとしか表現できない。つまり、建築家と学芸員とアーティストと、関係者が三人いるなかでお互いに誰が表現しますかということになる。そういった永遠に解決しなそうな三竦みの関係のなかで、以前の万博会場の良さを考えると、川崎さんは、完全にニュートラルではなくかといって個性的でもない名状しがたいものをつくった、それがかえって、作家や学芸員にとって良かったのではないでしょうか。あれは奇跡のようにして生まれた良い空間でしたね。
青木──あの建物は強靱な空間の質を持っていたけれど、それがいわゆる建築家の「表現」ではなかったのでしょうね。光や熱の室内環境を定常に保つ機械というのが、当時の川崎さんが目指したことだったと思います。それは万博の時代の熱気で、すべてのテーマが空間から環境へという方向に向かっていた。川崎さんもそれを徹底的にやる場だと考えた。工場ではないけれど、ある種機能的な目標の実現が図られ、「表現」が入り込む余地はなかったのだろうと思います。


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